鈍行
▼くゆ
「……おはようございます、宮様」
「滝、目が赤い。泣いたの?」
滝夜叉は〈いつもの通りに〉小平太の許を訪れ、主の世話を焼く。まだ寝ぼけ眼の主がどのような反応をするのか彼女は心底怯えていたが、けれどもそれを決して表情に出さぬように滝夜叉は彼の衣裳を整えた。しかし、目を覚ました主に挨拶より先に問われた言葉に身を固くする。そんな反応をした己を隠すように殊更平気そうな顔をして、滝夜叉はにこりと微笑んだ。
「まさか。昨夜、少し目が冴えてしまって。折角なので少し書を読んでおりましたらば、いつの間にか時間が随分過ぎておりまして、そんなに眠っていないだけです。本日はなるべく早く休みますので、どうぞお気遣いなく」
本当ならば目も合わせたくなかった。身体の痛みも勿論だが、それ以上に心痛がひどく、できることならば一日中布団を被って寝ていたいほどだ。しかし、そんなことをすれば「何かがあった」というのがすぐに分かってしまう。後ろ暗い身としては疑われる要素を少しでも減らしたくて、滝夜叉は必死で表情を取り繕っていた。
そんな滝夜叉を小平太は「ふうん」と呟くだけで追及はしない。そんな主の様子にこの時ばかりは感謝しつつ、滝夜叉は貼り付けた笑みを必死で維持しながら、出仕する主を見送った。
彼が邸内から出た瞬間に、膝が崩れ落ちる。貼り付けた笑みは既に崩れ、ぱたぱたと汗とも涙ともつかない液体が頬を伝った。手をついた床に雫が落ち、滝夜叉は必死に身体を支える。傷む身体を必死に支えたために別の部分まで痛み始めており、疲れ果ててとてもじゃないが動くことなどできなかった。
けれど、人間どんな環境にも慣れるものである。
滝夜叉は一日、また一日と日を数えるごとにその出来事を夢だったのだと無理矢理頭の中で処理して、何事もなかったかのように振る舞うことを覚えた。想いと記憶を紛らわせるに足るだけの仕事の量が彼女にはあったし、仕事は増やそうと思えばいくらでも増やすことができる。滝夜叉は少しずつ外出が増えた小平太に少し違和感を感じながらも、己の奥底から湧き出てくる気持ちを抑えるので精一杯で不審に思うこともなく、また何かを訪ねることもなく日々が過ぎて行った。
その日もまた、小平太は外出をしていた。夜半には大体戻ってくるものの、最近はあちこちの女の許を気まぐれに回っているそうだ。滝夜叉は報告という名の愚痴を三之助や四郎兵衛、金吾から聞かされて、知りたくもない女の情報にまで今や精通してしまい、何とも言えない気分になる。彼らが挙げた女子たちが皆あの晩自分が与えられたような優しい小平太の寵を受けていると思うだけで、滝夜叉は嫉妬に腸が煮えくりかえるようだった。
昼間とは言え、妻でもない女性の許へ通う理由などひとつだ。昼に相手を訪ねるなど色々な意味でおかしいと思うが、相手も小平太もその辺りは気にしていないのだろうか。滝夜叉はひとり残された邸で小平太の装束を仕立てながら、もう何度目かも分からない溜息を吐く。自分がこうして彼の衣裳を仕立てている以上、他の女によもや衣裳の仕立てを頼むこともあるまい。だからこそ、小平太が女性を訪問する目的が分かってしまって、滝夜叉は尚更気分が沈んだ。
(――いっそ、その方々にお願いすれば良いのに。そうすれば、わたくしとて変な期待をせずに済むのだから)
男の衣裳を仕立てるのは大体において母親か恋人の役目だ。今はもう小平太の母がないため、彼に衣裳を作るのは妻の役目となる。――しかし、その妻も居ないため、現在は彼の唯一の女房である滝夜叉がそれを行っているのだが。
もし、小平太が滝夜叉以外の女性に衣裳の仕立てを頼むのであれば、それはその女性と所帯を持つということだ。そうなれば、自分の想いなど絶えてなくなる。女房として小平太とその正室に仕え、良い頃に夫を通わせてしまえば良い。
それができないのは未練があるから。――小平太が己を必要としていると自負しているからでもある。
元より、この邸は己が居なければ立ち行かない。子どもたちの世話を見て、知らぬ間に行方知れずとなる次屋をさり気なく探させ、我儘放題の主を何とかまともな方向へと誘導するというのは生半なことではできやしないのだ。そして、それが今の滝夜叉にとって誇りでもある。
