鈍行


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▼嫌いだと呟いた君の顔が朱かった



「――ひゃああ……広い部屋」
 不破 雷蔵は自分に宛がわれた部屋を見回して溜め息を吐いた。正確には彼女ともうひとり――鉢屋 三郎という人物の部屋なのだが、彼はまだ部屋に来ていない。雷蔵は自分の荷物を抱き締めて、もう一度ぐるりと部屋を眺め回した。
「落ち着かないかも……早く来てくれないかな、同じ部屋の子。ああ、でも、来られても困るかも。……ばれないでちゃんとやっていけるのかな、私――じゃなかった、僕」
 雷蔵は小さく呟いた後に一人称を間違えたことに気付き、誰に聞かれているわけでもないのに言い直した。それは入学の許可が得られた直後に学年主任であるらしい木下 鉄丸から注意をされたからだ。元々女子として――それも普通の女の子として生活していた雷蔵にとって、最も怖いのはその習慣から性別がばれることだと。
 だから、例えどんな理由があろうとも一度忍術学園の門を叩くと決めたからには、男として六年間生き続ける覚悟をしなければならない。そのためには自分しかいない場所であっても決して気を抜かずに男子の振りをするように、と重々告げられたのだ。しかも、ここは忍者の学校なのだから、どこに誰が居て聞き耳を立てているかも分からない。常に「壁に耳あり、障子に目あり」という気持ちで居なさい、と彼女は告げられたのである。
「……同室の子が良い子だと良いんだけど……」
 雷蔵はもう何度目か分からない溜め息を吐いた。正直を言えば、勢いで入学してしまったような雷蔵は既に不安でいっぱいである。木下は女子であることが周知になれば死んだ方がマシだという目にあうこともある、と散々に雷蔵を脅した上に、その点に関して何かがあっても学園は一切関与しない、と宣言したのだ。更に女子であるということで問題を起こしたら最後、雷蔵のように戻る場所がある子どもはすぐに退学にする、とまで言っていた。生来おっとりとした調子の雷蔵はそんな場所でちゃんとやっていけるのだろうか、ともう一度小さく溜め息を吐く。抱き締めた荷物が重い。そんなに中身がたくさん入っているわけではないのに、この六年間の不安がずっしり詰まってのしかかっているようだった。
 その次の瞬間、ほとほとと部屋の障子が叩かれる。ビクリと背筋を伸ばした雷蔵は荷物を放り捨て、慌てて応対へと飛び出した。障子を勢い良く開いて――固まる。目の前にあったのは奇天烈な顔、もとい、面だった。
「おっ、お多福……?」
 余りに予想外の状況に雷蔵はへなへなと腰を落とす。その反応にお多福が声を出した。
「おや、この面は嫌いかな? なら、こっちはどうだい?」
 声は幼い子どもだ。しかし、彼女はそう気付くより早く目の前の面が変わったことに気を取られた。今度は天狐だ。一体何が起こっているのだろう、と彼女が唖然としていると、面を付けた人物はひどくつまらなそうにへたり込んだ彼女の膝に落とした面を取った。
「何だ、そうまで驚かれると逆につまらんな。――君が不破 雷蔵だな? 私が鉢屋 三郎だ」
「あ、ああ……そ、そう、君が……」
 腰が抜けたままで雷蔵は小さく呟いた。正直なところ、忍術学園に来る者は皆忍を志しているが故に少し人と違うところがある、と聞いては居たものの、ここまで違うとなると度肝を抜かれる。雷蔵は障子の縁に手を預けて、抜けた腰を立たせようと足を踏ん張った。幸い、驚いたと言っても一瞬だけのことだ。よろよろと雷蔵は立ち上がり、既に自分を通り過ぎて部屋へと入っている三郎の後を追った。
「ごめんねえ、情けないところを見せて。自己紹介、まだだったよね? わた、僕が不破だよ。不破 雷蔵。これから六年間一緒なんだってね。仲良くしてね、三郎君」
「――ああ、そうだな」
 狐の面を外そうとしない三郎に雷蔵は少々違和感を感じながらも、にっこりと微笑んだ。面に関して触れて良いものかどうかが分からない。下手に突いてこれからの仲が悪くなるよりかは黙っていた方が良いのかも知れない。だが、この世には突っ込み待ちというものもあるらしい。さて、どうすべきかと雷蔵が考え込むと、胡乱な目で眺められた。
「君、なにやってるんだい?」
「え? あ、ああ、ごめん……わた、僕駄目なんだ。つい考え込んじゃって。何かこう、選択肢がね、二つ以上あるとどっちが良いかな、どっちが良いかなってすぐ迷っちゃっうの。何とかしたいんだけど、なかなかどうにもならなくってねえ……ああ、ごめん、何か話しかけてくれたのかな? 僕、悩んでる時って話しかけられても生返事で聞いてないことが多いんだ。何の話だったの?」
 しかし、三郎は呆れた顔で雷蔵を見やるばっかりである。ただ肩を竦めて彼女に背を向け、部屋の物色を始める。まだ二人とも荷解きをしていないので物色するようなものもないのだが、彼は押し入れや天袋、床や天井をしげしげ眺めて楽しそうな様子だ。雷蔵はどうして良いか分からずに三郎の背中を見つめて、小さく小さく癖になりかけた溜め息を吐いた。――彼と仲良くなるための道は中々に険しいらしい。



