伊吹のさしも草 二(完)
 CP : こへ滝
 NOTE : 藤原実方伝説
       ・通説を覆す解釈
       ・悲恋・死にネタ


 それから幾年か重ねて、滝子は婚期を逃していた。

「滝夜叉丸は結婚しないのか?選り取り見取りじゃないか」

 もちろん見目良く、雅も心得た彼女の元に送られてくる文は数多くあった。

「私の本当の魅力を理解する殿方がいないのです」

 この時代、文だけが未婚の女の性質を知る殆ど唯一の手段。歌の良し悪し、選ぶ言葉だけで、その性質を決める。それでは己のことを理解する男など現れはしないだろうと気付いたのは、いつのことだったか。

「私がお前に似合いの夫を探そうか」
「いいえ!小平太様に頼らずとも、私は自分の力で都で一番の夫を探しましょう」

 小平太は笑ったが、ただただ滝子は彼の元を離れたくはないばかりの強がりだった。
 彼が誰を想おうと、誰と夜を過ごそうと、彼から離れることは身を裂かれるような恐怖しかない。
 彼を想い、彼を慕い、彼の妻や御子を慈み、そうして独り老いていく。
 最後に彼の死を看取り、死ねたら良い。

 そんな滝子の淡い未来への願いは、暫くして一変する。東宮妃である宣耀殿女御が懐妊され、無事男児を御出産されたのだ。東宮の第一皇子誕生に、小一条家は上へ下への大騒ぎだった。

 今、宮廷を牛耳るのは御年14歳になられる帝の元に集まる貴族達である。そして藤原家の氏長者は帝派の関白家である。けれども大納言や小平太を初め、小一条家は時勢に反し、微かな希望を東宮と女御に託していた。
 天皇や東宮と言えども、藤原家の力で譲位や廃籍に追いやられるのが常。帝は現東宮の甥にあたる。もしも帝に先に世継が生まれていたら、東宮を廃籍にして、帝の御子を新たに立太子させただろう。しかし帝の唯一の妃である中宮には懐妊の兆しはなく、この度お生まれになった皇子は帝派の貴族達には脅威に違いない。



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「なぁ、滝夜叉丸」

 青白い光に照らされた月を眺める男らしいその横顔が何と雅なことかと、小平太の憂い顔には似つかわしくない浮ついた感情が滝子の心の内に灯る。
 この頃になると、小平太と滝子が二人きりで同じ部屋にいても誰も詮索することは無くなっていた。小平太にとって滝子は、大納言にとっての滝子の父であるように、私的な用向きを一手に引き受けるほど自他共に認める懐刀だった。

「陸奥とは、どのようなところだろうか」

 陸奥は都から東に遠く遠く、富士より先の、筑波よりも先にある未開の地。都で生まれた小平太にも滝子には想像も出来ない異界である。

「金や銀が採れるそうですね。それに都にも献上される良い馬も育つとか」
「私もその程度の知識しか持っていないね」

 どうして突然そんな話をするのかと、再び主の顔を見ると、彼は月ではなく滝子を見ていた。

「私は次の除目(じもく)で、陸奥の国司に志願しようと思っている」
「えっ…?」

 国司とは地方の行政官である。租税の徴収などが主な仕事であるが、有力貴族が任命された場合、信頼のおける家臣を代わりに赴かせる『遥任』が常態化していた。

「どうして小平太様が…?」

 小平太のような上流貴族が、わざわざ志願するものではない。それに彼の口ぶりはまるで己の足で陸奥の地を踏むようではないか。

「もうすぐ戦になる」
「――ッ!?」

 他の貴族達から一歩抜きんでたとはいえ、それでも帝派は依然強い権勢を誇っていた。
 帝の後継が危急の課題とも言える中、東宮一宮誕生の年の夏、中宮の父であり、圧倒的な権力を持つ関白は嫡男を年長者を押しのけて内大臣に抜擢するほどの独裁を行ったのだ。皇后やその弟が大人しく黙ってはいられない。

「このまま都にいれば、帝派の闘争に私も巻き込まれることになる」

 関白派と皇后派は一触即発の状態である。いずれ大きな争いが起こると、小平太以外にも誰もが予想しているに違いない。

「一旦、争いが始まれば東宮派の私もどちらかの勢力に着かねばなるまい。だが、勝敗如何によっては今後の政治生命さえ危うくなる。分かるだろう?」

 そっと小平太が近付いてきて、滝子の前に腰を下ろし、彼女の頬に手を寄せる。

「任期を終えたら、再び戻って来る。そして必ずや東宮や一宮のために尽力しよう」

 涙が一筋頬を滑る。


「わ、私を連れて行って下さいますか…?」


 何よりも重要なことだった。小平太が何処へ向おうと、何を目指そうと、そこにどんな困難が待ち構えていようとも、滝子は黙って主人に付いていく覚悟がある。

「滝夜叉丸、お前に鄙(ひな)の地は似合わないよ」

 滝夜叉丸は野の花よりも、華やかな八重の桜が似合うと、小平太は首を横に振って苦く笑う。その顔に滝子は酷く腹が立って、怒りに任せて立ち上がる。

「小平太様こそ!!陸奥など似合いません!!」

 驚くほど大きな声が出た。白粉が剥げても気になどしていられなかった。涙が次から次へと溢れた。

「御友人方との遊びが何より好きな貴方様が、誰もいない陸奥など似合いません!!」

 きっと小平太なら陸奥でも楽しみを見出すことはできるだろうけれど、遠い地では手紙のやり取りも苦労する。誰よりも人との交流が好きな彼が行きたいはずがないだろう。

「そうだな。お前の言う通りだ…」
「だったら…!」
「だが、行かねばならん」

 全ては従妹姫である宣耀殿女御のためなのだ。自らを犠牲にしてまで彼女のために、彼女の夫や息子を守ろうと彼は陸奥へと向おうとしている。

「いくらあの方を想おうと、あの方が貴方を見ることは無いのですよ!!」

 嫉妬に怒り狂いそうで、拳に力を入れて怒鳴りつけた。美しいと人々が持て囃す己の顔は今や般若に違いない。くだらない女に成り下がってしまったと理性が自身の本能を罵る。
嗚咽する滝子を小平太が強く抱きしめた。

