0002 やり直せ
「やり直し」
 はっきりと告げられた一言に、団蔵は目の前が真っ暗になるかと思った。いや、事実たたらを踏んだのだから、真っ暗になったのだろう。それは障子の外に広がる闇と同じ色をしていて、今にも団蔵を飲み込んでしまいそうだった。
「団蔵、突っ立っていても帳簿は合わんぞ」
「……はい……」
 胸に刺さる言葉だが、これはまだマシなほうだ。場合によっては、いや普段ならば「鍛練が足りん!」と怒鳴りつけられた挙句、委員全員を巻き込んで深夜であろうと構わずそろばん片手に外へ叩き出されるのだから。そうならないだけマシ。そのはずなのに、いつもよりずっと静かに告げられた一言が団蔵には堪えていた。
「団蔵」
 背後から静かな声がかかる。目の前の委員長よりも幾分も穏やかなその声は、委員長に次ぐ年長者、四年ろ組の田村三木ヱ門であろう。先程まで流れるように聞こえていた珠を弾く音が聞こえなくなったことから、団蔵は三木ヱ門が手を止めて己を見つめていることに気づいた。
 そうだ、早く自分の持ち場に戻って計算をやり直さなくては。そう思うものの、身体が動かない。まるで鉛を流し込まれたように全身が重く、だるかった。
「うっ……」
 どうして自分はこんなに悲しくて苦しいのだろう。計算のやり直しを突き付けられるのも、深夜まで委員会活動が続くのもいつものことだ。それなのに、今自分はひどく辛い。それがなぜだか分からないことが尚更団蔵の苛立ちと苦痛を増長させ、涙となって身体の外へと溢れていた。
 泣いているバヤイではない。早く自分の席に戻るんだ。――そう思うものの身体は動かず、団蔵は唯一ままになる指先で袴を握り締めた。
 そこに響き渡る溜息と、帳簿が閉じられる静かな音。珠を弾く音に満ちているはずの委員会室で、それはやけに大きく響いた。
「今日は終いだ。三木ヱ門、左門と佐吉の面倒を頼む」
「委員長」
「俺はこいつだ」
 急に立ち上がった文次郎に団蔵が身体を跳ねさせると、文次郎はもう一度、今度は露骨な溜息をついた。
「気づいてねえのか?」
 低い声とともに落ちてくる腕に団蔵は思わず目を閉じる。しかし、降ってくるはずの拳固は、額に添えられる温かい手のひらに変わっていた。
「結構高いな……馬鹿は風邪引かないというもんだが」
 話している内容は全くひどいものだが、今の団蔵にはただ額に当てられた手のひらの優しさだけしか分からなかった。ぼうっと腕を辿れば、濃い隈を目元に張りつかせた文次郎の顔に辿り着く。自分を見下ろす視線をじっと見返していると、呆れたような溜息と共に額を押された。
「三木ヱ門、後は頼んだ。――おら、行くぞ」
 文次郎は後輩たちにそれぞれ声をかけていた三木ヱ門に一声かけると、それなりに重たいはずの団蔵を軽々と持ち上げ、荷物のように肩へと担ぎ上げる。それに三木ヱ門はただ軽く頷くと、「僕は寝ていない……」と繰り返し寝ぼけて呟いている左門の頭を引っぱたいて起こした。佐吉はその傍らで今にもくっつきそうな瞼を必死で持ち上げるべく、目を何度もこすっている。そんな彼らを確認すると、文次郎はもう一度大きく溜息をつき、団蔵を抱えたまま委員会室を後にした。
 団蔵は熱でぼうっとする意識のなか、ゆらゆらと揺れる身体の心地よさに小さく息をついた。――身体が熱くてだるい。けれど、不思議と先程のような不安や苛立ちは感じなかった。睡眠不足も相俟って、眠気が全身に押し寄せてくる。身体の下にある温かさに目を閉じれば、すぐに眠りの波が団蔵を飲み込んでいった。そこにあるのはもはや大きな安心だけだ。吸い寄せられるように己に触れる温かさへしがみついた団蔵は、そのまま全てをその温かさに委ねて眠った。

「……寝やがったな」
 己にかかる重さでそれに気づいた文次郎が、小さく呟く。抱えた小さな身体は常よりもずっと熱い。体調の変化に気づかなかった自分の不明をこってりと養護教諭と保健委員長に絞られるのだろう、と想像して、少々気が滅入ったが、今回ばかりは仕方がない、ともう一度溜息をつくことで文次郎は全てを思い切った。


| SS::1000のお題集 | 21:28 | comments (x) | trackback (x) |
0001 登場が派手すぎます
「目元アップ! 口元アップ! 髷アップ! 今日も素敵な滝夜叉丸!」
 決まった、と滝夜叉丸は口の端を持ち上げた。美しく全てに才長けた己には、それに相応しい登場の仕方がある。赤い薔薇を手に屋根から降り立った滝夜叉丸は、その薔薇を天にかざしてもう一度ポーズをとった。
「……滝夜叉丸先輩……」
 本来ならばここで拍手喝采が起こるはずが、聞こえたのは同じ委員会の後輩が漏らしたうんざりとした調子の呟きのみ。不審に思って彼が視線を戻せば、そこに集まっていた後輩三人はそれぞれにげんなりとした表情で滝夜叉丸を見つめていた。
「ないわ……」
 ぼそりと呟いたのは一つ下の三之助だ。それに滝夜叉丸が鋭い視線を投げれば、彼は露骨に嫌な表情を作る。その生意気な態度に滝夜叉丸が物申そうとしたそのとき、傍の後輩がそれぞれ小さな悲鳴を上げた。驚いて振り返れば、地面に何やら盛り上がりが続いている。もぐらの通った跡のようなそれの原因に滝夜叉丸が気づくよりも早く、彼の目の前に大きな影と土砂が飛び込んできた。
「いけいけどんどーん!」
「ひっ……!」
 鼓膜を震わす大きな声に滝夜叉丸は思わず喉を引き攣らせた。彼がそれを目視するより早く、その影は滝夜叉丸の首をその腕に抱え込む。ぐ、と強く彼の喉元を絞め上げる腕に、滝夜叉丸は思わず声を張り上げた。
「七松先輩、変な登場の仕方をしないでくださいっ!」
「何おう!? お前だって随分変な現れ方をしたではないか! それに比べて私なんて地味なものだろう! それよりも、ほら全員で塹壕を掘るぞ! いけいけどんどーん!」
 滝夜叉丸の首を腕に入れたまま、小平太はさらに傍に居た金吾を片手で捕まえる。その横にいた四郎兵衛にも声をかけ、呆然とそれを見守っていた三之助にも視線を送る。それだけで彼らは今日の委員会もまた地獄であることを理解し、ただ委員長の告げる活動を遂行するために各々苦無を取り出したのだった。


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