いつかの距離(鉢雷←小平太)


「あれ、鉢屋君」
「不破か」
 廊下でばったりと出会った二人はそれぞれ異なった表情を浮かべる。不破雷は笑顔、鉢屋三郎は顔を少しだけしかめる。それに雷は少しだけ傷つきながらも、表情には出さずに続けた。
「同じ学年でも階が違うと全然会わないものだねえ」
「そうだな」
 別に会いたいと思っていない、とありありと顔に浮かべる三郎に雷は苦笑した。今生の三郎は随分と素直なようだ。いや、昔は忍として己に抑制をかけていただけで、二人きりのときはとても素直に感情を見せてくれた。――そこまで考えて、失ったものの大きさを改めて噛みしめる。けれど、手のひらから滑り落ちていったものはもう戻らないのだ。
 そこまで考えて、雷は目の前で少し居心地悪そうに立っている三郎の顔色が少し悪いことに気づいた。その瞬間に、己の血が引いていく。医療も室町時代から比べものにならないほど進歩した現代、滅多なことなどあるはずもないと知っていてもなお、雷は三郎の顔に手を伸ばしていた。
「ちょ、何……!?」
「――熱は、なさそうだけど……ねえ、鉢屋君体調悪くない? 何か顔色悪いんだけど」
「悪くねえよ! ちょ、離れろ!」
 額で熱を測ってみるが、とりあえずは平熱のようだ。頬もそれほど熱くはない。しかし、よく確かめようと三郎の顔を覗き込もうとした瞬間、額を押し返される。何だ、と思うよりも早く、三郎の耳が真っ赤になっていることに気づいて、雷は瞬きをした。――同時に、自分の失態に気づく。
「あ……ごめんごめん、つい癖で」
「癖って……勘弁してくれよ」
 過去の自分たちに距離などあってなきがもの。これくらいの接触など照れるうちにすら入らなかった。けれど、今は違うのだ。現代で先に進んでいく三郎と、いつまでもどこか室町のままでいる自分。どんどん離れていく距離に雷は動揺しつつも、三郎から一歩身を引いた。
「でも、本当に体調悪くないんだよね?」
「ないって言ってるだろ! しつこいなあ……! 光の加減の問題だろ、ほら」
 何ともないと思っても不安が拭い去れず、もう一度尋ねる雷に三郎は尚更顔をしかめて一歩踏み出した。ちょうど明かりの真下に来た三郎の顔は、確かに何ともない。それに雷が思わず胸を撫で下ろすと、三郎は怪訝そうに彼女を見やって首を捻った。そのまま挨拶もそこそこに立ち去ってしまう。そんな三郎の背中を見送りながら、雷は失敗したな、と溜息をついた。
(――そりゃ、親しくもない女にあんなことされたら引くよねえ……しかも、三郎だし)
 彼の性格は雷が一番よく知っている。――少なくとも、過去の彼に関しては、だが。けれど、今まで雷が記憶のあるなし関係なく出会ってきた前世からの縁のある人々を考える限り、不思議なもので大きく性格が違う人間というのはいなかった。もしかしたら、魂のようなものに人格が刻み込まれているのかもしれない。そして、それが本当ならば、人間そうそう変わることはないのだろう。
 同時に自分が先程触れた熱を思い出す。握りしめた手のひらにはまだ三郎の頬の温かさが残っていた。
(――大丈夫。三郎は生きてる)
 あのときに感じた体温の抜けていく感覚を思い出して、雷は身体を震わせる。もう二度と感じたくないあの恐怖。過去に見た恐ろしい光景を頭から振り払って、雷は手に残った熱を逃がさぬように強く握りしめて歩き出した。
 その背中を見ている人間には気づきもしないで。



「おー、ちょいそこのお前」
「は……?」
「名前、何ていうの?」
 三郎は見知らぬ男から声をかけられて顔をしかめた。――今日は厄日だ。先程は顔見知り程度でしかない女にやたらと触られ、今度は何故か上級生に絡まれる。今日の占いは最下位じゃなかったはずだ、とどうでもいいことを考えながら、三郎は近寄ってくる相手に向き直った。
「普通、名前を聞くときは先に名乗りませんか?」
「ん? ああ、そうか、そういえば俺名乗ってなかったな。二年の七松、七松小平太」
「……一年の鉢屋です」
「鉢屋何?」
「……三郎ですけど。それが何か?」
 七松と名乗る男にやたらと迫られ、三郎は露骨に嫌そうな顔をする。何だこいつは、と思っている間に小平太が続ける。
「なあ、不破とお前ってどういう関係?」
「は……?」
 その問いに今度こそ三郎は思考が止まった。何の話だ、と相手を見つめる。しかし、三郎の驚きなど意に介さず、小平太は唇を尖らせた。
「だって、不破が男に対してあんな風にするの初めて見たんだもん。俺がどんなにアプローチかけても全然振り向いてくれないくせに」
「いや、それは何とも思われてないからじゃ……?」
 うっかり本音を口にしてしまい、三郎はしまったと唇を噛みしめた。普段ならばこんな失態はしない。――先程、雷に触れられたことが予想以上に己を動揺させていることに今更ながら気がついて、三郎は苦々しく表情を歪めた。
「じゃあ、お前は何か思われてるの?」
「そんなの、俺が知るわけないじゃありませんか」
「ふーん……」
 至近距離で見つめられ、三郎は居心地の悪さに視線を逸らした。第一、この男に雷は合わない。
「あなたには黒髪で小生意気なあいつが――……っ!?」
 三郎はそこまで言いかけて、己に信じられない気持ちになった。間違いなく初対面のはずなのに、どうしてそんなことを思ったのだろう。――この男の隣に居るべきは、黒髪で小生意気な存在。目の前でちらついたのは、小さな光景。小平太の傍らに立つ風で流れる美しい黒髪の持ち主。知っているはずもないのに。
「ふーん……やっぱり好きなんじゃん」
「何がですか」
「不破のこと。――そんな見え透いた嘘までついて、俺を遠ざけようとするんだから」
「嘘なんかじゃ……!」
 そんなことあるわけない、と思いながらも、その根拠が見つけられない。今まで一度たりともそんなことなかったはずなのに、と三郎は唇を噛みしめる。それは確かなことなのに、それを証明する手立てがない。それがひどくもどかしく、三郎は思わず八つ当たり気味に小平太を睨みつけた。
「ま、いいや。敵は少ないに越したことないしね。お前が不破を好きじゃないってんなら、その方が良いよ。お前に振られて傷心の不破を俺が慰めるから」
「……さようですか」
 三郎は何故かざわめく胸に苛立ちを感じながらも、投げやりに呟いた。――苛立つけれども、どこか確信がある。小平太の思い通りになどならないと。その根拠がまた存在しないために尚更苛々が募ったが、もはやそんなことはどうでもよい。ただ、早くこの場から立ち去りたかった。
「ま、じゃあ後は俺の邪魔だけはするなよー?」
「しませんからご安心を。じゃあ、俺はこれで」
 何を妄想したのかひどく楽しげで自信に満ちた小平太にげんなりしつつ、三郎はあっさりと踵を返した。――何もかもが見当違いの人間と話をするのは消耗する。けれど、小平太の言葉が何故か耳に残って、三郎は苛立たしげに溜息をついた。
(……どうして俺が不破を好きにならなきゃならないんだ……)
 あんなお節介焼き、と口の中で呟いて、三郎は苛々と前髪を掻きむしる。故に彼はまだ気づいていなかった。人に顔を触れられることが極端に嫌いな己が、彼女の手のひらだけは自然に受け入れていたことに。


