0013 泥酔拳
「世のなかには、酔えば酔うほど強くなる武道家がいるらしいですぞ、土井先生」
「何を馬鹿なことをおっしゃるんですか、山田先生。そんなの、あるわけないでしょう」
「いや、それがどうも本当らしい。松千代先生が唐土の本でそんな武道家の話を読んだとか」
 半助は伝蔵のその発言に少しばかり眉をひそめた。常識的に考えるならばそんなことはありえない。けれど、それがただの噂話ではなく、二年生の教科担当である松千代万から出たというなら話は別だ。極度の恥ずかしがり屋という欠点はあるものの、図書委員会の顧問でもある彼は世間の情勢に詳しく、慎重であるためにもたらす情報も正確だ。――つまり、彼がそう言うのならば、本当にそういう武道家がいるのだろう。
 しかし、その存在に半助はなおさら大きく顔をしかめた。伝蔵を見れば、彼もまた険しい顔で溜息をついている。二人は揃って顔を見合わせ、小さく首を振り合った。
「生徒たちには内緒ですな」
「全くです。
 ――酒、欲、色。子どもたちには今まで忍者の三禁として教えてきたのに、そんな特殊な武道に傾倒されては困りますからね」
「誰もが酒に強いわけでもありませんしな。第一、酒に寄って敵に勝てたところで忍働きに役立つことはない。忍の本分は飽くまで忍び、影として動くこと。敵と面と向かって戦うなど、忍の策としては下の下と言わざるを得ない」
 伝蔵の発言に半助は深く頷いた。忍の道を教える彼らにとって、忍術とは科学。そして、人の為すものである。――下手に奇天烈な技術を耳に入れて、本分に身が入らなくなることは避けたかった。それは伝蔵としても同じ思いのようで、彼らはもう一度顔を見合わせると、揃って小さな溜息をついた。

| SS::1000のお題集 | 12:43 | comments (x) | trackback (x) |
0012 ヤケ酒
「いってえ……七松先輩、容赦なさすぎだろ……」
「潮江先輩もだよ……あー青痣できてる。何か、兵助と鉢屋は平然としてるよね、立花先輩と中在家先輩だっけ? 羨ましい」
 ボロボロになった身体を気力だけで風呂まで運んだ五人は、五年の集合場所としてお決まりとなった三郎と雷蔵の部屋まで引きずり、部屋の戸を後ろ手に閉めた瞬間、それぞれ床へと崩れ落ちた。しかし、床にぺったりと頬をつける八左ヱ門、勘右衛門、雷蔵に対し、兵助と三郎は座り込みはしたものの、まだ体勢を保っている。それに勘右衛門が唇を尖らせると、彼ら二人は揃って顔をしかめた。
「そんなわけないだろ。さんざっぱら遊ばれたんだから。……もう立花先輩の私的使用の火薬、絶対融通しない」
「すぐに無言の圧力に負けるくせに」
「うるさい。三郎だって中在家先輩に散々振り回されていたくせに」
 茶々を入れる三郎を睨みつけた兵助は、不機嫌なまま三郎へと吐き捨てる。その発言に三郎は明らかにムッとした表情を浮かべ、二人の間に険悪な空気が流れた。
「あーあーやめやめ! それでなくても疲れてんだから、これ以上疲れさせんな!」
 その間に割って入ったのは八左ヱ門だ。彼は手に掴んだ何かを二人の間に差し入れ、その注意を逸らす。しかし、その手にあるものを見た三郎が柳眉を跳ね上げ、目の前に突き出された八左ヱ門の手首を掴んだ。
「これは私の秘蔵の酒じゃないか……どっから出してきた」
「あ、僕が出した。もう飲まなきゃやってられないでしょ?」
「雷蔵!?」
 三郎は雷蔵の言葉に泣きそうな声を上げた。普段から顔を借りている手前、三郎は雷蔵に強く出られない。雷蔵もそれをよく分かっているため、もう一本隠してあった三郎の酒を既に開けて勘右衛門と飲みはじめている。それを目の当たりにした三郎はがっくりと肩を落とし、口のなかで泣き言ともつかぬ愚痴をこぼした。
