鈍行


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▼花嵐一夜



「――まあ、随分と連れて来たこと。五、六年が居ないと知って連れて来るにはちょっと多すぎやしない?」
「それだけ我々が警戒されているということだろう。光栄なことじゃないか、実力を認められるということは。――もっとも、五、六年の先輩方がいらっしゃらなければ容易くこの学園が落ちると思っているのならば、業腹(ごうばら)だがな」
 忍術学園の外、援軍と学園を囲う兵たちの間の森へと移動した滝夜叉丸と喜八郎は、木の上からぼそぼそと言葉を交わし合った。既に二人の間には、己らが仕掛けた罠や塹壕、狼穽をいかにして相手に使うかの考えが浮かんでいる。視線だけで己の考えを相手に伝え、二人はそれぞれに装備を今一度確認した。
「――少し、少なすぎたか?」
「でも、あんまり持つと重くなるからねえ。ま、いざとなれば相手から奪えば良いでしょ。――刀だって、斬り過ぎたら使い物にならなくなるしね」
「違いない」
 二人は場にそぐわぬ笑みを交わし合う。それは深淵を――上の二学年が持つ闇を知っている表情だった。彼女たちはお互いに一度だけ手を触れ合わせ、目を伏せる。互いに持つ闇の記憶を、今は伏せた。
 殺すには、感情は不要。忍びたる者、己の感情に囚われて行動を起こしてはならぬ。私怨も、恐怖も、何もかも忍には持ち合わせてならぬものである。ただ許されるのは、忍務を遂行するというその一点のみだ。
 二人はお互いの手のひらを離し、もう一度だけ顔を見合わせて笑った。
「――行くぞ。四郎兵衛の足ならば、もうそろそろ六年生の先輩方はこちらに向かい始めていておかしくない。あの方々の露払いをせねば」
「久作は着いたかな」
「五年生の実習地は六年ほど遠くなかったはずだ。もう着いていることだろう」
「じゃ、もうそろそろ戻って来るだろうね。間違って先輩方まで巻き込まないようにしなきゃ」
 喜八郎の発言に滝夜叉丸はくつりと笑った。自分たちがあの青と緑の制服を見間違えるはずがない。――今心待ちにしているのは、何よりも彼らの姿なのだから。
 軽く会話で身体の力を抜いた二人は、もう一度だけ笑み交わした後に立っていた木の枝から姿を消した。



「……何かさ、学園に近付くことに邪魔が増えてる気がすんだけど」
「気じゃなくて、本当に増えてんだよ。――おい、小平太、飛ばし過ぎて四郎兵衛を落とすなよ」
 己の苦無で敵を一撃に仕留めた小平太を尻目に、同じく留三郎が鉄双節棍を振るった。しかし、吹き飛ばした敵兵の姿など見もせずに、彼は小平太の背中に括り付けられている四郎兵衛を確認する。小平太に背負われたままの四郎兵衛は普段から丸い目を六年生たちの驚異的な戦い振りを見て、更に丸くしていた。
「大丈夫、何のために縛り付けてると思ってんの」
「そういう問題じゃないんだよ、小平太。――四郎兵衛、気分が悪くなったら言うんだよ」
 明らかに論点が違う小平太の発言に、留三郎の援護をするように伊作が言葉を重ねる。先程から霞扇や針などで敵をどんどん倒している彼は、足の速い小平太にしがみ付くような形で運ばれている四郎兵衛に優しい声をかけた。しかし、その声の調子とは裏腹に、彼の瞳はどこかぎらぎらと(たぎ)っている。普段の伊作との違いに、四郎兵衛は思わず息を飲んだ。
「――二人とも、殺気をしまえよ。下級生がビビってるぞ」
「仙蔵」
「忍術学園までは後半刻も要らん、すぐに着くさ」
 ただひとり、仙蔵だけは普段と変わらぬ様子で笑っており、四郎兵衛はそれが逆に恐ろしかった。先陣を切る文次郎は目の前を塞ぐ敵たちを得意の袋槍で薙ぎ払っており、少しだけ首を動かして振り返れば、縄標ではなく忍刀を構えた長次が殿(しんがり)を守っている。
 緑の風が一丸になって獣道を抜けていく。その足を止めるものは全て彼らに撃破され、後にはただその跡だけが残っていた。






