2011,08,12, Friday
「――有り難うございました、またお願いしますね」
斉藤 タカ丸は美容室を出て行く客を笑顔で見送った。自分の家が経営する美容室が評判になって長いことになるが、息子とは言え下っ端のタカ丸が許されるのはまだほんの僅かなこと。専門学校に通いながら家業の手伝いをするのは既に慣れっこだが、〈昔〉の記憶があると少しばかりうんざりする気持ちにもなる。特に、自分で既に独り立ちした記憶があるのだから、尚更。
それでもこの世に生まれてから十数年にしかならぬ自分である、そんな記憶を振りかざしたところで意味がない。第一、自分の父ですら息子に「前世の記憶がある」ということに半信半疑なわけだから、他の人間など推して知るべし、である。
(――せめて、誰か他の人に会えたら良かったんだけど)
胸中で溜め息を吐くも、彼とて自分がいかにおかしいことを言っているかは分かっている。例え、過去の友人たちに似ている人間を見つけたとしても、それは彼らではないのだ。自分だけが覚えていることに寂しさを感じながらも、タカ丸は新しい人生を生きる決意を固めていた。――はず、だったのだが。
「……嘘っ!」
街の雑踏に見覚えのある横顔を見つけて、彼は仕事も放り出して思わず駆け出していた。普段は賑やかだとしか感じない人ごみも今は邪魔くさく感じる。とにかく人を押し分け掻き分け、彼は道端を行くひとりの人物の腕を取った。
「久々知先輩っ!」
「へっ!? ……ああっ!? おま、お前、斉藤、斉藤 タカ丸かあっ!?」
掴んだ腕を引き寄せると、自分の目元ほどにある小さな頭が振り返った。初めは不審げだった瞳が驚きに見開かれる。その瞳に浮かぶ光は見知らぬ誰かを警戒するものではなく、よく見知った人間を見つけた時のものだった。
「嘘、本当に久々知先輩だあ! やったあ、すげえ嬉しい! 俺ね、俺だけだと思ってた! 本当に本当に本当に久々知先輩なんだあ! やったー!」
驚いて不躾に自分を指差す(もっとも、普段ならこの人物もこんなことは決してしないだろう)久々知をタカ丸は喜びの余り抱き締めた。その時、初めて違和感に気付く。髪の長さや雰囲気は自分が記憶するそのままなのだが、身体の細さや柔らかさ、肌や髪から薫る甘い香りが彼に久々知の変化を教えていた。
「ちょ、放せよ、斉藤!」
「……あれ、嘘、ちょっと待って! ……先輩、女の子、なの? もしかして」
「もしかしなくてもそうだよ、悪かったな女に生まれてて! 因みに隣に居る雷蔵も女に生まれてるからな」
抱き付いたタカ丸を力ずくで引き離しつつ、久々知 兵助――現在の久々知 兵(へい)は、自分の傍らで苦笑を洩らしている不破 雷(らい)を示した。タカ丸が視線を向けると、同じく室町時代の面影を残しつつも、見事に〈女の子〉として立っている不破 雷蔵の姿が。軽く手を挙げる彼女に、タカ丸は驚きで目を見開いた。
「お久し振りですね、と申し上げるべきでしょうか。お会いできて嬉しいですよ、タカ丸さん」
「雷蔵君……も、覚えてるんだ! うわあ、本当に嬉しいよ! 久し振り! 本当に久し振り!」
「今は不破 雷と言います。兵助は久々知 兵。――ところでタカ丸さん、あちらでお怒りなのはお父君なのでは? 物凄い目でこちらを睨んでいらっしゃいますけど……」
感極まって雷の手を掴んで上下に振り回すタカ丸に、雷は苦笑で応えた。ついでに彼の背中に鋭い視線を向け続ける男を示し、彼の興奮を冷ましてやる。その効果は覿面(てきめん)で、タカ丸は一瞬にして顔から血の気を失せさせた。
「あ、しまった、仕事の途中だったんだ……! ああ、でもどうしよう、先輩たちと折角会えたのに!」
おろおろと父と兵たちを見るタカ丸に兵が深い溜め息を吐いた。彼女は手慣れた手付きで携帯電話を取り出し、タカ丸につき付けた。
