鈍行
▼会計委員会編(三木←さも風味)
「……ウチは、三木ヱ門だけのようだな」
「せ、先輩……」
三木ヱ門は己に突き刺さる後輩たちの視線に身を震わせた。憐れむような、嘆くような視線が痛い。同時に余り変化のない己の身体を不思議に思っているのが分かり、彼の所為では全くないのに何故か居た堪れない気持ちにさせられた。
「――何も言うな、僕が一番辛いんだ」
「せ、先輩……!」
団蔵と佐吉がそれぞれ潤んだ瞳で見上げてくる。その涙が同情から来るものか、それとも別の感情から来るものなのかも測りかね、三木ヱ門はただ溜め息を吐くに留めた。気にしないようにしながら自分の定位置へ着き、通常のものより随分と重たい算盤を取り上げた。
「……そういえば、左門はどこです? あれは、その」
「ああ、左門は〈無事〉だ。三年はあいつら――あいつと次屋だけ難を逃れたらしいな。方向音痴も偶には役に立つと言うことか」
「なるほど……そういえば、昨日の夕飯時にいなかった気がします。作兵衛が騒いでましたからね」
三木ヱ門は昨日の夕食時を思い出して溜め息を吐いた。三年と四年は合同実習を行っていたので食事の時間も同じだったのだが、食堂でさて夕食を食べようと言う時になって左門と三之助が居ないことが発覚したのだ。しかし、それに気付いた時には作兵衛は既に夕食に手を付けており、口をつけた夕食を放置して食堂を出ることも叶わなかったため、彼らの捜索は後回しになったのだった。
そこまで思い出して、三木ヱ門は深い溜め息を吐く。無自覚方向音痴の次屋よりかは自覚がある分(?)いくらかマシかも知れないが、結局無駄に発揮される決断力の良さが彼を更にドツボにはめていた。
「……探してきますか?」
「いや、来た」
三木ヱ門がいつものごとくに口を開くと、文次郎が首を横に振った。同時に耳に届いたのは、忍のたまごでありながらドタバタと廊下を走る足音。それに顔をしかめたのは文次郎も三木ヱ門も同じである。三木ヱ門は再び腰を上げて、折角委員会室へと辿り着いた左門が別の場所へ移動する前に彼を確保しようと、戸を開けて待ち構えた。
「あっ、田村 三木ヱ門先輩!」
「どこへ行く、神崎ー!」
委員会の先輩である自分を認識しながら、別方向へ離れていこうとするというのは一体どういう思考回路(もしくは運動神経)なのか。三木ヱ門は頭痛がし出した己のこめかみをさすりながら、どこかへ行こうとする左門の襟首を捕まえて溜め息を吐いた。
「どこへ行こうとしている、こっちだこっち」
三木ヱ門はそのまま左門をいつものごとくに引きずっていこうとしたが、普段ならば片手で済むことが今は両手を使わねばならぬことに愕然とした。
「お、お前太ったか……?」
「太ってませんよ!」
「……そうだよな……」
自分が非力になったのだと、認めるのは癪だった。が、認めないわけにもいかず、三木ヱ門は深く深く溜め息を吐いた。その様子に左門はポン、と手を打ち、三木ヱ門を指差す。
「先輩、女になったんでしょう!」
「朝からそう言っとろうがー!」
思わず胸ぐらを掴んで怒鳴り付けた三木ヱ門に非はない。朝から予想外の事態に巻き込まれ、同時に己に降りかかった災難で機嫌も気分も最悪になっていた状況で極めつけの左門の一言だ。現に誰一人として怒鳴り付けた三木ヱ門を窘めようとする人間はいなかった。
「でも、その割に胸が……ああ、あるはあるんですね」
「三木ヱ門、落ち着け! 今のは左門が悪い! だからその種子島をしまうんだ!」
「先輩、待ってください!」
「落ち着いて、気を確かに!」
しかし、更に三木ヱ門の怒りを増長させたのは左門の態度である。左門はなんと、目の前にある三木ヱ門の胸にそのまま触れ、更に揉み上げさえしたのだ。
当然、三木ヱ門の怒りは臨界点を突破した。いつの間に用意したのか、その細い腕には不釣り合いの火縄銃が握られている。今にも火種から導火線へと点火しそうな三木ヱ門を左門から引きはがしながら、文次郎は彼をその背にかばった。同時に一年生二人が三木ヱ門の両腕へ縋り付き、先輩が取り返しのつかぬ過ちを犯さぬように押さえつけている。それでも三木ヱ門の怒りは収まるどころか募るばかりで、最終的には文次郎が彼女を羽交い絞めにし、団蔵と左吉が無理やり左門の頭を下げさせることとなった。
