2009,10,08, Thursday
CP:久々知→竹谷×孫兵
NOTE:主催・緋緒様発案の江戸パロ設定をお借りしています
兵助♀の名前が「お卯乃(オカラの別名『卯の花』から)」
悲恋
『気がついた?』
目を開けると【善法寺伊作】の顔が視界に入った。一学年上の上級生だったが卒業以来、会ってはいない。風の便りで就職した城を既に退職し、町で小さな診療所を開いたと聞いたことがある。そんな彼の元に自分がいるのか分らず、体を起こそうとすると骨が軋んで、動くことが出来ない。それに何かの薬が効いていることも体が動けない要因の一つだろう。
見下ろしてくる【伊作】を【兵助】は、ただただ睨みつけた。
『暫く見ない間に、君は酷い目をするようになった』
卒業してから、本当に色々なことがあった。【兵助】の就職した城は内定した直後に御家騒動が起こり、新たに当主になった男は良心というものが存在しないのではないかと疑いたくなるような虫の好かない男だった。反吐が出るほどの謀略や拷問など、目を覆うような惨状を前に立ち竦むことも許されず、戦に明け暮れる毎日に気が狂わないほうがいっそ不思議である。
『辞めて、故郷に戻ることはできないのかい?』
故郷は既に火に巻かれて地図の上から消えていた。
戦国の世は、もはや佳境に迫っている。この国に数多ひしめいていた武将達は数を減らし、天下人の器となる者達がジリジリと距離を詰めている。己の主君がその器に値しないことは分かりきっていて、早々に見切りをつけてしまえれば良かったが、心身共に弱りきった【兵助】には再出発をしようという気など持ち合わせていなかった。
『学園にいた頃の友達に、会うことはないのかい?ろ組の【不破】は今は学園で教師をしてるって聞いたけど』
【雷蔵】が忍術学園に戻っていることも知っていたけれど、悪名高い城に就職した卒業生など戻れるはずもない場所である。それくらい大切で、血に塗れた己の手足では触れてはならぬくらいに神聖な場所になっていた。
『そういえばこの間【竹谷】が来たよ。戦で負った怪我が酷かったらしくてね、城を……』
『【八左ヱ門】が怪我を――!?』
性懲りもなく体を動かして起き上がれなかった【兵助】を【伊作】は苦く笑う。
『大丈夫。少し後遺症が残ったけど、日常生活を送るのに支障は無いはずだ』
『そうですか…』
安堵の息を吐くと、【兵助】の顔は再び虚ろな表情に戻っていく。感情を殺してきた結果、表情も無くなった。昔のように笑うことも泣くこともできなくなってしまったことを悲しいとも思えなかった。
『傷が治ったら会いに行くと良い。彼も随分と学園の関係者に会っていなかったみたいで、僕に会った時でさえ懐かしそうにしていたから、きっと君に会ったら喜ぶと思うよ』
『……ありがとうございます』
『確か、今は…』
『いえ、教えていただかなくても結構です。俺はアイツに会うつもりはありません』
言葉を遮られたことに【伊作】は眉をひそめる。
『どうして?』
『会っても、俺は何も言えません。嘘を吐き続けることは、できません』
元気か、と問われて元気だなどと言えるはずもなく、大丈夫かと聞かれて答えることもできない。
『君はずっと彼の名前を言っていたよ』
熱に浮かされた【兵助】はずっと【八左ヱ門】の名を呼んでいた。どんな気持ちを持っているのかまでは分からないけれど、強く求めていることは確かである。
『……俺はアイツが幸せであれば良い』
いつの頃からだったのか、【兵助】は【八左ヱ門】に親友以上の関係を望んでしまった。だが、死と隣り合わせで生きる道を選び、あまつさえ男の身では彼の隣りを歩むことはできないだろうと心の奥に仕舞い込んだ秘密。
『アイツ、幸せだったでしょう?』
『あ、あぁ』
『そうでしょう?この辺りは確か【伊賀崎孫兵】の故郷があるはずだ』
【兵助】の記憶は正しく、かつて生物委員会に所属していた【孫兵】の故郷の村は裏の山の方にあって、【八左ヱ門】は彼の家に世話になっているとかで彼に付き添われながら、この診療所にやって来ていた。唇の端を動かして微かに笑ってみせる【兵助】だったが、【伊作】には笑っているようには見えない。恐ろしくて震えそうになるのを堪えるほどの憎悪を感じる。二人が一緒にいたなどとこの場で言えるはずもない。
