鈍行
▼花嵐一夜
「――先輩!」
「四郎兵衛、どうしてこんな所に!」
普段よりも更に早く駆け抜け、時友 四郎兵衛は己に課された任務を正確に果たした。 ――六年生の合同実習の地へと辿り着いたのだ。彼が真っ先に声をかけたのは、委員会で一番親しんでいる七松 小平太。息も切れ切れに彼の許へと駆け込むと、四郎兵衛は驚く小平太にも構わずに忍術学園を襲った危急を告げる。それに顔色を変えた六年生はすぐさまに教師へと事情を伝え、忍術学園へ戻る支度を始めた。
「四郎兵衛、よくここまで走ってきた! 後は私たちに任せろ! すぐに学園へ戻る!」
「……五年も確か実習へ出ていなかったか? すると、残るは四年生以下か……」
「学園は滝夜叉丸先輩方が守っています! 僕が六年生の先輩方に、そして久作が五年生の先輩方へと事情をお伝えするために出されました! 僕も早く学園に戻って、他の皆に合流します!」
学園の状況を思い出して苦い顔をした立花 仙蔵に対し、四郎兵衛は四年生以下が今も攻防戦を繰り広げていることを告げた。更に休まず走りづめでやって来たにも関わらず、ふらふらの身体ですぐに踵を返そうとする。しかし、その意思は強くとも身体が追いついていかないようで、四郎兵衛は踵を返す前に尻もちをついてしまった。
「四郎兵衛、少し休め! すぐに私たちも出る、負ぶっていってやるから!」
小平太は這いずってでも学園に戻ろうとする四郎兵衛の腰帯を引っ掴んで留める。それでもなお前進しようとする四郎兵衛を小平太が抱えたところで、今まで沈黙していた中在家 長次がぼそりと零した。
「尾行られたな」
「ああ、大した人数じゃないが……俺たちもなめられたもんだ」
同時に棒にはめた袋槍を肩に乗せ、潮江 文次郎が吐き捨てるように告げる。己の背後に現れた数名の武士もののふの姿を見て、初めて四郎兵衛は己が彼らをここに導いたのだと気付いた。
「せんぱ、すみません……!」
喘ぎ声に近い悲鳴が四郎兵衛の喉から漏れる。それに小平太が明るく笑い、四郎兵衛を尾行して現れた男たちに視線を合わせた。
「なあに、ちょうど良い準備運動だ。――心配するな、すぐに終わる。伊作」
「分かってる。四郎兵衛、こっちにおいで。擦り傷とかあるだろう、手当てしてあげるから」
小平太は抱えた四郎兵衛を後ろに控えていた伊作へと押しやり、立ち上がる。その身体からは湯気が立つように殺気が漏れ出しており、四郎兵衛は初めて己が慕う先輩の〈戦士〉としての顔を見た気がした。
(……先輩)
見れば、六年生の誰もが同じような様子で立っている。気圧されるような殺気と怒気は、己の後ろに控えている善法寺 伊作からすら漏れていた。――あの、優しい保健委員長ですら。
(これが、六年生というものなのだろうか)
明るくて優しくて、いつだって頼りになる先輩。だが、彼らは一方でこんなにも恐ろしい姿になる。四郎兵衛はどうして良いか分からずに、ただ疲れ切った身体を伊作に預けるしかなかった。
「……あれは……」
周囲を警戒していた雷蔵は木葉の隙間から見えた青い弾丸に目を見開いた。弾丸のように小さくすばしっこいその身体は、彼女のよく見知った人物のもので。雷蔵はどうして彼がここに、という疑問を胸に、音もなく手を動かして傍に居た相棒を呼んだ。
『どうした?』
『久作、と思しき存在が下に。――何故だと思う?』
慣れた矢羽音で会話をしながら、二人は木の下で周囲を見回す少年を見下ろした。既に息は忍にあるまじきほどに上がっており、肩で息をしている。汗びっしょりで周囲を見回すその姿に、雷蔵は彼が久作であるという確信を得た。――彼自身ももしかしたら気付いていないかもしれないが、振る舞いに特徴がある。同時に雷蔵は小さな音で下級生にも分かる簡単な矢羽音を発した。
