鈍行


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「平 滝夜叉丸さんにお届けものです!」
 騎馬のままで塀を飛び越えた馬借が滝夜叉丸に手渡したのは、小奇麗な絹に包まれた桐の小箱。蓋は載せるだけのそれを見て、滝夜叉丸はまるで棺桶のようだと思った。そして、その中に入っていた自分宛の手紙を読んで、実際にその通りだったことを知る。



「……何それ」
「覚悟を見せろということだろう。――女子にとって髪は命。それを切り捨てて、継嗣になるために腹を決めろと」
 桐の箱を見せながら自分宛の文の中身を噛み砕いて伝えた瞬間、喜八郎の顔がひどく歪んだ。元より無表情な娘であるがゆえに、不快に表情を歪める様は恐ろしい。滝夜叉丸はそんな喜八郎を宥めながら、小刀を取り出して彼女の前へ置いた。
「まあ、というわけだ。頼む」
「どうして、そんなにあっさり切っちゃうの? それも、私に切らせようとするなんて」
 喜八郎は嫌々をするように滝夜叉丸の長い髪へと指を絡ませた。しっかりとその房を掴み、頬に押し当てる。柔らかな絹のような手触りのその髪を失うなんて、彼女には考えられもしなかった。
 けれど、当の本人は実にあっさりとしたものだ。少し肩を竦めると、彼女はどこか諦観した笑みで応じる。
「この学園に入る時だって切ったろう。それに、髪が何だ。一度切ったってなくなるわけじゃなし、またそのうち伸びる。お前がそんなに惜しむならば、また伸ばしてやるから」
「入る時と今じゃ歳が違うでしょ!」
「喜八郎、私は学園を卒業しても〈男〉のままだ。――構いはしないさ」
「構ってよ!」
 悲鳴のような声に滝夜叉丸は一瞬瞠目したものの、何も言わずに首を振った。真っ直ぐに喜八郎を見つめる。
「喜八郎、私は嬉しくて悲しい。――継嗣になるということは、私の憧れだった。私自身は跡継ぎにはなれないと知っていたから、尚更。しかし、今は違う。私は力を持てるのだ。お前や志摩(しま)を守り、一族を率いていく力を。そして、それは女子では得られなかった。
 ……女子である自分を失うことに未練がないと言えば嘘になる。それでも、私が継がなければあの家を継ぐ人間は他に誰が居る? 次郎君は余りにも優しすぎる。この戦乱の世に一族を率いることには向かぬよ」
「だからって、滝が犠牲になることない」
「――犠牲じゃないさ。分かるだろう、喜八郎? 私は、嬉しいのだよ。
 今まで私たちは常に爪弾き者だった。けれど、今は違う。平の家に必要な人間として、私はようやく認められたのだ。これを喜ばずに何を喜ぼう」
 しかし、喜八郎から見た滝夜叉丸の顔は嬉しい、という表情ではなかった。その表情はたった十二の子どもが浮かべるには余りにも早い、全てを達観したもの。長い黒髪が憂いの表情を縁取って、彼女の美しさをより一層引き立たせていた。
「……馬鹿」
「お前だけだよ、主に向かってそんなことを言うのは」
 滝夜叉丸はそう呟きながら、髪を解く。波打って流れた黒髪はキラキラと光を弾きながら喜八郎の手の中へと落ちていった。それを悔しそうに見つめながら、喜八郎は渋々小刀を取る。その間に滝夜叉丸はそっと長い髪の下の方でその髪を結い直し、その髪を喜八郎へと委ねた。
(――切り捨ててしまおう、何もかも。この髪と一緒に)
 忍たまとして生きながらも、心のどこかに残っている女としての自分。それは滝夜叉丸がいつまでもどっちつかずの存在のようで、余りにも辛かった。それゆえに彼女は今こそ、残っている女子の部分を髪と一緒に切り捨ててしまおうと思ったのだ。
(……あの方への思いも、何もかも。どうせ全ては叶わぬこと。ならば、捨ててしまおう)
「本当に切るの?」
「――ああ。やってくれ」
 滝夜叉丸は己の髪を少しだけ撫でると、真っ直ぐ前を向いて背筋を伸ばした。その細い背中は痛々しく、髪を委ねられた喜八郎は顔を歪める。けれど、彼女には滝夜叉丸を押し留める術がない。それゆえに喜八郎は乞われるがままに肩の少し下で滝夜叉丸の黒髪を切り取った。