「あ、良い酒だな。さすがは三郎」
 対する兵助は勘右衛門から回されたお猪口に八左ヱ門の手から奪った酒を注ぎ、ひとり先に楽しんでいる。それを見た三郎は力尽きたように八左ヱ門の手首を放し、深い深い溜息をついたあとに引き寄せたお猪口を八左ヱ門に突き出した。
「こうなったらトコトンまで飲んでやる! さあ、八左ヱ門注げ!」
「ほらよ。あ、雷蔵、肴は?」
「あー今はおまんじゅうしかない。勘右衛門たち何かある?」
「部屋に戻れば豆腐がある」
「豆腐以外で!」
「あとは炒り豆くらいかなあ……兵助、取ってくる?」
「そうしよう」
 八左ヱ門の拒否を意に介した様子もなく、勘右衛門に促されるまま兵助は立ち上がる。無視される形となった八左ヱ門はムッとした顔をしたが、酒が喉を通ると機嫌を直し、彼らをにこにこと見送った。――しかし、彼らは知らない。このときが最も幸せで穏やかな時間であったことを。
 しばらく後にその部屋の戸を開けたのが先程出て行った二人よりも六人ばかり多かったことから、彼らの平穏な時間は一瞬にして崩れ去ったのである。

| SS::1000のお題集 | 12:34 | comments (x) | trackback (x) |
0011 地獄巡り
「よし! 今日は裏々々々々々々山まで登ったり下りたりしたあと、みんなでバレーボールしよう!」
 委員会開始早々に告げられた言葉に、平滝夜叉丸以下体育委員会の面々は揃って顔を引きつらせた。それもそのはず、今委員長が告げた言葉にいくつ「裏」が入っていただろうか。しかも、登ったり下りたり、と簡単に言うが、実際に行く道は平坦どころか獣道も良いところなのである。委員のなかで誰よりも早く我に返った滝夜叉丸は、背後で始める前から魂を飛ばしている下級生二人に気づき、精一杯の険しい表情で目の前の青年へと口を開いた。
「な、七松先輩! いくらなんでも無茶苦茶すぎます!」
「何が?」
 しかし、返ってきた言葉は彼の危惧など気づいてすらいないもので、滝夜叉丸は思わず絶句した。――しかも、これが本気なのだから性質が悪い。
「何が、って……」
「ほら、早く準備しろ! 出発するぞ!」
 追い撃ちをかけるように告げられた言葉に、滝夜叉丸は今度こそ絶句する。どうしたら、と別の切り口を求めて周囲を見遣れば、ひとつ下の後輩が下級生二人の魂を鼻から戻していた。その瞳には既に諦念が浮かんでおり、滝夜叉丸はそれ以上もう何も言うことができなくなる。魂を戻された下級生たちも委員長の様子を見て抵抗は無駄だと悟ったらしく、暗い顔で走る準備をしはじめた。けれど、その背中があまりにも悲痛であったため、滝夜叉丸はせめてもの抵抗として口を開いた。
「七松先輩……登ったり下りたりは一回までにしましょう」
「何で?」
「……バレーボールもなさりたいのでしょう? 裏々々々々々々山まで何度も登ったり下りたりしたら、すぐ夕飯の時間になってしまいますよ」
 これは事実だ。それ以前に、裏々々々々々々山まで往復する時間があるかどうかも怪しい。勿論、小平太と滝夜叉丸だけならば彼の望みを叶えることもできよう。しかし、ここには無自覚方向音痴の三之助にまだ体力のない四郎兵衛、金吾がいるのだ。彼らのことを考慮すれば、どうしたって時間は有り余るほどに必要になる。
「……さすがに仕方がないかあ」
 さすがの小平太も下級生の体力については把握しているらしい。とにもかくにも何とか下級生たちを屍にしないで済みそうなことに滝夜叉丸は胸を撫で下ろしながら、それでも地獄の入口となるであろう忍術学園の校門を見て深い溜息をついたのであった。
