鈍行


TOP / NOVEL / DIARY / OFFLINE / MAIL / INDEX

▼苦悩する君の横顔



「なあ、放せよ、留三郎!」
「駄目だ。今放したらお前は間違いなく伊作んトコ行くだろうが。あいつらの邪魔をすると、後で後悔するのはお前だぞ」
 ずるずると引きずられるような形で食満 留三郎に連れられて行く七松 小平太は、留三郎の言葉に一瞬動きを止めた。同時にある種の予感が心のうちに芽生え、先程抱いた疑問でそれが解消されることを知っているかのように彼に尋ねる。
「留……初花って何?」
「――お前、その歳になって初花も知らんのか。と言うか、どこでその単語を聞いた」
「さっき、保健室で伊作が」
 唐突な質問に驚いた留三郎であるが、動揺をすぐに覆い隠して彼は小平太へと質問を返す。それに応じた小平太の返答に留三郎は呆れたように額を押さえ、口の中で小さく「あの馬鹿」と呟いた。耳の良い小平太の前で内緒話など不可能だ。自分こそが彼に思考の取っ掛かりを与えているではないか、と伊作を罵りながら、留三郎は視線を泳がせてから口を開いた。
「初花っていうのは、女の月のものが始まるということだ。――要するに、女になったってことだよ」
 一瞬、留三郎は嘘を教えるべきかどうか悩んだ。しかし、いずれは分かることだ。今ごまかしたところでいつかは知恵が付く。ならば、下手にごまかして状況を悪化させるよりも、今明かして相手を取り込んだ方が早い。留三郎は「何とまあ忍寄りの考え方になったものよ」と胸中で独白しながら、ぼんやりとしている小平太を見下ろした。
「……え?」
「小平太、場所変えるぞ」
 留三郎は今にもとんでもないことを漏らしそうな小平太に危機感を抱いて、彼の首根っこを掴んだ。向かう先は彼の庭である用具倉庫だ。幸いにも既に明日の準備も終わったのか、その中に人気はなかった。
「ま、その辺座れよ。今茶を出す」
「お茶なんてあるんだ」
「中で作業することも多いからな。ほれ」
 小平太は留三郎に手渡された湯呑を両手で包みながら、小さく息を吐いた。湯気が顔に当たる。その熱さが今の時間が現実だと思い出させ、小平太はもう一度溜息を吐いた後に湯呑に口を付けた。
「……女、だったんだな」
「誰が?」
「…………納得できなくはない。と言うよりもむしろそう言われた方が納得できる。でも、何だか」
 留三郎の問いに小平太は答えない。それは誰かに漏れ聞かれることを厭ったと言うよりも、自分でも何だか信じられないためだった。今まで男子だと思って接してきたのだ。それが本当は女子で、つい先程女になったと言われても困惑するばかりなのだ。――ただひとつ、思うのは。
「どうして忍術学園になんか来たんだろ……」
「なんか、ってお前な……」
「いや、だって、そうだろ? 滝は明らかに良い家の子どもだし、こんな所に来る必要はなかったんじゃないの?」
 小平太の疑問はもっともだが、留三郎はどうして隠れくの一が存在するのか、同室の善法寺 伊作に聞いて知っている。それゆえに迂闊なことは口に出せず、ただ表面的な発言を続けた。
「人には色々事情があるってことだろ」
「――そういうこと。僕にも、そして……滝夜叉丸にもね」
 二人は唐突に割って入った声に驚いて目を見開いた。気配を消されていたわけでもないのに、用具倉庫の中に入って来られるまで気付かなかったのだから、自分たちがどれだけ無防備に話をしていたかが分かる。それに青くなる留三郎に、伊作が苦笑を向けた。
「大丈夫、周囲に人は居なかったよ。……滝夜叉丸も入っておいで」
 促されて平 滝夜叉丸も用具倉庫へと入ってくる。今でこそ多少顔色が戻ってきているが、やはり彼女の表情は常にない冴えないものだった。それに小平太が思わず立ち上がり、滝夜叉丸の許へと歩み寄る。俯きがちの滝夜叉丸の頬を小平太はそっと手で包んだ。
「具合はどうだ? 気分が悪いとか、辛いとかはないのか?」
「いえ、大丈夫です。ご心配をおかけしました」
 小平太の矢継ぎ早の言葉に滝夜叉丸は少し頬を朱に染めながら返した。このように開けっぴろげな心配を滝夜叉丸が受けるのは久し振りだ。綾部 喜八郎と彼女の母も滝夜叉丸のことを心配してはくれるが、どうしても最終的には主従という戒めが彼女たちを滝夜叉丸から遠ざけてしまう。それゆえに彼女は何だか遠い子どもの頃を思い出した。――身分も何も分からず、紀伊(きい)と共に遊んだ日々。まだ存命だった母やその女房の志摩(しま)が自分を叱りながらも、優しい目で見下ろしていたあの頃。そのままで居られたら、きっと幸せだったろうに。
「本当に大丈夫です。――善法寺 伊作先輩に手当てしてもらいましたから」
「でも、まだちょっと顔色悪いぞ?」
「すぐに治ります。ちょっと血の気が足りてないだけですから」
 自分の頬を包む大きな手に滝夜叉丸は同じく手を重ねる。その様子は睦まじく、傍らで見ていた留三郎が思わず視線を逸らしたほどだ。そんな彼に伊作が苦笑して合図し、留三郎は頷いて用具倉庫の鍵を懐から取り出した。
「後は二人で話し合うと良いよ。幸い、用具委員が緊急でもない限りは用具の貸し出しはないって言ってるし、しばらく二人でここに居たら? 留さん、鍵渡してあげて」
「ほいよ。――滝夜叉丸、お前が作ってた一年生用のコースは俺が後は作っておいてやる。どっちにしろ、今日はもう無理だろ。コース設営の書き付けみたいなものはあるか?」
「ですが……」
 滝夜叉丸は留三郎の申し出に慌てて首を振る。けれど、彼は滝夜叉丸の後ろに居る小平太を示すことで彼女に返した。
「そこの男が今日はお前を離すまい。ほれ、書き付けを寄越せ。几帳面なお前のことだ、持ってるはずだろ?」
 留三郎に促されて後ろを振り返った滝夜叉丸は、自分をじっと見下ろしている小平太と目が合う。その瞳は雄弁に彼女をここから離さないと語っており、滝夜叉丸は溜め息と共に懐から小さな紙片を留三郎に手渡した。
「――すみませんが宜しくお願いいたします。既に狼穽(ろうせい)のところまでは作りましたので、後はこちらの残りだけです。……ああ、善法寺先輩はご一緒に行かれない方が良いと思います。穴にはまるといけないので」
「ひどいなあ、僕だっていつもいつも穴に落ちてるわけじゃないよ! 大丈夫だもん!」
「……落ちてるよなあ」
「なあ」
 留三郎と一緒に去っていく伊作の表情から、滝夜叉丸は思わず注意を促す。それに伊作はすぐさま抗議したが、それも虚しく同級生二人が揃ってしみじみと肯定した。それに彼女はがっくりと肩を落とし、溜め息を吐いてよろよろと用具倉庫から出て行く。それを留三郎が追いかけ、二人は寄り添うように去って行った。