もう家族も居らず、頼るべく夫も居ない。そんな滝夜叉にとって、誰かに必要とされるという事実がまず重要だった。
親もなく、財産もない滝夜叉がひとりで生きていくには難しい。しかし、かと言って父の旧友の施しを受けて生き延びるには彼女の矜持が高すぎた。そこで慣れぬ女房仕事へと出たわけだが、小平太に仕えるまで彼女は尽く仕えた邸を解雇されている。それは彼女の性格が一番の原因なのだが、それと同時に彼女が有能すぎることもそのひとつだった。――滝夜叉はひとりで全てをこなそうとし、そしてそれができてしまうのだ。己の領分が広すぎて、相手の領分まで浸食してしまうのである。
当然、真面目な人間であればあるほど、己の仕事を勝手に行われるのに怒りを感じる。そこから齟齬が生じるため、その原因である滝夜叉を排除することで彼らは再び安定を取り戻そうとするのだ。故に同僚がほぼ居ないこの邸が滝にとっては最も仕事のしやすい場所で、己の価値を最も発揮できる場所でもあった。――需要と供給が一致した、と言うべきだろうか。
それはこの邸の人の少なさ、主の気安さ、また同僚たちの人柄など、全ての好条件が揃っているからだ。例え人の少ない他の邸であっても、こうまで上手く滝夜叉が適応できる邸など他にないだろう。少なくとも、誰かに仕える上では、だが。
だからこそ、この邸を離れることはしたくなかった。小平太への想いを差し引いても、この邸は滝夜叉にとって既に第二の家なのだ。そして、それは己の愚かな想いで崩してしまえないほどに滝夜叉の中へ植え付けられた考えだった。
「……やめだ、やめ! こんなことを考えていては仕立てがおかしくなる!」
滝夜叉は敢えて口に出すことで、己に芽生えたあらゆる思いを振り切った。針目にはその時の思いが出るという。こんな暗い思考で針目が乱れることがあれば滝夜叉の沽券に関わる。特に小平太の衣裳は宮中の殿上人全てが目にするわけであるから、滝夜叉にも自然力が入った。
針を動かすごとに少しずつ思考が集中する。滝夜叉はいつの間にか、ただ小平太のことを考えて針を進めるようになっていた。一針刺すたびに小平太がこれを着てどこへ行くのだろうとか、誰と会うのだろうと考える。きっと彼は常にあの明るい笑顔で相手に挨拶するだろう。もし衣裳を誉められたなら、きっと誇らしげに滝夜叉が作ったのだと言ってくれる。そう考えるだけで滝夜叉の心はぽっ、と小さな火が灯ったように温かくなるのだ。――いつの間にか穏やかな笑みを浮かべ、滝夜叉は針を動かしていた。
衣替えまでもうそんなに時間はない。彼女は一目一目を大切にしながらも、小平太だけでなく三之助、四郎兵衛、金吾たちの衣裳や身の回りの物をひとつひとつ大切に仕立て上げた。縫物をしている間は特に余計な思考が入る隙間がない。それ故に彼女はまるでそれが目的であるかのように縫物に没頭したのだった。
しかし、物事には必ず終わりが来るもの。滝夜叉は仕立て上がった衣裳を葛籠にしまいながら小さく溜息を吐いた。
仕立て上がるのは良いことなのに、作るものがなくなるというのは今の滝夜叉にとって苦痛に近い。それは最近の小平太の行動にも原因があった。――脱いだ衣裳を整える度に薫る女の香。衣裳に香が移るなど、よほど傍に居ない限りは有り得ない。最近の外出は然程頻繁ではなくなったものの、代わりに衣裳は常に薫る。しかも、それが白檀を基調としたものが多いとなれば、尚更滝夜叉の心は騒いだ。
白檀は、滝夜叉が好んで使う香なのだ。勿論、己の手を加えて独自の香ではあるのだが、こうも同じ匂いを漂わされたのでは滝夜叉としても気が気でない。無造作に衣裳を脱ぎ捨てた小平太の背中に何度「わたくしでは駄目なのですか?」と尋ねそうになったことか。今も己の香が微かに移る衣裳に、滝夜叉は深い溜息を吐いた。
(――この香だって、すぐに他の女の匂いに消されてしまう)
仕方のないことだと分かってはいても、滝夜叉は胸の痛みを抑えきれなかった。一番上にある小平太の衣裳をそっと取り上げ、それを胸に抱える。それは行き場のない想いを昇華させる行為でもあり、同時に少しでも己の匂いが残るように――小平太の傍へ侍る女性が、滝夜叉の香りに気付くように、という当てこすりでもあった。
