鈍行
▼こむ
「……何てとんでもない真似を……」
「だって、滝が来てくれないんだもの」
滝夜叉が小さく呟いた言葉を拾い、小平太がくつりと笑った。その笑みは普段の明るいものとは違い、低く艶のあるもの。それに滝夜叉が思わず身じろぎして彼から離れようとすると、すかさず小平太がその身体を引き寄せた。その動きは先程とは違い、優しい。――そこで先程この場に担がれて連れて来られたことを思い出して、滝夜叉は深い溜息を吐いた。
「何してるの、滝」
「何、と申すほどのことは致しておりませぬが……あの、何か御用ですか?」
昼間の衝撃から何とか立ち直り――実際には全く立ち直っていないが、彼女には己を現実に立ち戻らせる仕事がたくさんあるのだ――、滝夜叉は為すべきことを終わらせて自分の局へ戻っていた。小平太の発言は覚えていたが、まさか実行に移せるはずもない。女房としての領分も超えているし、何より本当に小平太の言葉を信じて良いのか迷っていた。
しかし、そんな彼女の葛藤など小平太は露ほど知らず、己の局で細々とした仕事を行っていた滝夜叉の許へとやって来る。静かに問われた滝夜叉は内心動揺しながらも、努めて平静に彼の問いへと応えた。
「……私、言ったよね?」
「何をでしょうか」
「今晩から私の対に来ることって言ったよね?」
「…………確かにお聞きはしましたけれども」
滝夜叉は詰問する小平太に言葉を濁した。そう、確かに聞いてはいる。だが、それへ素直に応じられるほど、滝夜叉は可愛らしい頭の持ち主ではなかった。
妻――正妻ですら夫の対に住まう人間はいない。正妻が北の方、と呼ばれるのもその所為だ。北の対で生活するから〈北の方〉なのである。北の対で侍女たちに傅かれ、夫が不在の際には家を仕切り、主の代わりに全ての家政を取り仕切る存在。――では、自分は?
〈召人〉というのは側室にも上がれない身分の低い使用人であるが、彼女たちも己らの局がある。滝夜叉もまた割り振られた局を持っているけれど、小平太の言葉を真面目に受け取るならば、今後は彼の対へと生活の場を移されるということなのだろう。それはとても愛されているように見えて、実際にはとても軽んじられているように滝夜叉には思える。この場において、滝夜叉の人格は問題ではない。小平太の愛玩物であることが重要なのだ。だから物のようにあちらこちら移動もさせられるし、飽きたら軽く捨てられる。勿論、小平太の行動にそんな思いが含まれているわけはないだろうが、物事の裏の裏を考えるようになった滝夜叉にとって、それはひとつの真実だった。
そうやって、既に捨てられた人間が何人も居るのだ。――小平太が今まで通ってきた女子たちが良い例である。彼女たちの中には小平太が長く通っていた女性も居たが、その女性とも最近は疎遠になっている。それは滝夜叉にある程度想いを移したからということが大きいのだろうが、滝夜叉が彼女と同じ立場にならないなどという保証がどこにある? 小平太が他の女子に情を移せば、滝夜叉はそこでお役御免。それだけならまだマシだろうが、この邸にその女性を入れるとなったら過去の女である滝夜叉など目障りになるばかりだろう。そうなれば、滝夜叉は生活の基盤すら失うのだ。どうして易々と小平太の言葉を受け入れられよう。
しかし、滝夜叉は同時にそこまで裏を読んでしまう自分が嫌だった。――彼の愛情を素直に受け入れ、喜べるような可愛げがあれば愛されることも容易いだろう。けれど、自分はそんなに可愛らしい人間ではない。自分が扱いにくい人間であることもよく知っている。賢しらな女は好まない、というのは男の常で、小平太もいずれ己を優しく包み込む柔らかな女性――それももっと身分の高い、彼に見合った姫君――をこの邸に迎え入れるのだろう。
それでも己に差し出される手を拒みきれない自分を滝夜叉は愚かだと思う。小平太の腕に抱かれているだけで泣きたくなるほど嬉しいのだ。この手を取れば、己の将来さきにあるのは破滅だけだ。後ろ盾となる親もなく、生活基盤もほとんどない滝夜叉にとって、この邸の仕事を失うのは命綱を失うことに等しい。
勿論、彼女が本当に危機に陥れば友人たちが世話をしてくれることは間違いない。三木はこの仕事を世話してくれた六宮仙子――小平太の姉の夫の異母妹で、彼女自身も妾腹とは言え左大臣の娘だ。もうひとりの幼馴染である綾部喜八郎は父親同士がとても仲が良く、滝夜叉が父を亡くした時も親子でその事後処理の一切合財を取り仕切ってくれた。けれど、彼らの厚意に甘えて己が死ぬまで世話をしてくれとは、滝夜叉にはとても言えなかった。
