2011,12,19, Monday
久々に。火薬委員のターン。
「……久々知先輩っ!」
焔硝倉に駆け込んできた兵助の存在を一番初めに気づいたのは、二年の池田三郎次だった。明らかにホッとした顔の三郎次に軽く笑みを向けて焔硝倉のなかに足を踏み入れる。そこをぐるりと見回しても、そこにいるのは彼ひとり。他の人間はどうしたのかと眉を寄せれば、それに気づいたのだろう、三郎次が口を開いた。
「タカ丸さんなら火薬を運びに出ています。伊助と土井先生は一年は組の校外学習で最初からいません」
「そうか……二人だけで大変だったろう。肝心なときにいなくて悪かったな」
走り詰めで荒くなった息を整えながら苦笑すると、三郎次が少しだけ目を潤ませた。けれど、そんな自分を恥じるように彼はすぐに己の袖で目元を拭い、唇を引き結んで兵助へと顔を向ける。少し意地っ張りなその態度に内心苦笑しながら、兵助は三郎次が差し出した火薬の出納帳を眺めた。几帳面な性格の人間が多い火薬委員は出納帳の文字も大体が綺麗な読みやすい字で書かれている。しかし、それが今は殴り書きに近い文字が踊っており、兵助はそれだけで彼らがどれだけ苦労したかを感じ取った。
「うん、ちゃんと出せてるみたいだな。計算間違いもなさそうだ。……タカ丸さんと二人きりでは、大変だっただろう? 三郎次、よく頑張ってくれたな」
「べ、別に大したことじゃないですから……それに、頑張ったのは僕だけじゃないですし」
その言葉に兵助は少しだけ眉を上げたあと、唇を緩める。八左ヱ門の手前はああ言ったものの、兵助とてタカ丸のことは案じていた。――何せ、彼は歳も十五で最年長、四年に編入したと言っても、実際に忍たま経験は一年よりも少ないのだ。幸か不幸か、一年は組とよく一緒にいるせいか、それとも彼が忍者の血筋に生まれたためか、どうにも厄介ごとに巻き込まれてはそれを切り抜けるだけの運と才覚はあるようだ。そうでもなければ四年生に編入することは許されないと知っていても、彼の少しずれた性格からか、案じることを止めることはできない。しかし、それはやはり自分の杞憂だったようだ、と小さく息をついたところで、兵助は背後に気配を感じて振り返った。
「へーすけ、くんっ!」
「タカ丸さん……って、うわっ!?」
真っ赤な顔をしてこちらに駆け寄ってくる年上の後輩を見て、兵助は少しだけ顔を緩める。普段は時折阿呆かと思うほど緩んでいる顔が今はくしゃくしゃに歪んでおり、彼が今までどれだけ様々な不安を押し殺していたのか理解できた。しかし、タカ丸は兵助の予想を遙かに超え、駆ける勢いのままに兵助の胸へと飛び込んでくる。――もっと正確に言えば、兵助のほうが身長が低いため、明らかにのしかかられるような体勢となった。
身長差はあると言えども、実際には兵助のほうが鍛えている。勿論、飛びつかれようが押し倒されるような無様な真似はしない。しかし、己の肩にかじりついてひんひん泣き言を言う男に、兵助は先程の優しい気持ちも消え失せてその身体を引きはがした。
「――あんたはっ、いつまでめそめそと情けない姿を晒しているつもりだっ! いくらあんたが一年生より忍たま経験が少なくても、後輩の前ではしゃんとしろ!」
身体を引きはがしただけでなく、目の前の男の頬を力一杯つねりながら兵助は吐き捨てる。怒りとともにタカ丸をねめつければ、彼はようやく我に返ったようで恥じ入るように眉根を寄せた。
「ご、ごめん、兵助君……俺、本当に心細くって……」
「そんなの、あんただけじゃなかっただろう。――泣き言ならあとでいくらでも聞いてやる。が、今はまだしゃんとしてろ。三郎次が――後輩たちが見ている」
「はい。申し訳ありませんでした、久々知先輩」
零れた涙を己の袖で拭い、タカ丸は言い訳を口にする。けれど、兵助はそれを一蹴し、そのあとに小さな声でその耳元に囁いた。それにタカ丸はハッとした表情で姿勢を正し、深々と頭を下げる。それに兵助は少しだけ良心が痛みながらも、ただ小さく頷くに留めた。
