鈍行
▼火薬委員会編(タカくく)
「……うちは伊助と兵助が被害に遭ったか」
まさに「被害」という言葉は言い得て妙である。己もまた難を逃れた顧問の土井 半助は、自分たちの前で居心地が悪そうにあらぬ方向を向いている委員二人を見遣った。さすがに一年の伊助は顔立ちが少し柔らかくなるだけで大した変化はないが、五年である兵助の変化は凄まじい。元より凛々しい顔立ちの少年だったが、それが上手く作用して利発な美女に大変身を遂げていた。
それまでは細身でも明らかに男と分かる体格だったが、ほっそりと主張するところだけ主張する身体付きへと変化している。胸元はしっかりと押し上げられ、それまではちょうどぴったりだった制服は少しばかり今の彼女には大きくなってしまっているようだ。それがまた不思議な色気のようなものを醸し出し、正直周りも居心地が悪かった。唯一平気な顔をしているのはタカ丸で、彼は平時と同じくニコニコしながら今日の委員会活動へと行動を移していた。
「あ、伊助ちゃん。悪いんだけどこれ、兵助君に持ってってくれるー?」
「分かりましたー!」
確認し終わった在庫表を伊助に託し、タカ丸は動かした火薬壺を元の場所へ戻していく。タカ丸と同じく火薬壺を動かしていた三郎次は、小声でタカ丸に話しかけた。
「タカ丸さん、よく平気でいられますね」
「ん? 何が?」
「伊助と久々知先輩ですよ! ……僕は正直、どう扱って良いのか」
目のやり場に困ります、と漏らす三郎次の顔は赤く、タカ丸は思わず吹き出した。――それはそうだろう、今の兵助は間違いなく美女だ。男装の美女である。白拍子の格好などさせたらきっと物凄く似合うだろうな、とタカ丸は全く方向違いの考えまで浮かべる。そんなタカ丸など露知らず、三郎次は続けた。
「伊助は伊助で微妙に雰囲気が違うし……仕事も頼みづらいですよ」
「それは仕方がないでしょう。伊助ちゃんだって、兵助君だって、好きで女の子になっちゃったわけじゃないんだから。――でも、あんまり重たいものは頼まない方が良いだろうね、力もなくなってるだろうし。火薬壺の移動なんかは僕や土井先生でやるから、三郎次君もそういう感じでお願いね?」
「ああ、はい、分かりました。……しかし、本当に動じてないですね、タカ丸さん。さすが色々と経験豊富な髪結いさん、なんでしょうか」
「別に髪結いは関係ないと思うよー? それに僕だって朝はびっくりしたしねえ」
タカ丸がケラケラと笑いながら告げた言葉に、三郎次は自分を叩き起こした朝の奇声を思い出した。――あれは四年の滝夜叉丸だったか。確か、四年生はい組の平 滝夜叉丸、綾部 喜八郎とろ組の田村 三木ヱ門が被害をこうむっていたはずだ。当然、あの三人と仲の良いタカ丸もあの奇声に起こされた口だろう。朝起きて同級生が女性になっていたら、それは驚くはずだ。幸いにも二年生は誰も被害に遭わずに済んだのだが、三郎次とてその他の人間たちの変わりようを見て心臓が飛び出すかと思ったのだから。
「久々知先輩もさぞかし驚いたでしょうね……」
「うん、自分の身体見て固まってた」
朝のことを思い出したのか、くすくすと笑い声を立てるタカ丸に三郎次は一瞬その事実を流しかけた。しかし、何故朝に久々知の許を訪れたのか、という疑問は彼の喉に引っかかったまま、結局口に出されることはなかったのである。
「――後は俺たちで良いか。伊助、三郎次、後はやっておくから上がっていいぞ」
「え、でも……」
「? いつもそうだろ。特に伊助は今大変だからな、少し部屋で休め。疲れたろ」
確かにいつもは上級生の二人に任せて、下級生は上がってしまう。それは彼らが居ても役に立たないからなのだが、今は久々知とて女の身だ。第一、女性化した伊助が大変だと言うのならば、同じ身の上の兵助も大変なのではないか。そんな疑問が下級生の間に過ぎったが、二人のそんな考えに兵助は全く気付いていない。下手に藪を突いて蛇を出すよりは、と伊助と三郎次は視線を交わし合って上級生二人にいつも通りに頭を下げた。
「「じゃあ、後はお願いしまーす!」」
「ああ、そろそろ暗くなって来たし、多分その……綾部が鬱憤晴らしに穴を掘りまくっていると思うから、気を付けて戻れよ」
