鈍行


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▼ふみ



「――おい、八。お前、何やったんだ?」
「はあ? 何がですか」
「私の異母妹(いもうと)からお前に、何かの包みと文が届いたんだが」
 主である九宮兵助にそう告げられ、竹谷 八左ヱ門は目を瞬かせた。異母妹、と聞いて、該当するのはたったひとり――十宮しか居ない。確かに九宮の侍従である八左ヱ門は他の貴族より彼女に近いかも知れないが、それでも主宛てに文が届くならまだしも、自分宛てに文が届くような心当たりが全くなかった。首を捻ってその包みを受け取る八左ヱ門だったが、包みを開いた瞬間に心当たりを思い出した。
「ああ! あのお姫さんか!」
「何だ、心当たりがあるんじゃないか」
 手を打った八左ヱ門に兵助が呆れたように呟く。それに八左ヱ門は苦笑して手を振り、苦笑いして応えた。
「ほら、前に上着失くして――ってか、本当は失くしてないんですけどね、帰って来た時があったでしょう? あの時、言ったじゃないですか。牛が暴れてた牛車を落ち着ける手伝いをしたって。その時にちょっとお姫様を助けたんですよ。
 ああ、しかし、そうかあ……あのお姫さんが十宮様なのかあ。いやあ、兵助様を見る限りでは全然似てないし、気付かなかったなあ。つか、よく俺が兵助様の侍従だって分かったなあ」
 兵助が包みを覗き込むと、確かに見慣れた上着が入っている。着古されたその装束は、確かに八左ヱ門がよく着ていたものだった。共に届いた文はきっと礼状なのだろう。それでもきちんと香が焚き染められ、品の良い料紙が使われていた。仄甘い香が立ち上るのを感じて、八左ヱ門は鼻を文に近付ける。もっとも、その様子は文の様子と違って明らかに風流ではなかったが。
「八、もう少し何かこう……あるだろ? その嗅ぎ方は止めろよ」
「へ? 何が」
「匂いの嗅ぎ方! お前な、それじゃ犬だぞ、犬! せめても少し人間らしい嗅ぎ方しろよなあ、もう……。主である私の品性が疑われるだろうが」
「……失礼だなあ、本当に」
 思わず咎め立てた兵助に、八左ヱ門は目に見えて不機嫌になった。けれど、それ以上に文の中身が気になるのか、華奢な料紙をそっと開く。その手つきが普段の乱雑さとは全く違い、まるで大切にしている雛でも扱うかのようだったので、兵助は思わず吹き出した。
「普通、逆だろ。――どうして匂いを聞く時はあんなに乱雑なのに、実際文を触る時にはそんなに丁寧なんだ。別にその紙はそんなに弱くないぞ」
「うるさいですよ、あんたは。……だって、あんなに美人のお姫さんから頂いた文を粗雑になんて扱えるわけないじゃないですか」
「美人……って、顔、見たのか?」
「あ、言っておきますけど不可抗力ですからね! 牛が暴れた所為で車から落ちちゃったんですよ、あのお姫様。で、その時ちょうど後ろを抑えようとしてた俺の所に落ちてきて、思わず抱き留めたってだけの話で。何て言うか、そんな不埒な感じで見たわけじゃないですからね!」
 疑いの眼を向ける兵助に八左ヱ門が噛み付くように告げる。しかしその実、文を広げる手つきは先程と変わらず丁寧なままだ。最後まで文を丁寧に開くと、淡い墨でふわりとした文字が書き連ねられていた。普段から文と言えば男手ばかり見ている八左ヱ門としては、その女手の柔らかさに思わず見入る。感嘆の溜め息を吐いた八左ヱ門に、兵助は半ば呆れて言葉を紡いだ。
「お前、本当に女慣れしてないよなあ……。で、何て言ってきたんだ?」
「うるさいですよ、兵助様! えーと、内容は……と。ああ、やっぱりこの間の礼ですね。別に大したことしてないのに、律儀な方だなあ。あ、和歌も付いてる。真虫の和歌が」
「真虫の和歌あ!? ……ってもしかして、それって女房の代筆じゃなくて、十宮の手蹟()によるものなのか?」
「へっ!?」
「ちょ、見せてもらっても良いか?」
 兵助が覗き込んできたので、八左ヱ門は文が見やすいように膝に乗せる。それをまじまじと見下ろした兵助は、驚いた様子で小さく呟いた。
「本当に十宮の手蹟だ……珍しいな、あの娘が自分で文を書くなんて」
 十宮眞子と言えば兵助が知る限り、余程のことがなければ他人に関わろうとはしない少女である。それが助けてもらった(八左ヱ門の話を聞く限り、だが)恩人とはいえ、自分で文を書くなどとなれば本当に〈余程〉のことだ。兵助は一体彼女に何が起きたのだろうと考えながら、綺麗な文にただひたすら目尻を下げている八左ヱ門のことを見遣った。
 正直なところ、兵助から見ても悪くはない男なのだが……初対面の(もっとも、兵助の侍従なのだから見覚えくらいはあったのだろう。それで文と上着を届けることもできたのだろうから)少女から好意を寄せられるほどに見目が良いかと尋ねられれば、思わず首を傾げざるを得ない。八左ヱ門の良さは付き合ってからこそ分かる類のものなのだ。しかし、〈虫愛ずる姫君〉である眞子が普通の少女と同じ感性をしているか、と尋ねられれば、兵助はまたそれにも首を傾げざるを得なかった。
 しかし、これはある意味において大事件である。兵助は未だに見慣れない美しい文に相好を崩している八左ヱ門を見遣り、事の重大さを考えて小さく溜め息を吐いた。