| SS::記憶の先 | 02:59 | comments (x) | trackback (x) |
四年生頑張る。


「お前ら、無事か!?」
「――先輩……っ!」
 学園へと戻った文次郎たちは迷わずに砲撃の要となっていた正門裏へと駆けつける。そこは強く漂う硝煙と肉の焦げた嫌な臭いが充満していた。応戦している下級生たちは皆一様に子どもにはそぐわぬつり上がった眼で敵を睥睨してはいたが皆大した怪我もなく立っている。その姿を見て、文次郎たちはは内心ほっと胸を撫で下ろした。
 しかし、下級生の安堵は彼らの比ではなかったようで、その場にいた一年は皆文次郎に駆け寄ってしがみつく。その大きな目からは涙がぼろぼろ零れており、彼らがどれだけの負担を強いられていたかを教えていた。それに文次郎は胸を衝くような気持ちになったが、それを押し込めて彼らに向かってしゃがむ。そして、自分の制服に涙や鼻水をつける彼らを引きはがして、その顔を乱暴に拭った。
「馬鹿タレィ、まだ終わってねえんだから泣くんじゃねえ! ほれ、みっともない!」
 制服の袖だけじゃ足りなかったため、懐から手ぬぐいも出して彼らの顔をごしごし拭う。痛いくらいの摩擦に彼らの涙も引っ込んだようで、皆泣きはらした赤い顔で瞬きして文次郎を見つめていた。彼はそんな一年生たちを軽く小突き、大音声を轟かす。
「今までよく学園を守った! ――ただ今、六学年、五学年帰参した! 後の指示は俺たちに任せ、お前らは全員上級生の援護に回ること! やられた分はやりかえすぞ!」
「応っ!」
 それに大きく反応したのは、文次郎に駆け寄りたい気持ちを必死で抑えて敵との応戦を続けていた三年と三木ヱ門である。三木ヱ門は文次郎を泣きそうな顔で一瞬だけ振り返ったが、すぐに顔を袖で拭い、涙を振り飛ばして再び顔を前へ向けた。
「標準を合わせろ! まだ終わってないぞ!」
「そうだ!」
 三木ヱ門の声に文次郎は呼応し、下級生たちをまとめる。集まってきた敵兵に一発をぶっ放した後、三木ヱ門は次の発射準備を下級生たちに任せ、自分は文次郎の許へと向かってきた。
「――先輩方のお帰りをお待ち申し上げておりました。四年ろ組、田村三木ヱ門! 今これより正門前陣頭指揮を潮江先輩にお渡しいたします!」
「六年い組潮江文次郎、確かに受け取った。……よく堪えた、後は任せろ」
 文次郎は自分を真っ直ぐに見据える三木ヱ門にしっかりと頷き、けれど優しくその頭に触れた。撫でるよりも簡単なそれは三木ヱ門への労いだ。いつもよりずっと強ばった表情は、彼がどれだけ張り詰めていたかを文次郎に教えていた。――無理もない。今でこそ戦場も慣れている文次郎たちとて、初めて実戦らしい実戦に混じったのは四年の終わり頃である。初めて戦場へ出たとき、文次郎もまたこの独特の熱気に飲まれた。それを碌な心構えもないままに感じれば、あてられもするだろう。何よりも、五、六年の居なかった間は三木ヱ門たち四年が実質の最高学年だ。烏合の衆とまではいかないものの、全く未熟な下級生たちを守り、支え、ときに使いながら学園を守るというのは骨が折れただろう。その心的負担は想像するに余りある。よく頑張った、と小さく呟くと、三木ヱ門は一瞬ぽかんとした後に見る見るうちに大きな目へ涙を溜める。けれど、その涙は零れるより先に三木ヱ門の袖に拭われ、彼は大きな目をぐっと文次郎へ据えて、どこかまだぎこちないまま、けれどしっかりと笑った。
「――当然です! 私は忍術学園のアイドルで、学年一優秀な忍たまですから!」
「阿呆。……さあ、反撃するぞ!」
 文次郎はその返答に苦笑を返し、彼の頭を軽く小突く。そして、まだまだ寄り来る敵を前にして大きな声で宣言した。それに鬨の声が上がり、長次や雷蔵、三郎が頷く。文次郎はそれに頷き返し、大きな声で指示を飛ばした。
「薙ぎ払うぞ! 三木ヱ門、砲撃準備! 長次、不破、鉢屋は敵兵を一掃に尽力せよ!」
「「承知!」」
 文次郎の命に五年の二人が揃って応えた。性格も得意なものも全く違う二人だが、この二人が揃うと何となく安定感がある。奇をてらった行動ばかりする三郎とその尻ぬぐいをする雷蔵、という印象が強い二人だが、実戦になれば見事に敵の不意を突く鉢屋と、その土台を堅実に支える不破というように見事な双忍の術を使うからだろう。何より、彼らは臆しない。この二人は自分たちの力を過信せず、お互いの力を二倍にも三倍にもする術を既に身につけている。それは文次郎たち六年にとっても得難い力で、彼らに一目置く理由のひとつだ。何より、「必ず何かやってくれる」という期待を裏切らない三郎と居るだけで人を和ませ安定させる雷蔵の存在だけで、下級生の士気を上げるには十分だった。
「――外に出るぞ」
 ぼそ、と長次の声が文次郎の耳に届いた。砲撃と怒号の響くこの場では聞き取りにくいはず彼の声が、こんなときばかりは不思議とよく通る。文次郎はその発言に頷き、長次の後ろへそっと控えた五年の双忍に目配せした。――籠っていても何にもならない。籠城戦は最も難しい戦闘のひとつだ。それならば、地の利があるこの場を利用して打って出るべきである。元々好戦的な文次郎はニヤリと口元に笑みを浮かべて長次にあごだけで指示し、その後ろにいる二人に低く告げた。
「――精々可愛がってやれ。もう二度とこんな真似できなくなるくらいにはな」
「勿論ですとも。なあ、雷蔵」
「ああ。では、こちらはお任せいたします」
 あの体躯に似合わぬ早さでその場から駆けだした長次に続き、五年の二人もまた駆けていく。その背中を見送りながら、自分もまた最前線に出たいのをぐっと堪える。しかし、三木ヱ門たちが必死に守ったこの場所をそのままに、文次郎が遊軍になるわけにはいかない。彼らの士気をこれ以上落とさないためには、最高学年の誰かが陣頭に立つ必要がある。そして、それができるのは自分しかいないと知っていた文次郎は、自分を見つめる下級生たちに向かっていつもと変わらぬ大音声で次々に指示を飛ばし始めた。