 二人きりになった用具倉庫で、小平太と滝夜叉丸は向かい合う。二人の間に流れる空気はどこかぎこちなく、今までほとんど滝夜叉丸に気を使うことなく過ごしてきた小平太にはひどく違和感が感じられた。
「――滝は、どうしてこの学園に来たの?」
「家には居られなくなったからです」
「……どうして?」
 普段は疑問に思ったことはすぐに口に出す小平太が、少しためらった。それに滝夜叉丸は彼の気遣いを感じて、遣る瀬無い笑みを浮かべながら口を開く。
「私は既に亡き正室の正嫡(せいてき)として生まれました。しかし、それ以外に後ろ盾はない。母の身分も血統も名門だったそうですが、戦乱の世では力こそが全て。それゆえにそれ以外に私が持っているものと言えば、己しかない。けれど私が優秀だったために家は荒れました」
「荒れた?」
「父にはもうひとり身分の低い側室が居て、私の実母が亡くなった今は彼女がほぼ正室と同じ扱いを受けています。その女性はひとりの男子を生み、そこで我が家に二つの勢力ができました。
 ――正しき平の血を継ぐ二人の幼子。ひとりは血脈良く優秀であるが、ある欠点がひとつ。ひとりは妾腹ではあるが、後ろ盾が強い。どちらを継嗣として立てるか、家は荒れました」
 そこで滝夜叉丸は一度息継ぎをした。――目を閉じれば思い出す。あの地獄のような日々を。よく生きていられたものだと滝夜叉丸は自分の悪運の強さを笑った。
「父の側室はわたくしをまずは様々な手段を使って蹴落とそうとし、それが叶わぬとなれば暗殺を企てました。血統が良くても後ろ盾なくばただの子ども。初めは簡単な方法で、次第に複雑かつ陰湿に。側室は次第に手段を問わぬ方法でわたくしを狙い、わたくしは家に居られなくなりました。
 この学園を選んだのは全寮制であるということと、この場所で学べば自衛の手段が学べると思ったからです。お蔭様で随分強くなりました」
「そりゃあ滝は優秀だからな! 委員会の中でも花形である我が体育委員会の誇りだ!」
「光栄です」
 悪戯っぽく笑う滝夜叉丸に小平太は思わず胸を張った。それに滝夜叉丸は少し芝居がかった口調で小平太に返す。少しずつ普段の調子を取り戻した二人であるが、小平太はふっと笑みを消して彼女の瞳を真っ直ぐに射抜いた。同時に二人の間でごまかしていた〈真実〉を舌に乗せる。
「――女の身で、ここに居るのは辛くないか?」
「辛くない、と言えば嘘になります。けれど、男子の振りをするのは悪くない」
 滝夜叉丸の表情が歪んだ。笑みに近い表情だが、普段浮かべるような明るいものではない。強い闇と影を濃縮したような、ひどく(いびつ)な何かがそこにはあった。
「俺はよく分からないけど、平氏一門と言えば辿れば天皇(すめらみこと)に通じる家だろう? そんなに凄い家のお姫様をよくこんな場所に入れることを許可したな」
「――忍の修行となれば危険なことは必至。わたくしの意志が強かったことも勿論ですが、それと同時にあの女性の強い後押しもあったのでしょう。修行の間に死ねばしめたものとでも思ったか、それとも事故に見せかけて直接殺すつもりなのかは分かりませんが。
 それに女子など誰が顧みましょうや。我が家などのような家では特に、男子でなければ価値はなし。女子などどうなったって構いはしないのです。精々が政略結婚の道具にしか使えぬ上、それでも男子を生めなければ結局何にもならない。
 それでも、わたくしはまだマシな方です。正嫡ですし、いざとなれば婿を取るという手もある。可哀想なのはわたくしの異母弟(おとうと)の方。気の弱い優しい子どもで、今はもうほぼ武家となった平の家を継ぐには余りにも力が弱い。それなのにただ男子というだけで担ぎ上げられるというのもまた、子どもにとっては辛きこと」