「……わざわざご自分で文をしたためたそうですね?」
「あのまま車から放り出されていれば、首の骨を折っていた可能性もあります。そう考えれば、彼の方は命の恩人です。ですから、わたくしが自ら文をしたためるのが人としての礼儀かと思いました」
 十宮眞子(まこ)は早速自分が男に文をしたためたことを聞き付けて現れた母に、静かに反論した。実際には勿論それだけではないのだが、それでも彼女に対してはそう言わなければ危険であることを眞子は重々承知している。何せ、既に正室も寵の深い側室とその側室が生んだ数人の子どもが居るという今でさえも、彼女は自分を東宮妃に仕立て上げようとしているくらいであるのだから。迂闊に何か物を言えば、文を送った相手に危害を加えかねない。しかも、相手は彼女が目の敵にする女御腹の皇子の侍従である。これ幸いと攻撃するだろう。
 現中宮である眞子の母は、彼女の言い分をどう思ったのか、それ以上の追及をしては来なかった。しかし、確実に竹谷 八左ヱ門という男と自分の関係を浚うように調べることは間違いない。またしばらく監視が厳しくなるな、と眞子は気付かれぬように溜め息を吐いた。
(――関係など、あるわけがないのに)
 籠の鳥、という言葉が最も似合うのは自分である、と眞子は言い切れる生活をしている。皇女として同じ立場であるはずの六宮――この女性を彼女の母は最も敵視している――は既に嫁いでいることもあるのだろうが、自分とは違い比較的自由な生活を送っていた。しかし、それは他の宮との交流深く、また自分と弟、そして一番生母の身分が低い八宮三郎を除く他の兄弟たちを統率する立場にもあることから、彼女が自分とは明らかに違う存在であることは理解できる。結局、母親の考え方の違いなのだろう、と眞子は結論した。
 愚かなことだ、と思う。どう考えても望めない立場を今もずっと思い続け、その道具として娘を延々躾け続けているのだ。無論、貴族の娘となれば、こちらの方が当たり前だというのは分かっている。それでも眞子は、自由を希求せずに居られなかった。そのひとつが、今も傍らに置いてある虫籠なのである。
「――またそのような気味の悪い物を可愛がって……。どうして貴方はわたくしの言う通りにできないのでしょうね?」
「この子たちは決して気味が悪いものではございません、母上」
「貴方がそのような生き物を可愛がることで、当然、わたくしたちが恥ずかしい思いをしていることも分かっていらっしゃるのでしょうね?」
 痛烈な当てこすりに眞子は唇を噛んだ。自分が上手くできないのは、虫を可愛がる所為ではない、と叫びたかった。貴方が生んだ娘が出来損ないなのは、どうしようもないことなのだと。人間には分があるのに、それをいつまでも理解できない母の方が愚かで、恥ずべきである。常に六宮と比較され続けた眞子にとって、彼女の望みこそが――張り合うべき女性は既に想う殿方に嫁いでいるというのに――虚しい願いであることを既に知っていた。それでも母にそれを告げないのは、逆らえば恐ろしいことになると身に沁みているからだ。弟と何度身を寄せ合わせて彼女の嵐に耐えたことか、と眞子は内心で吐き捨てた。
 釘を差し、嫌味を言うだけ言った中宮はすっきりとしたらしく、また艶やかな笑顔を浮かべて退出していった。眞子は己の母ながら、何故あの女性を寵愛できるのだろうか、と父を本気で尊敬したほどだ。もっとも、父の女性遍歴に関しては先の皇后が亡くなって以来、恐ろしく幅を広げたそうなので結局は誰でも良いのかも知れない、と眞子はこっそりと溜め息を吐いた。
 この邸内ではどこに居ても、じゅんこに好意的な目を向けてくれる人間はいない。傍らに置いた虫籠をそっと撫でながら、眞子はその指をそっと籠の入口へと這わせた。そこにはあの時八左ヱ門が結びつけた紐が未だに付けられたままである。本来ならば上着と一緒に返さねばならぬものだったのだが、彼との繋がりを断ちたくない余りに無理やり自分に口実を作って留めておいたものである。
「……新しい籠の方がお前は嬉しいのかしらね、じゅんこ」
 眞子はそっと籠の中に指を差し入れ、冷たい鱗を撫でる。じゅんこはその指にじゃれるようにその身体をくねらせた。届けた文にも、未練がましく紐をまだ貸しておいて欲しいと入れてある。その意味を考えて、眞子は自分もまたひどく愚かに思えた。
(わたくしは何をしているのだろう)
 たった一目会っただけだ。それも、相手は自分のことだって多分意識などしていないだろう。それでも、それでも――彼だけが唯一、眞子とじゅんこを肯定してくれたのだ。それが堪らなく嬉しく、また彼が向けてくれた笑顔が忘れられなかった。
「もう少しだけなら、夢を見ても良いでしょう……?」
 眞子は虫籠を膝に乗せ、その上に頭を載せるようにして呟く。静まり返った部屋で、しゅるりと真虫が動く音だけが彼女にとって優しかった。



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鈍行*2008.08.06〜 Written by 緋緒


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