2011,10,17, Monday
口を挟む隙がない、というのはこういう状況をいうのだろうか、と四郎兵衛は頭のなかで考える。かれこれ四半刻は喋りつづけているだろう先輩に、彼は呆れとも感動ともつかぬ感情を覚えていた。
普段ならこの長口上を遮るはずのほかの体育委員はいない。それもそのはず、滝夜叉丸と四郎兵衛は先程から木陰で伸びている金吾のお守りとして残ったのだから。――では、残りの小平太と三之助はといえば、三之助は相変わらずの方向音痴を発揮して行方不明、小平太はそんな三之助を探して獣道を走り去っていった。
(でも、なぜ七松先輩は滝夜叉丸先輩を置いていったんだろう……)
普段ならば、金吾の世話は四郎兵衛に任せ、二人で三之助を探しに行くはずだ。しかし、今日は滝夜叉丸をこの場に残し、小平太ひとりが三之助捜索に出向いている。
(……一緒に連れていってくれたら良かったのに)
そろそろ滝夜叉丸の自慢話も聞き飽きて、四郎兵衛はげんなりと肩を落とした。そんな彼の様子には気づかぬまま、滝夜叉丸はなおも口を動かしつづける。しかし、そんな彼の雰囲気が一瞬だけ変化した。肌にピリッとした感覚が走り、四郎兵衛は周囲を見回そうとしたが、それは滝夜叉丸の手によって阻まれた。
「……というわけで、わたしは美しく、才長け、素晴らしいのだ! 分かったか、四郎兵衛?」
「いえ、あの……」
頭をがっちり固定されては、問いに答えることすらできない。けれど、傍に寄せられた滝夜叉丸の視線が何かを伝えていた。
「しかし、七松先輩はお戻りにならんな……仕方がない、先に下山するか! 四郎兵衛、準備しろ。金吾は私がおぶっていく」
「良いんですか、勝手に降りて」
四郎兵衛の問いに滝夜叉丸は呵々と笑ったあとにぐだぐだとまた話を始めた。しかし、その間にチラチラと投げられる視線に四郎兵衛はこくりと頷いた。まだぐだぐだと話しつづける滝夜叉丸の背に金吾を乗せ、襷で彼の身体を固定する手伝いをする。その間も絶えることのない話には辟易したが、とにもかくにも彼らは下山を開始したのであった。
金吾を背に負った滝夜叉丸のあとに続くが、背後が気になる。何度も視線を向けたいと思ったが、それは己の前を走る滝夜叉丸からのピリピリとした気配で止められる。仕方なく滝夜叉丸の背をじっと見つめてしばらく駆けると、突如横の薮からがさがさと音がした。すわ獣かと身構えたが、そこから顔を出したのは先程別れた体育委員長、七松小平太である。驚いて息を飲んだ四郎兵衛とは対照的に滝夜叉丸は呆れた表情で薮から出てくる小平太を見遣った。その腕にはうんざりとした顔の三之助が捕らえられており、それを見た滝夜叉丸が露骨に溜息をついた。
「なんだよ」
「相も変わらず、世話をかけおって。少しは自分の悪癖を自覚したらどうなんだ」
「悪癖だらけのあんたにだけは言われたくない」
三年と四年というだけでも仲が悪いというのに、さらにこの二人の言い合いは辛辣だ。しかし、 普段ならばもっと続くはずのやり取りは、当たり前のように小平太が滝夜叉丸と三之助に輪にした縄をかけたことで終わった。滝夜叉丸は何も問わずにその縄を引いて強度を確かめ、四郎兵衛を視線で呼び寄せる。彼は四郎兵衛を輪のなかで殿につけると、襷で自分に縛りつけた金吾の身体をさらに頭巾を外して厳重に己へと縛りつける。多少のことでは落ちないことを確認すると、滝夜叉丸は小平太に向かって頷いた。
「では」
それだけで全て理解したように小平太は同じく頷き、彼は明るく笑って滝夜叉丸たちに手を振った。それと同時に滝夜叉丸が走りだし、四郎兵衛は半ば引きずられる形で走りだすことになった。
しばらく駆けたあとに、背中に悪寒のようなものが走る。それに四郎兵衛は驚いて振り返ったが、先を行く滝夜叉丸が足を止めないために縄に引きずられる形となった。慌てて再び足を動かしながら、ちらりと視界の端に見えたものへ鳥肌を立てる。――小さく見えた小平太は、黒い忍服を着た数人の男たちと対峙していた。
「先輩……!」
「良いから、足を動かせ! ……私たちでは足手まといだ」
苦々しく吐き捨てた滝夜叉丸に、四郎兵衛は息を飲む。普段は何かと反抗する三之助ですら、今は何も言わなかった。それに四郎兵衛も唇を噛みしめると、強く地面を踏みしめる。滝夜叉丸の唇から漏れた矢羽音はまだ四郎兵衛には理解できなかったが、それが向けられたであろう人間は大きな声で「いけいけどんどーん!」と雄叫びを上げた。