「お前はいつも私の気持ちを分かってくれている。私の代わりに泣いてくれている」

 違うと怒鳴りつけてやりたかった。己は所詮、自分可愛さに泣いているだけなのだと、正直に言えば小平太は自分を蔑むだろうか。

「だってそうだろう?賢いお前は、私があの方に文を贈っても無駄なことを知っていた……知っていたから、私の文を届けずに、どこかへと隠した」
「――ッ」
「返事が無かったからね。それとなくあの方の乳母に聞いたら、届いていないと言っていた」

 初めて出逢った日、小平太から預かった蓬色の文を従妹姫に届けることなく、滝子は己の懐に仕舞い込んだ。
 悪戯ではなかった。この邸の姫君はいずれ帝に嫁がれるのだと母が言っていたのを覚えていた滝子は、こんな文が届けられたら大人達に叱られると思ったから、隠しただけなのだ。やはりいつだって自己保身しかできないでいる。

「滝子。お前の判断は正しかったよ。叔父上に知れれば、きっと私はあの邸では暮せなかっただろう」
「ですが!!」
「お前は私以上に私のことを分かっている。私の為に泣いてくれるし、私の為に嫌な役とて買ってくれる」
「小平太様……」

 違うのだと、真実を告げても無駄だ。小平太はとても頑固で一途である。
 己の所業の卑しさに呆然と立ち尽くしている滝子は小平太の腕の力が緩まるのを感じた。
 そうして彼は幼子にするように滝子の頭を優しく撫でる。そこに恋情はなく、あるとすれば同情だけだろう。

「陸奥には連れては行けないが、都に戻ったら、また私に仕えて欲しい」

 出逢ってからもう十年以上経つというのに、出逢った頃のように微笑む小平太が滝子は好きだった。大人の癖に子供のままで、毒気が抜かれる。
 そしてどんなに泣いても小平太の意志が変わることがないことを知る。

「……えぇ、分かりました。小平太様付きの女房など、その辺の女房には務まらないでしょうよ。私のような非凡な女房でなくては、ふらふらとどこへでも行ってしまう小平太様の所在など分からないでしょうし、小平太様の元に届く膨大な量の文を管理することなどできないに決まっています!!」

 もう滝子には平気な振りをして、普段のように振舞うしかないのだった。


「……私がいなくては陸奥でもお困りなりますでしょうから、すぐに私をお呼びになるでしょう」


 結局、滝子が陸奥に呼ばれることはなかった。


 数年は要すると思われた帝派の闘争は、小平太の陸奥下向が決まるとすぐに広まった流行り病によって関白が逝去されたことによって、呆気無く決着が着いた。
 関白の他にも宮廷の中枢を支配していた大貴族達も次々と亡くなり、関白の息子である内大臣の力は皇后派には及ばず、帝は生母である皇后の意志に沿った結果、内大臣も、妹の中宮も追われるような有様で宮廷から逃げるしかなかった。

 病の犠牲者の一人に小平太の叔父である大納言もいる。叔父が死に、次いで育ての母である叔母も亡くした。
 小一条家の大黒柱を失い、皇后派の圧倒的優勢な状況を見た小平太が一体何を思って陸奥へ向ったのか。そして彼は再び都に戻ることなく、遠い地で亡くなった。どれほどの絶望が彼を苛んだのだろう。あんなにも健康で病気知らずの主人が亡くなるなど、到底信じられない。



 それから縁あって、滝子は結婚した。凡庸な男だったが、不満は無かった。けれども他の女に子が出来ると当然男の足は滝子の下から遠くなり、こうして宮中に再び出仕するようになったのである。
 皇后派が牛耳る宮廷、新たな中宮のサロンも魅力的な女房達が集っているが、昔のように心時めかせることはない。

「私の煌々しい日々の中心には、いつだって貴方がいたのです…」

 いつの間にか皺の増えた両の手で、顔を覆う。
 失意の連続に見(まみ)えならがらも、今も生き延びる己の図太さにいい加減嫌気が差した。

「貴方ほど憎らしい方はいらっしゃらない。私がどれほど貴方を追って行きたかったか」

 何一つ語らず、去っていった優しさほど残酷なものはない。

「もしも再びお逢いできたなら、もう二度と置き去りなどさせません。どこまでも貴方様の背を追って行って、貴方様の悲しみも、苦しみも、私も共に背負いましょう。そして今度こそ、貴方様の幸せだけを願いましょう」

 主の想いを何一つ知り得なかった愚かな自分とは今日を限りに決別しようと心に誓う。
 庭を見やれば一羽の雀。


「私の想いの程など知りもしない、口惜しい御方……」


けれど、誇らしくも愛おしい我が君。


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