彼らはきっと、滝夜叉が首を縦に振りさえすればいつだって手を差し出してくれるのだろう。彼らにはそれだけの力がある。特に喜八郎は公達で、彼自身ももう自分で禄を得ているのだ。まだ決まった妻も居ない彼が滝夜叉を保護するのは容易いことだろう。
けれど、滝夜叉は彼らの厚意を素直に受け取ることができなかった。現を見られぬほどの矜持の高さは身を滅ぼすだろうが、それでも彼女は誰かに頼ることを良しとできないのだ。そうやって生きていく己を許すことができない。女子の生き方などそのくらいしかないのに、である。自分でも馬鹿馬鹿しいとは思うけれども、もし彼女が頭を垂れて誰かに縋っていくような生き方をするようになれば、その時は平滝夜叉という人格の崩壊を意味している、とすら彼女は思っているのだ。
「――難しい顔、私の傍に居て何を考えているの?」
抱き締めた腕が己の顔を持ち上げたことで滝夜叉はハッと我に返った。
滝夜叉が返答をためらっている間に小平太は彼女を抱え、この対まで連れてきたのだ。それは有無を言わせぬやり方であり、滝夜叉は尚更己を彼の愛玩物のように感じた。けれど、彼の手はどこまでも優しく、滝夜叉を慈しむ。それが尚更に彼女の迷いを深くさせた。
ようやく己の物思いから戻ってきた滝夜叉が小平太に視線を合わせれば、彼はひどく優しい顔で滝夜叉を見下ろしている。その余りにも優しい視線にドキリと心臓が跳ね、滝夜叉は思わず顔を赤くした。
「滝は物事を難しく考えるけれど、もっと世の中単純で良いんじゃないの?」
それができるのは小平太が皇族として――何不自由ない生活を保障されているからだ、と滝は思う。けれど、それを小平太に言うことはなかった。言っても彼は理解できないだろう。滝夜叉は彼のそういうところを知っていた。多分小平太は滝夜叉が何に悩んでいるのか告げたとしても、きっと理解できはしないだろう。
「――そう、ですね」
少なくとも今はそれで良いのかもしれない。滝夜叉は己の奥底から生じる不安や恐れを、温かい腕の感覚に押し込めて見ない振りをした。
そう、この状況は滝夜叉自身が望んだものなのだ。この温かい腕に抱かれ、愛される夢を見た。そして、その夢は今現実のものとして彼女の手の内にある。いくら将来に破滅が広がっていようとも、これを手放せるほど滝夜叉は大人でもなければ無欲でもなかった。
「……宮様、ひとつだけ約束してください」
「ん、何?」
「わたくしをお傍に置いてくださる間は、他の方にお通いにならないで」
それは滝夜叉にとってひとつの賭けだった。
この時代、公達がひとりの女だけに通うということはまずない。そんな男が居たならば、余程相手に惚れ込んでいるか、性欲が薄いのか、それとも複数の女に通うことを面倒に思っているかのどれかだろう。公達の中でも身分と禄が高ければ高いほど、女性の数も増えていく。その頂点が帝で(但し、彼の場合は好む好まざるに関わらず政治的な観念から複数の女性に通わざるをえないのだが)、彼には明確に妻と示した女性の他にも幾たりも手を付けた女性が居るはずだ。特に今上は男としての力も強く、老年でありながら少なくとも十一宮まで子が存在する。そんな男の子である小平太がひとりの女子で我慢できるはずがなかった。
だからこそ、滝夜叉は約束を迫る。――それは彼女にとって、自分の身を、心を守るための手段だった。
少なくとも滝夜叉は、小平太が嘘を吐かない男だと知っている。この約束を結べないと告げられれば、自分は所詮それだけの存在であり、もし約束を結んでくれたならば、他の女に手を出した時点で己への興味が失われたことになる。明確な終わりが分かれば、彼女もいずれ諦められる。――いずれ通わなくなる男を不必要に恨んだり、嘆いたりせずに済むだろう。
「何だ、そんなことか! 当たり前だろう、私の天女はここに居るのだから」
その言葉を小平太からあっさりと告げられた時、滝夜叉は瞠目した。まさか即答されるとは思っていなかったため、信じられない気持ちで小平太を見上げてしまう。そんな滝夜叉の額に小平太は優しく口付けを落とし、にっこりと微笑む。
「その代わり、滝には目一杯頑張ってもらうからね? ――覚悟してよ?」
「な、なん……」
「だって、そうでしょ。私結構好きな・・・方だし。まあ、滝の身体は大切にするけど、足腰立たなくなったらごめんね?」