(本当は、俺だって泣かせてやりたいけれど……今はまだ。全てが終わってからでなければ)
日常的に戦と向き合う勉強をしている忍たまと違い、タカ丸はまだ市井で暮らしていた意識のほうが強い。とくにこのあたりはしばらく平穏が続いていたため、戦はどこか遠い世界の出来事で、彼にとっては夢のようなものであったろう。それが急にその渦中へ放り込まれたのだ、いつかは、と入学当初から刷り込まれている下級生たちよりもその心労は大きかったはずだ。けれど、彼がこの道を歩むと決めたのなら、揺らいでもらっては困る。未熟だろうが何だろうが、下級生たちに見せる背中は丸められるわけにはいかなかった。
「五年も六年も帰ってきたし、先生方もどうやらこの騒動の尻尾を掴んだようだ。――この茶番も、もうすぐ終わる。それまでは辛抱だぞ」
三郎次に恥ずかしそうな顔で謝るタカ丸を勇気づけるように、兵助は口を開く。その言葉は三郎次にも届いたようで、彼らはお互いに顔を見合わせたあと、明らかに安堵した表情で笑い合った。一瞬だけ緩んだ空気に兵助も微笑むが、今はまだのんびりと遊んでいるバヤイではない。最後の最後、勝負が決するそのときまでどちらに勝敗が転ぶかは分からないのだ。油断すれば地に伏せるのはこちら側。それを避けるためにも、今はまだ安心しきってもらうわけにはいかなかった。
「――お前たち、それでもまだ戦いは終わっていない。さあ、最後にもう一踏ん張り、火薬委員は火薬委員のやり方で戦うぞ!」
「「応!」」
再び気合いを入れるように兵助が檄を飛ばすと、下級生二人は揃って表情を引き締め声を上げる。それに兵助は口の端を少し上げ、これから必要になるであろう火薬の用意をするべく焔硝倉に残る火薬を確かめるために薄暗い倉のなかで足を進めたのだった。
「……久々知先輩っ!」
焔硝倉に駆け込んできた兵助の存在を一番初めに気づいたのは、二年の池田三郎次だった。明らかにホッとした顔の三郎次に軽く笑みを向けて焔硝倉のなかに足を踏み入れる。そこをぐるりと見回しても、そこにいるのは彼ひとり。他の人間はどうしたのかと眉を寄せれば、それに気づいたのだろう、三郎次が口を開いた。
「タカ丸さんなら火薬を運びに出ています。伊助と土井先生は一年は組の校外学習で最初からいません」
「そうか……二人だけで大変だったろう。肝心なときにいなくて悪かったな」
走り詰めで荒くなった息を整えながら苦笑すると、三郎次が少しだけ目を潤ませた。けれど、そんな自分を恥じるように彼はすぐに己の袖で目元を拭い、唇を引き結んで兵助へと顔を向ける。少し意地っ張りなその態度に内心苦笑しながら、兵助は三郎次が差し出した火薬の出納帳を眺めた。几帳面な性格の人間が多い火薬委員は出納帳の文字も大体が綺麗な読みやすい字で書かれている。しかし、それが今は殴り書きに近い文字が踊っており、兵助はそれだけで彼らがどれだけ苦労したかを感じ取った。
「うん、ちゃんと出せてるみたいだな。計算間違いもなさそうだ。……タカ丸さんと二人きりでは、大変だっただろう? 三郎次、よく頑張ってくれたな」
「べ、別に大したことじゃないですから……それに、頑張ったのは僕だけじゃないですし」
その言葉に兵助は少しだけ眉を上げたあと、唇を緩める。八左ヱ門の手前はああ言ったものの、兵助とてタカ丸のことは案じていた。――何せ、彼は歳も十五で最年長、四年に編入したと言っても、実際に忍たま経験は一年よりも少ないのだ。幸か不幸か、一年は組とよく一緒にいるせいか、それとも彼が忍者の血筋に生まれたためか、どうにも厄介ごとに巻き込まれてはそれを切り抜けるだけの運と才覚はあるようだ。そうでもなければ四年生に編入することは許されないと知っていても、彼の少しずれた性格からか、案じることを止めることはできない。しかし、それはやはり自分の杞憂だったようだ、と小さく息をついたところで、兵助は背後に気配を感じて振り返った。