 ――全く変な奴と同室になってしまったものだ。
 鉢屋 三郎は小さく溜め息を吐いた。能面をかぶって登場したのは人を驚かすのが好きだという理由ひとつなのだが、同室の不破 雷蔵は彼が予想したどの反応とも違うものを彼に与えた。泣きそうなくらい驚いたのに、一言も雷蔵は三郎を怒ったり責めたりしなかった。勿論、詰って欲しいなどという被虐的な考えを持っているわけではないのだが、それにしたって反応がないのはつまらない。
 人を怒らせるというか、それに近い感情を起こさせることを三郎はひどく好む性質だった。悪趣味なのは勿論だが、彼の性質が悪いところは人が本気で怒る一線を決して越えないところである。それゆえに人は怒っても怒り切れず、結局うやむやのうちに三郎を許す羽目になる。その際どい線を見切るのが楽しいわけで、三郎はそういう意味において悪戯に心を深く傾けていた。
 しかし、雷蔵はそのどの分類にも属さないのだ。勿論、彼が悪戯を仕掛ければ怒る。けれど後を引かない。その時の怒りはそこで終わって、次に顔を合わせる時は必ず笑顔で話しかけてくる。常にへらへらと笑って自分や周囲に話しかけるその姿はどこか三郎の癪に障り、いつの間にか三郎は彼と距離を置こうとしていた。が、そんな三郎の意図などまるで知らない雷蔵はまるでひよこが親鳥を追いかけるように三郎にまとわりつく。ひとりになりたい三郎の手をひっつかんで、雷蔵は人の輪に入れてしまう。全く何たるお節介! しかし、そこで人の輪から外れるほど三郎は空気が読めないわけじゃない。それゆえに彼は仕方なく笑って相手をしてやるのだ。――もっとも、彼はほとんどの場合で面を着けているために笑っているのなど雰囲気でしか伝わらないのだが。
 そこで彼はもうひとつ気付く。――雷蔵は自分が面を着けていることに関しても何も言わない。多分、仲良くなりたいと思うからこそ気を遣っているのだろう。そんな雷蔵をうっとうしいと感じながらも、同時に部屋に戻るのは不快ではないこの感覚。それは勿論、雷蔵が世話を焼く割に自分の中に定めた一線を踏み越えてこないからだろう。自分自身は計算してその線をはかるのに対し、雷蔵はそれを無意識に行っている。それがまた悔しく、腹立たしい気持ちの原因になった。そのくせ、彼自身は決して人から嫌われないような人柄なのだ。できすぎだろう、と三郎は思う。
「あ、三郎くーん! って、ひゃああああっ!」
「……何やってんの、雷蔵」
「あはは、足踏み外しちゃったあ。結構痛いね、ここの角」
「そりゃそうだろうよ」
 庭から走って来た少年は廊下に上る瞬間に思い切り足を滑らせた。見事に頭から廊下に潰れる同級生を見下ろして、三郎は溜め息を吐く。この鈍臭さも気に障るひとつの原因だった。不思議と雷蔵はよく滑って転ぶ。廊下でつまずくなど当り前で、転んで滑ることも珍しくない。そのくせ、本人は落ち込む様子も見せずにヘラヘラと笑っているのだ。忍を志そうという者がそれで良いのか、と思いながらも三郎は雷蔵が立ち上がるのに手を貸すと、ひどく嬉しそうな表情で雷蔵は彼の手を取った。
「ありがとお、三郎君!」
「本当によくこけるな、君。図書委員じゃなくて保健委員の方が良かったんじゃないか?」
「あ、それひどい! 僕だって好きで転んでるわけじゃないのに」
 ぷく、と頬を膨らませる様子はいかにも幼く、自分とは全く違う人種であることを思わせる。しかし、ぶつけた場所を軽く払うくらいですぐに平気な顔をする様は三郎からしてみれば普通ではない。さすがに忍を志すだけはある、というところか。本当に幼い子どもならピーピー泣き出すところである。
「で、何だよ? 何か用があったから呼び止めたんだろ?」
「ん? んーん、別に。ただ三郎君が居たから」
「…………そうかよ」
「あ、でも。そう言えば思い出した。さっきねえ、木下先生にお会いした時に君を呼んでいらしたよ。部屋に戻った時に伝えれば良い、って仰っていたから急ぎではないんだろうけど。伝えられてちょうど良かった」
「そうか、有り難う。じゃ、私はこれで」
「うん」
 さり気なく距離を置く三郎に気付きもせず、雷蔵は笑顔で手を振る。その笑みは何も知らない無垢なもので、何故かひどく三郎を苛立たせた。もっとも、三郎は最近ずっと面をかぶり続けているので雷蔵にそれが見えるはずもないのだが。――面をかぶり続けることに別段深い意味はない。ただ、自分に遭遇するたびに驚く顔をする人々の反応が面白かっただけである。しかし、同室であるとさすがに慣れるのか、いつの間にか雷蔵はどんな面をかぶっていても動じなくなっていた。それがまた三郎の癪に障るのだが、まさか驚けと言うわけにもいかず、三郎は苛々を腹のうちに募らせていた。
「――先生、お呼びですか?」
「おお、鉢屋か」
 担任ではない生徒を呼び出す用事とは何だろう、と思いながら三郎が木下の許を訪れると、彼は朱墨で採点の最中だった。い組は随分と先に進んでいるらしい。昔から教科に関してはい組、実技に関してはろ組は組と言われるように、比較的秀才が集まるのがい組だそうで、三郎はその面子を思い浮かべて納得した。主だった面子の性格を考えれば分かる。い組は几帳面でろ組は大らか、は組はお人好しが集まっている。もっとも、それも飽くまで大まかな性格であって、それが全てではない。それはろ組らしくない性格である三郎が一番よく分かっていた。
「呼び立ててすまなかったな。お前はろ組の学級委員だろう? それで呼び出したんだ」
「何か?」
「今度の一学年合同学外実習についてだ。詳しいことは担任の先生からもう一度聞くと思うが、とりあえず概要だけは伝えておかないと組の連中をまとめるのに困るだろう?
 で、今後の学外実習だが、主に組の仲間と二人一組に分かれてのオリエンテーリングだ。もっとも、ただのオリエンテーリングではないことはもう分かってるな?」
「ええ。障害ありありの問答無用忍レースってことでしょう?」
「ま、そういうことだ。なので、今度組み分けをしてもらうから、そのための下準備を頼む。分け方は(くじ)だろうが何だろうが構わん。ただ、二人が揃ってゴールしない限りゴールとは認めないから、それだけは留意しておけよ」
 木下の言葉に三郎は頷く。忍はひとりで動くだけのものではない。時と場合においては複数人で組むことも多いのだ。それを考えると今のうちから集団行動のいろはを学んでおけということなのだろう。木下は三郎の瞳に理解が浮かんだことを確認すると、詳細を書いたプリントを渡して送り出した。その際にひとつだけ尋ねる。
「どうだ、同室の不破 雷蔵とはもう仲良くなったか?」
「……ええ、そうですね、はい」
 三郎はその問いに一瞬だけ答えをためらった。ためらったと言うよりも答えを探すことができなかったのだ。しかし、すぐに当たり障りのない笑みを浮かべると、彼はにっこりと同意する。――間違ってはいない。ただ、三郎が近付いたのではなく、雷蔵が寄ってくるのだが。
 そんな三郎に木下はただ軽く頷くと彼を部屋から送り出す。ただ、去りゆく三郎に聞こえないと分かっていてもなお一言だけ付け加えた。
「――三郎、お前が思っている以上に雷蔵という人間は大きいぞ」