「――で、どうよ」
「何が?」
「この熱烈な歓迎について、どう思う?」
 己の背にとりわけ大きな籠を括り付けているにも関わらず、邪魔にする様子も見せずに駆け抜ける八左ヱ門は隣を駆ける三郎へと声をかけた。彼は相変わらず相棒の顔のまま、飄々と疲れた様子も見せずに敵を撃墜していた。その手から放たれる手裏剣や苦無は全く尽きる様子を見せず、彼は隣の男がどういった収納の仕方をしているのか、と不思議に思うほどだ。
 その傍らには鎖分銅で飛び道具を弾き返し、防御へと徹している雷蔵が居る。因みに久作に関しては、木下鉄丸がその背に負っていた。彼らもまた六年と同じく、一路学園へと急いでいる。
「――四年生が居るなら、ある程度は保っていると思うけど……こちらに居る数から考えても、相当数が忍術学園を襲ってると考えて良いと思う」
「四年っつっても、その……まだ、だろう? あいつら、大丈夫なのかな」
 雷蔵がまたひとり沈めながら、小さく呟いた。それに応じるように八左ヱ門が懸念を漏らすと、それまで沈黙を守っていた兵助が口を開く。
「大丈夫だろう。い組の二人が居るなら」
「い組って……滝夜叉丸と喜八郎か? あいつら、確かに成績は良いみたいだけど……そんなの、いざって時には全く役に立たないって兵助だって知ってるだろ?」
 八左ヱ門の反論に目を伏せたのは雷蔵と兵助。彼女たちの秘密を知っている二人は、八左ヱ門の言葉に各々少し考えてから言葉を紡いだ。
「あの二人は育ちが違うからねえ……」
「体育委員と作法委員だしな。――度胸もあるし、何より本番に強い」
 二人の言葉に八左ヱ門は思わず二つの委員会の委員長たちを思い浮かべた。いけいけどんどんで全てを済ませる七松 小平太と、華麗に六学年へ君臨する立花 仙蔵。確かにあの二人の下にずっと居れば、度胸だけは人一倍つきそうだ。
「――おい、噂をすれば影だ」
 その三人の会話を聞くともなしに先を進んでいた三郎が、眼前に飛び出してきた緑の影に笑う。殿の長次が三郎たちに視線を向け、上手く合流できるように他の六年を動かす。それに彼らは従うように、少し足を速めて更に殿へとついた。
「――ほう、五年と先に会うとはな」
「ま、行先は一緒ですからねえ」
「早く戻らないとね」
「事情はもう把握してるんだな?」
「ええ、久作がこちらに」
「こっちは四郎兵衛だ! 滝夜叉丸の判断だろ」
 仙蔵が己らの間に割って入った五年を見て笑う。それに三郎が器用に肩を竦めて応え、伊作が心配そうな表情で更に続ける。先陣を切っていた文次郎の問いには雷蔵が答え、四郎兵衛を背負っても全く速度が落ちることのない小平太が更に続けた。
 忍術学園まではまだ少し掛かる上、近付くにつれて敵は増えていく。一体どこの誰がこんなふざけたことを考えたのか、とそれぞれに考えながら、彼らは更に足を速めて忍術学園へと駆けたのだった。







「――始まったようだな」
 三木ヱ門の言葉に正門へ集まっていた生徒の視線が門の外へと移る。その場に居た全員で組んだ簡易な櫓の上からは忍術学園の外がよく見えるのだ。三木ヱ門は門前へ押し寄せてくる敵兵たちを愛器で蹴散らしながら、土煙が上がらなくなった遠方を見遣る。その場で何が起こっているのかは想像に難くなかった。



