2011,08,12, Friday
【注意】
滝が妊娠してるかも、と悩んで病んでます。
小平太はデフォルト(?)で最低です。あと何か出番が空気。
喜八郎は今回美味しい役だと思いました。
最終的に何か喜八郎VS小平太だった気がします。
色々鬱です。あと、中途半端なところで終わっていますが仕様です。あとはご想像にお任せします。
「――あれ……?」
滝がその事実に気づいたのは、秋にさしかかろうという時期。滝は用を足した後に腹を押さえて、身体を震わせた。
(――一月、来てない)
普段ならば迷惑なほど定期的に来る月経が、先月と今月と、来ていない。今月も半分過ぎようというのに、だ。
(どうして)
その理由を考えようとして、滝は思考を止めたくなった。恐ろしくて考えたくない。――だが、思い当たる節はありすぎて、滝はトイレの中でよろめいた。まさか、と思う。小平太と肌を重ねるときは常に避妊もしている。だが、コンドームの避妊率がきちんとつけても十割ではないことを滝は知っている。それでも、まさか、だって――。
そこまで考えて、滝夜叉は予鈴が鳴ったことに気づいた。急がなければ、と頭が現実に戻る。水を流して、手を洗って、トイレを出た。いつもの通り、いつもと同じ。鳴り終わりかけた予鈴に廊下を走りながら、けれど滝は己の頭に巣食った恐ろしい考えに寒気が止まらなかった。
「滝、どうしたの?」
「あ……いや、何でもない」
いつもの昼休み、机をくっつけて四人集まって食事をつつく。しかし、いつもならば一番騒がしい滝が俯き加減で考え事をしているため、他の三人も皆少しばかりトーンダウンする。傍らの喜八郎が小さく声をかけると、滝はハッと我に返ったようで慌てて取り繕うように笑みを浮かべた。しかし、普段ならばきちんと動くはずの箸はいつまでも動くことはなく、再び沈黙が辺りに落ちる。それに一番年長のタカ丸が口を開いた。
「滝ちゃん、何か悩み事があるのなら、僕たちに話してみない? ちょっとしたことでも人に話せば楽になることもあるし」
「あ……いえ、違うんです。ごめんなさい、大丈夫です」
「大丈夫じゃないでしょ、ご飯も全然食べてないし」
「いや、食べる」
滝はタカ丸に慌てて取り繕った笑みを向けた。それでも表情が冴えないのは変わらず、それに喜八郎が焦れたように彼女の弁当をつついた。それに滝は慌てて箸を動かすが、二口三口食べた後に突然口を押さえて立ち上がった。驚く三人を尻目に駆け出す。しかし、入った先が女子トイレであったため、滝の後を追って駆け込もうとする喜八郎を制して同性の三木が彼女の後を追った。
「大丈夫か、滝? 体調悪いのか? 熱は? だるいとかあるなら、保健室行った方が良い。七松先輩呼ぶか?」
「絶対に駄目だ! 七松先輩だけは呼ぶな!」
便座に縋ってえづく滝は最後の言葉にだけ反応した。その反応がいっそヒステリックにさえ感じて、三木はぎょっとする。その反応に己がどんな態度を取ったか分かって、滝は唇を噛みしめる。しかし、すぐに喉をせり上がる感覚に口元を押さえ、再び便座と向き合うことになった。背中をさする三木の温かい手を感じながら、滝は尚更己の疑念を強くする。――涙がにじむのは、苦しいせいか、その疑念のせいなのか、滝には分からなかった。
* * *
「滝、今日は暇?」
「七松先輩……あの、えっと」
「あのさ、俺の家に来ない?」
それは簡単な誘い。――二人にとってはもはや当たり前となったもの。けれど、今の滝にとっては最も恐ろしいものだった。
「あ、あの……先輩、すみません。今日はちょっと、その、外せない用事が……」
「そっか、残念……じゃあ、また今度な」
ぐしゃり、と己の頭をかき混ぜる手のひらの暖かさと大きさに、滝は強ばった笑みを浮かべた。泣きたくなかった。ただ、どうしたらいいか分からないだけ。
「ごめんなさい、先輩」
「良いって。じゃ、またなー」
本当はきっと小平太も気づいている。けれど、突っ込んでこないのは優しさなのか、無関心なのか。――前者であって欲しいと、滝は強く願っていた。
付き合い始めた、直接のきっかけはない。好きだ、とか、そんな言葉もなく、いつの間にか始まっていた。
小平太のことを好きだったし、小平太も滝のことが好きだと知っていた。大きなきっかけもないままにキスをして、二人で肌を合わせる。そうやってなし崩しに始まって、今までずっとそうしてきた。今もそう。けれど、だからこそ、滝は己の変化が恐ろしかった。
(――あの方は、面倒がとてもお嫌いだ)