『! 雷蔵先輩!』
『今は実習中だから姿は見せられないけれど、二年生もこの辺りで実習なのかい? 迷子になったのなら、ここから西を目指せば町に……』
「そんなこと言っている場合じゃないんです! 忍術学園が、忍術学園がたくさんの軍に襲われて……!」
雷蔵の矢羽音を遮って、久作は大声を上げた。からからに乾いた喉にその大音声は拷問だったらしく、彼は言い終わるか終らないかのうちに身体をくの字に曲げてむせ込んだ。地面に手をついて咳をする久作に、三郎が止めるより早く雷蔵が地へと飛び降りる。駆け寄って背中をさすり、水筒を口元に近付ける雷蔵の腕を久作は己の喉に流れる水などそっちのけで掴んだ。
「そんな悠長なことしてる場合じゃないんです! 忍術学園が、忍術学園が……」
「うん、分かったから。とにかく落ち着いて、最初から話して。――三郎、緊急用の呼び笛を。学級委員長なんだから持ってるでしょ。……それから、悪いけどそこの、ちょっと片づけておいて」
自分の腕を必死に掴む少年に優しい表情で声をかけた後、雷蔵は打って変わって厳しい声で己の相棒へと声を向ける。示された先に居たのは久作を追って辿り着いた武士が数名。久作の身体を抱えて後退する雷蔵を庇うような形で同じく地へと降り立った三郎は、喉元に下げていた呼び笛を目一杯吹き鳴らすと同時に己の腰から忍刀を抜いた。
「退ってて良いよ、雷蔵。後は私がやっておく。そのうちに八左ヱ門や兵助たちも来るから、心配は無用だ。君は早く久作を」
「うん、任せる。――さ、久作は僕と一緒に先生のところに行こう。そこで何があったか、僕と先生に聞かせておくれ」
「せんぱい……!」
「大丈夫、何があったかはよく分からないけれど、忍術学園からここまで駆けるのは辛かっただろう? よく頑張ったね、後は僕たちに任せて」
「その通り! 雷蔵、先生は西の松のところだ。行ってくれ」
雷蔵の言葉に三郎とは別の場所で同意の声が上がった。久作が驚いて顔を声のした方へ向けると、そこには三郎の後ろへと突如舞い降りてきた見覚えのある五年生――確か、生物委員の竹谷 八左ヱ門という先輩――が彼に向って笑っていた。
「八、有難う! 僕、行くね」
「ああ、兵助を途中に置いてきた。護衛と荷物持ちに連れてけ」
「了解!」
雷蔵は八左ヱ門の言葉に軽く笑って頷くと、久作を抱えたまま走り出した。鍛えているとはいえ、十一にもなる子ども――それも筋肉をしっかりとつけた忍たまだ――を抱えて走るのは雷蔵とて辛い。しかし、その辛さを誰にも悟らせない動きで、彼女は八左ヱ門から告げられた場所へと駆け抜けた。
「雷蔵、こっちだ!」
「兵助!」
森の中を駆ける雷蔵の耳に囁き声が届く。駆ける足を止めずに視線を巡らせば、少し先の木立に紛れるようにい組の久々知 兵助が立っていた。そちらへと足を向ければ、兵助が腕を伸ばして彼女に抱えられている久作を受け取ろうとした。困惑する雷蔵に兵助が交代で運んだ方が効率的だと視線で訴え、雷蔵もまた有り難くその手を借りる。
「少し速度を上げよう。あっちは?」
「三郎と八左ヱ門を残してきた。他の人間も三郎の笛の音を聞いてすぐに集まるはずだ。僕らは久作の話を聞いて、今後の作戦を立てよう」
「了解。――何だかきなくさくなってきたな」
「嬉しくないことにね」
久作が目を見張るほどの速度で駆けながら、五年生二人は息も切らさずに会話を交わす。普段は穏やかで優しい先輩の変貌を目の当たりにして、久作は「これが五年生か」と驚きを隠せなかった。
「……で、この敵さんは何だったわけ?」