「へーすけ、くんっ!」
「タカ丸さん……って、うわっ!?」
真っ赤な顔をしてこちらに駆け寄ってくる年上の後輩を見て、兵助は少しだけ顔を緩める。普段は時折阿呆かと思うほど緩んでいる顔が今はくしゃくしゃに歪んでおり、彼が今までどれだけ様々な不安を押し殺していたのか理解できた。しかし、タカ丸は兵助の予想を遙かに超え、駆ける勢いのままに兵助の胸へと飛び込んでくる。――もっと正確に言えば、兵助のほうが身長が低いため、明らかにのしかかられるような体勢となった。
身長差はあると言えども、実際には兵助のほうが鍛えている。勿論、飛びつかれようが押し倒されるような無様な真似はしない。しかし、己の肩にかじりついてひんひん泣き言を言う男に、兵助は先程の優しい気持ちも消え失せてその身体を引きはがした。
「――あんたはっ、いつまでめそめそと情けない姿を晒しているつもりだっ! いくらあんたが一年生より忍たま経験が少なくても、後輩の前ではしゃんとしろ!」
身体を引きはがしただけでなく、目の前の男の頬を力一杯つねりながら兵助は吐き捨てる。怒りとともにタカ丸をねめつければ、彼はようやく我に返ったようで恥じ入るように眉根を寄せた。
「ご、ごめん、兵助君……俺、本当に心細くって……」
「そんなの、あんただけじゃなかっただろう。――泣き言ならあとでいくらでも聞いてやる。が、今はまだしゃんとしてろ。三郎次が――後輩たちが見ている」
「はい。申し訳ありませんでした、久々知先輩」
零れた涙を己の袖で拭い、タカ丸は言い訳を口にする。けれど、兵助はそれを一蹴し、そのあとに小さな声でその耳元に囁いた。それにタカ丸はハッとした表情で姿勢を正し、深々と頭を下げる。それに兵助は少しだけ良心が痛みながらも、ただ小さく頷くに留めた。
(本当は、俺だって泣かせてやりたいけれど……今はまだ。全てが終わってからでなければ)
日常的に戦と向き合う勉強をしている忍たまと違い、タカ丸はまだ市井で暮らしていた意識のほうが強い。とくにこのあたりはしばらく平穏が続いていたため、戦はどこか遠い世界の出来事で、彼にとっては夢のようなものであったろう。それが急にその渦中へ放り込まれたのだ、いつかは、と入学当初から刷り込まれている下級生たちよりもその心労は大きかったはずだ。けれど、彼がこの道を歩むと決めたのなら、揺らいでもらっては困る。未熟だろうが何だろうが、下級生たちに見せる背中は丸められるわけにはいかなかった。
「五年も六年も帰ってきたし、先生方もどうやらこの騒動の尻尾を掴んだようだ。――この茶番も、もうすぐ終わる。それまでは辛抱だぞ」
三郎次に恥ずかしそうな顔で謝るタカ丸を勇気づけるように、兵助は口を開く。その言葉は三郎次にも届いたようで、彼らはお互いに顔を見合わせたあと、明らかに安堵した表情で笑い合った。一瞬だけ緩んだ空気に兵助も微笑むが、今はまだのんびりと遊んでいるバヤイではない。最後の最後、勝負が決するそのときまでどちらに勝敗が転ぶかは分からないのだ。油断すれば地に伏せるのはこちら側。それを避けるためにも、今はまだ安心しきってもらうわけにはいかなかった。
「――お前たち、それでもまだ戦いは終わっていない。さあ、最後にもう一踏ん張り、火薬委員は火薬委員のやり方で戦うぞ!」
「「応!」」
再び気合いを入れるように兵助が檄を飛ばすと、下級生二人は揃って表情を引き締め声を上げる。それに兵助は口の端を少し上げ、これから必要になるであろう火薬の用意をするべく焔硝倉に残る火薬を確かめるために薄暗い倉のなかで足を進めたのだった。
| SS::花嵐一夜 | 01:02 | comments (x) | trackback (x) |
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