その性格を滝はよく知っている。誰よりも傍にいたから。だからこそ、滝は己の変化を恐ろしく思った。
己の変化と己への感情を天秤にかける。それは小平太の中でどちらが重いだろうか。もし――もし、変化の方に天秤が振れてしまったら、彼はきっとあっさりと滝を切り捨てる。情の深い人間だとは知っているけれども、同時にとても情の薄い人であることも知っていた。そして、自分にその天秤が振れると豪語できるほど、滝は自分が彼に愛されているだなんて思っていなかった。
足下が覚束ない。地に足がついていない、とはよく言ったものだと滝は思ったが、今の状態は地に足がついてないわけではなく、踏みしめる地面がぐにゃぐにゃと緩んでいるのだ。自分の足場が固まらないことはこんなにも恐ろしいことなのかと滝は再び身体を震わせた。同時にまだ決まったわけじゃない、と理性が囁く。
(――生理が遅れるのは十代ならよくあること。食欲がないのも、先程食事を受け付けなかったことも、心因性の可能性が高い。決して妊娠していると決まったわけではない)
それでもその可能性があることも確かで、滝は身体の芯から来る震えにひっそりと己の身体を抱きしめた。――叶うならば、嘘であって欲しかった。
* * *
確かめなければならない、と知っていても滝は決心がつかなかった。――勘違いならそれで良い。だが、もしこの懸念が当たっていたら? そうだった場合は、どうしたら良いのだろう。そう思うたびに恐ろしくて動けなくなる。普段は降りもしない駅で途中下車して、大きなドラッグストアに入ってもそれは変わらなかった。手に取るどころか目にするのすら恐ろしくて、滝は検査薬が置いてあるだろう棚にすら近づけなかった。
愚かだと、思う。他の人間が同じ立場であるのなら、さっさと検査薬を買ってきて手渡すか、病院に行けと引きずっても連れて行くだろう。それが自分に起こればこの様だ、と滝は溜息をついた。どうせ手に取れないのならば、もう行くべきだ。滝は小さく首を振り、とぼとぼとドラッグストアを後にした。
初めて来た土地は、何もかもが余所余所しく見える。滝はぐるりと視線を巡らせて、遠くに見える緑深い場所を目指した。それは小高い山のようで、どうも森林公園のようだった。足の向くままに足を踏み出せば、土に木を組んで作った階段が延々と続いている。地元の人間も余り来ないのだろう、人気は全く感じられなかった。
まるで何かから逃避するように滝は足を動かしていた。普段ならばこんな運動で息が上がるはずもないのに、どうしてだか胸が苦しい。ぐるぐると山を巡るように作られた階段を上りながら、滝は荒い息を繰り返した。頂上まではそう遠くなく、滝は三十分も立たぬうちに町を見下ろしていた。何てことはない、本当に何にもない場所であった。展望台と言っても名ばかりで、無骨なベンチと柵があるだけだ。遠くには何か大きな池のようなものが見える。ダム、ということはないだろうから、消火用の貯水池か何かなのだろう。
「――いっそ水にでもつかればいいのかもな」
もしこの腹に子どもが宿っていたとしても、三時間も水に浸かれば流れてしまうだろう。普段ならば何を馬鹿なことを、と一笑に付すような話だが、今の滝にはそれが何故か名案のように思えたのだ。誰にも知られないうちに、誰にも気づかれないように、――始末してしまおう。滝は平らな腹をゆっくりと撫で、小さく息を吐いた。
(本当は、喜びたかった)
滝はゆっくりと今来た道を戻りながら、心の中で呟いた。――好きな人の子どもを得たのだ。本当ならば滝だって喜びたかった。けれど、その前に現実と保身があった。学生の身では子どもを産むことなどできないと分かりきっていた。産んだところでどうする。子どもが子どもを育てられるわけがない。それに、滝はそのために親を説き伏せ、高校を辞めることもできないと知っていた。――何より、この事実を知った小平太の反応が怖かった。
喜ぶとは思っていない。だが、殺せと言われるのは嫌だった。そうするしかないと分かっていても、既に生きている彼の子どもを不要だと言われることが怖い。それならば、自分でさっさとけりをつけたかった。そうすれば、小平太が何を言うか知らずに済む。――滝も傷つかなくて済む。結局、自分が傷つきたくないだけなのだ、と滝はほろ苦く笑った。
ゆっくりと足は別の場所へ向いていた。森林公園を降りて別の場所――この辺りでそれなりに深さのある水がある場所である親水公園へと。