「……宮様」
小さく呟いた声は誰の耳にも届かず、風に消える――はずだった。しかし、滝夜叉の後ろにそっと佇んでいた影がそれを許しはしない。胸の痛みに憂いの表情を浮かべる滝夜叉を、後ろから伸びた手が抱き締めたのだ。驚いて振り向いた滝夜叉は、そこで己の不覚を知った。
「みや、さま……」
「滝、何してるの?」
驚くほどの近さに滝夜叉は声が掠れた。小平太が話す度に彼女の髪に吐息が掛かる。そのことに動揺しながらも、滝夜叉は何とかこの状況を乗り切ろうと頭を働かせた。――そう、まだ何も気付かれていないはずだ。ごまかしならばいくらでも利く。
「――宮様の、お衣裳をしまっていたんです。そろそろ衣替えの時期ですし、色々整理もしなければなりませんので」
「ふうん……?」
小平太の返事は明らかに疑っている。滝夜叉は内心焦りに震えながらも、平静を装って己が抱えていた衣裳を葛籠の上へともう一度入れ直した。傍に置いていた葛籠の蓋を直し、彼女は己へ絡む小平太の腕を軽く押した。
「さ、宮様も離れてくださいまし。――金吾や四郎兵衛ではございませんのですから、わたくしに甘えられても困ります」
しかし、小平太の腕は一向に離れていかない。困惑して滝夜叉が小平太を振り返ると、彼は表情を全て落とした顔つきで滝夜叉を見詰めていた。胸を押そうとしていた滝夜叉の腕が、小平太の装束に触れる直前で止まる。小平太は片手でその手を取り、滝夜叉にゆっくりと問い掛けた。
「――今の私が、お前に甘えているように見える?」
その問いに滝夜叉の喉が鳴った。思わず後退りしたが、すぐ後ろには小平太の衣裳を入れた葛籠が置いてある。追い詰められた形となった滝夜叉は、強張った表情で小平太を見詰め返した。落ち着かねばならない、と自分に言い聞かせる。何がどうなってこのような状況になったかは今の滝夜叉に皆目見当もつかなかったが、ここを乗り切らねば己が危ないと本能的に察知した。
「宮様、何を仰っているのか分かりません。……お退きいただけますか?」
「逃げるの、滝」
何とかこの場から離れようとした滝夜叉に小平太はぴしゃりと言い放った。その語気の鋭さに滝夜叉は思わず身体を竦ませる。その一瞬の隙をついて小平太は再び滝夜叉の身体を抱え込んだ。驚き身じろぐ滝夜叉の耳元に、低く囁く。
「――あの時、私を好きだと言ったのは嘘だったの?」
「!? な、何を……」
小平太の言葉に滝夜叉は固まった。――その言葉を小平太が知っているはずはない。あの時小平太は泥酔していたのだから。
「滝は馬鹿だね。酔っている男があんな風に女を抱くわけないじゃない。……まあ、知っているはずもないだろうけど」
「な、なん、何を……」
「あの時私から逃げなかったのは、私が好きだからでしょう? あの時に言ってくれたもんね」
滝夜叉は小平太が囁く言葉を信じたくなかった。あの時の記憶は自分の中で完結させ、胸の奥に沈めたはずだ。ならば何故、今小平太が知っているのか。滝夜叉は思わず顔から血の気を引かせ、小平太の腕から逃げようともがいた。しかし、小平太の腕がそれを許すはずもなく、彼女は逆に小平太の胸へ押し付けられる形となった。
「滝があれから何か言ってくるかと思って待ってたけど、全然来ないし。――女子には心の準備もあるだろうから、と待ってみたけど、まさか本当に何もなかったことにするつもりだなんて」
「宮様、何を」
小平太の口から零れる言葉を滝夜叉は信じられない気持ちで聞いていた。
あの一夜の出来事を、小平太が覚えていた? そして、それを今まで彼はずっと自分に悟らせることなく、己の動向を確認していたと言う。それだけで滝夜叉はもう死んでしまいたい気分になった。穴があるなら埋まってしまいたい。けれど、今の自分は小平太の腕の中から寸分足りとも動くことすらできないのだ。
「もう我慢も限界。――私は滝に似た女を選んで必死に凌いで来たと言うのに」