 一方その頃、食満留三郎は迷わず用具倉庫へ向かっていた。
 他の三人もそれぞれ自分たちの委員会の場所へ向かっている。それは偏に彼らが戦場において重要な役目を果たす用具、火薬、保健、生物の委員会を統率する立場にあるからである。平和な時分には余り理解されないが、いざ有事となれば彼らがどれだけ常の準備を積み重ねてきたかが重要になる。何より、どの委員会を取っても委員たちの協力がなければ潤滑な行動には移れない。そのために彼らはこんな場合にこそ、特殊技能者に近い扱いを受けるのだ。しかし、まだ経験の浅い下級生たちには荷が重いことも確かである。火薬委員以外には四年生がまず居らず、その火薬委員の四年生に至っては忍術に関しては一年生とそう変わらぬ状態なのである。彼らが案じるのも当然のことだろう。そして、特に一年生の多い用具委員会の委員長である留三郎は後輩たちがどんなに苦労しているか、と気が急くのを必死で押えながら用具倉庫へと駆けつけた。
 用具倉庫は慌ただしく出されたためかかなり荒れており、後片付けには骨が折れそうである。留三郎はそれを溜息ひとつで諦め、ぐるりと周囲を見回した。いくつかの武器は既に壊れてその場へ放置されている。石火矢の残骸のようなものも見えることから、壊れた用具全てを一時的に倉庫の前へ置いておいたのだろう。後で誰が直すと思っているんだ、と内心歯噛みしながらも、留三郎はその破片を拾って脇へ放り投げた。
 この残骸は同時に残された下級生たちがどれだけ頑張ったかの証でもある。あの手旗信号が伝えることを思えば、彼らがどれだけ頑張ったのか理解できた。同時に自分たちの留守中に攻めてきた敵軍が憎らしく、その卑劣なやり口に腸が煮えくりかえる。唇をぐっと噛みしめると、留三郎は己のやるべきことを行うために用具倉庫へと足を踏み入れた。
 既に出すべき用具は出されているようだ、と留三郎は自分より三つ下の作兵衛がきちんと仕事をしたことに口の端を上げる。多少難のある思考回路を持つ彼であるが、慣れない一年をまとめ、自分の補佐をきちんとこなすだけの実力はある後輩だ。何か不足があれば、と思って来てみたものの、それは杞憂だったと留三郎は己を笑った。それならば防衛戦に混じろう、と彼が再び踵を返したとき、用具倉庫の前に人影があることに気づく。今来たばかり、という調子のその陰は逆光で顔がよく見えないが、制服の色からして三年生だと分かった。
「けま、せんぱい……!」
 己を呼ぶ声で作兵衛だと分かる。壊れた用具を置きに来たのか、他の用具の補充に来たのだろう。留三郎はその声に応えようとしたのだが、それよりも先に緑色の塊が彼の懐へ飛び込んできた。
「せんぱい……! せんぱい……!」
「作兵衛……? いや、うん、よく頑張った。――用具もきちんと出せてるし、お前が頑張ってくれたんだな」
「先輩、俺……! 俺……!」
「こら、まだ泣くな! まだ戦いは終わってないだろう! べそかくのは全部終わってからにしろ! ――全部終わったら、ちゃんと全部聞くから。な?」
 己にしがみつく後輩の姿に、留三郎は彼がどれだけ気を張っていたかを知る。しかし、今はまだ泣かせるわけにはいかない。留三郎は制服の袖で作兵衛の顔を強く拭うと、いつものように叱りつけ、その後に少しだけ笑った。それに作兵衛も現状を思い出したのだろう、同じく制服の袖で己の顔を拭うと、少し赤くなった顔を真っ直ぐ留三郎に向けてこくりと頷いた。
「すんません、先輩……俺、先輩見たら何か安心しちまって」
「良いんだ。しかし、こんなんじゃ先輩後輩の感動の再会も楽しめん。無粋な輩を追っ払って、食堂のおばちゃんの美味しい飯でも食ってゆっくりしようぜ」
 作兵衛の言葉に留三郎は強気に笑う。――自分たちが戻った以上、好き勝手なことはさせない。五年以上忍術学園に在籍するというのが伊達ではないことを証明すべく、留三郎は作兵衛を連れて用具倉庫から駆けだしたのだった。



「――お前たち、大丈夫かい!?」
「伊作先輩!」
「よかった……!」
 伊作が飛び込んだ保健室は下級生たちがあちこちで治療を受けており、校医の新野以下保健委員たちが手分けして彼らの治療に当たっているところだった。幸いにも大怪我の生徒は誰ひとりとしておらず、治療を受けたらすぐにまた前線へと飛び出していく者がほとんどだ。けれど、保健委員たちはひどく気を詰めていたようで、伊作が戻ったときには全員が青い顔をしていた。
「遅くなってすまなかったね、大丈夫だったかい?」
「はい、幸い新野先生がいらっしゃったので何とか……」
「ウチは幸い乱太郎が居ないだけでしたし」
 伊作の問いに答えたのは数馬と左近である。彼らは一様に腕まくりで前掛けをし、痛みに呻いたり泣き言を言ったりする生徒たちを宥めすかしたり、叱りつけたりしながら治療に当たっていた。左近の言葉に伊作が周囲を見回せば、一年の伏木蔵が保健室の隅で包帯を直したり、薬草をすり潰したりしている。確かに乱太郎の姿がないことに伊作が首を傾げると、左近がその疑問に答えた。
「一年は組はまた校外学習ですよ。――ま、今回ばかりは居なくて正解ですけどね。あいつらが居たんじゃどんなことになるか分かったもんじゃない」
「乱太郎たちは災難を引き込む側だからね……」
 つん、と吐き捨てる左近の言葉には、しかし今の地獄絵図を一年は組が見なくて良かったという心がにじみ出ている。更に数馬が同じくしみじみと呟き、保健室はどこか和やかな雰囲気に包まれる。伊作は平気な振りをしている下級生たちの目に安堵の涙が膜を張っていることに気づかない振りをして、彼らの頭を優しく撫でた。彼らが無事でここにいること、そしてしっかりと己のやるべきことを果たしていたことに微笑む。何より、気丈に振る舞っていた彼らの蒼い顔が伊作を見た瞬間にぱっと明るくなったことで、彼らが自分たちをどれだけ待ちわびていたのか、また案じてくれていたのかを理解して胸が熱くなった。
「新野先生……私は防衛に出ても大丈夫でしょうか?」
「ええ、勿論です。――ここには三反田君、川西君、鶴町君がいますからね。彼らは今まで立派に保健委員としての努めを果たしています。君が居なくてもここは大丈夫ですよ」
「先輩、行ってください! 僕たちなら平気ですから」
「なめてもらっちゃ困ります。僕たちだってやるときはやるんですよ」
「……先輩、僕たち大丈夫ですから」
 下級生が三者三様に笑みを浮かべる様子に伊作は目を瞬かせた。その笑みは皆どこか強ばっていて、余り平気そうには見えない。むしろ、強がりであるのが明白である。しかし、彼らは誰ひとり泣き言を言わなかった。一年の伏木蔵でさえ、である。伊作は自分の後輩が本当に頼もしく成長していることに更に笑みを深くし、三人の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「――じゃあ、頼むね。僕はここに居ない代わりに外の無粋な輩を追い払ってくるから」
「お気をつけて、先輩」
「……学園の内外は罠もたくさんあります。いつもみたいにはまらないように気をつけてくださいね」
「先輩、凄いスリルですね」
 数馬は穏やかに伊作を見送り、左近は心配を素直に示せないようでそっぽを向いている。伏木蔵はといえば、平静を装うためかいつもの口癖を繰り返した。そんな彼らに伊作は苦笑を浮かべ、「気をつけるよ」とだけ呟いた。――何せ、既に先刻の人馬で一度不運に見舞われているので。しかし、いざ伊作が出ようとするのと同時に木下が保健室へ顔を出し、蒼い顔をした久作を背から下ろした。
「失礼。新野先生、久作を診てくださらんか。実習地まで駆け通しで目眩を起こしておるのです」
「ええ、こちらへお願いします。――久作君、ほら大人しくして」
「久作! 大丈夫か!?」
 ぐったりとしながらも目ばかりぎらぎらと光らせて、久作は何とか身体を起こそうとする。真っ青な顔で力なくもがく久作に驚いたのは同級生の左近で、彼は慌てて何とか立ち上がろうとする久作の傍へ駆け寄った。新野と左近の二人に押さえつけられてなお、久作は自分にだけ与えられる安寧を拒もうと暴れた。そんな久作の心中を察して、伊作は苦笑する。そして、彼の傍へ膝を突いてその頭を撫でた。
「久作、君は十分頑張った。――まだ二年生なんだから、後は僕たち先輩に任せなさい」
「でも……左近も三郎次もまだ頑張ってるのに俺だけなんて……それに、四郎兵衛だってまだ戻らないんだから、ひとりでも多く頑張らなきゃ」
「良いんだよ。……それにほら、あんまり下級生に頑張られると五年六年の出番がなくなるでしょ。先輩に見せ場を譲って、君たちは大人しくしてなさいって。――大丈夫、僕ら上級生が忍術学園で五年、六年学んだことは伊達じゃないから。それは久作、君だってよーく分かってるだろ?」
 彼の額に触れながら、伊作はにこりと笑う。――そう、忍たまとして六年過ごした期間は決して伊達じゃない。普段は負傷者や病人と見れば立場など考えずに治療をする伊作であるが、己らに降りかかる火の粉を甘んじて受けるほどお人好しではないのだ。そして、可愛い後輩たちを苛んだ外敵たちに与える情けはとうに尽きていた。
「そうだぞ、久作。伊作先輩たちが戻られたんだから、もう安心だ。――お前はいざというときにまた戦えるよう、今は休むべきなんだよ。そんなふらふらの身体じゃ、いざというときに何にもできないぞ」
「そうそう。それにこっちだって手が足りてるわけじゃないんだから、どうしても何かしたいって言うのならこっちの方手伝ってよね。もうみんなあちこちで怪我作ってくるから、薬の方も足らなくなってきてるんだ。薬草をすり潰したり、包帯を巻き直すくらいは久作でもできるでしょ? それやってもらえるなら、伏木蔵にはこっちの手伝いへ回ってもらえるから、助かるし」
 伊作の言葉になおも不服そうにする久作に、口添えをしたのは左近と数馬だった。二人とも物は言い様、今休むことを上手く正当化している。何より、言葉で相手を丸め込む術は保健委員独特のもので、伊作はいつの間にかこんなにも頼もしく成長していた後輩たちに思わず笑みを漏らした。伊作が彼らを見やると、伏木蔵まで先程以上にずっと自然な笑みを向けてくる。何だかんだ言いながらも「不運委員会」と名高いだけあって、保健委員会は非常事態に強いのだ。それに伊作は今度こそ安心して彼らに目配せし、この場を預ける。それに三人が各々頷いたことに満足げな笑みをこぼし、伊作は新野とも頷き合った後に保健室を後にした。
 ――彼らを守るためには、一刻も早く外の敵軍を一掃することが重要である。そのために伊作は一路保健室から駆けだし、最前線へと向かったのであった。