 滝夜叉丸が淡々と語る事情に小平太は何と言って良いか分からなかった。彼は下級武士の家に生まれた。七松家は平時は田畑を耕して暮らし、いざ合戦となれば鎧を着て駆け付けて戦功を狙う。要するに、家督争いなんてものはほとんど縁がないのだ。子どもは多すぎるほどに居るが、皆仲良く助け合って生きている。何かあれば一丸となって問題に立ち向かうのが当たり前で、親族間で骨肉の争いを繰り広げるなど遠い話には聞いていても実感など湧くわけがない。
 小平太の表情でそれが理解できたのだろう、滝夜叉丸は薄く笑った。どこか、儚い笑みで。
「――先輩は健やかにお育ちになったのでしょう。貴方が後ろめたく思う必要はどこにもありませんよ。多分、我々こそが異常なのですから」
「でも、女の子だから無価値だなんて、そんな……」
 滝夜叉丸のまるで諦めたような口調に小平太は何とか反論しようと舌を回した。けれど、その言葉は途中で止まる。――滝夜叉丸から向けられた冷え冷えとした視線で。
「それは貴方が男として生まれたからだと思いますよ」
「いや、そんなことは……」
「――では、親戚中に男かとがっかりされたことはありますか? 親戚と顔を合わせるたびに『あれが女であったなら』と囁かれたことは? 今の性別と違う性別で生まれていたならば無用であった家督争い、生母への内外からの叱責に悔しい思いをしたことは? あるわけないでしょう、貴方は男で自分の腕ひとつで生きてゆけるのだから」
 小平太を射竦める瞳は据わっている。据わっているというよりも、どこか別の場所を見ているようだ。小平太が何とかしようと声をかける前に、彼女は小平太の胸倉を掴んで彼を力いっぱい後ろへ押し出した。傍にあった用具棚に押し付けられる形となった小平太は、小さい身体で自分を棚に叩き付けた少女の顔を驚きと共に見下ろす。それに滝夜叉丸は確かな憎悪をその瞳に閃かせて小平太を睨み上げた。
「男に何が分かる! 女に生まれたと言うだけで一族中から落胆され、貶められたわたくしの何が分かると言うのだ! 女になど生まれるのではなかった! もし男に生まれていれば――……」
 小平太が勢いに飲まれる形で滝夜叉丸の口から迸る怒声を聞いていた。しかし、彼女の喉から絞り出された怨嗟の声は途中で勢いをなくし、潰えてゆく。先程まで憎しみも露わに小平太を睨み据えていた滝夜叉丸は彼の胸倉を掴んだまま俯き、一度強く彼の襟元を握り締めた。それを訝しく思った小平太が恐る恐る彼女の身体に触れる前に、滝夜叉丸は小平太を掴んでいた手から力を抜く。
「――すみません、八つ当たりでした」
 彼女は震える声で呟く。小平太がその変化が何かを理解する前に、滝夜叉丸は自分が掴んで緩めた小平太の衿を元通りに直した。細い指の感覚がこそばゆい。小平太がそんなことを考えている間に滝夜叉丸は彼から距離を取り、深々と頭を下げた。小平太の頭が付いて行くよりも早く、滝夜叉丸は自分の激情を制してしまったのだ。
「申し訳ありませんでした。忘れてください」
 一言だけ落とすと、滝夜叉丸は素早く身を翻して用具倉庫を出て行く。追いかけようとした小平太だったが、彼女が頭を上げた瞬間に見えた表情に縫い止められたように動けなくなる。――泣きそうなのに泣けない。大きな瞳にじわりと涙が浮かんでキラキラと光っていた。
 その一瞬の逡巡が滝夜叉丸の姿を小平太の視界から消してしまう。小平太が一から鍛えただけあって、滝夜叉丸の足は体育委員会の中でもかなり速い方だ。混乱しているのか、思わず滝夜叉丸の足の速さに感動してしまった小平太はようやく我に返ると、逃げ出した彼女の背中を慌てて追った。