その言葉で滝夜叉は小平太の衣裳へ移っていた香が自分のものに似ていた理由を知った。――同時に湧いてくるのは怒りと困惑、そして少しの喜悦。何かを言おうと口を開くのに、しかし何を告げて良いのかも分からずに滝夜叉は小平太を見上げた。頭が混乱しすぎて、何も考えることができない。小平太はそんな滝夜叉の頬に手を添え、その顔を覗き込む。更に顔を近付けて、滝夜叉の口を吸った。
己の唇に当たった柔らかく濡れた感触で滝夜叉は我に返る。とにかく身体を離そうとしたが、小平太が頭を押さえているので身体どころか唇を離すことすらできない。息を継ごうと唇を開けば舌が口内へ入り込み、傍若無人なまでにその中を蹂躙した。その勢いはあの晩の優しさなどどこにも存在せず、尚更に滝夜叉を混乱させる。
(――こんなものは、知らない)
まるで嵐のような激しさに滝夜叉は思わず知らず慄いた。同時に、何とかこの嵐から逃げなければならない、と感じる。――そうしなければ、己の根本が揺るがされるとまで思う。けれど、小平太の腕は逃げようとする滝夜叉を尚更きつく絡め取り、痛いくらいに抱き締める。
「み、みやさっ……やめっ!?」
何とか小平太を離そうと彼の顔に手を掛けるが、小平太にはそんなもの抵抗にすらならぬらしい。逆に愛しげに滝夜叉の手を取ると、その掌に口付けを落とした。それに驚いて更に身を固くする滝夜叉へ追い打ちをかけるように小平太は彼女の装束へ手を潜り込ませる。慣れた手付きでその帯を解くと、小平太はそれを一気に引き抜いた。滝夜叉の装束が一気に緩む。それに注意を逸らした滝夜叉を小平太は床へ押し倒した。
「いや、宮様、何を……!」
「言ったろ、もう我慢も限界だって。――私がどれだけお前を欲しかったか、分かる? 目の前に居るのにお預け食らって辛かったんだから」
もがき暴れる滝夜叉を押さえ付け、小平太はその耳に低く囁いた。顔を真っ赤にして己を睨み付ける滝夜叉は恐ろしいよりも可愛らしさが先に立ち、小平太は乱れて顔に掛かった髪を掻き分けて彼女の額に口付けを落とした。それが尚更滝夜叉の怒りと混乱を煽るのだが、小平太は全く意に介していない。それどころか、彼女の意識が自分に向くことを喜ぶきらいすらあった。小平太はまるで餌を前にした獣のような貪欲さで滝夜叉の白い身体を探り、その柔肌に口付けを落とした。
まだ発達の薄い胸は小平太の好みとは程遠い。けれど、ふっくらと小ぶりな胸に触れ、その頂に口付けるだけで小平太の官能は煽られていた。滝夜叉は小平太が触れるたびに逃げようともがくが、小平太がそれを許すわけがない。逆にその動きを利用して己の許へ彼女を引き寄せ、一度教え込んだ快楽を引き戻していく。己が拓いた身体だ、それを辿るのは簡単だった。
「あ、あ、やめっ……みやさ、だめ……っ!」
逃げようとしたのか、それとも縋る場所が欲しかったのか、滝夜叉は小平太の葛籠へしがみ付く。それに覆いかぶさるような形で小平太は身体を寄せ、その首筋や露わになった背中に口付けを落としながら、滝夜叉の乳房を弄んだ。次第に滝夜叉の声が甘く変わり、小平太はその変化に満足そうに喉を鳴らす。
「滝、可愛い」
「みやさま、もうおやめください……! おたわむれがすぎます……!」
「こんな可愛い滝を見て、止められるわけないでしょう。ほら、こっちだって少しずつ湿ってきてる。この前よりずっと反応が早いね。――思い出した?」
「なにを……!」
胸から下腹を滑り、既に用を為していない袴の奥へと手が伸びる。指をあてがわれた秘部は少しずつ湿り気を増してきており、滝夜叉がこの行為をどのように感じているかを如実に小平太へ教えていた。そのことがまた小平太の増長に繋がり、まるで遠慮をしない愛撫へと繋がる。滝夜叉は己の身体を我が物顔で蹂躙する小平太の指を何とか止めたいとその腕に手を掛けたが、小平太から与えられる快楽に抵抗する力も奪われていく。主の意思を無視し、次第に小平太を自ら受け入れるような動きをし始める身体に滝夜叉は泣きたくなった。
「ほら、濡れてきた。――さすがに二回目だと違うね。ほら、指が二本入るよ」