『俺ではダメだった、ただそれだけのことなんです』
忍びだから、男だからと逃げたのは己自身。【八左ヱ門】が後輩に好意以上のものを抱いていると知っていても、自分の思いを伝えずに今日まで生きてきて、今更結果に打ちひしがれたところで取り返しもつかない。
『せめて生まれ変わったら、女に生まれたい』
女に生まれたら、今度こそ思いを伝えられる勇気を持ちたい。
戯言だなと脳裏で嘲笑する誰かの声を聞いた気がしたが、薬の効いた体に睡魔が襲ってきて、意識は途切れていく。
『最後にもう一度だけ、会いたかった…』
熱も引き、目が覚めると全ての事象を兵助は思い出していた。
忍術学園で過ごした日々も、生徒達や教師達の名も、二十にも満たない年で命を落とすまでの【忍びの兵助】が持つ全ての記憶が、兵助の脳裏にはまるで昨日の出来事のように鮮明に息づいている。
「兵助様、竹谷八左ヱ門様がお見舞いにお出でです…」
まだ体は本調子ではないのだが、【兵助】の心を知ってしまった兵助に、僅かな変化が生まれていた。これまで友人としてしか見れなかった八左ヱ門に、思慕の念さえ抱いている。感情が追い付いていないことに兵助も勿論気づいていたけれど、止めることはできない。会いたくて仕方がなかった。
女中に彼を部屋に通すように言いつけて、自分は枕元の桶で手拭を絞り、顔を拭くと乱れた着物の襟を直す。
八左ヱ門の訪れを喜ぶ一方で、嫌な予感がした。それは単なる勘に過ぎなかったのだが、
「……お前も結婚するのか?」
八左ヱ門は一通り兵助の具合を確かめると、少し照れながらこの三日間の出来事を話してくれた。既に幕府から許可が下りた三郎とお雷の婚儀の準備が城では進められていて、八左ヱ門もまた藩主の結婚を機に、縁組を決めたと話す。
「あぁ。木下殿の孫娘でな、昔少し遊んだことがあるんだ」
「お前と遊ぶような女子がいるのか?」
二人が出会ったのは既に元服を迎えた頃であったから、共に子ども遊びをすることはなかったが、話を聞く限り、前世のように野山を走り回り、魚釣りや虫取りなど、到底女子がするような遊びではない。
「兎や小鳥よりも虫や蛇を可愛がるような変わった女子なんだ」
照れくさいのか己の伴侶となる娘を『変わった女子』などと言うけれど、嬉しげな様子は隠すことはできていない。それに虫や蛇を可愛がる、などとまるでそれは【孫兵】ではないか。こうして今生も巡り逢い、誰に憚ることなく結ばれるのだろう。
「嬉しそうだな」
と、兵助小さく零すと、にかっと八左ヱ門は【兵助】が好きだった笑顔ではにかんだ。
それから女中がやって来て、長い面会は体に差し障りがあると、八左ヱ門を追い出そうとする。帰り際、婚儀の日時はおって知らせると告げて、久々知家を去って行った。
「あぁ……」
思わず両手で顔を覆う。唇を噛んで、堪えようとするのに涙が止め処なく夜具を濡らす。すると、ぽんと背中に置かれた手があった。女中がまだ部屋にいたのだった。
「……【伊助】」
兵助よりもずっと年上の女中を、かつての下級生の名で呼ぶ。
「あれ?ようやく気付いてくれました?【久々知】先輩」
「お前、記憶があるのか?」
「えぇ。先輩が生まれるよりも前から」
人は生まれ変わる内に性別も年齢差なども変わって来てしまうのだろう。
【伊助】はこれまで前世の記憶を持つ人に出会ったことはなかったという。前世の記憶を持ってるなんて凄い確率なことで、この出会いは僥倖というものだろう。だからこそ、堰を切ったように言葉が溢れ出した。
「俺は知りたくなんてなかった!!」
【孫兵】を追っていく【八左ヱ門】の背を見た【兵助】は確かに二人を憎悪の目で見た。あんな目で人を見ることができるなんて、兵助はこれまで知らない。知らないままで良かった。男であった【忍びの兵助】が、どうして【兵助とお卯乃】として二つの魂に分かれて生まれたのか、どうして今生の兵助は女になってしまったのか、夢はすべてを教えてくれた。
「女に生まれてきたのに、望みは叶ったのに――ッ!!」
生前語った願いは確かに成就した。年頃もそう離れていない二人は、お卯乃のままでいられたならば、今生の竹谷八左ヱ門に恋をし、嫁ぐこともできたかもしれない。だが、運命は兵助に容赦無く、もう一度、男としての道を歩ませている。
「どうして、どうして、俺ばかり!!」