滝夜叉は己に平然と告げられる内容に声も出せなくなった。確かに自分ひとりにしてくれ、という願いが叶えばそうなるのは当たり前なのだが、ここまで堂々と宣言されるとも思っていなかったのだ。
滝夜叉は顔を真っ赤に染め上げ、何かを言おうと口を開けては何も言えずに閉ることを繰り返す。それを面白がった小平太が、彼女の無防備な唇に吸い付いた。
「ん……っ!?」
「可愛い」
小平太は口付けを続けたまま滝夜叉を寝所に押し倒す。驚いて宙を掻く彼女の腕を横目で楽しげに見詰めながら、小平太は抱えた身体を臥所ふしどへ横たえ、その装束を緩めた。滝夜叉はと言えば、急に仕掛けられた戯れに対応しきれず、大きめな目を更に大きくして小平太を見上げている。ここで今まで小平太が相手にしていた女なら、楽しげに腕を絡めてくることだろう。けれど、驚いた表情のままで身を固くしている滝夜叉の様子に小平太は尚更愛しさが募り、乱れて顔にかかった黒髪を掻き分けながら、優しく滝夜叉に口付けた。
「み、やさま……っ」
「うん、大丈夫だから」
帯を抜いて、前を開けて、小平太は滝夜叉の白い肌を染めていく。まだ固い蕾に近い彼女であるが、綻びかけた片鱗は既にあちこちから覗いていた。雪のような柔肌に触れれば、びくりと身体を震わせる。既に二度、しかもそのうち一度は今日の昼に抱いたばかりの身体であるのに、まだ何をされるのか予想がつかないような不安げな瞳に小平太は口の端を上げた。
震える腕が己の腕に掛かる。不安を堪えようとしているのか、快楽を支えようとしているのか、滝夜叉は固く目を閉じて小平太の手のひらを受け入れた。その手が身体をなぞる度に滝夜叉の身体は揺れる。余りにも幼いその様子に小平太は己の他にこの娘を知らぬという事実を改めて実感し、優越感に近い感情を抱いた。また、普段は気が強いとすら言える少女がこのように己へ縋る様が愛らしく、己しかこの嬌態を引き出せぬだろうということも彼をひどく満足させる。
「大丈夫、先程もひどいことはしなかっただろう? もっと悦くしてあげるから私を受け入れて、滝」
顔を手で包んで、優しく語りかける。それに促されるように不安げに瞼まぶたを持ち上げた滝夜叉に小平太は殊更優しく笑みかけた。ちゅ、と音を立てて口を吸い、その首筋や肩、鎖骨に同じように何度も唇を触れさせる。それに小さな声を上げた滝夜叉に小平太は顔を上げた。
「どうした? こうされるの嫌い?」
「いえ、その……何だかくすぐったくて……」
「ふうん……じゃあ、これは?」
小平太は身体を撫でていた手を胸元へ動かし、その白い胸に触れる。柔らかくまだ小さな胸に触れ、その頂を摘まめば滝夜叉が更に顔を赤くして眉をひそめた。その様子は明らかに快楽を覚えた女の表情であり、小平太はその悦楽を滝夜叉の身体に教え込むようにゆっくりとそれを繰り返した。
「この前は初めてだったし、今日の昼は勢いだけでしたからなあ。――今晩から、ちゃんと教えてあげる。滝もすぐ悦くなるよ。身体もすぐ慣れる。後二回もすれば中でも感じられるようになるよ。私、上手いから」
滝夜叉は小平太のこの言葉に絶句した。元々開けっ広げな人間だというのは承知の上だが、この状況でこの発言にはさすがに呆れる。いくら滝夜叉が男に不慣れでも、この言葉が睦言でないことは理解できた。同時に小平太の発言の内容で己が何をされるのか如実に想像してしまい、これ以上ないというほどに顔を赤くさせる。ぱくぱくと何も言えずに口を開け閉めする滝夜叉に、小平太は笑いながらその乳房を弄んだ。
「疑ってるなら証明してあげるよ。時間はたっぷりあるんだし」
小平太の言葉に滝夜叉はまだ宵の口であることを思い出した。確かに夜も更けて闇の帳は落ちているが、時間としてはそう遅いわけでもない。そのような時刻からこのような振る舞いに及んでいる己らに気付き、滝夜叉は羞恥で息苦しくなった。そんな滝夜叉の様子を小平太は明らかに楽しんでおり、いつの間にか乳房に唇を落としている。嬲られ、吸われれば滝夜叉に抗えるわけもない。次第に小平太の為すがままとなった。
胸から下腹を辿り、秘所へと愛撫が移っていく。その間も常に身体をあちこちを探られ、滝夜叉はあられもない声を上げそうになる己を必死で抑えていた。堪え切れずに喉から甘い声が漏れる度に恥ずかしくて遣り切れなくなる。手のひらを唇に当てて声を押し留めようとしていると、下腹をゆっくりと遊んでいた小平太が腕を伸ばしてその手を外した。
「や、みやさま……っ!」