「――面白いほどよく掛かるな」
「頭悪いんでしょ」
 己らが仕掛けた罠に次々掛かる雑兵たちを前に、滝夜叉丸は薄く笑った。
 彼女たちの眼前で大の男たちが聞き苦しい悲鳴を上げて消えてゆく。以前に喜八郎が掘っていた穴に様々なものを仕掛けているだけなのだが、彼らにとってはいつ穴が開くか分からぬ地面におぞましいものが仕掛けられているという恐怖から、見事に恐慌状態へと発展しているようだ。そんな敵兵を喜八郎は相も変わらず冷めた瞳で眺めながら、小さく溜め息を吐いた。
「あーあ……あんな奴らのために私が丹精込めて掘った狼穽を使うだなんて……」
「仕方があるまい。これが過ぎたら、また新しく掘れば良いだろう。それにあれは最近掘ったものじゃあるまい? 今のお前ならもっと良い狼穽が掘れるだろうさ」
 滝夜叉丸の言葉に喜八郎はただ眉を上げた。滝夜叉丸がこんなことを言うのは珍しい。けれど満更悪い気もせず、彼女はただ頷いた。
「――さて、そろそろ我々も行くか。さすがにこれ以上は罠だけでは無理だろう」
「小太刀で良いかな。忍刀重いし」
「お前の鋤だって似たようなもんだろ……まあ、好きにしろ」
 二人は懐からそれぞれ得物を抜いて、足元で騒ぐ輩を見下ろした。
 ――人を殺したのはたった一度きり。けれど、今はそんなことを言っている場合ではない。やらなければ、自分たちがやられるのだ。二人はもう一度だけ顔を見合わせると、今度は何も言わないままに頷き交わして散った。



「うぎゃあああっ!?」
「な、何だ!? うわ、敵襲か!?」
 木立に紛れて二人はそれぞれに敵を襲う。滝夜叉丸は戦輪を、喜八郎は手裏剣を駆使して相手の急所を狙った。この際、生死は問題にしない。相手が戦闘不能になればそれで良い。故に二人も戦輪や手裏剣の刃に毒やしびれ薬など、相手を無効化する薬品をつけて投擲(とうてき)していた。因みにこの薬品は忍術学園を出る前に保健室でてんやわんやしていた新野や保健委員たちから提供されたものだ。
 手裏剣などの投擲武器がなくなった二人は、続いて小太刀や忍刀を武器に気配を隠し、敵をそれぞれ傷付けていく。けれど、相手も雑兵とはいえ武士、聡い者は二人が隠れている場所を殺気で突き止め、がむしゃらに刀や槍を突き出した。二人はそれをかわしつつも一度退いてはまた敵を襲うといった具合に相手を翻弄していく。多勢に無勢、大人対子どもの戦いであっても、常にこの土地を訓練で駆けまわってきた忍たまたちには地の利がある。相手を翻弄しながらも徐々に数を減らしつつ、二人は援軍を上手く学園からまとめて砲撃できるような場所へと導いていた。



「――来た」
 遠眼鏡で戦況を確認していた三木ヱ門が小さく囁く。既に敵兵の何人かは門に取り付こうとしていたが、それは藤内がすかさず油や熱湯を振り掛けて撃退している。肉の焼ける嫌な匂いが辺りに漂い、一年生の何人かは真っ青な顔で口元を押さえていた。使い物にならなくなった後輩をタカ丸に任せて後ろに下げ、血気盛んに目をぎらつかせている三年ろ組の面々を呼び寄せる。
「おい、出番だぞ」
「はい?」
「――今からお前たちにはこの場にある火器を全て使って、あの位置に呼び込まれた敵兵を狙い撃ちにしてもらう。覚悟は良いな?」
「狙い撃ちって……火縄じゃちょっと届きませんよ?」
「何のためにユリコやサチコ、鹿子たちをここに連れてきたと思ってる。僕が方角と距離を指示するから、お前たちはそれに従って砲撃を開始するように。急げ!」
 口々に疑問を述べる後輩たちに三木ヱ門はそれ以上の反論を許さずに散らせた。三之助が何かを言いたげにこちらを見ていたが、それも無視する。――この砲撃が何を彼にもたらすか、それを考えないようにするだけで三木ヱ門もまた精一杯だったのだ。