「た、滝っ、その髪……っ!」
「ああ、切りました」
「切りましたって……あんなに長くて綺麗にしてたのに」
 その翌日、滝夜叉丸は狼狽した声に足を止めた。振り返れば、予想通りの人物が立っている。しかし、普段の様子とは違い、大きな目を更に見開いて滝夜叉丸の短く切りそろえられた髪を見つめている。滝夜叉丸はそんなに驚かれることかと結い上げた髪を片手でいじりながら、歩み寄って来る小平太を待った。
「あああ、凄い短くなってる……! 一体どうしてそんな突然」
「いえ、ちょっと色々ありまして。ですが、別に髪を切ったぐらいでそんな大騒ぎをなさらないでも……。別にまた伸ばそうと思えば伸びるんですし」
「でもさあ……」
 滝夜叉丸は視線の先で声を出さずに動いた唇を読んで、小さく嘆息した。――髪は女子の命なのに。
 そんなこと、言われずとも承知の上だ。それでも、滝夜叉丸はその全てを切り捨てねばならない立場に居る。彼女は少し皮肉めいた笑みを口元に浮かべて、静かに小平太を見上げた。それに小平太は何かを言いたそうな顔をしたが、結局それを口に上らせることはせずに黙り込む。滝夜叉丸はそんな彼に軽く挨拶をすると、再び廊下を歩きだした。不思議と心が凪いでいた。



