鈍行


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▼はじまり



「……喜八郎、どうした?」
「昔、ここでよく遊んだな、って」
「お前は穴掘りばっかりしてたじゃないか。沢で遊んでいたのは私だけだった」
「滝夜叉丸が沢で遊んでいるのを見ながら、穴を掘るのが好きだったんだよ」
 生まれ故郷がダムに沈むと聞いて、母と三人この土地を見るために戻ってきた。――良い思い出も、悪い思い出も詰まっているこの土地に。そう考えた瞬間、滝夜叉丸にとっては悪夢のような出来事を思い出し、彼女は思わず瞼を伏せた。
『滝夜叉丸、待ってよ!』
 あのとき、自分はなぜ足を止めなかったのだろう。別に大して急いでいたわけでもない。ただ楽しくて、早く目的地に着きたかった。その代償がどれだけ大きいかも気づかぬままに。――そのせいで、喜八郎は背中に大きな傷痕を残すことになった。
「喜八郎、あのとき……」
 滝夜叉丸は伏せていた顔を上げて喜八郎を振り返る。しかし、そこにいるはずの喜八郎の姿はない。驚いて周囲を見渡せば、遠くに小さくなった彼女の背が見えた。何をやっているんだ、と目を凝らせば、紅い蝶を追っている。まるで惹きつけられるように一心不乱に蝶を追う喜八郎の姿に胸騒ぎがした滝夜叉丸は、慌てて彼女を追って森のなかへと足を踏み入れた。







「喜八郎、どこへ行くんだ!」
 姉を追って鬱蒼とした森を駆け抜ける。足場は悪いが、運動神経の良い滝夜叉丸にとってそれは問題にならない。すぐに喜八郎との距離を詰めた滝夜叉丸であるが、ある場所を通り過ぎたときに周囲の状況が一変した。
「な、なんだ……ここは……?」
 先程まで漏れていたはずの木漏れ日が一瞬にして闇に変わり、聞こえていたはずの虫や鳥の声が痛いほどの静寂に変わる。先程まで木々の隙間から見えていた太陽はなぜか月に場所を譲り、まるではじめから夜だったかのような顔でその森は佇んでいた。
「……喜八郎!」
 しかし、滝夜叉丸は突然変化した現状を把握するよりも、見えなくなりそうな背中を追うことを選んだ。遠くに揺らめく明かりに吸い寄せられるように歩んでいく喜八郎の背中を追い、彼女もまた明かりへと駆け寄る。その明かりが示す場所は森を切り取ったように開けた場所で、滝夜叉丸は急に良くなった視界に一瞬驚いて足を止めた。しかし、すぐに姉の姿を探し、ぐるりと周囲を見回す。幸い、その姿は近い場所に留まっており、滝夜叉丸が彼女に声をかけようと口を開いた。
「きは……」
 しかし、その声は途中で途切れた。滝夜叉丸が見ている前で、まるで噴き出すように紅い蝶が飛び立っていく。その光景はまるで喜八郎自身が紅い蝶を生み出しているような錯覚すら感じさせ、滝夜叉丸はさらに強くなった胸騒ぎに思わず唇を噛みしめた。
「喜八郎、戻るぞ」
 その不安を振り払うように強い声を上げた滝夜叉丸だが、当の喜八郎はぼんやりと飛び去った蝶を目で追ったあと、ゆっくりと口を開いた。
「……地図から、消えた村……」
「は?」
「母さんが、言ってた。――いつだったか、村がひとつ、地図から……この世から消えたって。そして、一度足を踏み入れた者はもう二度と戻れない……」
 どこか熱に浮かされたような喜八郎の言葉に、滝夜叉丸は唇を真一文字に引き結んだ。真綿で首を絞めるように不安が足下から這い上がってくる。それを意識したくないがゆえに、彼女は敢えてその言葉を切って捨てた。
「阿呆か。――第一、地図から村が消えるなんて、そんなの過疎か何かで廃村になったとか、それこそダムの下に沈んだとか、そんな理由だろう。それに、本当にそんなオカルトな場所があったとしても、二度と戻れないなら、なんでその存在を母さんが知っているんだ。本当に二度と戻れないなら、その村の存在を目の当たりにした人間は誰かに話すことなどできないだろう。大方、都市伝説の類か何かさ。
 ほら、下らないこと言っている暇があるなら、帰るぞ。いつの間にか夜になってしまったみたいだし、母さんもきっと心配している」
 普段から口数の多い滝夜叉丸であるが、このときは常になく畳みかけるように喜八郎へと言い捨てた。それに喜八郎は少しだけ首を横に傾げたあと、小さく口を開いた。
「どうやって?」
「どうやって……ってお前……元来た道を戻れば良いだけじゃないか。ほら、もう行く、ぞ……」
 滝夜叉丸は先程来た道を振り返って絶句した。――そこに道が、ない。己が潜った鳥居はあるのに、その先に続いているはずの道がどこにも見えなかった。そこにあるのは鬱蒼とした森ばかりで、まるで初めから道などなかったかのように木々が乱立している。
「わ、私としたことが方向を間違えたみたいだな。えーっと、こっちか!」
 振り返った方向が違ったのだろう、と己を無理矢理納得させ、滝夜叉丸は別の方向へ視線を向ける。けれど、その先にも村の出入り口らしき道はなく、ただただ森が存在するばかりだ。そのあと、何度その場所をぐるぐると巡っても、滝夜叉丸の目に村の先程自分たちが通ってきたはずの道が映ることはなかった。
「……どういう、ことなんだ……? 森に入ることすらできないなんて」
 この際、獣道でも構わないと森に入ろうとしたが、なぜかその場所に足を踏み入れることができない。これではとてもじゃないが沢のほうまで戻ることはできない、と結論づけた滝夜叉丸は、渋々村の奥へと視線を向けた。
「……村に誰か、いると思うか?」
「分からない……。だけど、戻れないなら進むしかないんじゃない?」
「……それも、そうだな。喜八郎、私の傍から離れるなよ。こんな不気味なところ、とっとと出て行くに限る。この場所から出られないなら、別の出口を探すだけだ」
 滝夜叉丸は次第に強くなる悪寒を振り払うように、わざと大仰な様子で髪を払った。しかし、そんな彼女を普段ならば少し呆れたように眺める喜八郎は、今はぼんやりと村の奥を見つめるばかりだ。その様子にひどく不安をかき立てられた滝夜叉丸は、一刻も早くこの村から出ることをひとり心に決め、どこか虚ろな様子の喜八郎を促して村の奥へと足を踏み出したのだった。



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鈍行*2008.08.06〜 Written by 緋緒


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