「……じゃあ宜しくね、三郎君」
「ああ」
 何の因果か、籤引きでも雷蔵と一緒になってしまった三郎は溜め息を隠して頷いた。雷蔵はと言えば外に出られるのが嬉しいらしく、にこにこと楽しそうに笑っている。人好きのする性格が幸いしてか、不思議と雷蔵は組に馴染むのも一番早かった。今ももう出発しようというのに、同じく人付き合いの良い竹谷 八左ヱ門と楽しげに話している。その能天気な様子が羨ましくもあり憎らしくもあり、三郎は自分でもどうして良いか分からぬ感情に振り回されて溜め息を吐いた。
「じゃ、俺たちも行ってくるな! 鉢屋も雷蔵も頑張れよ〜」
「いってらっしゃーい! また後でね!」
「……って、暢気に見送っているバヤイじゃなかろう。私たちも行くぞ」
 次々出発する級友たちを手を振って見送る雷蔵に、三郎は呆れた声で突っ込む。それに雷蔵がハッとした表情になり、慌てて気合を入れた表情を作った。――どうやら自分たちもまた出発しなければならないということを忘れていたらしい。
「そ、そうだよね! よし、僕らも行こう!」
「さっきからそう言ってるだろ。ほら、行くぞ」
 三郎は止まっているといつまでも出発できないと思い、先に足を踏み出す。案の定、置いて行かれる形となった雷蔵は慌てて彼を追ってくる。雷蔵の迷い癖が再び頭をもたげる前に、三郎は急いで学園の外へと踏み出した。