「……先輩」
急いで学園に戻った体育委員会の面々は、その足で学園長の許へ訪れて曲者の存在を彼に告げた。そうして教師たちが小平太の残る裏々山へと向かったところで、四郎兵衛は未だ渋い顔をしたままの滝夜叉丸に声を掛けた。彼は先程とは打って変わって沈黙を保ち、ただ眉を上げるだけで四郎兵衛の言葉の先を促す。それに四郎兵衛は少し視線を彷徨わせたあと、小さな声で呟いた。
「いつから分かってたんですか……? その、曲者がいるって……」
「裏々山を登ったり降りたりしているとき、だな。七松先輩が先に気づかれて、それで私も気づいた。しかし、迂闊に動いて敵に悟られては、我々のほうが困る。――だから、通常通りの活動を敢えて続けていた」
では、活動のかなり最初のほうから気づいていたのだ、と四郎兵衛は驚く。それゆえに今日の活動が非常に早く切り上げられたのだ、と理解した。そして、普段なら滝夜叉丸も加わる三之助の捜索に彼が向かわなかったことにも合点する。
「……僕たちのこと、守ってくださっていたんですね」
「下級生を守るのは上級生の役目だからな。――まあ、この優秀な私にかかればお前たちを守りながら敵を迎え撃つのもできなくはないことだったが」
いつもどおりの自信ありげな言葉に四郎兵衛は脱力しつつも、ひどく安心した気分になった。ぐだぐだと続く自慢話にこんなに安堵する日が来るとは思わなかった。しかし、四郎兵衛はふとあることを思い出し、珍しく滝夜叉丸の言葉を遮って口を開いた。
「先輩、最後七松先輩に何て伝えたんですか? 矢羽音、飛ばしていらっしゃったでしょう?」
「ああ、あれか……別段大したことではない。気にする必要もないことだ」
けれど、滝夜叉丸はそれ以上は何も言わない。大したことがないなら内容を教えてくれても良いのでは、と思ったが、少しだけ気まずそうな顔をしていた滝夜叉丸があまりにも珍しかったので、彼はそれ以上追求することをやめた。――何より、滝夜叉丸が少しだけ頬を赤くしていることで内容も何となく理解できたことが大きい。これで案外心配性の滝夜叉丸にくすぐったいような気持ちを覚えながら、四郎兵衛は気づかれないように笑みを浮かべたのだった。
普段ならこの長口上を遮るはずのほかの体育委員はいない。それもそのはず、滝夜叉丸と四郎兵衛は先程から木陰で伸びている金吾のお守りとして残ったのだから。――では、残りの小平太と三之助はといえば、三之助は相変わらずの方向音痴を発揮して行方不明、小平太はそんな三之助を探して獣道を走り去っていった。
(でも、なぜ七松先輩は滝夜叉丸先輩を置いていったんだろう……)
普段ならば、金吾の世話は四郎兵衛に任せ、二人で三之助を探しに行くはずだ。しかし、今日は滝夜叉丸をこの場に残し、小平太ひとりが三之助捜索に出向いている。
(……一緒に連れていってくれたら良かったのに)
そろそろ滝夜叉丸の自慢話も聞き飽きて、四郎兵衛はげんなりと肩を落とした。そんな彼の様子には気づかぬまま、滝夜叉丸はなおも口を動かしつづける。しかし、そんな彼の雰囲気が一瞬だけ変化した。肌にピリッとした感覚が走り、四郎兵衛は周囲を見回そうとしたが、それは滝夜叉丸の手によって阻まれた。
「……というわけで、わたしは美しく、才長け、素晴らしいのだ! 分かったか、四郎兵衛?」
「いえ、あの……」
頭をがっちり固定されては、問いに答えることすらできない。けれど、傍に寄せられた滝夜叉丸の視線が何かを伝えていた。
「しかし、七松先輩はお戻りにならんな……仕方がない、先に下山するか! 四郎兵衛、準備しろ。金吾は私がおぶっていく」
「良いんですか、勝手に降りて」
四郎兵衛の問いに滝夜叉丸は呵々と笑ったあとにぐだぐだとまた話を始めた。しかし、その間にチラチラと投げられる視線に四郎兵衛はこくりと頷いた。まだぐだぐだと話しつづける滝夜叉丸の背に金吾を乗せ、襷で彼の身体を固定する手伝いをする。その間も絶えることのない話には辟易したが、とにもかくにも彼らは下山を開始したのであった。
金吾を背に負った滝夜叉丸のあとに続くが、背後が気になる。何度も視線を向けたいと思ったが、それは己の前を走る滝夜叉丸からのピリピリとした気配で止められる。仕方なく滝夜叉丸の背をじっと見つめてしばらく駆けると、突如横の薮からがさがさと音がした。すわ獣かと身構えたが、そこから顔を出したのは先程別れた体育委員長、七松小平太である。驚いて息を飲んだ四郎兵衛とは対照的に滝夜叉丸は呆れた表情で薮から出てくる小平太を見遣った。その腕にはうんざりとした顔の三之助が捕らえられており、それを見た滝夜叉丸が露骨に溜息をついた。