「ああ。そう言えば鋤を持ってどっか行ってたねえ、喜八郎」
兵助の言葉に二人は有り得そうだ、と己らに降りかかる災難を思い、身を震わせた。最近、とみに綾部 喜八郎の技術は上がっている。あの平 滝夜叉丸ですら、彼の技術には一目置いているのだ。それだけで、彼の程度を知るには十分である。
「……三郎次先輩……」
「言うな、伊助! 決して目印を見落とすなよ! ……せめて中に何も仕掛けられていないことを祈ろう」
不安げに袖を引かれた三郎次は己を奮い立たせて強く言う。しかし、彼の表情もまた不安に満ち溢れていた。これならばいっそ一緒に戻った方が良いのか、と兵助は考えたが、彼が引き留めるよりも早く二人は火薬庫を後にしたのだった。
「……さて、あの二人は無事に忍たま長屋に戻れたのかなあ?」
「まあ、もし穴に埋まってたら、帰りに引き上げてやれば良いだろう」
既に落ちかけた西日が差し込む火薬庫で、二人はせっせと最後の確認を行っていた。兵助はタカ丸に応えながら、いつも通りに火薬壺を動かそうとする。――が、普段ならば浮き上がるはずの壺が全く動かぬどころか、傾いてしまった。気付いたタカ丸が慌てて手を伸ばしてその壺を地面に戻し、二人は思わず胸を撫で下ろした。
「危なかった……駄目だよ、兵助君! 今は女の子なんだから気を付けてくれないとー。怪我したらどうするの?」
「…………嘘だろう」
タカ丸は思わず兵助を窘めるが、彼は突然ひ弱になった己に衝撃を受けて聞いちゃいなかった。火薬壺を動かすだけの腕力も五年間の鍛錬の賜物なのに、それが無残に散ったわけであるから、込み上げてくる怒りは半端ではない。ふるふると震える腕で、兵助はまるで捻り潰すように己の乳房を掴んだ。
「こんなもんが生えてさえ来なければあああああ!」
「兵助君、落ち着いてえええ!」
「ええーい、こんなもん引き千切ってくれるわあああ!」
「やめてえええ!」
兵助君がご乱心だ! とタカ丸は慌てて彼を羽交い絞めにした。普段ならば本気を出した兵助にタカ丸が敵うわけもないのだが、今は男女の差がある。タカ丸は何とか兵助の腕を押さえつけて、彼が無茶をしないように腕の中へ閉じ込めた。
「放せ、斉藤! 男の情けだああ!」
「落ち着いて、兵助君! 大丈夫、すぐに伊作君が解毒剤を作ってくれるって!」
「俺の摩羅を返せええええ!」
「すぐに戻ってくるって! 朝だって布団にも落ちてなかったじゃん! 確認したじゃない、二人で!」
そう、朝に滝夜叉丸の悲鳴で目を覚ましたタカ丸は彼らの異常を確認した後、すぐに善法寺伊作が前夜に告げていた薬の効果だと思い至っていた。同時に思い出したのは、四年生と同じ時間に食事をしていたはずの五年生のこと。そこでタカ丸は取っ組み合いを始めた滝夜叉丸たちを放置して、すぐに五年長屋へ駆けたのだった。
「兵助君!」
当然、駆け付けるのは恋人でもある兵助の許である。勢い良く障子を開けた先には、布団の上で寝間着を前を空け、己の身体を呆然と見詰めている兵助の姿があった。タカ丸の暴虐で隣で寝ていた兵助の同室の者が目を覚ましたが、彼が文句を言うよりも早くタカ丸は兵助の前へと入り込んだ。開けられた夜着の下にあるのは、普段から見慣れた鍛え抜かれた身体ではなくまろやかな女子の肌。タカ丸が来ても微動だにしない兵助の夜着を、前を掴む彼の腕ごと掻き合わせて腕の中にしまい込み、タカ丸は状況が理解できていない兵助の同室の人間に視線をぴたりと合わせた。
「先輩、すみませんけど六年は組の善法寺 伊作君に薬の効果で兵助君と四年い組の平 滝夜叉丸君、綾部 喜八郎君、ろ組の田村 三木ヱ門君が女の子になってしまってます、って言いに行ってくれませんか?」
それは依頼の形をした命令だった。忍の見習いとなってまだ日が浅い身でありながら、五年生を射竦める眼力。それがどこから来たのかも理解できぬまま、兵助の同室の者は夜着のまま部屋を飛び出す羽目になった。
「……兵助君、大丈夫?」