集まった五年たちで早々にのした武士どもを見下ろしながら、八左ヱ門は傍らにしゃがみこんで彼らを調べる三郎へ声をかけた。彼はその問いにただ肩を竦め、まるで汚いものでもあるかのように触れていた男を捨てて立ち上がり、その問いに答える。
「さあ。ただ、どうも忍術学園が軍に襲われたらしいな。
今、雷蔵が久作から詳しいことを聞いてるだろう。多分、すぐに学園へ戻ることになると思う。私たちも支度をしておこう。雷蔵の荷物も片づけておかねば」
「忍術学園が……? これで二年の実習とかだったりしたら、俺ら笑いもんだぞ。……ま、とは言え、あの雷蔵が迷わずに判断したことだからな」
不破 雷蔵の迷い癖は学園でも有名な悪癖だが、彼ら同級生は雷蔵の判断を信用している。――それは五年生の中でも決して目立つ存在ではない彼が、逆に悪目立ちする鉢屋 三郎の隣へ五年間立ち続けたという実績があるためだ。〈鉢屋 三郎〉という存在は学園内で思われている以上に厄介で、その傍らに立ち続けるというのは至難の業なのである。それを一年の時からずっと、もがき苦しみながらもやり続けている雷蔵への信頼は高い。同時にその人となりもまた信頼を集めるに足るもので、彼らは雷蔵が出した答えを常に信頼していた。
「雷蔵の判断に間違いはない。それより八左ヱ門、お前から後輩に伝令などはできんのか? あちらの状況がどうなっているかは分からんが、場合によっては忍術学園自体が封鎖されていて、我々が戻れない可能性だってある。また、戻る頃合いを知らせられれば、内外で呼応して相手を叩くこともできるからな」
「簡単に言うなよ、難しいんだぞ。第一、今回の実習に使った隼太はやたはまだ長距離に慣れていない。もう少し忍術学園に寄らないと、途中でバテて使い物にならなくなるぞ。飛ばすのはもう少し後にしないと」
なあ、隼太、と八左ヱ門は己の傍らに置いてある鳥籠へと声をかけた。そこには八左ヱ門の声に応じるように羽を広げながらキィキィと鳴き声を立てるハヤブサが囲われており、己の主が差し出す指にじゃれかかるようにくちばしを突き出した。
「まだ子どもだからな、隼太は。――こんなことなら、長距離も慣れた織姫おりひめでも連れてくりゃ良かった。隼太の良い訓練の機会になると思ってたんだけどなあ……」
「実習で訓練しようとする不純な心の罰が当たったんじゃないか?」
「あのなあ! 何でも最終的には実践するのが一番なんだよ! 大体、隼太だって頑張ってただろ!? 立派に勤めを果たしていたじゃないか」
「がなるな、八。お前は生き物のことになると途端にうるさくなるな。――ああ、雷蔵が戻って来た」
三郎の言葉に思わず怒声を上げる八左ヱ門をよそに、三郎はほんの微かに耳へ届いた雷蔵の足音を聞き分けて振り返った。その表情たるや先程までの冷めたものとは打って変わって穏やかで、八左ヱ門は募らせた怒りも結局萎えさせるしかなかった。
――そうして、再び雷蔵と兵助を加えた五年生たちは実習地から一路、忍術学園を目指すことになる。
「――先輩、あれを……!」
己の傍に控えていた怪士丸が遠くに見える土ぼこりを指差した。もうもうと立ち込めるそれは、自分たちの居る場所へ向かって何かがやって来ていることを示している。滝夜叉丸は傍に置いていた遠眼鏡を使い、その正体を確認した。
「ちっ……援軍か」
彼女の予想通り、土ぼこりを上げてやって来るのは新たな敵兵である。舌打ちと共に傍に居た彦四郎を呼び寄せ、学園内へ伝令に走るよう告げると彼女自身も動き出す。
「先輩、どちらへ?」
「そろそろ忍術学園の塀に飛びついて来そうだからな、そいつらを追い払う準備をしなければ。――怪士丸、藤内を呼んで来てくれ」