「……呼び込まれた、って田村先輩言ってたよな」
「んあ? それがどうした」
 石火矢の準備をしながら、作兵衛は三之助に振り返った。さすがに用具委員と言うべきか、その手際は恐ろしく早い。見る見るうちにいつでも砲撃ができるような状態へと変わり、三之助は感嘆した。
「いや、呼び込まれるってことは、さ……誰かがその場に誘導してるってことだろ? それってさ、やっぱりさっき外に出た綾部先輩と、その……ウチの滝夜叉丸だよなあって思って」
 話を促す作兵衛に三之助は懸念を吐き出す。普段はぐだぐだと主に自慢話の長口上な人間だが、委員会で直接関わりがあり、世話になっていることもある滝夜叉丸が自分たちの砲撃する場所のすぐ傍に居ると言うのは何だか恐ろしい気がした。――もし自分たちが砲撃に失敗すれば、彼らにとばっちりが行く可能性があるのだ。
「あ……そうか、打ち損じてあの人たち巻き込んじまったらどうすんだ!?」
「分かんねえ。つーか、今の田村先輩がそこまで思い至ってるかどうかも分かんねえ」
 二人から見ても、今の田村三木ヱ門は尋常じゃなかった。教師陣は皆あちこちに出払っており、今正門を任されているのは実質彼なのだ。それ故に重責に飲まれてしまったのか、彼は常になくピリピリとしていた。タカ丸ですら迂闊に近付けないほどで、誰も彼に話しかけることができない。それを本人も理解していて、その状況に更に苛々するという悪循環。二人が考えた可能性を耳に入れておくかどうかで、二人はお互いの脇腹を肘で突き合った。
 しかし、その状況をあっけらかんと笑い飛ばす輩がひとり。会計委員の左門である。
「大丈夫だ、あの人は会計委員だから!」
「そりゃ何の根拠にもなってねえよ!」
「――じゃ、ちょっと行って聞いてきてやる!」
「そっちは逆だ!」
 左門が正門とは逆方向に駆け出そうとするのを作兵衛は縄で捉え、鼻息荒く左門を連れ戻す。しかし、彼の行動で一気に沸点を超えたのか、作兵衛は鼻息も荒いままに左門を正門へと連れて駆け出した。
 ひとり残された三之助は困惑したように放置された石火矢を見、それを軽く撫でてから彼もまた駆け出す。――しかし、彼は途中で何故か正門とは逆方向へと曲がり、目的地とは全く別の方角へと足を踏み出していたのである。







「――田村 三木ヱ門先輩っ!」
「何だ、神崎! 富松まで……砲撃の準備はできたんだろうな!?」
「そんなことより!」
 そんなこととは何だ、と反論しようとした三木ヱ門であるが、左門の勢いに飲まれて言葉を途切れさせる。思いの外動揺している自分に内心舌打ちしながら、三木ヱ門は相手の出方を待った。
「あちらに出ている綾部先輩と平先輩のことは放っておいて良いのですか!?」
「!」
 その事項は一番聞かれたくないものだった。思わず目を伏せた三木ヱ門は、けれども顔を上げて答える。
「喜八郎も滝夜叉丸も承知の上――いや、元はあいつらが考えた作戦だ。あいつらとて己の危険は分かっているし、巻き込まれないよう用心しているに決まってる」
「でも、それはこっちの思い込みでしかないんスよね?」
 三木ヱ門の言葉に冷静に反論したのは作兵衛だ。その調子は己の直属の先輩である潮江 文次郎に噛み付く用具委員長の食満 留三郎によく似ていて、三木ヱ門は胸の裏を掻かれるような不快さを感じた。
「二人が場所を離れたっていう合図はないんスか?」
「ない。――あいつらに狼煙を上げさせるのは無理だ。笛はこちらまで届かない上、あいつらの場所を敵に特定させる。布や何かを振らせようかとも思ったが、そんな悠長なことをしていれば敵を逃すとあちらから拒否された」
 その言葉に三木ヱ門は低く言い返す。――彼らの懸念など、自分が一番よく知っている。それでもこの作戦を取ったのは、それしかもう方法がなかったからだ。先生方はほとんど敵を排除するために外へと出ている。それも彼らの防衛線よりももっと先、敵の本陣に向かっているのだ。
 この戦はどう考えても学園側に不利で、しかも相手はどのような同盟を組んでいるのか、削られた戦力を絶えず補充してくるのだ。こうなれば前線での勝利など当てにならない。元から断たねばこの戦は終わらないのだ。
 故に、今この学園をまとめるのはたった数人残った(それも主に戦闘は不得手な)教師と、現状の最高学年である四年生である。自分たちが動かねば、学園は守れない。そのための犠牲ならば、払うしかないのだ。
 思わず握り締めた三木ヱ門の拳に温かいものが触れる。ハッと顔を上げると、そこには少し困ったように笑うタカ丸の顔があった。
「――大丈夫だよ、だって滝夜叉丸は言ってたでしょう。『お前の砲撃ならよく知ってる』って。
 僕は違うけど、喜八郎も三木ヱ門も滝夜叉丸も、四年間ずっと一緒だったんじゃない。滝夜叉丸も喜八郎も、三木ヱ門と積み上げてきた四年間を信じて言ったんだよ。それに三木ヱ門が応えてあげなくてどうするの」
 小さく囁かれた言葉に三木ヱ門はハッとタカ丸の目を見る。それにタカ丸は優しい眼差しで答え、今度は二人を見詰める左門と作兵衛に顔を向けた。
「大丈夫だよ。――僕たちを誰だと思ってるの。
 これでも忍術学園四年生、君たちの先輩だよ? 後輩(キミたち)は何の心配もしないで、僕たちの後ろについてれば良いんだよ」
 タカ丸に胸を張って告げられた言葉に左門は大きく頷き、「ほらな」と作兵衛を見遣った。当の作兵衛は頭をがりがりと掻きむしり、大きな溜め息をひとつ吐く。「分かりました」と呆れたように――けれど、どこか安心したように呟いた彼は、再びどこかに駆け出そうとする左門の首根っこを掴み、再び砲撃準備へと戻っていった。
 故に、その場に残った三木ヱ門だけが知っている。――胸を張って腰に手を当てたタカ丸の手が、小さく震えていたことを。けれど、それを指摘するような野暮はしなかった。それに、彼の手もまた小さく震えていたので。
 二人の間に流れた沈黙を破ったのは、駆け付けた小さな影。その子どもが伝えた知らせに、二人の顔色が一瞬にして変わった。