本当に、自分ばかり苦渋を背負わなければいけないのだろう。
自らの幸せを望んで、誰かの幸せを奪ってやれば、幸せになれたのだろうか。
「前世の想いを成就させて得た幸せは、果たして本当にこの一生で得る最高の幸せなんでしょうか?」
八左ヱ門のように前世と同じ相手を選んだ。きっとそれは“生まれ変わり”だとか、そんなことは関係なく惹かれたのだと【伊助】は言う。自分も同じなのかと問われて、兵助は口ごもる。兵助にとって八左ヱ門は親友以外の何の感情も無かった。過去に捕らわれ、引きずられるような運命が幸せなのか、とも【伊助】は問う。
「私は前の世の相手とは違う者を伴侶に選びましたが、夫婦仲良く元気に愉快に暮らしています」
「未練は、無いのか?」
「未練?」
「前世の相手を選んだ道こそ、お前の幸せだったかもしれないだろう?」
実験ではあるまいし、仮定の話など限りなく無意味と言えるだろう。しかし、運命に従い同じ相手を選び続ける幸せもあるだろう。だが【伊助】は悪戯っぽく笑うと兵助をまるで幼子にでもするように、頭を撫でてくる。
「いす――」
名を呼ぼうと動かした唇に人差し指が宛がわれる。
「私は、生まれてもいない人間を待って婚期を逃すことはできませんでした」
もはや彼は――いや、彼女は兵助のかつての後輩ではなく、一人の女だった。
彼女なりに結ばれぬ悲劇に悩み苦しんだこともあったに違いない。だが、未婚の女が一人で生きていくには厳し過ぎる世の中で妥協もあっただろうし、勿論かつての恋人に負けぬほど素晴らしい伴侶を得られたのかもしれない。
襖が閉じていく音と共に人の気配が遠のいていく。
夜具の中で兵助は、狂ったように一人歩きしていた恋情が鎮まっていくのを感じていた。
「運命に従わない幸せ、か…」
それが一体どんなものであるかなど分からない。だが【兵助】や兄の分まで長く生きて、幸せになりたかった。
『【兵助】君の髪って、いつ見ても綺麗だよね』
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NOTE:主催・緋緒様発案の江戸パロ設定をお借りしています
兵助♀の名前が「お卯乃(オカラの別名『卯の花』から)」
悲恋
『気がついた?』
目を開けると【善法寺伊作】の顔が視界に入った。一学年上の上級生だったが卒業以来、会ってはいない。風の便りで就職した城を既に退職し、町で小さな診療所を開いたと聞いたことがある。そんな彼の元に自分がいるのか分らず、体を起こそうとすると骨が軋んで、動くことが出来ない。それに何かの薬が効いていることも体が動けない要因の一つだろう。
見下ろしてくる【伊作】を【兵助】は、ただただ睨みつけた。
『暫く見ない間に、君は酷い目をするようになった』
卒業してから、本当に色々なことがあった。【兵助】の就職した城は内定した直後に御家騒動が起こり、新たに当主になった男は良心というものが存在しないのではないかと疑いたくなるような虫の好かない男だった。反吐が出るほどの謀略や拷問など、目を覆うような惨状を前に立ち竦むことも許されず、戦に明け暮れる毎日に気が狂わないほうがいっそ不思議である。
『辞めて、故郷に戻ることはできないのかい?』
故郷は既に火に巻かれて地図の上から消えていた。
戦国の世は、もはや佳境に迫っている。この国に数多ひしめいていた武将達は数を減らし、天下人の器となる者達がジリジリと距離を詰めている。己の主君がその器に値しないことは分かりきっていて、早々に見切りをつけてしまえれば良かったが、心身共に弱りきった【兵助】には再出発をしようという気など持ち合わせていなかった。
『学園にいた頃の友達に、会うことはないのかい?ろ組の【不破】は今は学園で教師をしてるって聞いたけど』
【雷蔵】が忍術学園に戻っていることも知っていたけれど、悪名高い城に就職した卒業生など戻れるはずもない場所である。それくらい大切で、血に塗れた己の手足では触れてはならぬくらいに神聖な場所になっていた。
『そういえばこの間【竹谷】が来たよ。戦で負った怪我が酷かったらしくてね、城を……』
『【八左ヱ門】が怪我を――!?』
性懲りもなく体を動かして起き上がれなかった【兵助】を【伊作】は苦く笑う。
『大丈夫。少し後遺症が残ったけど、日常生活を送るのに支障は無いはずだ』