| SS::1000のお題集 | 19:59 | comments (x) | trackback (x) |
0010 ミステイク
「合わない」
 目の前に揃った帳簿を眺め、会計委員長潮江文次郎は低い声を吐き出した。息を詰めて彼の計算を見守っていた会計委員たちは、その言葉に揃って泣き出しそうな顔をする。それもそのはず、すでに計算は三回目、時刻も亥の刻を過ぎたところだからだ。もうずっと合わない帳簿と戦いつづけて早数刻、もはや心身ともに限界が訪れていた。
「……もう一回だ」
「潮江先輩、しかし」
 唸るように呟いた文次郎に、三木ヱ門が小さく声を上げる。帳簿とそろばんに落としていた視線をちらりと上げれば、精根尽き果てた下級生たちが目に入った。
「左門、佐吉、団蔵! 起きんか! やり直しだ!」
 文次郎は三木ヱ門の意見を無視し、よく通る声で下級生たちの名を呼ぶ。一年の二人はそれに弾かれたように姿勢を正したが、三年の左門はぼんやりと中空を見ながら小さく呟いた。
「ぼくはねていない……」
「寝てるよ」
 溜息とともに三木ヱ門が同じく呟いた。さすがに四年の彼はまだしっかりした意識を保っているようだが、顔には明らかに疲れが見える。それに文次郎はお決まりの台詞を言おうとしたが、あることに気づいて声の調子を落とした。
「三木ヱ門、団蔵の机の下に落ちている紙を拾ってくれないか?」
「えっ……? ああ、これですか。って、団蔵! こらお前……!」
「ふぇ?」
「ふぇ? じゃない! お前これ……帳簿じゃないか!」
「ええーっ!?」
 文次郎の予想どおり、落ちていた紙は帳簿の一部であったらしい。道理で計算が合わないはずだ、と文次郎は深い溜息をついた。
「何度計算しても帳簿が合わないと思ったら……そりゃ一枚分抜けてたら合わないはずだよ!」
 文次郎の次に年長である三木ヱ門には、先程までの計算し直しの三回の間に随分負担がかかっている。それを思えば責める口ぶりになっても仕方がないであろう。
 しかし、文次郎はさらに言い募ろうとする三木ヱ門を制し、残った一枚の帳簿を手招いた。
「それを足してさっきの帳簿と合わせて、帳尻が合えば今日は仕舞いだ」
「やったー!」
 文次郎の言葉に一年生二人がそれぞれ歓声を上げる。しかし、計算が合わないために三度も計算させられた三木ヱ門としては怒りが収まらないらしく、少しばかり険しい表情で団蔵をねめつけた。
「う……すみませんでした……」
「三木ヱ門、そろばんを持て」
「え?」
「お前も計算だ。俺がこっちを計算するから、お前はこの帳簿の合計をもう一度出してくれ」
 文次郎は三木ヱ門を呼ぶと、目の前に詰んであった帳簿数冊を手渡した。何度も計算しているとはいえ、この最後の詰めで計算が合わないという事態にだけは陥りたくない。その考えは三木ヱ門にも伝わったようで、彼は一変して表情を引き締めると、自分の席へ戻り帳簿とそろばんを揃えた。
 パチパチ、とそろばんの珠を弾く音と紙を繰る音だけが部屋に響く。息を詰めて二人を見つめる下級生たちの唾を飲む音すら大きく聞こえそうだ。それに一年生二人がなおさら身を固くしたとき、文次郎の手が止まった。
「三木ヱ門、そっちは」
「終わりました。お願いします」
「…………よし、間違いないな。あとはこれを」
 文次郎は再度帳簿を確認し、最後に残った一枚分の計算を合わせた。――パチパチ、とそろばんを弾く。数度弾いて動きを止めた文次郎は、固唾を飲んで見守る下級生たちを見やって大きく口を開いた。