『……遅いな』
『どうせ三木ヱ門が悪い癖出して、ぐるぐるしちゃってんでしょ』
 相手を上手く場所に留まらせるように攻撃を繰り出しながら、二人は矢羽で会話する。三木ヱ門の悪い癖、と聞いて滝夜叉丸は大きく顔をしかめる。
『あの馬鹿、また余計なことを考えているのか。――だから、いつまで経っても私に勝てんのだ』
『仕方ないよ、覚悟が違うもん』
 私たちとは、とは続けなかった。彼女たちは三木ヱ門のように己の研鑽(けんさん)のためにこの学園へ来たのではない。ただ生きる、そのためだけに来たのだ。その術を学び、己を生かすことは他を殺すこと。既に己らを助けるために人を殺したことのある二人は、昏い瞳を見交わした。
『――だが、いつまでも腑抜けていてもらったのでは困る』
『大丈夫、タカ丸さんが付いてるから。あの人はアレでも十五、何とかしてくれるでしょ』
『そう祈るしかないものだな』
 滝夜叉丸はそこで一度学園の方を見遣る。櫓の上の砲台と思しき黒い粒に大きな粒が居るように見える。さすがに何をしているのかまでは判別できないが、滝夜叉丸はそれだけ確認すると喜八郎に矢羽を送った。
『喜八郎、どうやら腑抜けがようやく我に返ったようだぞ』
『全く世話が焼けるったら。――じゃ、私たちもそろそろ撤退しようか』
『そうだな』
 二人は最後の仕上げ、とばかりに敵陣を縮めて薙ぎ払う。三木ヱ門の砲撃ならば彼女たちはよく知っている。どの調子で弾を入れ、火薬に点火するかも勿論知りすぎるくらいに知っているのだ、間違えるはずもない。その調子に合わせて二人はじりじりと後退し、最後に彼が砲弾を放つ瞬間を見計らい、二人は一気に敵から離れて駆け出した。
 勿論、敵は彼女たちを追ってこようとしたが、そのすぐ近くに砲弾が轟音を立てて落ちてくる。そのためにほとんどが足止めを食らい、二人を追うのは上手く砲撃を潜りぬけた数人の武士(もののふ)たちであった。