| SS::花嵐一夜 | 02:57 | comments (x) | trackback (x) |
こへ滝+綾部


 【注意】

 滝が妊娠してるかも、と悩んで病んでます。
 小平太はデフォルト(?)で最低です。あと何か出番が空気。
 喜八郎は今回美味しい役だと思いました。
 最終的に何か喜八郎VS小平太だった気がします。
 色々鬱です。あと、中途半端なところで終わっていますが仕様です。あとはご想像にお任せします。


続き▽
| SS | 02:51 | comments (x) | trackback (x) |
連載設定の鉢雷小ネタ


「雷蔵、それって……」
「……君より少し遅くなってしまったけど」
 三、四日留守にする、と告げた雷蔵に、三郎は思わず腰を浮かせた。――自分も半月前に同じく三、四日留守にして、忍としてより深い闇へと沈んだからだ。いつか覚悟はしていたけれども、実際にそれを為した日には食事が喉を通らなかった。自分ですらこうなのだから、心優しい彼女の心痛はいかばかりだろうか、と三郎は思う。それと同時にある閃きが浮かんで、三郎は口を開いた。
「雷蔵、私が――「三郎」
 しかし、三郎がその案を告げる前に雷蔵が強い調子でその言葉を遮った。己に真っ直ぐ向けられるその瞳は同じく強く、三郎はその光に気圧される。それでも何とか続けようと口を開くも、言葉が紡がれるより先に雷蔵が言葉を継いだ。
「僕は自分で行くよ」
「だが、雷蔵……!」
「――僕だってもう四年忍たまやってるんだよ、三郎。決して早すぎるわけでもないし、むしろこのまま忍たまとしてやっていくのなら、僕は今こそ行かなくちゃいけない」
 行かせたくない、と三郎は悉く潰される発言の合間に瞳で訴える。しかし、それを雷蔵はただ静かに受け止めることで退けた。
「――三郎だって超えた道だ。八左ヱ門だって、他の皆だって同じ道を通っていく。ろ組だけじゃない、い組もは組もだ。――同じく学んだ皆が行く道を僕も行きたい。
 三郎だって承知の上だったはずだよ。僕がここに残った時点で、いずれこうなることは分かっていたんだから」
「だが、」
「三郎」
 静かに呼ばれた己の名前に三郎は普段の飄々とした表情などどこへやら、焦燥した表情で雷蔵の両腕を掴もうとした。しかし、伸ばした腕が雷蔵の身体に届くより早く震えて落ちた。いや、落ちた、という表現は正しくない。三郎の身体全体が床に崩れ落ちているのである。身体に走る痺れと眠気に三郎は驚いて雷蔵を見上げた。まさか、と三郎が視線で問うと、雷蔵は懐から小さな紙切れを取り出した。
「こうなると思って、善法寺先輩にお願いしておいたんだ。――この薬が三郎に効いて良かったよ」
「らい、ぞ……なん」
 そこで三郎は初めて、先程雷蔵が出した白湯に一服盛られていたことを知った。なんで、と呟きたくとも唇が動かずに言葉だけが浮かんでは消えていく。次第に霞んでいく視界で、三郎は悲しそうに笑う雷蔵を捉えた。
「――ごめんね、三郎。でも、これは僕が行かなきゃいけないものだから」
 抗いたくとも抗えぬ眠りの波に飲まれた三郎が最後に覚えているのは、己の頬を撫でる冷たい雷蔵の手のひらだった。



