鈍行


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「――さあ、ごはんの時間だよ」
 人には余り向けぬ笑みを浮かべて、伊賀崎 真子(まこ)は可愛がっている生物たちに餌を与えた。――ピンセットの先にあるのは、その年頃の少女ならば諸手を上げて逃げだしそうな代物。それもそのはず、彼女が今世話をしているのはヘビなどに代表される爬虫類の類なのだから。ちろちろ、と餌を彼らの前で振ってから、所定の場所へと静かに降ろす。すると彼女が居るにも関わらず、蛇たちは早速這いずって餌へと大きく口を開けた。
 ヘビなどの爬虫類は余り人に好かれるものではないが、真子はどちらかと言うとこういう生き物の方が好きだ。別に他の女の子たちにも好まれている犬猫の類が嫌いなわけじゃないが、不思議と毒虫や毒蛇など、いわゆる〈ゲテモノ〉と呼ばれる生き物が好きなのである。変わっている、頭がおかしい、気持ち悪いなどという言葉は何万回も言われたのでもう慣れた。逆に、彼らは何故この生き物たちの素晴らしさが分からないのだろう、とすら思う。
「あ、真子。早かったな。――おお、よしよし、今日も元気そうだな、きみこ」
 真子は後ろから掛けられた声に振り返る。声を聞くだけで分かるその人物は、彼女が多大なる尊敬の念と仄かな恋心を寄せている二つ上の先輩――竹谷 八左ヱ門である。古風な名前とは裏腹に本人は明るく砕けた性格で、男女分け隔てなく人気のある人物だ。生物委員会にも彼目当てで入ってくる女子が多いほどで、仕事をこなさない彼女たちに彼共々怒りを覚えたのは一度や二度ではない。
「先輩、きみこたちの餌遣りは私だけでも大丈夫ですよ? 元々大した量でもないんですし」
「つーか、今月の当番は真子じゃないだろ?」
「……まあ、皆さん蛇はお嫌いなようです。こんなに可愛いのに」
 真子は自分の足元で先程やった餌を食もうとしているヘビの傍らにしゃがみ込んだ。撫でてやろうかとも思ったが、わざわざ食事の邪魔をすることもない。じっと自分の傍らで食事を続けるヘビを眺めていると、檻の外から甲高い耳障りな声が聞こえた。
「ヘビ素手で触れるってすっごいよねー! マジ尊敬するわー。私無理」
「私も私も」
 竹谷がちょうど自分に寄って来たきみこを捕まえて檻の奥へ戻そうとしていたため、真子ひとりに思えたのだろう。真子は対して激昂もせず、ただ「あーあ」とだけ思った。――何せ、彼女たちが思いを寄せる竹谷はこういった類のことが大嫌いだからだ。何の感慨もなく、真子は自分に寄って来た他のヘビたちに視線を向ける。既に食事を終えたのか、彼らは皆にじりにじりと真子へ寄ってきた。不思議と彼らは真子に懐いてくれる。言葉は分からなくても慰めてくれているのだろうか、とぼんやり思った。
 ……そう、慣れているのだ。今さら何を言われても何とも思いはしない。
 しかし、竹谷はそうは思わなかったようで、彼は奥から出て来るとおもむろに真子の傍で這い回っているヘビたちの一匹を捕まえて、心底愛しげに頬ずりをした。噛まれるかもしれないから危険な行為であり、普段は彼自身が禁じている行為だ。けれど、不思議とそのヘビは竹谷に同意するように彼の首にその胴を巻き付け、しゅるしゅると細い舌を出した。
「た、竹谷先輩っ!?」
「こんなに可愛いのになあ。な、真子」
「……先輩、危ないですから止めてください。お前も、駄目だよ」
 真子は竹谷の首に巻き付いたヘビを細い手で取り戻す。いくら慣れているとはいえ、ヘビはヘビだ。毒がない種類であっても噛み付かれれば感染症を引き起こす可能性もある。それを一番よく知っているはずの竹谷の行為に、真子は自分を庇ってくれたことへの嬉しさと彼に危険な行為をさせてしまった恥ずかしさを感じた。そんな彼女を慰めるかのように、真子の細い腕に移って来たヘビはシュウシュウと舌を伸ばす。それに彼女は微笑み返して、そのヘビもまた仲間の許へ放してやった。
「あ、そうだ。それとさ、悪いんだけど。――お前さんら高等部の一年だろ? 悪いんだけどさ、は組の生物委員に竹谷が怒ってたぞーって言っといてくんね?」
「は、はい、分かりました! 失礼します!」
 まるで蜘蛛の子を散らすように少女たちは消えていく。竹谷という存在の凄まじさを感じるのはこういう時だ。自分ではこうはいかない。真子はやはり人徳か、と胸中でひとりごちながら、慣れた手付きでヘビの数を確認する。致死毒を持つようなヘビはいないにしろ、それなりに有害なヘビも飼っているのだ。管理だけはしっかりしなければならない。
「全員居た?」
「ええ、大丈夫です」
「さすがにこいつらは逃がしたらコトだからなあ。良し、そんじゃ他も見回るか!」
「はい」
 静かだった飼育小屋が、竹谷が居るだけで明るく変わる。冷たい空気の流れる飼育小屋は真子の領域だが、こうなってしまえば形無しだ。――それでも不思議と不快感を感じないのは、やはり彼の人徳がなせる業なのだろう。真子は先んじて小屋を出て行く竹谷の背中を追いながら、思わず知らずのうちに柔らかく笑んでいた。それを振り返った竹谷が目撃して、彼もまた更に笑顔を浮かべる。この様子が学園の間で「生物委員会の夫婦」と呼ばれていることを、彼らはまだ知らない。



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鈍行*2008.08.06〜 Written by 緋緒


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