『しつこいな』
『まあ、あちらも頭に来てるだろうからね。――そろそろやるかい?』
『そうだな、学園まで連れて行くのも面倒だ』
 森の中を駆け抜ける二人は、枝から枝へ、木の間から別の木の間へと飛び移りながら会話を交わす。忍たまとは言え四年生、数人の武士ならば十分に相手取れる。更にこの森は彼女たちにとって庭のようなものなのだ。二人は視線を交わし合い、合図でくるりと反転した。
 ――しかし。
「三之助っ!?」
「え? あれ、先輩?」
 振り向いた先、視界の端から頭を覗かせたのはここに居るはずのない後輩。自分たちの後ろには血に飢えた雑兵が彼女たちを貫こうと駆けてきていた。反転した瞬間に土を思い切り蹴った滝夜叉丸は、その勢いのまま一直線に駆け戻り、状況を把握しきれていない三之助の襟首を掴んで引き倒した。
 三年にしては大柄な三之助の身体を後ろへ引き倒し、槍や刀を突き出してくる雑兵に忍刀を抜いて対抗する。力いっぱい振り下ろされた刀を咄嗟に受けると、刀から火花と刃が散った。しかし、彼女が他の雑兵に襲われるより早く、喜八郎が横から滝夜叉丸と対峙している男ごと鋤で薙ぎ払う。その隙を狙ってまだ状況が分かっていない三之助を引きずるように後退し、滝夜叉丸は体勢を整えた。
「何でこんな場所に居るんだ、この大馬鹿者っ! 出て来るなとあれほど言っただろう!」
「出て来るも何も……俺、忍術学園から出た覚えないんスけど」
 その言葉に滝夜叉丸は怒りで前が見えなくなるかと思った。普段から彼の方向音痴に手を焼かされている滝夜叉丸だが、この状況では洒落にもならない。最終的に何も言えずに三之助を後ろへ突き飛ばすと、滝夜叉丸は自分の代わりに敵と対峙している喜八郎に声を掛けた。
「喜八郎、代われ! 私が出る。お前の忍刀をいつでも使えるようにしておいてくれ。――三之助、お前は私が指示を出すまで絶対にここから動くな。もし動くことがあれば、その時は私がお前を斬る!」
 三之助はその時初めて、己の前に居るうぬぼれ屋の先輩を恐ろしいと感じた。常人離れした美しさも、一応は優秀なことも知っている。けれど、普段は性格のこともあり、滝夜叉丸を恐ろしいと感じたことなどなかった。それが今はどうだ。まるで阿修羅のような美しい顔で、この人物は己に殺気を当てている。
「ほら、こっち来て。滝の邪魔にならないところに」
 思わず身体を竦ませた三之助を、喜八郎が無理矢理に後ろへ動かす。普段から恐ろしい数の穴を掘り続けている所為か、喜八郎の腕の力は抗いがたいほど強かった。しかし、必要以上に腕へ食い込む指はそれ以外の感情――それは明らかに己を案じてなどいない負の感情だ――を彼に告げている。この時になって三之助は初めて、四学年という大きな壁を見た気がした。