 探しても探しても、滝夜叉丸はまるで消えてしまったかのように見付からない。学園内で隠れられるような場所は大体体育委員が把握しているため、すぐに全ての場所を回り切ってしまった。
(――もしかしたら、学園の外に居るのか?)
 そこで小平太はとある場所を思い出す。彼自身が、彼女に教えた秘密の場所。小平太自身も落ち込んだ時にはその場所に行って心を慰めるのだと、一番可愛い後輩に教えてやったのだ。彼女は美しい顔も勿論だが、それ以上に性格が勝気過ぎて反感を買うことが多かった。それゆえにどこかで逃げ場があれば、と思って、小平太は惜しむことなくその場所を教えたのだ。そのことを思い出した小平太は迷わずにその場所へ続く道へと足を踏み入れた。
 ――確かにその場所に滝夜叉丸は存在した。けれど、声をかけようとした小平太はそこで歩みを止める。崖に近い場所で座った彼女は膝を抱えて小さく丸まり、まるで親の仇でもあるかのように彼女の前で沈んでいく夕陽を睨み付けている。その表情がまた一層美しく、小平太は息をするのも忘れるくらいに魅入った。
(滝夜叉丸――滝夜叉丸……滝)
 呼びかけたいのに、舌が凍り付いて声が出なかった。夕陽に照らされて、何か光るものが滝夜叉丸の頬に滑るのが分かる。それが涙だと気付くのに、そう時間はかからなかった。滝夜叉丸は大声で泣き喚くどころか、嗚咽すらも自分に許さずに泣いていたのだ。静かに涙の雫ばかりが頬を滑り落ち、滝夜叉丸の顔に飴色の軌跡を残していく。その光景に小平太は心臓を素手で掴まれたような衝撃を感じた。
(人前で泣くことすら己に許さないのか……)
 普段はちょっとの怪我でもピーピーワーワー喚く癖に、本当に辛いことが存在する時は彼女はこのように誰にも知られずに苦しむのだ。それに小平太は滝夜叉丸の本質を見た気がして、胸が締め付けられる気持ちになった。同時に湧き上がった考えに小平太は頷く。
 ――滝を守りたい。彼女を苦しめる全てのものから。そんなことは不可能だと分かっていても、小平太は自分の胸に芽生えた気持ちを抑えることはできなかった。小さな細い背中を見守りながら、小平太はどうしたら少しでも滝夜叉丸の心を解せるかと普段はほとんど働かせることのない自分の頭を必死に回転させ始めたのだった。



BACK << INDEX >> NEXT

「最後の約束」より【遠いあの日に約束をした】――『苦悩する君の横顔』
お題提供:それでも僕らは今日もまた 己の生を紡ぎ 歩いていく



鈍行*2008.08.06〜 Written by 緋緒


PC用眼鏡【管理人も使ってますがマジで疲れません】 解約手数料0円【あしたでんき】 Yahoo 楽天 NTT-X Store

無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 ふるさと納税 海外旅行保険が無料! 海外ホテル