「全て合った。――これで委員会を終了する」
「や、やったあああああっ!」
「ふおっ!?」
 三木ヱ門と一年生たちが揃って歓声を上げる。その声に今まで目を開けたまま寝ていた左門も覚醒した。それを横目に見やりながら、文次郎は自分の前に積み上がった帳簿類を全て揃えて片付け、特製の十キロそろばんを懐へしまい込んだ。
「では、解散!」
 文次郎の一声で、委員たちは各々長屋へと戻っていく。それを見送った文次郎は、小さく息をついてから立ち上がった。――計算が合わないのは、また誰かが計算間違いをしているのかと思ったが、まさか帳簿が一枚足りないせいだったとは。全く予想だにしなかった事態に文次郎は頭を掻く。同時に、二回目の計算と三回目の計算の値が同じだったことに小さく口の端を上げた。
(――少しはやるようになった、ってことか)
 これまでは三度計算し直しても合わなかった計算が、二度でぴたりと合うようになった事実に文次郎は笑う。いつの間にか随分と成長していた彼らに少しの頼もしさを感じながら、彼もまた委員会室を離れたのだった。

| SS::1000のお題集 | 20:18 | comments (x) | trackback (x) |
0009 手刀
 パタパタと軽い足音を立てて生徒が部屋までやってくる。それに顔を上げた土井半助は、視界に入った生徒が手に持っているものを見た瞬間に顔をしかめた。――もはや見慣れたとすら言っても良いそれは、ある人物から自分へと宛てられた矢文である。しかし、その内容があまりにも好ましくなかったため、半助は差し出されたそれをめちゃくちゃにして投げ捨ててやりたい衝動に駆られた。
「土井先生」
「諸泉尊奈門さんからです」
「お返事を門の前で待ってらっしゃいます」
 三人組が口々に告げる内容に頭が痛くなる思いがした。
「追い返しなさい」
「土井先生〜俺たちがプロ忍に敵うと思ってるんですかあ?」
 半助の言葉に生意気な口を利くのはきり丸だ。それに半助は露骨に嫌な顔をしたが、きり丸が言うことも道理である。
「……行くしかないのか」
 半助が小さく呟くと、キリキリと胃の痛みが生じはじめる。やらなければならないことは山ほどあるのに、こういった雑事に時間を取られては作業が遅れている。ただでさえ学園長の突然の思いつきや一年は組の良い子たちが巻き込まれるトラブルに授業時間が大幅に削られているのだ。その遅れを取り戻すためには、いかに効率よく授業を進めるかが重要であるのに、その準備のために使えるはずの限りある時間を削られ、半助は深い溜息をついた。



「やっと来たか、土井半助! 私に恐れをなして逃げ出したのかと思ったぞ」
「諸泉くん、私は忙しいんだが……」
 いつものとおりに指定された場所へ行くと、既にやる気十分の尊奈門が立っていた。それに半助は小さくぼやくが、溜息とともに吐き出されたそれは一切合財無視される。ひとり盛り上がりはじめる尊奈門に、半助はまた深い溜息をついた。
「文房具を武器にすることは認めないからな!」
「……はいはい」
 もはやお決まりとなった台詞に惰性で答え、半助は軽く身構える。真っ直ぐに尊奈門を見れば、あれこれ策を練っているのはすぐに分かった。
(……着眼点は悪くないんだが、如何せん未熟なんだよなあ)
 視線の動きやちょっとした仕草から、何を狙っているのか丸分かりである。半助は己に向かってくる尊奈門を軽くいなすと、その脳天に手刀を入れた。
「いっ……!」
「これで一本。もう良いだろう、私は忙しいんだ」
「なん、だと……! もっと真面目にやれ、土井半助!」
