鈍行


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▼昭和パロ(こへ滝)



この話の続き



「なあなあ、今日こそ口聞いてくれよー」
「つまんないじゃん!」
「ねえ、滝ちゃんってばー」
「た・き・ちゃーん!」
 滝夜叉は後ろから掛けられる至極屈辱的な声を全て頭の外へ追い出そうと努力した。ここ一週間近く、この男は毎日毎日、滝夜叉の帰宅時間を狙って出没する。己が級友と別れてひとりになり、車まで移動する短時間に男はとにかく自分に話しかける。返事など二度目に遭った時以降全くしていないというのに、この男は全くめげた様子がない。このように軟派な男など見たこともない、帝国男子たるものもっと重厚で尊厳ある態度で居なければ。――例えば、父の部下の潮江のような。
 あの男は自分の好む人物ではないが、帝国軍人の鑑のような男だ。常に国のために父の手足となって働き、我が国を亜細亜、いや世界有数の国へと持ち上げようとしている。この神の国を支える礎は、あのような男でなくては。……決して己の後ろで口を閉じることのないあの男のような人間ではなく!
「聞こえてないのー? 耳悪い? もっと大きい声の方が良いのかなー?」
 それ以上大きな声を出されたら、本当に耳がおかしくなってしまう! と叫び返したいのを滝夜叉は必死で抑えつけた。後もう少し、そうすれば車に辿り着く。車へ辿り着けば家の者も居る所為か、あの男は近付けない。後もう少しで車が見える。後もう少しの辛抱だ。そう己に言い聞かせていたその時。
「あ! そうだそうだ、言い忘れてたけど」
 男が先程とは少し違った調子で言葉を連ねた。振り返りそうになるものの、真っ直ぐ前を向いて歩いて行く。そんな滝を嘲笑うかのように男は口を開いた。
「袴どっかで引っかけたんじゃない? 切れて足が見えてるよ?」
「!!」
「うっそー」
 その言葉に滝は思わず持っていた包みを落として振り返った。しかし、当然ながら己の足がはしたなく見えていることなどない。当然だ、今日は体育もなかったし、どこかに引っかけた記憶もない。振り返った己に掛けられた「してやったり」といった調子の声に、滝夜叉も堪忍袋の緒が切れた。
「七松さん! 貴方は! 私に何か恨みでもあるんですか!?」
 怒りで思わず我を忘れた。行儀が悪いと分かっていても相手に指を突き付けてしまう。しかし、怒鳴り付けられた当の本人は、何かに酷く驚いた表情で滝夜叉を見下ろしていた。
「ちょっと、聞いていらっしゃるの!? 返事もしないのにあれだけぎゃあぎゃあ騒いでらしたんですから、当然何かわたくしに仰ることがあるんじゃなくて!?」
「……驚いた」
「はあ?」
「――俺の名前、知ってたんだ」
 その言葉に今度は滝夜叉が呆気に取られる番だった。――尋ねもしない癖に己の自己紹介をし、その翌日にはどこから調べたのか(もっとも、滝夜叉は有名なので少し調べれば分かるだろう。「有名人とは辛いものだ」とは彼女の言)、滝夜叉の氏素性を知っていたのだ。己のやったことすら覚えていないのか、と彼女は苛々しながら相手を見上げた。
「何を馬鹿なことを。貴方、一番最初にご自分で名乗りましたでしょ」
「いや、名乗ったけど。全然呼ばれないから忘れちゃったのかと」
「……貴方、わたくしを馬鹿になさってるの? わたくしはこの美貌だけじゃございませんのよ。成績は優秀で勿論、文武両道に秀でておりますの。一度聞いた名前を覚えられないわけございませんでしょう」
 思わず滝夜叉は肩に掛かった髪を払って胸を張った。誰よりも優秀である自信はある。それだけのことをやっているし、それだけの才能もあるのだから当然だ。しかし、相手の反応がいつまでも戻ってこないためにそちらを見遣ると、男は身体をくの字に折り曲げて笑っていた。
「ちょっと! どうして笑っているんですか! もう、どうせ碌でもない御用なんでしょう! 用がないなら帰りますよ! 家の者を待たせているんですから!」
「あ、待って待って! ごめんごめん、だってあんまり面白いから……」
「一体、今のどこに面白い要素があったのか、理解しかねますわ!」
「だって。――まあ、良いや」