「なんだよ」
「相も変わらず、世話をかけおって。少しは自分の悪癖を自覚したらどうなんだ」
「悪癖だらけのあんたにだけは言われたくない」
三年と四年というだけでも仲が悪いというのに、さらにこの二人の言い合いは辛辣だ。しかし、 普段ならばもっと続くはずのやり取りは、当たり前のように小平太が滝夜叉丸と三之助に輪にした縄をかけたことで終わった。滝夜叉丸は何も問わずにその縄を引いて強度を確かめ、四郎兵衛を視線で呼び寄せる。彼は四郎兵衛を輪のなかで殿につけると、襷で自分に縛りつけた金吾の身体をさらに頭巾を外して厳重に己へと縛りつける。多少のことでは落ちないことを確認すると、滝夜叉丸は小平太に向かって頷いた。
「では」
それだけで全て理解したように小平太は同じく頷き、彼は明るく笑って滝夜叉丸たちに手を振った。それと同時に滝夜叉丸が走りだし、四郎兵衛は半ば引きずられる形で走りだすことになった。
しばらく駆けたあとに、背中に悪寒のようなものが走る。それに四郎兵衛は驚いて振り返ったが、先を行く滝夜叉丸が足を止めないために縄に引きずられる形となった。慌てて再び足を動かしながら、ちらりと視界の端に見えたものへ鳥肌を立てる。――小さく見えた小平太は、黒い忍服を着た数人の男たちと対峙していた。
「先輩……!」
「良いから、足を動かせ! ……私たちでは足手まといだ」
苦々しく吐き捨てた滝夜叉丸に、四郎兵衛は息を飲む。普段は何かと反抗する三之助ですら、今は何も言わなかった。それに四郎兵衛も唇を噛みしめると、強く地面を踏みしめる。滝夜叉丸の唇から漏れた矢羽音はまだ四郎兵衛には理解できなかったが、それが向けられたであろう人間は大きな声で「いけいけどんどーん!」と雄叫びを上げた。
「……先輩」
急いで学園に戻った体育委員会の面々は、その足で学園長の許へ訪れて曲者の存在を彼に告げた。そうして教師たちが小平太の残る裏々山へと向かったところで、四郎兵衛は未だ渋い顔をしたままの滝夜叉丸に声を掛けた。彼は先程とは打って変わって沈黙を保ち、ただ眉を上げるだけで四郎兵衛の言葉の先を促す。それに四郎兵衛は少し視線を彷徨わせたあと、小さな声で呟いた。
「いつから分かってたんですか……? その、曲者がいるって……」
「裏々山を登ったり降りたりしているとき、だな。七松先輩が先に気づかれて、それで私も気づいた。しかし、迂闊に動いて敵に悟られては、我々のほうが困る。――だから、通常通りの活動を敢えて続けていた」
では、活動のかなり最初のほうから気づいていたのだ、と四郎兵衛は驚く。それゆえに今日の活動が非常に早く切り上げられたのだ、と理解した。そして、普段なら滝夜叉丸も加わる三之助の捜索に彼が向かわなかったことにも合点する。
「……僕たちのこと、守ってくださっていたんですね」
「下級生を守るのは上級生の役目だからな。――まあ、この優秀な私にかかればお前たちを守りながら敵を迎え撃つのもできなくはないことだったが」
いつもどおりの自信ありげな言葉に四郎兵衛は脱力しつつも、ひどく安心した気分になった。ぐだぐだと続く自慢話にこんなに安堵する日が来るとは思わなかった。しかし、四郎兵衛はふとあることを思い出し、珍しく滝夜叉丸の言葉を遮って口を開いた。
「先輩、最後七松先輩に何て伝えたんですか? 矢羽音、飛ばしていらっしゃったでしょう?」
「ああ、あれか……別段大したことではない。気にする必要もないことだ」
けれど、滝夜叉丸はそれ以上は何も言わない。大したことがないなら内容を教えてくれても良いのでは、と思ったが、少しだけ気まずそうな顔をしていた滝夜叉丸があまりにも珍しかったので、彼はそれ以上追求することをやめた。――何より、滝夜叉丸が少しだけ頬を赤くしていることで内容も何となく理解できたことが大きい。これで案外心配性の滝夜叉丸にくすぐったいような気持ちを覚えながら、四郎兵衛は気づかれないように笑みを浮かべたのだった。
| SS::1000のお題集 | 19:28 | comments (x) | trackback (x) |
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