「何してるの、滝。――声出してくれなきゃ詰まらないよ。別に恥ずかしがる必要はないでしょう、私しか居ないんだから。私は滝の声が聞きたいんだよ。ほら、可愛い声出して」
「む、むりです……あ、やっ……!」
「出るじゃない、可愛いよ。滝が我慢する必要はどこにもないんだから。全部後は私に任せて、滝は可愛く啼いてくれれば良いんだよ」
ちゅ、ちゅ、と乳房に吸いついて官能を煽る小平太に滝夜叉は泣きたくなるほど恥ずかしかった。啼けと言われて素直にそれができるほど、滝夜叉の理性は弱くない。普段の己と今の――官能を貪り始めた自分との格差を知る度に、彼女は何とか踏み止まろうとしてしまう。その波に身を任せても戻ってこられることは知っていても、どうしても素直に自我を手放すことができないのだ。それは未知への恐怖と言うより、忘我の状態を小平太に見せることへのためらいの方が大きかった。
もし自分が小平太の意にそぐわぬことをしたら、もしくははしたない姿を見せて嫌われてしまったら、そう思うとどうしても理性を手放せない。己が一番綺麗な状態を小平太には常に見ていて欲しかった。小平太に告げれば一笑に付されるような考えであるが、男女の綾など知らぬ彼女にそんなことが分かるはずもない。必死に己を引き留める理性の糸を彼女は手繰って握り締めていた。
当然、面白くないのは小平太である。勿論、羞恥に震える滝夜叉にそそられないわけはないが、それでも己の手で開花する滝夜叉こそ彼の望むものだ。尚更滝夜叉に快楽を与えるために、彼は持ち得る手技を彼女にためらわずに使用する。理性も何もどろどろに溶かし切り、己なしではいられないほどの粘度でもって小平太は滝夜叉を愛した。
次第に細い喉から甘い声が漏れ始め、そこで小平太はようやく満足を得る。同時に既に己を誘うように潤った場所へ指を当てて、彼女がきちんと支度ができているかを確認した。指でなぞり、少し刺激してやるだけで滝夜叉は震える。これならばもう大丈夫、と確信を得た小平太は、そこでようやくそそり立った己を彼女の中へ進めた。
二度、この場所には小平太が侵入した。一度目は本当に狭くてきつくて最後まで入るのだろうかと疑問に思ったものだが、昼はそれよりも随分と柔らかく小平太を受け入れている。それを思えば三度目の今は確かに狭いものの、既に小平太を受け入れる態勢ができていると感じた。現に滝夜叉は顔をしかめているものの、既に痛みは感じていないようだ。ただ異物感があるのだろう、先程から与え続けた快楽が褪せているようだ。少し苦しそうな滝夜叉を宥めるために口を吸えば、彼女は安堵したように表情を緩める。それが己への信頼の表れのようで、小平太は何度も舌を絡めて少女を貪る。
おずおずと身体に回された腕の感覚に小平太は背筋に快楽が走るのを感じ、尚更滝夜叉の身体を探った。二度目は多少無理に押し進めてしまったため、彼女の身体はまだ固い。この行為に恐怖を抱かせないためにも、小平太はこの晩の行為をとても大切にしていた。他の女にはこんな気遣いなど絶対にしないことを思えば、小平太がどれほど滝夜叉に入れ込んでいるのかが分かろう。己がどうしてこんなにこの少女を愛しむのか、それすらも理解しないままに小平太は滝夜叉を慈しんだ。
己が馴染んだと思えた時点で小平太は腰を動かし始める。勿論、滝夜叉がこの行為で快楽をまだ得られないことは分かっている。故にただ恐怖心を抱かせないよう、小平太は最奥に一気に己を叩きつけたい衝動を抑えつけて緩い律動を繰り返した。狭い場所ではそれでも小平太には十分だ。何より、己を一生懸命受け入れようと縋りついて震える少女の身体を抱いていれば、直接的に得られる刺激が少なくとも十分快楽を得ることができた。
「滝、大丈夫だ。……力抜いて、私に全部任せて?」
「みやさま、みやさまぁ……!」
「うん、ここに居るから。大丈夫、安心してこちらにおいで」
もう一度舌を絡ませれば、滝夜叉自身もおずおずと応えてくる。それに小平太は律動以上に快楽を得て、飽きることなく彼女の舌を貪り続けた。次第に己へ滝夜叉の身体が触れる箇所が増えることに小平太は喜びを感じ、その満足の中でゆっくりと彼女の中に精を放つ。まだ終わったことも分からずに己へしがみ付く少女の身体を優しく抱き締めながら、小平太はこれまでになかった快楽と満足に溺れていた。
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鈍行*2008.08.06〜 Written by 緋緒