親水公園と言っても、季節は秋でそろそろ肌寒い環境となった。元々そう流行っている場所ではないため、水場しかないこの公園はとんと人通りがない。ぐるりと周囲を見回しても、誰もそこにはいなかった。
(その方が好都合か)
滝は靴と靴下を脱いで、近くを流れる水へと足を浸す。芯から凍えるような冷たさが足から這い上がった。大した水の深さではないが、腰を下ろせば十分腹まで浸る。けれど、滝はいつまでも腰を下ろすことができずにぼんやりと突っ立っていた。
水面に映る自分の顔が見える。その表情は泣きそうに歪んで情けなく、まるで自分だと思えなかった。睨みつけたところで冴えない表情は変わらない。水面を揺らせばそれが見えなくなることも分かっていたが、滝はそんな気力も湧かずにただ己を見つめていた。
どれだけ、そうしていたのだろう。数時間もそうしていたような気がするが、数十分だったのかもしれない。ただ、滝にとっては気の遠くなるほど長い時間が過ぎた。永遠にすら思えた時間を断ち切ったのは、突然に現れた喜八郎だった。
「何やってんの、滝っ!」
肩を掴まれて我に返った。――何故ここに喜八郎が居るのだろうか、と目を瞬かせていると、ひどく怒った顔の喜八郎が滝夜叉を引きずる。そこで自分がどこに居たのかを思い出し、滝は驚いて身を捩った。その瞬間に冷え切った身体がバランスを崩し、水へと倒れ込む。幸いにも尻餅をついただけだったが、滝はその瞬間に腹部を守るように抱えた自分に気づいてすらいなかった。
「滝、言って」
「なにを」
「言え、って言ったの! ――何を隠してる!」
低く怒鳴る喜八郎に滝は身体を強ばらせる。けれど、水しぶきで頭からずぶ濡れになった滝は、その滴に混じるように涙を流した。
「――こない、せいり」
「え?」
「一月とちょっと来ないんだ……いつも絶対に来るのに、もう一月以上来てない。今月だってもう来てもおかしくない時期なのに、まだ来ないんだ」
「それって……」
喜八郎は滝の言葉に絶句した。しかし、普段人前では絶対に取り乱したりしない滝がこんな振る舞いにまで出たことで逆に冷静になったのか、彼は己を立て直して続けた。
「確かめたの?」
「たしかめてない……もし、本当にできていたらと思うと怖くて……馬鹿みたいだが、ドラッグストアまで行ったのに検査薬も買えなかった」
喜八郎は俯く滝を信じられないような気持ちで見下ろして、すぐに自分たちがどこにいるか思い出した。水に浸ったままの滝を慌てて引き上げ、鞄の中からありったけの布を取りだして彼女を拭う。既に滝の身体は冷え切っていて、このままじゃ風邪を引くことは間違いない。喜八郎は周囲を見回して、咄嗟に目についた場所へと彼女を引きずっていった。
* * *
「――喜八郎、ここは」
「良いから。ここならお風呂もあるし、着替えもできるでしょ。ほら行くよ」
小平太とも一度か二度しか入ったことがないラブホテルに引きずり込まれ、滝はどうしていいか分からずに足を止める。しかし、萎えきった身体で喜八郎の力に抗えるはずもなく、滝は何故使い方を知っているのか、無人のフロントで部屋を取った喜八郎にエレベータへ押し込まれ、そのまま部屋へと連れ込まれた。喜八郎はすぐに風呂場へ飛び込むと、まず浴槽へお湯を張る。そしてシャワーからお湯を出すと、ぼうっと立ち尽くしたままの滝夜叉を服のまま風呂場へ押し込んだ。
「シャワー浴びて、お風呂湧いたらきちんとお湯に浸かること! もし僕が帰ってきたときそのままだったら、一緒に入るからね」
「え、喜八郎どこへ」
「買い物。滝の着替えと検査薬買ってくる」
「喜八郎!」
風呂場から出て行こうとする喜八郎の腕へ滝がしがみつくと、彼は小さく溜息をついた。
「できてるか、できてないか。まずはそれを確かめなきゃでしょ。――滝だって本当は分かってるはずだよ。いつまでも先延ばしにしていたら、その方が後悔する。いなかったらそれで良いし、そうでなければ……そのときも、早い方が考える時間は多いもの」
「それは……そうだけど」
力なくうなだれる滝に喜八郎は続ける。
「どうせまだ七松先輩には言ってないんでしょ? ええ格好しいなんだから。――どっちにしろ、その格好ではいつまでもいられないんだから、とにかく行ってくる。すぐ戻ってくるから、おとなしくお風呂入っててね」
「……すまない、喜八郎」
「良いよ、滝に迷惑かけられるのは昔からだもん。慣れてる」
「お前、私がどれだけお前の面倒を見てきてやったかも忘れて」
喜八郎の言葉に思わず噛みついた滝に、喜八郎はようやく表情を緩めた。それで初めて自分もまた随分と表情を強ばらせていたことに気づく。そんな自分に苦笑しながら、喜八郎は続けた。