『そうですか…』
安堵の息を吐くと、【兵助】の顔は再び虚ろな表情に戻っていく。感情を殺してきた結果、表情も無くなった。昔のように笑うことも泣くこともできなくなってしまったことを悲しいとも思えなかった。
『傷が治ったら会いに行くと良い。彼も随分と学園の関係者に会っていなかったみたいで、僕に会った時でさえ懐かしそうにしていたから、きっと君に会ったら喜ぶと思うよ』
『……ありがとうございます』
『確か、今は…』
『いえ、教えていただかなくても結構です。俺はアイツに会うつもりはありません』
言葉を遮られたことに【伊作】は眉をひそめる。
『どうして?』
『会っても、俺は何も言えません。嘘を吐き続けることは、できません』
元気か、と問われて元気だなどと言えるはずもなく、大丈夫かと聞かれて答えることもできない。
『君はずっと彼の名前を言っていたよ』
熱に浮かされた【兵助】はずっと【八左ヱ門】の名を呼んでいた。どんな気持ちを持っているのかまでは分からないけれど、強く求めていることは確かである。
『……俺はアイツが幸せであれば良い』
いつの頃からだったのか、【兵助】は【八左ヱ門】に親友以上の関係を望んでしまった。だが、死と隣り合わせで生きる道を選び、あまつさえ男の身では彼の隣りを歩むことはできないだろうと心の奥に仕舞い込んだ秘密。
『アイツ、幸せだったでしょう?』
『あ、あぁ』
『そうでしょう?この辺りは確か【伊賀崎孫兵】の故郷があるはずだ』
【兵助】の記憶は正しく、かつて生物委員会に所属していた【孫兵】の故郷の村は裏の山の方にあって、【八左ヱ門】は彼の家に世話になっているとかで彼に付き添われながら、この診療所にやって来ていた。唇の端を動かして微かに笑ってみせる【兵助】だったが、【伊作】には笑っているようには見えない。恐ろしくて震えそうになるのを堪えるほどの憎悪を感じる。二人が一緒にいたなどとこの場で言えるはずもない。
『俺ではダメだった、ただそれだけのことなんです』
忍びだから、男だからと逃げたのは己自身。【八左ヱ門】が後輩に好意以上のものを抱いていると知っていても、自分の思いを伝えずに今日まで生きてきて、今更結果に打ちひしがれたところで取り返しもつかない。
『せめて生まれ変わったら、女に生まれたい』
女に生まれたら、今度こそ思いを伝えられる勇気を持ちたい。
戯言だなと脳裏で嘲笑する誰かの声を聞いた気がしたが、薬の効いた体に睡魔が襲ってきて、意識は途切れていく。
『最後にもう一度だけ、会いたかった…』
熱も引き、目が覚めると全ての事象を兵助は思い出していた。
忍術学園で過ごした日々も、生徒達や教師達の名も、二十にも満たない年で命を落とすまでの【忍びの兵助】が持つ全ての記憶が、兵助の脳裏にはまるで昨日の出来事のように鮮明に息づいている。
「兵助様、竹谷八左ヱ門様がお見舞いにお出でです…」
まだ体は本調子ではないのだが、【兵助】の心を知ってしまった兵助に、僅かな変化が生まれていた。これまで友人としてしか見れなかった八左ヱ門に、思慕の念さえ抱いている。感情が追い付いていないことに兵助も勿論気づいていたけれど、止めることはできない。会いたくて仕方がなかった。
女中に彼を部屋に通すように言いつけて、自分は枕元の桶で手拭を絞り、顔を拭くと乱れた着物の襟を直す。
八左ヱ門の訪れを喜ぶ一方で、嫌な予感がした。それは単なる勘に過ぎなかったのだが、
「……お前も結婚するのか?」
八左ヱ門は一通り兵助の具合を確かめると、少し照れながらこの三日間の出来事を話してくれた。既に幕府から許可が下りた三郎とお雷の婚儀の準備が城では進められていて、八左ヱ門もまた藩主の結婚を機に、縁組を決めたと話す。
「あぁ。木下殿の孫娘でな、昔少し遊んだことがあるんだ」
「お前と遊ぶような女子がいるのか?」
二人が出会ったのは既に元服を迎えた頃であったから、共に子ども遊びをすることはなかったが、話を聞く限り、前世のように野山を走り回り、魚釣りや虫取りなど、到底女子がするような遊びではない。
「兎や小鳥よりも虫や蛇を可愛がるような変わった女子なんだ」
照れくさいのか己の伴侶となる娘を『変わった女子』などと言うけれど、嬉しげな様子は隠すことはできていない。それに虫や蛇を可愛がる、などとまるでそれは【孫兵】ではないか。こうして今生も巡り逢い、誰に憚ることなく結ばれるのだろう。