滝夜叉丸は己の友人の傍に控えているはずの下級生の顔を思い浮かべ、溜め息を吐いた。三年の中でも比較的真面目で穏やかな性格をした藤内だが、いざという時はやってくれる。それを見込んで、滝夜叉丸は彼女に酷なことをやらせようとしていた。――そんな自分に反吐が出る気分になりながら。
「……先輩、お呼びだそうで」
「ああ。これからお前には私の代わりにこの場を預かってもらう。下級生を指示し、この塀を侵そうとする輩どもに制裁を加えてやれ。――手が使えぬ状態で熱した油や湯を浴びせかけられれば、さぞや苦しかろうよ」
「先輩、それは……!」
直接手を下さないと言えど、人を近くで攻撃するというのは三年と言えど辛かろう。けれど、やってもらわなければならない。滝夜叉丸は自分に苦い顔を向ける藤内に敢えて高慢な表情を向け、肩を竦めた。
「できないならば仕方がない。――別の人間にやらせるまでだ。作兵衛、左門、三之助。……三之助あたりなら、まあ平気かもな」
挑発するように滝夜叉丸は言い捨てた。他の三人も三年だが、左門と作兵衛は直情傾向にある。塀を登ってくる有象無象の兵士たちを眺めているうちに飛び出したくなる可能性も高い。三之助は彼らよりは比較的冷静であるが、それでも好戦的だ。何より方向音痴であることに無自覚であるが故に、自覚しない間に不手際を起こしたり、窮地に追い込まれたりするかもしれない。それを滝夜叉丸は知っていたし、同学年の藤内はもっとよく知っていた。
「…………いえ、私がやります」
「ああ、頼む。私はあの援軍の減らし方を何とか思案してみるさ。裏門に居る綾部も借りることになるかもしれぬ。そうなれば学園の防御はほぼ三年に任せることになるから、いざとなったら先生方か三木ヱ門の指示に従え。あいつもあれで四年だ、そう下手は打つまいよ」
滝夜叉丸は想像通りの返答をした藤内を、慰めることも褒めることもせずに次のことを言い付けた。彼女はそんなものを欲しがっていないことを滝夜叉丸は知っていたし、何よりそれをして楽になるのは己だけだと分かっていたからだ。だからこそ滝夜叉丸は多くを語らず、己を不安そうに見上げる下級生たちの頭をさり気なく撫でてから、美しい髪をなびかせてその場から踵を返した。
「……さて、どうしようかアレ」
「どうしようもこうしようもない、やるしかなかろう。――三木ヱ門、後どれくらい火器は保ちそうか?」
「かなり使ったからな……サチコはそろそろ限界だ。後二発も打てばいかれちまう。これ以上サチコを酷使はできない」
「ユリコと鹿子は?」
「火薬による。タカ丸さん、火薬の残量はどうなってますか?」
三人と混ざりながらも困惑した表情を浮かべていたタカ丸は、突然話を振られて身体を震わせた。己を不思議そうに見上げる三木ヱ門に、タカ丸はどうして良いか分からずに曖昧な笑みを浮かべる。それに滝夜叉丸が溜め息を吐き、綾部が口を開いた。
「タカ丸さん、火薬って後どのくらい残ってるんですか?」
「あ、火薬? えっと、さっきの砲撃で結構使っちゃったし、裏門と表門にも焙烙火矢を持ってっちゃったから……えーと」
両手の指をあちこち折りながら、タカ丸はおろおろと呟いた。忍術学園の四年生とは言え、ほとんど忍としての経験がないタカ丸である。彼は今の状況で恐慌状態に近いようで、視線をうろうろと泳がせるタカ丸に三木ヱ門が少し険しい表情で声をかけようとした。が、それよりも早く滝夜叉丸が口を開く。
「タカ丸さん、大丈夫ですから。――もうすぐ五、六年の先輩方もお戻りになります。私たちが負けるなんて有り得ませんしね。何せ、この優秀な平 滝夜叉丸が居るのですから!