「――雷蔵!」
 そわそわと忍術学園に程近い辻で何度繰り返したか分からぬほどに右往左往していた三郎は、ようやく見つけた愛しい顔に思わず駆け寄った。しかし、抱き締めたくとも複雑に湧き起こる感情が邪魔をして、どうして良いか分からずに三郎は雷蔵の前で足を止めた。
「……待っててくれたの?」
「……ああ」
「そっか、有難う。待たせてしまったよね?」
「――雷蔵があんなことするから」
 拗ねたように唇を尖らせる三郎に雷蔵は子どもを見るように笑い、肩をすくめた。
「そうでもしないと、三郎ついてくるか僕を出し抜いたでしょう? でも、あれだって数時間で効果は切れて、副作用だって大したことはなかったはずだよ」
「副作用が大したことないだって!? 次の日、頭が重くて痛くて仕方なかったんだぞ! それも雷蔵の所為だからな!」
 本格的に拗ねた三郎に吐き捨てられ、雷蔵は苦笑する。まるで変わらない様子で己を迎え入れてくれる三郎が愛しく、同時にとても愚かに思えた。
「――三郎、ほら」
 雷蔵は己の懐へ大切に入れていた小さな包みを取り出し、三郎へ放り投げた。それを受け取った三郎は一瞬顔をこわばらせ、すぐに雷蔵を見る。
「それを学園長先生に持っていかなきゃいけなんだけど、三郎はまだここに居る?」
「一緒に帰るに決まってるだろ」
「じゃあ、一緒に帰ろう」
 手を差し伸べた雷蔵に、三郎はその手を取ろうと同じく手を伸ばした。けれど、彼女の手の触れる前に手が止まる。その手が何を為してきたかを思い出したためである。そんな三郎に気付いた雷蔵は、伸ばしたままの己の手を見下ろして苦く笑った。
「――三郎、私は三郎が思っているほど善い人間ではないよ」
「雷蔵……?」
 普段の柔らかい笑みとは違う、どこか皮肉な笑みを浮かべて雷蔵は続ける。
「僕はね、三郎。君たちと一緒に居ることと、誰かの命を天秤に掛けて、僕は君たちと居ることを取ったんだよ。――僕は忍たまで居たかった。そのために人を殺めることが必要ならば、僕は何度だって殺してみせる。……利己的でしょう? 全然善い人なんかじゃない」
 雷蔵は己の手を自分の目線まで上げて、続ける。
「僕は君たちと一緒になりたかった。――例え三郎がそれを望まなくてもね。
 だって、僕は君に守られたいんじゃないんだもの。僕はね、三郎。君の背中が見たいんじゃないんだ、君の隣で同じものを見て、また君の背中に己の背中を合わせたいんだよ。そのためならば人を傷つけて殺すことも僕は厭わない」
 雷蔵はその言葉に唇を噛み締める三郎に続けた。
「三郎、僕は君の伴侶になりたいんじゃない。――ううん、少し違うかな。僕は欲張りなんだ。
 僕はね、三郎。君の伴侶であり、双忍の相棒であり、好敵手であって、常に君と隣り合う存在でありたいんだ。そのためにこの手を朱に染める必要があるなら僕はそうするし、それ以上のことを求められても僕はそれに応えていくつもりだ」
 雷蔵はそこで再び三郎に手を差し伸べた。
「三郎は、こんな僕じゃ嫌? 君の背中に隠れて、守られている女子であって欲しい?」
「雷蔵……」
 困惑した様子で己の名を呼ぶ三郎に、雷蔵は強い視線を向けた。
「それなら、ここで僕らは別れた方が良いよ。――全ての関係を解消して、なかったことにするべきだ。
 僕は例え君に否定されようと、忍として生きていく。三郎、僕はもう決めたんだ。これから先も忍たまとしてやっていくなら、どんな汚泥にだってまみれなければならない。そして、それは先輩方も、また僕らの後輩たちも皆通っていく道だ。僕だけ例外になるなんて認められないし、僕もその気はない。それに、もし三郎が僕の邪魔をするというのならば、三郎であったって容赦しない」
 己を焦れた表情で見詰める三郎に雷蔵は続ける。
「――ねえ、三郎。三郎はこんな僕でも、この手を取ってくれる?」
「あ、ったりまえだろ!」
 差し伸べられた手を両手で掴んで、三郎は雷蔵に強く告げた。それに雷蔵はこの時初めていつもの柔らかい笑みを浮かべ、安堵したように息を吐いた。
「……ちょっとだけ、三郎とやり合う羽目になったらどうしようかと思ったよ」
「馬鹿。――雷蔵が利己的だと言うのならば、私の方がよっぽど利己的だ。雷蔵が傷ついたり、君を失ったりするのが怖くて、君の望みも潰そうとした男だからな。雷蔵こそ、今のうちに私を振っておかないと後悔するかもしれないぞ」
「おや。――でも、気難しい鉢屋三郎の傍に四六時中居られるのは、僕だけだと思わない?」
 三郎の手を引いて歩き出した雷蔵は、小さく呟かれた言葉に口の端を上げる。その挑戦的な視線に三郎もようやく己の調子を取り戻したのか、彼女の隣へ並ぶように足を速めてから「違いない」と笑った。
 ――そうして彼らはまた、忍術学園の門をくぐる。


| SS | 02:49 | comments (x) | trackback (x) |
連載設定の鉢雷小ネタ

※大体三〜四年生くらい? の鉢雷で、実習中に鉢屋が怪我をしたら、雷蔵はきっとお姫様だっこしてくれるよねって話。当サイト鉢雷連載設定(雷蔵男前度三割増し?)。



「いっ、て……っ!」
「三郎っ!」
 実習中に上がった小さな声に、不破雷蔵はその持ち主の名を読んだ。彼は視線だけで「来るな」と彼女に告げ、同時に己の足を焼いた地雷を睨みつける。油断していた、としか言いようがない。足が飛ばなかったのは、ただ単に実習用に作られた火薬の極端に少ないものだったからだ。鉢屋三郎は己を今まさに襲わんとする上級生を睨み据え、咄嗟に取り出した苦無を構えて唇を引き締めた。己の役割を果たさねばならない。それが忍だ。
 ピィーーーッ!
 しかし、そこで高らかに笛が鳴った。それは実習終了の合図であり、三郎を狙っていた上級生の動きも止まる。覆面を外した上級生――立花仙蔵は足を負傷したままの三郎に唇を歪ませて笑った。
「お前もまだまだだな」
「……次は負けませんよ」
「ふふっ……ああ、楽しみにしている」
 美しい黒髪をなびかせて、憎らしいほどの余裕と共に去っていく。仙蔵のその後ろ姿を見送りながら、三郎はギリ、と音がするほど奥歯を噛み締めた。悔しいのは負けたから、というよりも、己が彼らの目論見をかわすことができなかったからである。むざむざと地雷を踏まされたことに腸が煮え繰り返るような気分を味わいながら、三郎は痛む足に溜息を吐いて立ち上がった。そろそろと動かしてみて、被害を確認する。――歩けないほどではない。
 三郎はゆっくりと足を動かし、慎重に地面に残った足跡を辿りながら地雷原と思しき場所を抜けようとした。しかし、彼が二歩も進むより早く、バタバタと足音が聞こえる。振り向くよりも早く名を呼ばれ、三郎の身体が宙に浮いた。
「なっ……雷蔵っ!?」
「馬鹿っ、何をやってるんだ! いくら実習用の地雷だったからって怪我してることに変わりはないんだぞっ! 良いから大人しくしてろ、今保健室に……!」
 彼を横抱きにした雷蔵が堰を切ったように怒鳴りつけた。それにも三郎は驚いたが、それ以上に看過できない状況がある。――何せ、惚れた女子に抱えられているのだ。しかも、支えられているどころか全ての体重をその諸腕に置いている。これが男としてどれほどの屈辱であるかなど、言うまでもない。故に三郎は何とか彼女の腕から降りようともがいたが、それは雷蔵自身によって阻まれた。
「三郎、暴れないでよっ! 落としちゃうでしょ!」
「むしろ落としてくれ! 雷蔵、私は自分で歩けるから! これだけは勘弁してくれっ!」
「馬鹿言うな! 足が焼けてんだぞ! 良いから大人しくしてろ!」
 雷蔵は暴れる三郎を仕方なしに肩へ担ぎ、地雷原を危なげなく抜けていく。勿論、三郎は更に抵抗を続けたが、それも彼女の地を這うようなこの一言で止めざるを得なかった。
「……三郎? あんまり暴れると――握り潰すよ?」
 何を、とは言われなかったが、その一言だけで危機を察した三郎はきゅっと身体を縮めて大人しくする。しかし、男の矜持が大きく傷ついたのは言うまでもなく、彼は保健室に連れられるまでさめざめと顔を覆って泣くより他になかった。
「…………もうお婿に行けない……雷蔵の馬鹿……!」
「たかだか抱えて運ばれたくらいでぎゃあぎゃあ騒ぐなよ、男らしくない! 三郎が誰にも貰ってもらえなかったら僕が責任とってお嫁さんにしてあげるから泣くなよ! あ、その時は三国一の花嫁になってきてよね、せっかくお嫁さんもらうなら可愛い方が嬉しいから」
「雷蔵、ひどい……! でも嬉しい! どうしたらいいの、この複雑な気持ち!」
「あっそ。善法寺先輩、もう少し沁みる薬ください」
 顔を覆って身を捩らせる三郎を全く無視して、雷蔵は傍らで三郎の足を治療し終えた善法寺伊作に話しかける。その二人のやり取りに伊作は柔らかく微笑んで、「仲が良いねえ」と呟いた。


| SS | 02:47 | comments (x) | trackback (x) |
記憶の先 前世の記憶
どう考えても前世のことを書いてたら終わらない+話が先に進まないので大前提の設定を箇条書きにしてみました。
 以降、『記憶の先』はこの設定を前提にして話を進めていきます。