 小平太は何かを言おうとしたようだが、すぐに思い直したようで口を閉じた。滝夜叉はその言葉が何となく理解できて不愉快になり、深い溜め息を吐いた。―― 何故周囲は己の溢れる才能をきちんと理解したがらないのだろう。まあ、己を正面から称えるのが気恥ずかしいだけなのだろうな、と結論付ける。そんな滝夜叉を余所に、小平太はようやく収まった笑いの発作に身体を起こし、にっこりと笑った。
「前も言ったろ、俺はあんたが気に入ったんだ。――だから、ちょっとぐらい返事をしてくれよなあ」
「わたくしが貴方のお相手をする義理がどこにございまして? そこまでわたくしは暇じゃございませんの」
「ケチ! 良いじゃん、車に行くまでの間はどうせひとりなんだから。
 第一、お嬢様がひとりで歩くのなんて危ないだろ? 俺が護衛の代わりにお供してやるよ」
「……どちらかと言うと、貴方のほうが不審者に見えましてよ」
「そうかあ? こんなに好い男なのになあ」
「勘違いもそこまで来るといっそ素晴らしいですわね」
 滝夜叉は落とした包みを拾って、その土埃を叩きながら言った。己と同類だとは決して思わない辺りに彼女の感性の凄まじさが知れる。
「それに、わたくし自分の身ぐらい自分で守れましてよ。――確かに華奢で可憐で全く強そうには見えませんけれど、これでも合気道を習っておりますの」
「へえ。お嬢様でもそんなのやるんだな」
「わたくしは特別ですわ。貴方も既にご存じでしょうけれど、わたくしの父は陸軍に努めておりますの。娘の私にもいつ何が起こるか分かりませんわ。お国のために働けることがあるのならば、それが武道であれ裁縫であれ、全て嗜んでおくというのが当たり前でしょう」
「……ふうん」
 滝夜叉が胸を張って言うのに対し、小平太はひどく気のない返事をする。先程とは全く調子が違うな、と彼女が小平太を見上げると、彼は声と同じくひどくつまらなそうな表情で肩を竦め、溜め息を吐いた。
「……何かご不満でもおありなの?」
「いーや、良いんじゃない? 滝ちゃんがそれで満足ならね」
「……先程から気になっていたんですけれど、何ですかその呼び方は!」
 小平太の返事は少し気に掛かったが、それ以上に気に掛かることがあって滝夜叉は彼を怒鳴りつけた。仮にも華族の――それも妙齢の女性を呼ぶのに、あの相性は余りにも無礼過ぎる。それに目を吊り上げると、彼は先程とは打って変わって笑顔になった。
「何で? 可愛いじゃん」
「可愛い? とんでもないですわよ! 貴方ねえ、仮にも華族の、それも花も恥じらうような妙齢のわたくしを捕まえて、そんな子どものような呼び名をなさらないでくださいませんこと!?
 大体、貴方はわたくしの家族でも何でもないわけですから、ちゃん付けしようというのがおかしいのですわ! 貴方だって拝見する限り、もう立派な大人の男性なんですから、わたくしのような大人の女性には敬意を払って『平様』や『平さん』、百歩譲って名前で呼ぶにしろ、せめて『滝夜叉様』、『滝夜叉さん』とお呼びいただけませんこと? それがマナーですわ」
 舌が回りそうにない長い言葉も滝夜叉に掛かれば何てことなく吐き出される。小平太は物凄い長口上を己に聞かせた少女を見下ろし、もう一度吹き出した。
「ちょっと!」
「だって……! ああ、分かった、分かったってば! はいはい、滝夜叉さんで良いんでしょ。――でも、これで名前を呼んだら返事をしてくれるわけだ。だって、滝夜叉さん自身がそう呼べって言うってことは、それを呼んだら返事をしてくれるってことだもんね」
 滝夜叉はその言葉を聞いて、初めて「しまった」と思った。しかし、一度出した言葉はもう喉に戻らない。にやにやと笑みを浮かべる小平太を腸が煮えくり返るような気持ちで見上げながら、滝夜叉は諦めたように溜め息を吐いた。
 ――この日から、滝夜叉と小平太の短い逢瀬が始まることとなる。



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鈍行*2008.08.06〜 Written by 緋緒


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