 滝夜叉丸は己らを追ってきた七人の男とひとりで対峙していた。お互いに間合いを取り合い、じりじりと動き合う。それでも子どもだからと侮ったか、それとも功を急いだか、彼らの数人が先に動いた。
「――甘いっ!」
 己を鼓舞させるように声を発し、滝夜叉丸は突っ込んでくる身体を交わして斬った。先程の牽制(けんせい)や手足への攻撃とは違う、肉を斬り骨を断つ嫌な感覚が己の手に伝わる。顔が引きつるのを必死で抑えながら、滝夜叉丸は続いて迫る敵へと肉薄した。小柄で軽い身体を活かして、相手の懐に入り込む。次の瞬間、彼女は力いっぱい腕を薙いで相手の首を飛ばした。さすがに激しい返り血が飛び、彼女がまとう紫の装束が朱に染まる。白い頬も(まだら)に朱をのせた滝夜叉丸の姿は、怖気が走るほど美しかった。
 残った男は滝夜叉丸のその姿に一瞬気圧されたものの、相手も雑兵とはいえ砲撃をすり抜けてきただけの腕がある。その男は滝夜叉の刀に身体ごと突っ込んで、力で刀ごと彼女の首を取ろうとした。更に刃が零れて今にも折れそうになる忍刀を必死で支えながらも男の脇腹に身体を捻って蹴りを入れ、男が刀を引いたところで滝夜叉丸は刃零れのひどい忍刀を相手の腹に貫き通す。男の身体に突き刺した忍刀は肉に絡まって抜けない。仕方なく抜かぬままに相手の身体を蹴り飛ばし、彼女は残りの四人から距離を取った。――はずだった。
(足りない!)
 先程の戦闘で滝夜叉丸の注意が一瞬外れたのに気付いたのだろう、他の人間は彼女をすり抜けて喜八郎と三之助の許へと駆けていた。ひとりは喜八郎が咄嗟に忍刀を抜いて斬り結んだが、もうひとりが無防備な三之助へと向かっている。
「三之助!」
 懐に持っていた苦無を咄嗟に投げ付け、相手の注意を逸らす。しかし、苦無は敵の肉に埋まるどころか刀で弾かれ、その刃は殺気に()てられて動けない三之助の首を確実に捉えていた。
「逃げろ、三之助!」
「――滝、危ないっ!」
 喜八郎の声に振り返れば、己へ刀を振りかぶる別の男の姿。まずい、と思った瞬間、相手の動きが何故かゆっくりに見えた。けれど、見えていても身体が動くことはない。きらりと光る刃が己の眼前に迫るのを、滝夜叉丸は茫然と見ていた。
 が、その白刃が彼女に届くより早く、上空が翳る。それが何かと確認するより早く、自分に迫る男は横へ吹き飛ばされていた。
「なっ……」
「間に合ったか!」
「七松先輩っ!」
 絶望の闇を強烈な光で照らすように、七松 小平太はそこに立っていた。その背には目を回してぐったりしている四郎兵衛が背負われており、彼が己の役目を確実に果たしたことを告げている。
 更に背後から呻き声が聞こえ、振り返ればいつの間に現れたのか、黒髪をなびかせて敵を殲滅(せんめつ)する立花 仙蔵の姿があった。自分を襲った相手を仕留めた喜八郎も二人の登場には驚いているようで、男を斬り捨てた忍刀を振って露払いしながらも二人をまじまじと眺めていた。
 英雄宜しく突然に現れた小平太と仙蔵は茫然と自分たちを見遣る下級生に常の笑みを向けた後、最後に残ったひとりを睨み据えた。
「――さて、うちの子たちを可愛がってくれた礼はたっぷりとしなきゃね」
「小平太、今回は私が許す。好きにやれ」
「言われずともそのつもりだ!」
 仙蔵の言葉に小平太は獣のように吼え、呆然とする滝夜叉丸たちを他所にひとり残った雑兵へと迫る。一瞬にして仲間二人を消し去った緑の存在に男は怯え、その気迫に一歩足を引いた。その隙を小平太が見逃すはずもない。彼は一瞬にして男の懐へ入り込み、持っていた小太刀で男の首を掻き切った。
「――この罪は死んで詫びろ」
 冷たく言い放った小平太に、彼の持つ忍の闇を知っているはずの滝夜叉丸でさえ背筋が冷えた。装束どころか顔にすら返り血が付いていない。茫然と彼を見詰める滝夜叉丸に、しかし振り返った小平太は常に見せている明るい笑みを向ける。血にまみれた小太刀を懐紙で拭って納めた後、彼は真っ直ぐに滝夜叉丸へ近付いてその頭を撫でた。
「遅くなってすまなかった、よく頑張ったな!」
「せん、せんぱい……」
「さ、急いで戻るぞ。他の奴らは先に学園へ戻ってる。俺たちも手伝わなきゃな」
 思わず気が抜けてくしゃりと顔を歪める滝夜叉丸に対し、小平太は血で汚れた彼女の頬を袖で拭いながら、まだ委員会の仕事が残っているというような軽い調子で続ける。それにハッと我に返った滝夜叉丸は、さっと背筋を伸ばして頷いた。いつもの調子でくるりと振り返り、小平太がここに現れてからずっと気を失ったままの四郎兵衛にちらりと視線を向ける。今も起きている様子はない。こんな場面を見なくて良かったと小さく溜め息を吐き、続いて滝夜叉丸は立て続けに上級生の闇を見せ付けられて竦んだままの三之助を視界に入れる。
「――お前に居たいことは山ほどあるが、今は言っている時間がない。後でこってり絞ってやるから覚悟しておけよ」
 ごしごしと血にまみれた手を装束で拭い、滝夜叉丸はまだどこか自失している三之助の腕を取った。その腕は少し震えて、彼の恐怖を教えている。けれどもそれには気付かない振りをして、彼女は拳を彼の頭に落とした。
「いって……!?」
「目が覚めたか、大馬鹿者。――七松先輩、立花先輩、我々は大丈夫です。喜八郎、お前も怪我はないな?」
「誰に言ってるの」
 少し不満気ではあるものの、胸を張って答えた喜八郎に滝夜叉丸は頷く。そうして二人の六年生に視線を向けると同じく頷き、彼らは揃って忍術学園へと走り出したのだった。



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鈍行*2008.08.06〜 Written by 緋緒


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