「真面目も真面目、大真面目なんだけどね。――大体、今のが真剣だったら間違いなく頭割られてるんだぞ。分かったら今日は帰った帰った! さっきから言っているけどね、私は忙しいんだ」
 いつもならもう少し構ってやるところだが、今日は本当に忙しいのだ。半助は己を射殺さんばかりに睨みつける尊奈門を片手で追い払う仕草をすると、自分たちの〈決闘ごっこ〉を見物していた三人組を促して学園のなかへと戻っていく。
 ――最後に残された尊奈門はといえば、相変わらず自分と半助の間に隔たる大きな実力差に悔しさを噛みしめ、怒りの雄叫びを上げたのであった。

| SS::1000のお題集 | 22:15 | comments (x) | trackback (x) |
0008 唇を寄せて
 あ、と思ったときには遅かった。止めるよりも早く、その唇が己の黒髪に寄せられる。たった一房に寄せられた唇の感覚は自覚できるはずもないのに、髪を伝って脳の奥深くまで染み込むような心地がした。それに顔が熱くなるのを感じる。表情が硬いのが己の常だとあちこちで言われたものだが、今この瞬間にこそそれが発揮されればいいのに、と兵助は思った。――こんなふうに表情を崩しては、いくら忍たま経験が少ないこの男であっても、兵助の心情を理解してしまうであろう。
「兵助くん」
 どこか舌足らずな口調ははじめこそ苛々させられたものだが、今は聞き慣れたせいか、むしろ心地好くすら感じる。それに兵助が思わず顔をしかめると、未だに彼の目の前で髪を捉えたままのタカ丸が兵助の視線をその視線で搦め捕った。
「――あなたが好きです」
 何かを言わなくては、そう思うものの、普段ならばいくらでも湧いて出る言葉が出てこない。まるで唖のように黙ってしまった兵助へ、タカ丸は少し身を寄せる。後ろに退がろうとした兵助だが、それは未だ捉えられたままの髪が許してはくれなかった。
「タカ丸、さん」
 唯一喉からこぼれ落ちたのは、今己を追い詰めている男の名前。それに問い返すように、男が眉を上げた。けれど、兵助の唇から漏れるのは微かな吐息ばかり。――応えられるわけがない。どんなに想い合ったとしても、自分たちの未来は明るくない。忍という立場にしても、同性という事実にしても、いずれは道を分かつときが来る。それならば、つかの間の幸福など知らないほうがいい。
 喉の代わりに瞳を使って、兵助は相手にその思いを伝える。しかし、タカ丸は兵助のその視線を瞼を落とすことで遮り、未だ動けぬ兵助の唇に己のそれを寄せた。
 それは兵助の瞳よりもさらに雄弁にタカ丸の想いを伝えてくる。その甘さに兵助はもはや抗うことすらできず、ただ己の瞼を下ろした。
| SS::1000のお題集 | 21:40 | comments (x) | trackback (x) |
0007 人間は本当に怖い時、笑うしかないんだ
「はは……」
 滝夜叉丸は己の喉から乾いた笑い声が漏れたのを聞いた。それはあまりにも実感がなく、彼の耳を素通りしていく。危機に際して放心するなど忍たまとして失格だ、と内なる声が頭に廻ったが、身体は言うことを聞いてはくれない。彼に今許されたことはみっともなく尻餅をついたまま後退りするだけで、しかしそれすらも背中に当たった壁が阻んだ。
「どうした、滝夜叉丸?」
「あ……はは」
 それはこっちの台詞だ、という言葉は滝夜叉丸の喉の奥で潰れてしまい、舌にのることすらない。ただ引きつった笑い声だけが喉に押し出されている。そんな滝夜叉丸を不審に思ったのか、目の前で笑う男――七松小平太が彼の頭を掴んだ。容赦のない力で髪を引かれ、滝夜叉丸は苦痛に顔を歪ませる。しかしそれすらも意に介さず、小平太は滝夜叉丸に顔を寄せた。