 なお、前世の記憶ですので、=死にネタです。大抵が不遇です。苦手な方はご注意ください。


続き▽
| SS::記憶の先 | 02:45 | comments (x) | trackback (x) |
こへ滝ホラー


「はっ……はっ……はっ……!」
 己の吐息がこんなにもうるさく感じたことはない、と滝夜叉丸は走りながら思った。どんなに厳しい山道を駆け上がった時も、どんなに息が苦しくなっても、滝夜叉丸が己の動作を煩わしく――恐ろしく感じたことはない。跳ねる心臓の音ですら、今の滝夜叉丸には恐怖を煽るものでしかなかった。聞こえるはずはないと思っていても、万が一この音が相手に伝わってしまったら、と思えば彼は恐ろしさで凍りつくような気持ちになる。とにかく学園へ、安全な場所へ戻らなければ、とそればかり考えながら滝夜叉丸は走っていた。
 夜の闇が恐ろしいと感じるなど忍としては失格だ。――滝夜叉丸自身もつい先程まで平気だった。怯える下級生たちを笑いもした。けれど、今は駄目だ。身を隠す闇は周囲も隠してしまう。己の周囲が分からないことが滝夜叉丸にとっての苦痛だった。
(早く、早く、早く……!)
 長屋に戻ってさえしまえば誰かしら居るはずだ。部屋に戻れば同室の喜八郎が居るはずだし、そうでなくても四年長屋に三木ヱ門かタカ丸が居るはず。恐怖に発狂しそうな気分になりながら、滝夜叉丸は必死で足を動かしていた。ぬかるむ土を踏んだ所為で跳ねる泥も、それによって立つ音も今の滝夜叉丸には恐ろしい。この音が恐怖の源を引き寄せるのではないかと這い上るような恐怖に足が止まりそうになるが、足を止めれば最後だということも分かっていたので、滝夜叉丸は音を消すよりも距離を稼ぐことを優先してひたすらに走り抜けた。
 山道を抜ければ学園の明かりが見える。橙の優しい色に滝夜叉丸の心がようやく緩んだ。後もう少しで学園の敷地内に入ることができる、そう思うだけで恐怖に打ち勝てる気がした。小松田の差し出す入門表にすぐ名前を書けるように懐の矢立てを探しながら速度を更に上げる。玄関の小さな扉に飛びついて、滝夜叉丸はようやく安堵の息を吐いた。
(これでもう大丈夫)
 身体を曲げて息を整えながら、滝夜叉丸はどっと安堵に脱力した自分を認める。だが、もう緊張しなくても良いのだ。ここは安全なのだから。
 己の脇から差し出された入門表に矢立てから筆を出し、滝夜叉丸は署名しようとする。しかし、入門表を受け取りながら、それを差し出した人間を見た瞬間に滝夜叉丸は声にならない悲鳴を上げた。
「――おかえり、滝夜叉丸。遅かったね」
「ど、どうして……せんぱい」
 己が山で逃れた男が、そこに居た。手渡された出門表が地に落ちる。途中まで書かれた名前の一角が伸びて紙を走っていることが彼の動揺を証明していた。滝夜叉丸は恐怖に持っていた筆すら取り落として、一歩後退りする。しかし、彼が身を翻すより早く、小平太の大きな手が滝夜叉丸の腕を捉えた。
「どうして逃げるの?」
「……っ!」
 なんてことはない問いのはずなのに、その言葉に滝夜叉丸は全身が竦むのを感じた。全力で逃げ出さなければならないはずなのに、身体がもう動かない。そんな滝夜叉丸を嘲笑うかのように小平太の腕が彼の身体に巻き付き、滝夜叉丸は小平太に抱き寄せられた。
「――さあ、行こうか。夜は長いよ」
「や、せんぱい……いやです……っ! はなしてくださ……っ!」
「どうしてそんなに怖がっているの? 大丈夫、怖いことはしないよ。この前もそうだったろう?」
 滝夜叉丸は小平太に囁かれたその言葉に、心の奥底に封じ込めていた記憶が流れ出すのを感じた。余りの恐ろしさになかったことにした記憶が、彼の中を支配する。叫び出したいのに喉すら震えないほど身体を強張らせた滝夜叉丸は、身を縮めて恐怖に身構えた。
 そんな彼を小平太は優しく抱き上げ、抵抗できないのを良いことに静かにどこかへ連れて行った。――その日の晩、滝夜叉丸が部屋に戻ることはなかったという。


 ※状況などは一切考慮せずに書いたから、何があったのかは分からない。

| SS | 02:43 | comments (x) | trackback (x) |
遠い距離(鉢雷)


 鉢屋三郎がその少女の存在に気付いたのは、彼女の涙を見た後のことだった。
 高校に入学してしばらくして、ようやく〈高校生〉という身分にも慣れてきた頃にひとりの少女とぶつかった。顔も名前も知らぬ彼女は己の顔を見て、驚いたように目を見開いた後に大粒の涙を流す。その大きな瞳から零れる透明な涙が印象的で、鉢屋は彼女の顔が忘れられなかったのだ。
 その少女を再び見たのは、それからしばらく過ぎた放課後の図書室でのこと。
 あの時傍に居た友人に彼女の名前と――下らないが「図書室の天使」と呼ばれていることと、同じ図書委員であるひとつ上の先輩と付き合っているらしいということを聞いた。その時はただ「ふうん」と喉を鳴らして終わり、興味すら持たなかったはずだ。だが、三郎は何故か彼女をもう一度見てみたいような気がして、図書室へと足を運んだのだった。