「……で、確認して分かっただろう。僕は今、非常に怒りっぽくなっているんだ。これ以上この問題に触れてみろ、今度はユリコがお前に火を噴くぞ」
「でも、別に女になったのは先輩だけじゃないじゃないですか。さっき見ましたけど、四年生の平 滝夜叉丸先輩や綾部 喜八郎先輩も大きな胸抱えてましたよ。綾部先輩なんて、穴掘るのに邪魔だってうんざりした顔してました」
大きな胸、の辺りで三木ヱ門の眉が再び動いた。その発言に会計委員たちの視線が三木ヱ門の胸へと集中する。その膨らみは同じ境遇となった他の同級生たちと比べ、余りにもささやかだった。勿論、本来は男である以上、胸の大きさなど彼にとって無意味である。しかし、目の前であんまりにも張り出した胸を見せつけられれば、劣等感を感じるなと言われても無理であろう。三木ヱ門は何とも言えない表情に顔を歪め、視線を逸らした。
「ふん、あいつらみたいに牛みたいな乳なくて清々してるよ! お蔭で快適だからな」
半ば負け惜しみのような言葉に三木ヱ門自身も自分で落ち込んだが、口から一度出してしまった言葉は取り戻せない。最終的に不自然な沈黙が落ち、全員が気まずい顔で俯いた。――その時。
「そんなに落ち込まなくても。小さいって言ってもちゃんとあったし、柔らかかったし、良いじゃないですか。私はそれぐらいでも十分いけると思いますけど」
「馬鹿左門! お前は一遍水でもかぶってこい! み、三木ヱ門、落ち着け、今すぐ左門は隔離する!」
「…………そうしてください」
三木ヱ門は怒りを突き抜けて脱力した状態で、必死に左門の口を塞ぎながら退いていく文次郎に頷いた。ささやかな胸には先程柔く掴まれた感覚がまだ残っている。
(……別に気にしてないし、嬉しくもない!)
滝夜叉丸も喜八郎も目に見えて大きい胸をしていたし、胸の大きさに関しては既に滝夜叉丸と取っ組み合いの喧嘩さえしている。他の人間に比べて胸の大きさが小さいのは個体差というものだろう、と同じくふくよかな胸をしていた善法寺 伊作も言っていた。多分、生来の女子であっても余り大きくならない体質なのだろうとも。
体質ならば仕方がない。第一、四年になった今もまだ三木ヱ門は声変わりがほとんどないのだ。多分、男としても余り成長しない体質なのだろうと思う。今までとて忍術学園の生徒にはそういった人間が数多居たから、今さらそれを嘆くことなどない。だが、三木ヱ門は今先程耳をくすぐった言葉に溜め息を吐いた。
「――あの、先輩……その、神崎先輩も決して悪気があったわけじゃないと思うんです。だから、その、あんまり怒らないであげてください」
「団蔵、余計なことは言わない方が……!」
そこに団蔵が心配そうな顔で要らぬことを告げてくる。左吉はさすがに彼を止めたが、思いは一緒なのだろう、己を見上げる視線は縋るようだ。三木ヱ門はそれにどうして良いか分からなくなり、深い溜め息を吐いた後に彼ら二人の頭を撫でた。
「――早く元に戻って、ユリコやカノコたちをぶっ放したいよ」
「その時は僕らもお手伝いします!」
「火薬委員会の久々知先輩も女の子になっていたはずですから、男に戻られた嬉しさできっと火薬も大量に出してくれますよ!」
多少打算的な左吉の発言に半ば苦笑しながらも、三木ヱ門は少しだけ気が晴れた様子で肩を竦めた。不思議と今はもう胸のことも余り気にならない。それは怒りが突き抜けた所為かも知れないし、別の理由があるのかもしれなかった。
「さ、先輩が戻られる前に仕事に取り掛かろう。もたもたしてたらまた怒鳴られるぞ」
「「はーい」」
下級生二人を促して、三木ヱ門は再び定位置へと腰を下ろした。鍛練用の算盤は普段より腕に重いが、そればかりは仕方がないのだろう。幾分かほっそりとなった指で重い珠を弾きながら、三木ヱ門は思考を停止して計算へと没頭し始めた。
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鈍行*2008.08.06〜 Written by 緋緒