「……それがどうしてこんな目に?」
「うーん、道間違っちゃったみたいだねえ」
 行けども行けども目的地に着かないことに気付き、三郎はがっくりと頭を落とした。雷蔵はと言えば迷ったにも関わらず、平然とした顔だ。既に戻らなければならない刻限が近く、明らかに二人はその時間に学園へ辿り着けそうになかった。
「あの時のあの道、やっぱり罠だったんだな」
「え? 何か気付いていたの?」
「気付いてなかったのか? ほら、さっきの三叉路。明らかに怪しい看板があったから、俺たちは敢えてその道を外しただろう? けど、やっぱりあれこそが本当の道だったんじゃないかって」
 三郎の言葉に雷蔵はポン、と手を叩いた。どうやら、それすらも気付いていなかったらしい。それに三郎ががっくりと溜め息を吐くと、ふいに手が握られた。見ると雷蔵が三郎の手を取って今来た道を戻ろうとしている。驚く三郎に雷蔵が逆に首を傾げた。
「どこに行く気だよ?」
「どこって……正しい道が分かったんだから、戻ってその道を辿れば良いわけでしょう? ほら、早くしないと暗くなっちゃうよ。大丈夫、三郎君! 僕、道を覚えるのは得意なんだ。今来た道も全部覚えているよ」
 迷子になったにも関わらず、雷蔵は笑顔のままだ。実を言うと三郎は少々気持ちが萎えていた。今までともすれば何かと迷いそうになる雷蔵を引っ張ってこの場までやって来たのである。そこで自分が道を間違えたことに気付き、正直気持ちが切れてしまったのだ。役に立たない雷蔵を連れても必ず上位に入ってみせると勢い込んでいたために、その落胆は限りなく大きい。しかし、そんな三郎を余所に雷蔵は彼の手を引いて今来た道を戻っていく。その背中は先程まであれこれと迷い続けていたものとは思えないほど、しっかりと大きく見えた。
「……俺を責めないのか? 俺が間違えたのに」
「何で? だって、三郎君が引っ張ってくれなきゃ、僕はまずここまでも来られなかったと思うよ? その点では本当に、僕の方が全く役に立たなくてごめんね。だから、今度は僕の番。今来た道まではちゃんと戻れるよ、その後はまた頼まなきゃならないと思うけど。新しいことに遭遇するとどうしても何か色々考えちゃうんだよねえ。――あ、そこ気を付けて。ちょっとぬかるんでる。
 しかし、山は暗くなるのが早いなあ。火種持ってくれば良かった。明るいうちに終わるだろうと思って置いてきちゃったんだよね」
「……俺が持ってる」
「え、本当? 借りても良い? 薄暗くって辛かったんだ!」
 三郎の手を引く雷蔵の手は温かい。次第に薄暗くなっていく山道は恐ろしさを増すのだが、雷蔵はその恐ろしさなど物ともせずに力強く三郎の手を引いて歩いて行った。強く繋がれた手は彼をしっかりと引いて行く。いつの間にか三郎は大人しくされるがままになっていた。
「えーと、確かこっち! ほら、三叉路まで戻ったよ!」
 既に辺りは暗くなり、明かりと言えば雷蔵の手にある簡易松明くらいだ。それもその辺に転がっていた木の枝をいくつか束ねて布を巻き、火を点けただけの全く頼りないもので、いつ明かりが消えるとも分からない。それなのに雷蔵は三郎の手を繋いだまま、いつだって顔を向ければ笑顔を返した。しばらく歩くと普段の迷い癖はどこに消えたのか、あっさりと三叉路まで戻って来る。
「ここから先は頼むねえ、僕じゃ無理みたいだから」
「……本当に俺に任せて良いのか? さっきも迷ったのに」
「どうして? だって僕じゃもっと迷っちゃうでしょ、どう考えても」
 あっさりとそう告げる雷蔵に三郎は何と言って良いか分からなくなる。後になって考えれば、大雑把な雷蔵が彼に面倒を丸投げしたとも思えるのだが、不思議とその時はそうとは全く感じなかった。ただ、手のひらに伝わる温かさだけがいつの間にか彼の心を支えている。
「仕方ないなあ」
「こういう時、三郎君は本当に頼りになるよね。さすがは学級委員長」
「押し付けたくせによく言うよ。俺を推薦したのは雷蔵だろう?」
「だって三郎君が適任だと思ったんだもの。何でもよく知ってるし、いざという時も冷静だし」
「……そんなこともないぞ」
「そんなことあるってば。さて、暗くなっちゃったし、早く行こう! きっと皆待ってるよ」
 雷蔵の笑顔に背中を押されて、三郎は再び歩き出した。雷蔵に照らしてもらった地図で場所を確認し、今度こそ正しい方向へと歩き出す。すると直にゴールの立て看板が表れて、二人は顔を見合せて破顔した。