(――いた)
 当番なのだろう、カウンターに座って貸し出しや返却の作業をしている。穏やかな笑みを常に浮かべる少女は慕われているらしく、不思議と彼女の周りには人が絶えなかった。それでも静謐な空気が乱されないのは、彼女自身がひどく細やかに気を配っている所為と、その後ろで威圧的な空気を醸し出している青年に怯えてのことだろう。
(……あれが、彼氏の〈図書室の主〉か)
 司書よりも蔵書に詳しい、と一部では評判らしい。三郎は記憶から「中在家 長次」という名前を掘り起こして目を眇める。少し離れた書架で本を選ぶ振りをしながら彼らを窺うと、確かにひどく親しい様子は見て取れた。
 少女が囁き声で彼に話しかけ、男はそれに頷く。男の口元に耳を寄せた少女の表情は嫌悪も羞恥も全く感じられない、それが当たり前の様子であり、三郎は何だか面白くない気持ちになる。そんな風に感じる自分に気付かぬまま、三郎は戯れに本を一冊抜いてカウンターへと歩み寄った。
「これ、借ります」
「あ、はい、貸出です、ね……」
 どうやらカウンター内で別の作業も行っているらしい。何かを書き込んでいる手元から顔を上げた少女は、三郎の存在に驚きに目を見開いた。息を飲んで、大きな目を更に丸くする。しかし、すぐに我に返ったのか、少し困ったような表情で笑った。
「そこの貸出カードに名前と学年クラス、今日の日付を書いてください」
 示された先には小さな箱に積まれた紙片。三郎が言われるがままにその紙へ記入している間に、少女は裏表紙の内側に貼られた返却期限リストに新しい判を捺し、カードを抜いて小さなファイルへと入れていた。書き終わった紙を三郎が渡せば、彼女はさっと紙に目を落として何かを確認すると、先程の小さなファイルに三郎の渡した紙を一緒に入れ、最後に本を三郎の方へ押し出した。
「……ごめんね、この間は驚いたでしょう?」
「――覚えてたのか、俺のこと」
 本と共に届いたのは少女の囁き声。最初に驚いてはいたのもの、その後は全く何事もなかったように作業をされたので、三郎はもうなかったことにするのかと思っていたのだ。しかし、作業を終わらせてから、と思っていたのか、三郎が本を受け取りながら小さく返すと、彼女は困ったように笑った。
「ちょっと色々な要因が重なってね、涙が出てきちゃったの。ぶつかった時も随分心配させてしまったようだったし、気にしてないと良いなとは思ってたんだけど……それを言いに行くのも何か変でしょう? 今日会えて良かった」
「あんたも、気にしてたんだ?」
「そりゃあね、突然泣いたら誰だってびっくりするでしょう。……悪いことしたなあって、思ってたから」
 その言葉は柔らかく、優しい。彼女の浮かべるその表情も同じで、三郎は何だかくすぐったいような心地にさせられた。しかし、笑う少女の表情の奥には、深い悲しみが見えた。
「不破?」
「え……!?」
 思わず三郎が名を呼ぶと、彼女は驚いて固まった。何かを探るように彼の顔をじっと見詰める。居心地が悪くなったのは三郎の方で、彼は困惑をそのままに少女の顔を見詰め返した。
「な、何?」
「え? あ、ごめん、その……どうして名前知ってるんだろうと思って」
「ああ、それはあの時一緒に居たダチから聞いたから」
「そっか。……そうだよね。びっくりしちゃった。
 でも、お友達もよく私のこと知ってたね? 私と同じクラスの人じゃなかった気がするけど」
「あんた、有名なんだってさ」
 図書室の天使、と言うのも恥ずかしい呼称を口に上らせれば、彼女は少しだけ顔をしかめた。確かに、呼ばれて嬉しいかと問われれば、普通の感性を持つ人間ならば困惑する呼称である。それは彼女も同じのようで、けれど今まで浮かべていた柔らかい笑みにどこか突き放したような光を宿して溜め息を吐いた。
「買いかぶられてるなあ」
「ふうん……」
「――不破」
 小さく呟いた声にかぶさるように、男の声が届いた。三郎が視線を上げれば、彼らを咎めるように眺める長次の姿。どこか癪に障って顔をしかめる三郎だったが、目の前の少女は慌てたように小さく頭を下げて三郎に向き直った。
「ごめん、図書室は私語厳禁なんだ。――私が話しかけたから、君も怒られてしまったね。鉢屋君、悪かったね」
 三郎は少女の唇から紡がれた己の名前に驚いた。何故知っているのだろう、という疑問は勿論だが、それ以上にその声が余りにも自分の耳に馴染んだことに驚愕する。三郎の驚きに気付いたのだろう、彼女は先程から繰り返し浮かべている困惑した笑みを作り、ゆっくりと口を開いた。
「知ってるよ、私も君の名前」
「何で……」
「だって――」
 そこで少女は一度言葉を切った。瞳を伏せ、小さく息を吐く。その様子が余りにも切なげで、三郎は柄にもなくドキリと心臓が跳ね上がるのを感じた。伏せられた瞳が上げられ、再び三郎を射抜く。己を見詰める少女は小さく笑みを浮かべているのに、何故か泣きそうだと思った。勿論彼女は泣きだすこともなく、ゆっくりと先程三郎が借りた本のカードなどが入っている小さなファイルを示す。
「さっき、自分で書いたの忘れちゃった?」
「あ……そうか」
「うん。もし良かったら、また遊びに来て。この学校の図書室、見ての通り結構な蔵書なんだよ。きっと気に入ると思う。――あ、それと。返却期限はしっかり守ってね」
 三郎は再びファイルを所定の場所へ戻す少女の白い手を眺めながら、小さく頷いた。探るようにその表情を見詰める。俯けばその瞳は影になって見えないが、その色が失望に染まったことを三郎は見逃さなかった。しかし、その理由を尋ねるほどには彼女と親しくない。どうすべきかと逡巡した三郎に気付いて、目の前の少女が顔を上げた。
 大きな悲しみを瞳に隠して、彼女は笑う。――視界に戻った唇が小さく言葉を紡いだ。
「言い忘れてたけど、私は不破 雷だよ。……きちんと自己紹介してなかったから、言っておく」
「……鉢屋 三郎だ」
「知ってる。――またね、鉢屋君」
 三郎は手を上げて挨拶する雷の声に送り出されて、図書室を出た。全く興味のない本が手のひらの中で存在を主張している。三郎はそれをつまらなそうに持ち上げた後、何だかひどく後味の悪い心地で今さっき出てきた図書室の入り口を振り返ったのだった。


| SS::記憶の先 | 02:38 | comments (x) | trackback (x) |
27.摩天楼(鉢雷)


「――そういやさ、今更だけど雷(らい)と三郎って幼馴染でも何でもないよな。雷、よく顔を使われて嫌じゃなかったなあ」
 いつものように放課後に四人でだべっている時、ふと思い直したように竹谷 八左ヱ門が口を開いた。それにきょとん、としたのは疑問を突き付けられた当の本人で、彼女は己にくっつくように傍らに座っている少年と顔を見合わせた。その様子に八左ヱ門自身が溜め息を吐き、「お前ら変」と呟く。
「何だ、八左ヱ門。俺と雷の仲が羨ましいのか? お前も早く伊賀崎といちゃいちゃできると良いなあ」
「うるせえ! 真子は今関係ないだろ――ってそうじゃない! お前、変なことでごまかそうとすんなよな! で、雷は嫌じゃなかったのか? と言うか、今でも嫌じゃないのか?」
 嫌なら今すぐ力ずくで止めさせるぞ、と目で語る八左ヱ門に、不破 雷は柔らかい笑みを浮かべた。その表情にはどこにも嫌悪感など見当たらず、八左ヱ門はやはりと思いながらも苦笑する。先程勢い余って浮かせた腰を再び落ち着かせる八左ヱ門に、雷は柔らかくほほ笑みながら語り始めた。
「そりゃ、私も初めは驚いたよ。――だって、突然自分と同じ顔の男の子がやってきて、『君の顔が借りたい』って言うんだもの。訳も分からないし、正直ちょっと気持ち悪いし怖かった」
「ちょっとおおおお、雷さああああん!」
 今だから言える、といった調子の発言にショックを受けたのか鉢屋 三郎が悲鳴を上げた。しかし、雷はそれにも全く気にした様子がない。先程の笑みを崩さず、己に抱き付く三郎の頭を撫でながら続けた。
「でも、うーん……何と言うか、三郎が悪い人には見えなかったし、本当に真剣に言うものだから、まあ良いかなあって」
「――それで良いかなあ、って思う辺り、雷蔵って大物だよな」
「大雑把って言うんだろ」
 えへ、と頭を掻く雷に、八左ヱ門が呆れた声を上げる。それに追随するように、今まで沈黙を守っていた兵が口を開いた。彼女はひとり違うクラスであるため、どうしても彼らの間に起こった出来事にタイムラグを感じてしまう。それが少しだけ淋しく、無意識に唇を尖らせていた。
「でも、はっちゃんも変に思ってたんだ。誰も突っ込まないから、何か知ってるんだと思ってた」
「いや、ぜーんぜん。と言うか、仲良くなって雷に聞くまで、クラスの全員、生き別れの双子じゃないかって言い合ってた。何てったって顔そっくりなんだもんなあ。ま、三郎の変装癖は入学した時からだけど。どんな顔になっても最終的に戻るのは雷の顔だったから、これが素顔なんだろうって皆で噂したりしてな。
 ――それにコイツ、最初の二月くらい本当に雷以外には懐かなかったからさ。話はするけどどっか上っ面でさ、受け流してんの見え見え! 学級委員長の癖に自分から輪に入ってこないし、だから尚更雷と三郎の双子説が有力になったってわけだ」
「うわー……その流れがありありと想像できて嫌だ」
「ま、それだけ俺と雷がラブラブってことだな」
 八左ヱ門の言葉に顔をしかめる兵に、三郎が雷の肩を抱くことで答える。それに雷が三郎を手で押し返し、くすりと笑った。
「まあ、私と三郎が血縁じゃないことは確かだよ。二人とも生みの親がちゃんと居るしね」
「雷、ひどい……!」
 引きはがされる形となった三郎は涙に暮れる仕草をしたが、既に彼の泣き落としには慣れているため、誰ひとりとして反応しない。彼もそれは分かっているのか、特にそれ以上は反応せずに先程と同じポジションへ戻った。
 それでその話は終わり、また別の話題へと移ってゆく。そうして、彼らのいつもの日々が過ぎて行った。