「お前が大人しいなど、珍しいな」
「はは」
 返事をしなければ、と思うものの、滝夜叉丸の喉からは笑い声しか出てこない。それは小平太が先程から発している殺気のせいなのだが、小平太はそれに気づいているのかいないのか、一向にそれを消すことがない。それどころか、獣じみた獰猛さを滲ませ、滝夜叉丸に迫ってくる。
「なあ、滝夜叉丸。私の相手をしてくれよ。猛って仕方がないんだ」
「は、はは……」
 今すぐ逃げるべきだ、と本能が警鐘を鳴らす。しかし、滝夜叉丸の身体は指の先さえ動くことはなかった。
 寄せられた小平太の瞳には獲物をいたぶる肉食獣のような光が宿っている。――それが何を意味するのか、四年生にもなった滝夜叉丸が分からないはずもない。
(――逃げなければ)
 頭のなかで転がった言葉は虚しく潰え、瞬きをするより早く、小平太が滝夜叉丸の喉に喰らいつく。――滝夜叉丸の喉からは、もはや笑い声さえ出なかった。
| SS::1000のお題集 | 12:57 | comments (x) | trackback (x) |
0006 こ、殺してやる!!
「こ、殺してやる……!」
 いつものようにアルバイトへ励んでいたきり丸は、耳に飛び込んできた物騒な言葉に顔を青くした。――もちろん、恐怖からなどではない。厄介なことになった、という焦燥からである。
 それもそのはず、今日のアルバイトは有難迷惑な三人組――もとい、好意できり丸のアルバイトを手伝ってくれている六年生の潮江文次郎、中在家長次、七松小平太と一緒だからだ。忍たまの先輩としては尊敬もし、また頼りになる三人であるが、これがアルバイトとなると話は別だ。図書委員会で一緒の中在家長次はまだマシなほうだが、三人とも見事な忍者馬鹿であるため、どうにも世間一般と感覚がずれている。そのため、どうにも商売を手伝ってもらうのに支障が出るのだ。しかも、その最たる理由が彼らの喧嘩っ早さとなれば、現在のきり丸の危惧はすぐに理解できるだろう。――そして、その危惧は哀しいかな、的中してしまうのである。
「何だ何だあ!」
 手伝っていた店から真っ先に飛び出してきたのは、暴れるのが大好きな七松小平太である。出てこなくて良い、ときり丸が思うより先に、続いて潮江文次郎、最後に中在家長次が表に現れた。その瞳は三者三様に輝いており、それまでの平穏――つまり、彼らにとっての退屈である――を塗り替える新しい出来事を歓迎しているように見えた。
「せ、先輩……」
「……危険だな」
 顔を引きつらせたきり丸の側で、長次が小さく呟く。その視線を辿れば、若い女性が刃物を突き付けられて立ちすくんでいた。その光景にきり丸は目を見張る。
 正直なところ、ただの喧嘩だと思っていたのだ。町中での喧嘩など珍しいことでもないし、気の荒い連中であれば物騒な発言のひとつや二つ、平気で飛び出してくる。しかし、目の当たりにした状況はそんな可愛らしいものではなく、きり丸は思わず傍らの長次を見上げた。
「小平太、文次郎」
「あいよ」
「分かった」
 阿吽の呼吸、とでも言うのだろうか、彼らは名前を呼び合うだけで意志の疎通を果たし、あまりにも自然な動きで人ごみのなかへと溶け込んだ。その背中を見送った長次は、不安げに己を見上げるきり丸の頭を撫で、傍に落ちていた小石を拾う。その重さを確かめるように小石を握った拳を揺らすと、長次は目にも留まらぬ速さでその小石を投擲した。