さ、それよりもしゃきっとしてください。貴方は四年生。その紫の制服を下級生たちは見てますよ! 火薬の残量が分からないなら、もう一度、いえ、何度でも火薬庫へ行って確かめれば良いだけです。むしろ、何度でも確かめに行ってください。火薬の量は常に正確に把握していてくださらなければ困ります。さ、分からないなら行って。私たちはここで待っていますから。――それは貴方の仕事ですよ、タカ丸さん」
「う、うん! 行ってくるね! すぐ戻るから、待ってて!」
滝夜叉丸の長口上が余りにも常と同じ様子で、タカ丸の肩から力が抜けた。強気な笑みも、美しい黒髪を払う仕草もいつも通り。滝夜叉丸に背中を軽く叩かれ、タカ丸は慌てて駆け出した。その背中を見送って、彼女は今度は三木ヱ門に剣呑な視線を向ける。
「阿呆、動揺している人間を更に動揺させてどうする」
「そんなこと言われてもな」
「――タカ丸さんが戦慣れしてないことなどとうに知っていよう。慣れていないのは仕方がない。責めても慣れるわけじゃないのだ、だったら使いやすいように心掛けてやるのが上の務めだ」
滝夜叉丸はそこで一度言葉を切り、喜八郎へと視線を向けた。彼女は既に分かっているようで、軽く頷く。それに滝夜叉丸も応えて頷き、三木ヱ門へと視線を戻した。
「これから私と喜八郎はあの援軍を減らしに行ってくる。表は今のところ藤内に一年を付けて、塀を登られるようなら熱湯と油を撒けと言ってある。お前も藤内と共に表を頼む。
裏はまだ孫兵が居るな? 孫兵に誰かもう一人、できれば先生が良いが駄目なら生物委員でも構わない、とにかく補佐を付けて、裏を守るように言ってくれ。あちらは罠もまだあるし、孫兵だけで事足りるだろう。それに孫兵には飛び道具がある、いざとなればすぐに連絡も取れるはずだ」
「それで、お前たちはどうするつもりなんだ? 二人で何をする気なんだよ」
「さあ、どうしたものかな。喜八郎、からかって遊ぶには何が良いかな」
少し案じる調子すらある三木ヱ門の言葉に、滝夜叉丸は敢えてお茶らけたように肩を竦めて笑った。その様子はまるで彼を馬鹿にしているようで、三木ヱ門は思わずいきり立つ。けれど、滝夜叉丸の瞳が表情とは裏腹に真剣であったため、彼は結局それ以上絡むことなく溜め息を吐いた。
「――まあ、私たちなら何とかなる。何せ、〈殺せる〉からな」
「え?」
「あーあ、どうせならターコちゃんやトシちゃんを掘ってる方がよっぽどマシだよ。人の頭潰すなんて、つまらないったら」
滝夜叉丸の言葉に三木ヱ門は思わず聞き返していた。けれど、それに応じるように呟かれたのは、喜八郎の物騒な言葉。それに瞬きを繰り返す三木ヱ門に、滝夜叉丸は少し複雑な笑みを浮かべる。
「――私たちは人に死をを味わわせたことがある。ただそれだけの話だ。
タカ丸さん、火薬の残量はどうでしたか? 後どれくらい戦えそうですか?」
三木ヱ門にそれ以上の問いを許さず、滝夜叉丸は火薬庫から戻って来たタカ丸に声をかけた。彼にはまだ動揺が残っていたが、それでも先程よりずっとまともな表情になっている。それをちらりと確認しながらタカ丸の報告を受け、滝夜叉丸は意識して常の通りに高笑いをした。
「そうですか、ではタカ丸さんは三木ヱ門と表へ回ってください。
この天才、平 滝夜叉丸は喜八郎を連れて、あの援軍を減らしに行ってまいります。――そんな顔をしないで、大丈夫ですから。私が学年一優秀な人間だと言うのをお忘れですか? 大丈夫、伊達に四年も学年一位なわけではありませんから。さ、喜八郎、行くぞ!」
滝夜叉丸を案じるのと同時に、タカ丸はその存在が傍からなくなることが恐ろしく感じられた。そんな己を宥めるように頬に手を当てて笑い、踵を返す滝夜叉丸を思わず引き留めようとして腕を上げ、すぐに思い留まって伸ばしかけた指を引き戻す。遠ざかっていくその背中を見送りながら、タカ丸はひどく胸騒ぎを覚えて溜め息を吐いた。