「お前たちが一番最後だとはな」
「いやあ、僕が足引っ張っちゃって……三郎君が全部やってくれました」
「雷蔵はこう言ってるが、三郎は?」
「……雷蔵にいっぱい助けられました。私が全部やっただなんてとんでもない」
 無事にゴール地点へ辿り着くと、そこには既に生徒たちが集まっていた。その中でゴールで待っていた木下がニヤリと二人に話しかける。雷蔵はと言えば相変わらずの笑みで頭を掻き、照れたように笑っている。しかし、その手のひらの力が緩んだ時に初めて、三郎は雷蔵がかなり強く自分の手を掴んでいたことに気付いた。
(……もしかして)
 三郎はそこで気付く。――雷蔵もまた、不安だったのだと。それでも、雷蔵は彼に常に笑みを向け、薄暗い山道を先頭切って歩いたのだ。その意味が分からないほど、三郎は子供ではなかった。
「――どうだ、少しは雷蔵を好きになったか?」
「……いいえ、嫌いです!」
 友人たちに早くも囲まれている雷蔵を見つめて、三郎は面で隠された顔を赤くして言いきった。今までずっと後ろに居ると思っていた人間が、実は自分よりもずっと先を歩いていたという屈辱と羞恥。面の上からでも分かる強い視線を雷蔵に向けて、彼は拳を握り締めた。
 しかし。
「三郎君、何やってるの? ほら、早く帰ろうよ! 夕飯に間に合わなくなっちゃうよ」
「え、あっ、ちょっと!」
 そんな三郎の雰囲気になど全く気付かず、雷蔵は級友たちの輪から戻ってきて三郎の手を引いて行く。その温かさに三郎は何だか泣きたい気分になって、思わず唇を噛み締めた。



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「最後の約束」より【記憶の中で】――『嫌いだと呟いた君の顔が朱かった』
お題提供:それでも僕らは今日もまた 己の生を紡ぎ 歩いていく



鈍行*2008.08.06〜 Written by 緋緒


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