「……本当に短くなっちゃったなあ」
「まだ仰っているのですか。そんなに長いのがお好みなら、立花仙蔵先輩の髪でも触らせてもらったらいかがです? あの方は切る前の私より少し短いくらいでしょう」
「別にそう言うわけじゃないんだけど……」
 滝夜叉丸は委員会後の後片付けをしながら、自分の髪をいじる小平太に呟いた。自分のものより幾分大きな手のひらが髪をさらっていくというのは、少し――心臓に悪い。いくら切り捨てたと思っても、感情など制御できるようでできないもの。時折触れる温かい手を意識して、彼女は小さく溜め息を吐いた。
「何がそんなにご不満なんです? 第一、元々委員会活動には邪魔だったじゃないですか。一年の時には枝には引っかかるわ、木の葉は付くわ、散々でしたからね。今の私にそんなことはありませんが、それでも楽になりましたよ。どなたかのお蔭で随分と酷い扱いをしてますからね、手入れするのも大変なんです」
「でもさ……本当に良かったのか、切っちゃって。だって、今切ったら、卒業した時までには……」
「その辺りは大丈夫なんです。……お気遣い、有り難うございます」
 小平太の言葉は正しい。――この短さでは、卒業までに普通の女子の長さにはならないだろう。それはつまり、女子には戻れないということ。彼は滝夜叉丸の将来が既に決まったことを知らないからこそ、滝夜叉丸のその後を心配している。それに滝夜叉丸はどこかくすぐったいものと、同時に苛立ちを感じた。しかし、それを表に出すことはなく笑う。喜八郎の表情を歪めた、あの笑みで。
「――そんな顔で笑うなよなあ」
「え?」
 小平太の言葉に滝夜叉丸は振り返って顔を上げた。既に薄暗くなった周囲に、小平太の顔は紛れて見えない。目を凝らして彼を窺おうとした滝夜叉丸の目元を、大きな手が覆った。目隠しをされる。しかし、不思議と滝夜叉丸は抵抗する気が起きなかった。
「そんな泣きそうな、辛そうな顔で笑うな。……辛いなら、吐き出せば良い。俺は頼りにならないかもしれないけど、でも、愚痴ぐらいならいくらでも聞くから。例えそれが何の解決にもならなくても、それでも……腹に溜めこんで自滅するよりきっと良いはずだ」
 滝夜叉丸から罵声が届くくらいの覚悟で小平太は告げる。けれど、いくら待ってもそのその罵声どころか、目隠した手すら彼女ははがす様子がなかった。そっと手を放して彼女の表情を窺うと、滝夜叉丸はひどく遣る瀬無い笑みを浮かべていた。
「自滅するように見えますか?」
「俺は喜八郎と違って滝と長いわけじゃないから間違ってるかも知れないけど、でも……滝は下らんことはぐだぐだいっぱい並べたてる癖に、大事なことはいつもだんまりしている気がする。だから、喜八郎も俺も、何か心配になるんだ。
 確かに俺は喜八郎と違って滝の事情も良く知らないし、頭悪いから何か良い考えが浮かぶわけでもないけど、でも、後輩を心配するくらいはさせてくれたって良いだろう?」
 その言葉に滝夜叉丸はそっと目を伏せた。嬉しい、という気持ちの中に刺さる棘は、自分は飽くまで「後輩」でしかないという事実。そんな感情を持て余して、滝夜叉丸はただ笑う。まるで、それ以外を知らぬというように。
「有り難うございます、先輩」
「だからさ……」
 そんな滝夜叉丸に小平太はがっくりと肩を落とすが、困ったように自分を見上げる後輩に彼はそれ以上の問答を諦めた。端から理解できないと思っているのか、それとも他に何か理由があるのか、滝夜叉丸は言わないと決めたことは絶対に口に上らせることはない。それはこの三年近い付き合いで既に理解していたし、それ以上問い詰めれば滝夜叉丸が自分の嫌いな、あの弱ったような笑みを浮かべることを知っていたから。
「……何でもないよ。ああ、そうだ、言い忘れてたけど」
「何でしょう?」
「短いのもよく似合ってる」
 小平太はそれだけ告げた。――彼女が髪を切ったことに拘ってはいたけれども、困らせたかったわけじゃない。だからせめて笑顔になってもらいたくて、小平太は今の彼女も肯定する。そんな彼の思いなど露知らず、唐突な言葉に驚いて瞬きを繰り返す滝夜叉丸だったが、一拍遅れて頬を赤く染め上げ、その後にはにかんだように笑んだ。花が綻びていくような、柔らかい笑みを。
「……有り難うございます、先輩」
「うん。じゃ、片付け終わったし、長屋帰るか。今日の夕飯は何だろうなあ」
「定食が残っていると良いのですが」
「だな。ああ、そんな話してたら腹減ってきた! よおし、滝夜叉丸、行くぞ! いけいけどんどーん!」
 滝夜叉丸の笑みに、小平太はドキリと心臓が跳ね上がるのを感じた。それをごまかすように彼はその場を切り上げる。滝夜叉丸はそんな小平太には全く気付いていないようで、どこか柔らかい雰囲気を漂わせたままで彼の後に続く。その雰囲気のくすぐったさに小平太は彼女を愛しく思う気持ちが抑え切れなくなりそうで、慌てて自分を紛らわすように大声で走り出した。
 唐突に走り出した小平太を驚いて追う滝夜叉丸の気配が、くすぐったい。その気配は既に先程の暗い様子など払拭しており、小平太は内心安堵しながら長屋の方へと勢いよく足を踏み出したのだった。



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「最後の約束」より【遠いあの日に約束をした】――『―――を』
お題提供:それでも僕らは今日もまた 己の生を紡ぎ 歩いていく



鈍行*2008.08.06〜 Written by 緋緒


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