「……で、俺たちはお留守番、ってわけですか」
「馬鹿言え! 先輩方が戻られるまでに一番重要なのは、奴らに忍術学園の土を踏ませないことだ。我々の防衛線が一番重要だって、お前らだって分かっているだろ」
「分かってはいますけどね……」
滝夜叉丸と喜八郎が外の敵を散らしに行ったと聞いた三之助の言葉に、三木ヱ門は吐き捨てるように言い返した。委員会に左門が居るため、三年ろ組は血の気が多いと知ってはいたものの、実際こうも血気盛んになられると三木ヱ門は己を棚に上げて溜め息を吐いた。
三木ヱ門とて滝夜叉丸たちと同じく最前線で戦いたい気持ちはある。けれど、近距離よりも遠距離戦が得意な三木ヱ門は、接近戦に向かない。己の特性を知りつくした彼は、気持ちを静めて表門の防衛へと心を傾けることに決めていた。
それゆえに走り出そうとする三之助と左門を引っ張り戻し、己の傍へと引きずり出す。不服そうに顔を歪める二人を見詰め、三木ヱ門は溜め息を吐いた。
「あの二人なら平気だ。――認めたくはないが、今忍術学園に居る忍たまの中で最も優秀な二人組だからな。それは体育委員会で一緒の三之助、それに作法委員会で一緒の藤内もよく知っているだろう」
「……ええ」
傍らでお湯を沸かし、油を熱していた藤内は鍋の下で燃え盛る炎から視線をそらさずに口を開いた。その表情は暗く、どこか遠い場所を見ている。その表情に三木ヱ門は更に溜め息を吐き、どうしたらこの澱んだ空気を打破できるかと腕組みをした。
そこに火薬を運んできたタカ丸が戻り、仏頂面をした三木ヱ門と不満げな顔をした三年生を交互に見る。困ったように彼は首を傾げた後、すう、と大きく息を吸った。
「わああああああああっ!」
「うわっ!?」
「びっくりした、何です突然大声出して」
暗い雰囲気を醸し出していた全員が(他の人間もだが)、タカ丸の奇行に驚いて顔を上げた。それにタカ丸は今まで怯えていた表情を無理矢理に笑顔へ変え、両手を握って持ち上げた。
「大丈夫! 滝夜叉丸と喜八郎は優秀だもん! 僕にもちゃんと戻ってくるって約束してくれたよ。だから、二人は絶対に戻ってくる。二人ともちょっと変なところはあるけど、約束は必ず守ってくれる子だもん!」
「……ちょっと変じゃなくて、すっごく変の間違いだと思いますが」
「同感」
タカ丸の言葉に小さく呟いたのは三之助で、彼は呆れたように頬を指で掻きながら溜め息を吐いた。藤内も喜八郎の奇行を思い出したのか三之助に小さく同意し、先程とは違って呆れたような表情を浮かべている。
「僕たちは僕たちのできることをやらなきゃ! 滝夜叉丸が帰ってきたときに怒られちゃうよ!」
「うわ、なんか今すげー勝ち誇った顔想像しちまった」
「あの人なら間違いなく言うな、『お前たち、こんなこともできないのか』って」
「凄い腹立ってきたぞ! 作兵衛、私たちも行くぞ! 防衛線を張るのだあああ!」
「どこ行く気だ、防衛線はここだここ!」
普段の行いが物を言うのか、今にも外へ飛び出しそうだった三年ろ組は戻ってきた滝夜叉丸に何かを言われるのを想像したのか、一斉に顔をしかめた。いつの間にか先程の剣呑とした空気は払われ、それぞれに動き出していく。それを内心ホッとして眺めながら、三木ヱ門はちらりとタカ丸へと視線を向けた。タカ丸はそれにパチリと片目を閉じて、まだ少しだけ不安の残る、けれども強気な笑みを向けた。
「僕にだってできることはあるんだよ、三木ヱ門。――頼りないけど、僕だって年上なんだもん。偶には頼ってよね」
「……頼りにしてますよ、タカ丸さん」
四年生は顔を見合わせてぎこちなく笑い合い、再びそれぞれの仕事へ向かう。
各々の覚悟を胸に秘めて、学園に残った者たちは迫りくる敵を待ち構えたのだった。
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鈍行*2008.08.06〜 Written by 緋緒