彼が出て行った後、腕を伸ばして障子を閉めたタカ丸は腕の中で固まっている兵助へと声を掛けた。しかし、彼は応えも寄越さずにタカ丸の腕から抜け出すと、今まで座っていた布団を隈なく漁り始めた。掛け布団を横に手荒く退け、まるで小さな塵を探すかのように布団を眺める。異様に思ったタカ丸が声を掛けると、兵助は邪魔だと言わんばかりに不機嫌な声で吐き捨てた。
「俺の摩羅が落ちてるかも知れないから、探してるんだ」
「えええ!? いや、ないよ!? ないでしょ、ほら、布団をばさばさしても落ちて来ないよ! 大丈夫、落ちたわけじゃないよ!」
かつてないほど動揺しているらしい久々知は這いつくばって布団を見詰めている。しかし、十四の男の摩羅が落ちていれば、布団を漁るより先に見つかるはずだ。そんなことも分からなくなるほど動揺している久々知をタカ丸は再び腕の中に戻して、宥めるように背中をたたいた。
「大丈夫だよ、兵助君。四年生の滝夜叉丸も喜八郎も三木ヱ門のも落ちてなかったみたいだから、落ちてなくなっちゃったってことはないみたい。それに多分、これは昨日伊作君が言ってた薬の作用だと思うんだ。薬の所為でこうなったなら、きっと元に戻るよ。ね?」
「…………本当にそう思うか?」
耳許で宥めるように囁けば、兵助は縋るようにタカ丸を見上げた。それにタカ丸が笑顔で頷くと、しかし兵助は不服そうに手を伸ばしてタカ丸の股間を握った。
「お前はあるじゃないか、気休め言うな馬鹿」
驚いて硬直する彼を余所に、美女がひどく不機嫌に吐き捨てる姿は色んな意味で壮絶である。いかに「そういう関係」であっても、今この状態で握られるのは辛い。タカ丸は普段よりずっと細く華奢な指に触れられている事実に己の息子が頭をもたげそうになるのを必死で堪えた。――これで欲情したら最後、タカ丸は一生兵助に口すら聞いてもらえなくなるだろう。その恐怖が功を奏してか、何とか兵助が落ち着きを取り戻すまで、タカ丸は己の劣情を恋人に悟られることはなかったのである。
「第一、自分の胸なんだからそんな風にしたら痛いでしょう」
「痛みなんてどうでも良い! この柔らかい贅肉の存在が不愉快で仕方ないんだ! ……もし一生このままだったらと思うとぞっとする。別に女が嫌いなわけじゃないけど、俺が女になるのはごめんだ」
兵助の言葉にタカ丸は苦笑した。それはそうだろう。普通の男ならば女になりたい、などと思うことはないはずだ。タカ丸は己の腕の中で怒りに震える兵助の背を優しく撫で、にっこりと囁く。
「大丈夫、すぐに伊作君が解毒剤を作ってくれるって。彼が元々作った薬なんだから、直す薬だって当然作れるはずだもん。それを信じて待とう?」
「……頼むから早くしてくれ、善法寺先輩」
「うん。――それに、兵助君はこんな話したら怒るだろうけど、もし兵助君がこのままだったとしても、そうしたら俺がちゃんとお嫁さんにもらって髪結いしながら忍者する僕の仕事を手伝ってもらうから大丈夫。旦那より優秀な忍の奥さんが居るんだもん、きっと繁盛して忙しくなるよ。兵助君の努力は絶対無駄にしないから、安心して」
そういう問題じゃない、と兵助は怒鳴りつけたかった。それでもできなかったのは、嬉しかったからだ。――タカ丸の心遣いが、とても。このまま一生女になるなど考えたくもないが、それでもこの男が居るのならば何となく心丈夫になるのだから不思議だ。いつの間にかタカ丸の背に腕を伸ばしていた兵助は、ぎゅっと抱き締められて吐息を漏らした。
兵助がタカ丸を年上だと認識するのはこういう時だ。普段は忍術もまだまだてんで駄目、言動も一年生と似たようなタカ丸は全く年上などとは思えないのだが、こうやって己をあやすように宥めてしまう度量の広さを見せられるたびに敵わないとも思う。先輩としての矜持もあるが、それすらも超越して降参させられてしまうのだ。
(ああ、もう!)
悔し紛れにタカ丸の胸へ頭を押し付けると、柔らかい声が耳に届く。それを聞いた瞬間、兵助は顔に朱を上らせた。
『――今夜からは僕の部屋に来てね? そんなに可愛い先輩が無防備にしてるとこ、他の人には見せたくないから』
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鈍行*2008.08.06〜 Written by 緋緒