「嬉しそうだな」
と、兵助小さく零すと、にかっと八左ヱ門は【兵助】が好きだった笑顔ではにかんだ。
それから女中がやって来て、長い面会は体に差し障りがあると、八左ヱ門を追い出そうとする。帰り際、婚儀の日時はおって知らせると告げて、久々知家を去って行った。
「あぁ……」
思わず両手で顔を覆う。唇を噛んで、堪えようとするのに涙が止め処なく夜具を濡らす。すると、ぽんと背中に置かれた手があった。女中がまだ部屋にいたのだった。
「……【伊助】」
兵助よりもずっと年上の女中を、かつての下級生の名で呼ぶ。
「あれ?ようやく気付いてくれました?【久々知】先輩」
「お前、記憶があるのか?」
「えぇ。先輩が生まれるよりも前から」
人は生まれ変わる内に性別も年齢差なども変わって来てしまうのだろう。
【伊助】はこれまで前世の記憶を持つ人に出会ったことはなかったという。前世の記憶を持ってるなんて凄い確率なことで、この出会いは僥倖というものだろう。だからこそ、堰を切ったように言葉が溢れ出した。
「俺は知りたくなんてなかった!!」
【孫兵】を追っていく【八左ヱ門】の背を見た【兵助】は確かに二人を憎悪の目で見た。あんな目で人を見ることができるなんて、兵助はこれまで知らない。知らないままで良かった。男であった【忍びの兵助】が、どうして【兵助とお卯乃】として二つの魂に分かれて生まれたのか、どうして今生の兵助は女になってしまったのか、夢はすべてを教えてくれた。
「女に生まれてきたのに、望みは叶ったのに――ッ!!」
生前語った願いは確かに成就した。年頃もそう離れていない二人は、お卯乃のままでいられたならば、今生の竹谷八左ヱ門に恋をし、嫁ぐこともできたかもしれない。だが、運命は兵助に容赦無く、もう一度、男としての道を歩ませている。
「どうして、どうして、俺ばかり!!」
本当に、自分ばかり苦渋を背負わなければいけないのだろう。
自らの幸せを望んで、誰かの幸せを奪ってやれば、幸せになれたのだろうか。
「前世の想いを成就させて得た幸せは、果たして本当にこの一生で得る最高の幸せなんでしょうか?」
八左ヱ門のように前世と同じ相手を選んだ。きっとそれは“生まれ変わり”だとか、そんなことは関係なく惹かれたのだと【伊助】は言う。自分も同じなのかと問われて、兵助は口ごもる。兵助にとって八左ヱ門は親友以外の何の感情も無かった。過去に捕らわれ、引きずられるような運命が幸せなのか、とも【伊助】は問う。
「私は前の世の相手とは違う者を伴侶に選びましたが、夫婦仲良く元気に愉快に暮らしています」
「未練は、無いのか?」
「未練?」
「前世の相手を選んだ道こそ、お前の幸せだったかもしれないだろう?」
実験ではあるまいし、仮定の話など限りなく無意味と言えるだろう。しかし、運命に従い同じ相手を選び続ける幸せもあるだろう。だが【伊助】は悪戯っぽく笑うと兵助をまるで幼子にでもするように、頭を撫でてくる。
「いす――」
名を呼ぼうと動かした唇に人差し指が宛がわれる。
「私は、生まれてもいない人間を待って婚期を逃すことはできませんでした」
もはや彼は――いや、彼女は兵助のかつての後輩ではなく、一人の女だった。
彼女なりに結ばれぬ悲劇に悩み苦しんだこともあったに違いない。だが、未婚の女が一人で生きていくには厳し過ぎる世の中で妥協もあっただろうし、勿論かつての恋人に負けぬほど素晴らしい伴侶を得られたのかもしれない。
襖が閉じていく音と共に人の気配が遠のいていく。
夜具の中で兵助は、狂ったように一人歩きしていた恋情が鎮まっていくのを感じていた。
「運命に従わない幸せ、か…」
それが一体どんなものであるかなど分からない。だが【兵助】や兄の分まで長く生きて、幸せになりたかった。
『【兵助】君の髪って、いつ見ても綺麗だよね』
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| 結夏 | 18:11 | comments (x) | trackback (x) |
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