「――ようやくいつもの滝に戻ってきたね。大丈夫、きっと何とかなるよ。もし赤ちゃんができていても、そのときはそのとき。もし七松先輩が嫌って言っても、滝が産みたいなら、僕がお父さんになってあげる。だから、心配しなくて良いんだからね」
滝は喜八郎の言葉に何も言えなくなった。再び大きな目を潤ませる少女を喜八郎は抱きしめる。
「知ってるよ、滝が本当は赤ちゃん産みたいって思ってることも。でも、そんなこと言えなかったことも。――だけど、大丈夫だからね」
「きはちろ……」
「でも、まずはいるかいないか確かめなきゃ。――行ってくるから、ちゃんと温まっておくんだよ。僕が戻るまでお風呂場から出ないこと。良いね」
「わかった」
「すぐ戻るから、待ってて」
自分の肩に涙を吸わせる滝をもう一度抱きしめてから、喜八郎は彼女を再び風呂場へ押し込んだ。今度は滝も抵抗せずに風呂場へと入る。出てこないことを確認してから、喜八郎は鞄を取って再び部屋を出た。
残された滝は、温かいシャワーを浴びながらのろのろと制服を脱いだ。濡れた服がべったりと肌に張り付いて気持ちが悪い。綺麗に見えても水はそれなりに汚れていたようで、制服のスカートはもう駄目かもしれない、と滝はぼんやりと思った。そのまま全てを脱いで、下着も外そうとしたときに固まる。――闇の中にいるように色味がなかった世界に、鈍い赤が見える。それは、滝が待ち望んだものだ。――一月ちょっと遅れて訪れたそれに、滝は声を上げて泣いた。
「そう、来たの。良かったじゃない……」
「……喜八郎、すまない」
「なんで謝るの。別に大したことじゃないでしょ。僕が滝の面倒かけられるのもいつものことじゃない」
「いつも世話をしてやっている恩も忘れて……!」
喜八郎が買ってきた服に着替えた滝は、喜八郎と二人ベッドに腰かけていた。減らず口を叩く喜八郎を殴ろうと腕を振り上げるが、その拳は途中で勢いをなくして彼の肩へ落ちる。同時に己にしがみついて泣く滝に、喜八郎はその細い身体を抱きしめた。
「――良かったけど、残念だったね。辛かったでしょう、滝」
「きはちろ……っ!」
「怖かったでしょう。ひとりでよく頑張ったね、滝。えらいえらい」
まるで子どもをあやすような言葉。けれど、滝は己の背中や頭を撫でる喜八郎にただ泣いた。安心したことも大きい。――けれど、己の腹には子はいなかったという喪失感と、いたかもしれない子どもへと己が向けた殺意が悲しかった。
それを喜八郎は全て分かっているように、泣くじゃくる滝を時間が来るまでずっと撫でていた。
* * *
「――ねえ、滝は?」
「さっき図書室に行きましたよ」
昼休みに滝たちのクラスへ突然訪れた七松小平太に、喜八郎は少々の棘を込めて告げる。――結局、滝は小平太に何も言わなかった。喜八郎は不満であったが、彼女がそうしたいと言うのなら、とその意志を尊重する。けれども、あの滝をあれだけ追い込んだ小平太を許せるはずもなく、自然態度は硬化した。それをどう取ったのか、小平太はひどく鋭い視線を喜八郎へ向ける。
「じゃあ、お前でも良いや。――ちょっと聞きたいんだけど、面貸して」
「ここじゃ駄目なんですか?」
「ここで良いの? 滝のことなんだけど」
喜八郎はその言葉に眉を上げた。普段ならばもっと鷹揚としている小平太が、今日は随分と好戦的な様子だ。それに何だかきな臭いものを感じて、喜八郎は立ち上がった。不安げに己らへ注目する視線がうっとうしい。あごで促す小平太に従って、喜八郎は人気の少ない北階段へと向かった。
「――で、何のご用ですか?」
「あのさ、ウチのクラスの奴が見たって言ってるんだけど。――この前、滝とお前がラブホに入っていったって。それ、ホント?」
喜八郎はその問いに目を見張った。けれど、すぐに元の表情へと戻す。この男は言動に騙されがちだが、実際にはかなり慎重な人間である。多分、既に裏も取ってあるのだろう。どうやって取ったかは知らないが。
「聞いてるんだけど?」
獰猛な獣のように殺気を漏らす小平太に、喜八郎はただ溜息をつく。――ここまで滝への執着心があるのならば、もっと大切にすれば良いのに。あんな風に追い込んで泣かせて、この男は何をしたいのだろう。あのときの震える細い身体を思い出して、喜八郎は小平太を睨み返す。そして、その問いに答えようと口を開いた。
| SS | 02:51 | comments (x) | trackback (x) |
TOP PAGE △