「これ、私の携帯なんだけど。斉藤、お前の会社どこ? 持ってるんだろ?」
「持ってる! 同じです! あ、えっとじゃあ」
「赤外線送るから受信しろ。仕事終わったら連絡くれ」
「え、あ、うん、分かった。あ、でも俺の連絡先も……」
ぽちぽちと赤外線の送信操作を行う兵につられて、タカ丸も己の携帯をポケットから取り出す。赤外線を受信してから、彼は同じ操作を繰り返そうとした。けれど、それを兵が止める。
「仕事中なんだろ、仕事に戻れよ。これで私にはいつでも連絡が付くんだから、後でメールでもくれれば良いさ。――生まれ変わっても髪結いやってるなんて、本当に好きなんだろ? 仕事はきっちりしろよな。私は連絡待ってるからさ」
「先輩……! する、必ず夜にするからっ! 先輩、待っててねっ!」
「りょーかい。ほれ、とっとと仕事に戻れよ。私も雷と買い物の途中なんだ、もう行くぞ」
「絶対するから! またね、先輩!」
「はいはい」
子どものように兵の連絡先が入った携帯を抱えて、タカ丸は遠ざかって行く彼女の背中へ声を張り上げて手を振った。後ろからはとうとう痺れを切らして自分に歩み寄る父の姿。それでもタカ丸は雑踏に消えていく小さな背中から目を離すことができなかった。
「……凄い偶然だね、びっくりしちゃった。あんなこともあるんだねえ」
「本当だよ。突然腕掴まれた時は何事かと思った。あいつじゃなけりゃふっ飛ばしてたな」
掴まれた腕をさする兵に雷がくつりと笑った。その笑みは普段と変わらぬ穏やかなもので、本当にタカ丸と再会できたことを喜んでいるようだ。それに兵は少しだけの罪悪感を押し隠して、溜め息を吐く。
「あいつ、室町から全然変わってなかったな。……あれで今も私より年上だったら、どうしよう」
「外見からすると年上じゃないかなあ。背も高かったし。昔も高い方だったけど、やっぱり今の時代だと本当に長身が映えるよねえ。昔も今も端正な顔立ちだしさ、この顔立ちとしては羨ましいくらい」
「雷は雷の良さがあるから良いんだよ。――早く、会えると良いな」
「うん。でも、兵にも会えたし、タカ丸さんにも会えた。少しずつ再会できているんだもの、そのうちきっと逢えるよ。大丈夫だから、心配しないで」
「……うん、だな。第一、あの雷蔵大好きな雷蔵馬鹿が、会いに来ないわけないもんな。きっと、あいつも血眼になってお前のこと捜してんだろうな」
「さあ、どうかなあ。……でも、そうだと良いな」
雷蔵の透明な笑みに、兵助は口が滑ったと己を悔やむ。こういう時、己の考えの足りなさが嫌になった。一度生まれ変わっても、こういう少し不器用なところは直らないらしい。性別まで変えたのだから、こういったところも直してくれたら良いのに、と兵は見たこともない神に恨み事を述べた。
そんな兵の考えなどお見通しのようで、雷はくすくすと笑みを零す。少しだけ悪戯っぽい笑みを浮かべて、彼女は「えい」と兵の腕へ己の腕を組んだ。そして、とびきりの笑みで彼女へ告げる。
「買い物、付き合ってくれるんでしょう? 迷っちゃうから、兵がちゃんとアドバイスしてよね!」
「――そのために付き合わせたんだろ? この私が雷にぴったりのを選んでやるよ」
「頼りにしてます、兵ちゃん」
二人で顔を突き合わせて笑って、兵と雷は再び歩き出す。その様子は本当に仲の良い女の子同士であり、過去に血腥(ちなまぐさ)い時代を生き抜いてきた記憶があるなどとは露ほども感じさせなかった。
| SS::記憶の先 | 02:25 | comments (x) | trackback (x) |
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