小平太の言葉通り、滝夜叉の秘所には既に小平太の指が侵入していた。二本の指を中で動かされ、滝夜叉はその違和感に眉をひそめる。けれど、その違和感もその前にある花芯を探られることによって霧散した。頭まで響くような快楽に滝夜叉は思わず身もだえする。その様子を小平太は実に楽しそうに見下ろしながら、滝夜叉の秘所を探る指を増やしていった。その間も勿論片腕は彼女の胸や身体を探るのに余念がない。性についてほとんど何も知らないに等しい滝夜叉など小平太の性技に敵うわけもなく、己の意思と関係なく滝夜叉の身体はどろどろに溶けていった。
「あ、ああ、ん……!」
「もう良いかな、ねえ滝」
身体の奥を探られて嬌声を上げる滝夜叉に小平太は囁いた。紅く染まった身体に快楽に蕩けた瞳が小平太を映すが、そこに既に理性が入り込む余地などない。何かを告げようと口を開くも、考えがまとまらないのか喉が震えるだけで言葉が出てくることがない状態である。小平太はそんな滝夜叉の様子に付け込むように甘い口付けを落として、彼女の身体を再び床へ横たわらせた。
足の間に己の身体を挟み込み、更に滝夜叉を口付けと愛撫で追い込む。滝夜叉自身は既に快楽も思考も許容範囲を超えてしまったのか、小平太の行為を受け入れることはなくとも抗う様子も見せない。小平太は濡れそぼった滝夜叉の秘部を確認した後、彼女の額や頬に口付けを落としてから小平太は既に猛りきった己を彼女へあてがった。
「――少し我慢してよ」
「? ……あ、や、いった……!」
ずん、と腰に鈍い痛みが走る。さすがに以前ほどではないにしろ、男を受け入れた経験のほとんどない上に以前の行為からかなり日が経っているのだ。滝夜叉は快楽から一気に引き戻され、身体を強張らせた。同時に小平太への恐怖も蘇り、身体を竦ませる。自分が自分でなくなってしまうような感覚に、滝夜叉は思わず身体を震わせた。
それに気付いた小平太が滝夜叉をあやすように抱き締めて、口付けを降らせる。それは滝夜叉にたった一度きりだと思っていた、あの夜を思い出させた。同時に何だか感情が溢れ出して、滝夜叉は大粒の涙を滑らせる。それを小平太は唇で拭って、もう一度ゆっくりと滝夜叉を抱き締めた。
痛みと圧迫感で喘ぐ滝夜叉を小平太は変わらぬ優しさで扱い、滝夜叉はいつの間にか小平太に縋るように腕を回していた。それが小平太の感情を更に募らせ、滝夜叉への愛撫へと変わる。いくつも肌に痕を残し、小平太はゆっくりと滝夜叉の奥を突き上げてから達した。子胤を滝夜叉の腹に流し込み、小平太は脱力する。どこか放心した様子の滝夜叉に何度も口付けた後、小平太は彼女の肢体をもう一度しっかりと抱き締めた。
「――滝は今晩から私の対で寝ること。良いね?」
「な、何を馬鹿なことを仰ってるんですか。召人めしうどが主の対で寝泊まりするなど、そんなの前代未聞です。……第一、わたくしのような身分の者が宮様の伽に侍るだなんて……」
行為が終わって一段落ついた後、小平太は滝夜叉にそう命じた。それに滝夜叉が唯々諾々と従えるわけもなく、未だ抱き締められた体勢のまま彼女は主に反論した。しかし、小平太は滝夜叉のためらいも一切を切り捨て、彼女の細い体躯を抱き締める腕に力を込める。更に彼女の耳元で囁いた。
「私が滝を欲しいと思ったの。――別に身分は関係ないでしょ。好き合ってるならそれで良いじゃない」
ちゅ、と音を立てて唇を吸われ、滝夜叉はそれ以上の反論を許されなかった。
けれど、彼女は知っている。自分の立場は〈側室〉などではなく、〈召人〉なのだと。彼女自身がまず官位を持っておらぬ上、父もほとんど無位無官であった滝夜叉は皇族である小平太の妻にはなれない。そして、いつ途絶えるかも分からない小平太の愛だけを頼りに生きていくには、滝夜叉は現実を知り過ぎていた。
――愛していても、どうにもならないことはある。それをまざまざと思い知らされながらも、滝夜叉は己を抱き締める温かい腕から逃げることができなかった。何故なら、それは彼女がずっと望んでいたものだったからだ。自分の愚かさに吐き気すら感じながら、滝夜叉は一時でも甘い夢を見られるのなら、と理性にそっと目を閉じた。
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鈍行*2008.08.06〜 Written by 緋緒