 それは寸分違わず男の手元へと命中し、男は手から刃物を取り落とす。それに男が動揺した一瞬の隙をついて小平太が男へと飛び掛かり、その男を地面へと組み伏せた。文次郎は恐怖で身動きができない女性を背にかばい、安全な場所へと移している。――それですべてだった。



「いやー、先輩方すごかったっすねえ! さすがは六年生!」
「はっはっはっ! そうだろう、そうだろう!」
 アルバイトを終えた帰り道にきり丸が明るく言うと、上機嫌だった小平太がきり丸の背中をバシバシと叩いた。その馬鹿力にきり丸がひどく顔をしかめても、小平太は全く気にした様子がない。
 一方の文次郎といえば、またも活躍の機会を得られなかったということで、こちらはひどく不機嫌だ。平常と変わらぬのは長次だけで、彼は背中の痛みに顔をしかめるきり丸の頭を撫でた。
「今日は、驚いたろう」
 ぼそりと呟かれた言葉は、己を案じるもの。それにきり丸は少し驚いたあと、いつもの少し小憎たらしい笑みを浮かべて口を開いた。
「ぜーんぜんっ! だって、先輩方が一緒だったんですから!」
 それを耳にした三人はそれぞれ顔を見合わせた後、手を伸ばして小さな後輩の頭をかき混ぜた。

| SS::1000のお題集 | 12:21 | comments (x) | trackback (x) |
0005 このスケベ
 髪の手入れと称して、この男が自分を部屋に連れ込みはじめたのはいつだろうか、と兵助は髪をいじられながら考える。
(はじめは確か、勉強を教えてほしいと言われたのだったか)
 斉藤タカ丸という男は、この忍術学園において特異な経歴を持つ輩だった。十五の歳までカリスマ髪結いの息子として髪結いの修業をしておきながら、その途中で己の祖父が穴丑であったことを知り、それが縁でこの忍術学園という学び舎に入ったのだ。しかも、六年と同じ歳でありながら、二つ下の四年へと編入するというおまけつき。挙句、忍者を志しながらも髪結いとしての志も捨てぬという、尚更奇矯な男である。
 下級生などは六年と同い年でありながら一年よりも忍たまの経験がない、などとよくからかい混じりに言っているが、実際にそれがどんな意味を持つのか、彼らは全く理解していない。
 忍術学園には一流の忍者でありながらも二年生として編入した男がおり、風魔忍術学校には自分たちよりずっと歳かさでありながらも一年として学んでいる男もいる。その前例を塗り替えての、四年への編入。――それは恐るべきことだ、と兵助は思う。もっとも、彼を深く知るようになるまでは、そんなこと思いもしなかったのだけれど。
 はじめ、四年への転入生だと聞いたとき、兵助はどこかの忍術学校から編入してきたのだと思っていた。しかし、実際に委員会で活動をすれば火薬の扱いは不慣れ、足音をバタバタと立てる、など逆によくもまあ四年まで進級できたものだと感心したくらいである。しかし、忍術学園にタカ丸を狙った侵入者が入り込んだときに彼の事情を知って納得すると同時に戦慄した。忍たまどころか体術すらも訓練していないはずの人間が、一気に四年まで飛び級したのだ。それは、彼がそれだけの実力を持っているという事実を示している。けれど、それが目に見えて分からないことが、兵助には恐ろしかった。
「兵助くん」
 己の首元へ腕を絡めながらも気の抜けるような声と笑顔で己を呼ぶ男を見る限り、本当にそれだけの実力があるのかとついつい訝ってしまう。が、この現状を考えれば、確かにこの男は忍者に向いているのだと思った。
 たまごとはいえ忍の自分が、あっさりと間合いに入れてしまうだけの人懐こさ。間抜けにすら見える笑みは人の警戒心を弱くし、髪結いになるために学んできた技術――話術は相手の秘密を巧みに暴き出す。それを意図せずやってしまうのだから、恐ろしいにも程がある。