「――でも、あの時は本当に驚いたなあ」
「ん?」
「入学式の直後に物陰に引っ張り込まれたかと思ったら、自分と同じ顔の男の子が突然に真顔で『貴方の顔を貸してください』だもんね。本当に怖かったんだからね? 意味分かんないし」
 兵と八左ヱ門がそれぞれ帰路に就き、雷と三郎もまた同じく家路を辿っている時に雷がぽつりと口を開いた。当時を思い出したのか苦笑を浮かべる雷に、三郎も先程とは違って同じような表情を浮かべた。
「言うなれば一目惚れだったんだよ。――柔らかくて、好きな顔だったんだ。ずっと使っていたいと思ったから、許可を取ろうと思って。こっちだって必死だったし、変人ならまだしも、変態と呼ばれるかもしれないと、本当に清水の舞台――いや、サンシャ○ン60から飛び降りるくらいの気持ちだったんだからな」
「まあ……必死なのは分かったけど」
 突然現れた男の子は、何が何だか分からずにパニックになりかけている雷に対し、「君の顔が好きだ」「訳あって素顔を隠さないといけない」「普段から君の顔を使いたい」とひたすら繰り返したのだ。それに雷は正直なところ、大変気味が悪い思いをしたのだが、何だか余りにも必死だったことと、このまま引き留められると最初の学活に間に合わなくなるという理由から、彼の願いに首を縦に振ったのだった。
「正直、半分くらい冗談だろうと思ってたしねえ……」
 しかし、彼女の予想は全く外れ、三郎はその日以降ずっと今に至るまで雷の顔を普段使いにしている。最初は本当にどうしようかと思ったものだが、そのうちに三郎が少しずつ雷の顔にアレンジを加えて男っぽくしたことと、彼が雷の顔をしている時は本当に〈鉢屋 三郎〉という少年であったため、そのうちに「まあ良っか」と受け入れてしまったのだ。今では自分が大雑把で良かった、と心から思っている。
「――今も嫌かい?」
「ん? 別に。慣れたしね。それに、三郎が私の顔じゃないと、何かちょっと落ち着かないかも」
「素顔の時は?」
「…………分かってて聞いてるでしょ」
 三郎は母親似だ。そして、実を言うと、雷は三郎の母親である世紀の大女優の大ファンなのである(因みにファンクラブの会員でもある)。つまり、雷が彼の素顔にドキドキしないわけがないのだ。――もっとも、ドキドキすることと三郎であることは全く別次元の物事として彼女の中では処理されているのだが。そして、それを三郎も知っているため、彼女の前でだけは素顔を出すことをためらわなかった。
 傍らで揺れる柔らかな手のひらを掴んで、三郎はそれを口元に寄せる。それに雷は顔を真っ赤にして、三郎をねめつけた。
「――馬鹿」
「俺が雷馬鹿なのは雷が一番よく知ってると思うけど」
「知りたくない」
「ひどいなあ。こんなに愛してるのに」
「だから! そういうことサラッと言わないでって何度も……!」
 三郎の言葉に夕焼けに染まる以上に顔を真っ赤にした雷に、彼はひどく甘い笑みを浮かべた。それは雷の顔でありながら、〈鉢屋 三郎〉そのもので。雷はそれを見ただけで何も言うことができなくなり、真っ赤な顔をぷいとそむけて彼から視線を外した。そんな雷を見て三郎が声を立てて笑う。
 ――赤く染まる家路には、二人の影が長くのびていた。


| SS::私立忍ヶ丘学園 | 02:33 | comments (x) | trackback (x) |
錠剤(伊→留)
※注意:この作品には月経、百合の表現が含まれます


「ううー……」
「留(とめ)さん、大丈夫? お腹さすろうか?」
 保健室のベッドの上、身体を丸めて唸る幼馴染に善法寺 伊緒(いお)が囁いた。普段はほとんどないと言って良いくらいの痛みが、今回に限ってはひどく重いらしい。真っ青な顔で痛みを堪える食満 留に、伊緒は同じく青い顔で傍に控えていた。
 彼女が握り締めた痛み止めの薬は既に服用させてある。さすがに即効性があるわけではないから、薬が効き始めるまでは辛抱しなければならない。早く効け、と今のところ役に立っていない錠剤を握り締めながら、伊緒は布団の中で冷や汗をかく幼馴染の腰をさすった。
「伊緒、私なら大丈夫だから……お前は授業戻れ。次もあるだろ」
「私は保健委員だから大丈夫。新野先生もいらっしゃらないし、せめて先生がお戻りになるまでは一緒に居るよ。――あ、そうだ、今湯たんぽ作るね。待ってて、少しは違うはずだから」
 自分を案じて掛けられる言葉に伊緒はにこりと微笑んで首を横に振った。――彼女は知らない。己がこんなにも今幸せだということを。
 叶わぬ恋だと知っていた。己の方がおかしいのだと、何を望むこともできないのだと。それでも彼女の傍に居られるのならば、彼女の役に立てるのならば、こんなに幸せなことはない。伊緒は自分の歪んだ感情に自重しつつ、お湯を沸かして手慣れた様子で湯たんぽを作った。
 しかし、同時に彼女の苦しみが少しでも長引けば良い、と伊緒は心の隅で思う。
 そうすれば、伊緒はずっと彼女の傍に居られる。苦しむ留は勿論見たくないが、彼女の痛みが引いてしまえば、傍に居る大義名分を失ってしまうから。最低だ、と思いながらも、伊緒は手早く湯たんぽをタオルで包んで留の許へと戻った。
「さ、留さん。これお腹に当てて。――腰、さすってあげる。早く楽になると良いね」
「……悪いな、伊緒。私はお前に甘えてばかりだ」
「何を馬鹿なこと。いつも面倒見てもらっているのはこっちだもの、こんな時くらいお世話しないでどうするの。大丈夫、留さんは何も心配しないで良いんだよ。お腹痛いのは留さんの所為じゃないでしょ」
 ゆるゆると布団越しに腰を撫でながら、伊緒は言葉とは裏腹な己の浅ましさに吐き気がする思いだった。――このまま時が止まれば良いのに、そう願ってしまう自分が恐ろしい。また、布団越しに伝わる華奢な腰の感触に欲を感じる己を心底軽蔑する。
 けれど、想いは募るばかりで、決して伊緒の思うように消えてはくれない。何だか泣きたい気持ちになりながら、伊緒は留の腰をさすり続けたのだった。


| SS::私立忍ヶ丘学園 | 02:31 | comments (x) | trackback (x) |

  
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