「何考えてたの、真剣な表情で」
「……さあ、な」
 お前のこと、とはさすがに言えず、兵助は後ろから己を抱きしめる男に視線を投げた。視線が合えば、己の顔に唇を寄せてくる。敢えてそのまま受け入れれば、タカ丸はくすりと笑って頬に口づけを落とした。
「珍し、兵助くんが大人しいなんて」
「そういうお前は全くもっていつもどおりだな。――いい加減にしろ、このスケベ」
 さり気なく己の懐に潜り込んだ手を掴み、兵助は小さく溜息をついた。――全く、何がどうなってこうなったのやら。警戒していたはずなのに、いつの間にか懐に取り込まれている。己を抱き寄せながら髪に指を通す男を眺めて、兵助はもう一度溜息をつく。
「そんなこと言って、兵助くんだって嫌じゃないんでしょ? じゃなきゃ、まず俺の部屋に来てくれないじゃない」
「髪の手入れがしたいって引っ張り込んだのはそっちだろ」
「だって最近は勉強見て、って言っても来てくれないから」
 再び己の懐へ手を入れてきた男に溜息をつきながら、兵助は首筋に寄せられた頭に手を伸ばす。兵助にしてみれば不可思議に伸ばされている髪をぐっと掴んで、タカ丸の頭を引き寄せた。
「ちょ、いたた……もう、相変わらず乱暴なんだから」
 不満げに唇を尖らせる男の唇を己から奪う。――本当に怖い男だ、と思う。色恋は三禁のひとつ。だから忍を志して研鑽していた己は、恋なんてしないと思っていた。それが今はこうだ。ここまで己を染め変えてしまった男に怒りすら覚えながらも、己の肌を辿る温かい指に全てを許す心地よさに兵助はただタカ丸に身を委ねた。

| SS::1000のお題集 | 20:58 | comments (x) | trackback (x) |
0003 尻尾を巻いて逃げる
「忍術学園めぇ……!」
 ドクタケ忍者隊首領稗田八宝菜が忌ま忌ましげに呟いた。この度も彼らが考えに考え抜いた計画を、一年は組の良い子たちおよび忍術学園の面々に目茶苦茶にされたのだ。せっかく用意した高価な火器も、火薬も、これで全てがパアだ。その悔しさに歯ぎしりするも、今となっては後の祭り。さらに言えば、自分たちの身すら危うい状況である。
 それを見て取った八宝菜は、すぐさま傍の部下たちに声を張り上げた。
「ドクタケ忍者隊、全員退却! 今日のところは 退いてやるぞ、忍術学園の諸君!」
「退いてやるんじゃなくて、負けたんだろ?」
 一年は組のなかでもとりわけ口の悪いきり丸が憎まれ口を叩いたが、それは無視する。同時に懐から取り出した煙玉に火を点け、地面へと投げつけた。導火線が尽きたそれは八宝菜の望み通りにもくもくと周囲へ白い煙を立ち込めさせ、彼らの姿を隠してくれる。その混乱に乗じて、八宝菜は部下たちとともに一目散に駆け出した。
「お頭ぁ、おれたちまた負けたんですね」
「黙れ黙れぇ! 負けたのではない、状況を立て直すために一時退却するのだ!」
「それって結局負けたってことじゃ……」
「違ぁーう! 全然違う! しかし、今はとにかく退くのだあー!」
 実際の状況としては、まさしく「尻尾を巻いて逃げた」わけだが、ドクタケ忍者隊首領として、それを認めるわけにはいかない。そのため、八宝菜は泣き言を漏らす部下たちを叱咤することで、己の胸に生まれる忸怩たる気持ちに見ない振りをしたのであった。

| SS::1000のお題集 | 20:51 | comments (x) | trackback (x) |

  
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