鈍行
▼口癖
「当然だ! この私、平 滝は学年一優秀なのだから」
高笑いと共に発せられるこの言葉は、彼女を知る人間なら誰しも一度は聞いたことのあるものだ。自己愛と自尊心が強すぎるほど強い平 滝は自分を至高の存在だと宣言して憚らない。それにうんざりして遠巻きにする人間も多いが、誰ひとりとして彼女の鼻っ柱を折ることができないのは、事実、彼女が学年首席、運動能力も凄まじく高く、下手な女優やモデルよりも美しい容姿をしているから、である。
しかし、体育委員会での彼女はその印象が正反対になるほど面倒見が良く、細やかに気が回る人間だ。あの口癖を聞く限りはほとんどの人間から全く共感は得られないのだが、体育委員の面々は何だかんだ言って彼女のことが好きだった。
「そういや、滝は?」
「さっき四年の階で見ましたよ。いつも通り高笑いに自慢話をしてました。あの人も飽きないっすね」
「口癖みたいに言ってますもんね、『私は学年一優秀な平 滝だ!』って。まあ……確かに色んな意味で物凄い人ですけど」
体育委員会の臨時活動のために借りた空き教室で七松 小平太は普段ならば既に来ているはずの少女の所在を尋ねた。それには三年生の次屋 三之助が応じる。呆れたように吐き捨てるのはやはり常の恨みが籠っているからか。――もっとも、彼の場合は恨みよりも狂いの生じた方向感覚によって迷子となる回数を減らしてもらっている分、感謝した方が良いのでは、と後輩などは思っているのだが。
そんな三之助に苦笑しながら応じたのは二年の時友 四郎兵衛。彼は三之助よりもずっと素直な性分である所為か、滝を一心に慕っている。滝もそんな四郎兵衛が可愛いと感じているのか、二人が並んでいるとまるで仲の良い姉弟のようである。そこに一際高い声が割って入った。
「センパーイ、大変ですっ! 平先輩が!」
「どうした、金きん」
「殴り合いの喧嘩をして、保健室に運ばれたって……!」
「何!?」
駆け込んできた少女は一年の皆本 金。彼女は肩で息をしながら教室に飛び込み、泣きそうな顔で体育委員たちに告げた。彼女もまた滝を慕う――もっとも、彼女の場合は四郎兵衛よりも幾分熱心さに欠けるのだが――ひとりであり、その表情は滝を心底心配している様子が分かる。
彼女の言葉にいち早く反応したのは小平太で、彼は今までだらしなく座っていた椅子から飛び降りると風のように廊下へと去って行った。保健室に向かったのだろう。その表情が余りにも彼らしくなく真剣で、体育委員の面々は思わず目を瞬かせて唖然とその背中を見送った。廊下を響く強い足音からは小平太がいかに滝を心配しているかが分かる。遠ざかる足音をを聞きながら、三之助がまず深い溜め息と共に肩を竦めた。
「……あんなののどこが良いんだか」
「平先輩、素敵じゃないですか。美人だし、何だかんだ言って面倒見も良いし。頭脳明晰、運動神経抜群、成績は常に学年トップで、あの性格さえなければ完全無欠ですよ」
「あの性格がその全てを補って余りある問題だろ」
「って、こんな風にまったりしてるバヤイじゃなくて、僕たちも行きましょうよ! 先輩、保健室に運ばれたんでしょう!?」
三之助に言葉に反応したのは金である。先程の勢いはどこへやら、すっかり落ち着いた様子で彼女は滝の良いところを挙げていった。そこに茶々を入れるのは三之助で、その二人の間に挟まれる形となった四郎兵衛は、件の女性が保健室に運ばれたという話題を復活させて二人を制する。
「あ、そうだった! 七松先輩の勢いで忘れてました! 先輩、大丈夫でしょうか?」
「えー……お前ら行きたいなら行けば良いよ。俺は面倒臭い」
「何言ってるんですか、先輩も行くんですよ! ほらー!」
慌てて我に返った金が悲鳴じみた声を上げると、三之助は明らかに面倒臭そうな様子を崩そうともせずに手を振って先に拒否した。それを金が背中を押す形で押し出し、保健室へと走り込む。
「せんぱーいっ、無事ですか!?」
「金か、嘘八百垂れ流した奴は」
しかし、彼女たちが予想していたようなそこにはない。怪我をして運び込まれたと思っていた平 滝はぴんしゃんしているし、その傍らにはベッドに腰掛け、彼女の腰に腕を回している小平太の姿。それを見た瞬間に三之助がしかめっ面をし、低く唸った。
「先輩、怪我して運び込まれたんじゃ……」
「この私がそんなヘマするわけなかろう。第一、殴り合いの喧嘩自体が勘違いだ」
「えええ!? でも、でもでも綾部先輩がそう仰って……!」
「あいつの言うことは余り信用するな。真面目じゃない時は八割面白がっての嘘だ。――ちょっと気分が悪くなって、保健室で休ませてもらっていただけだよ。どうせ喜代きよのことだ、委員会を休ませられるように嘘吐いたんだろう。……気を悪くするなよ、金。あれでも私を思ってのことなんだ」
唖然として彼女を見詰める金に、今まで黙っていた小平太が笑い声を上げた。
「金も滝が心配だったんだよ。それに金、綾部もそうだ。あんまり怒ってやるなよ。――三人とも、今日の委員会は中止! 帰って良いぞ」
「先輩……! 私、もう大丈夫ですよ?」
小平太の宣言に滝が困惑した声を上げた。しかし、小平太は決して首を縦に振らない。ベッドから立ち上がると、彼は滝の額に自分の額を当てた。
「熱はないけど、まだちょっと顔色悪いよ。――病気じゃなくても辛いもんは辛いんだから、大人しくしてなさい」
「先輩!」
滝が真っ赤になって小平太の名を呼ぶも、彼は全く頓着した様子がない。そんな二人の様子を見て、三之助が吐き捨てるように呟いた。
「勝手にやってろ。……ほんじゃ、俺はもう帰りますからね! センパイ、お大事にどーぞ!」
「あ、次屋先輩、待ってください! 平先輩、体調悪い時に無理しちゃ駄目ですよ、お大事に!」
「あー……えーっと……あの、じゃあ私も失礼します。平先輩、お大事に」
「……ああ、心配してくれて有り難うな。金も気を付けて帰りなさい」
まるで母親のような台詞に金は少しだけ不思議な気持ちになった。しかし、彼女の立場はまさに「体育委員会の母」だ。容姿端麗、頭脳明晰、運動神経抜群、と三拍子揃った人物ならば普通は近寄りがたい気がするのだが、彼女の場合は性格ゆえかそれがない。性格の割に世話好きで面倒見が良いところも一因なのだろう。
金は保健室を辞する前にもう一度だけそっと二人を振り返った。その先には、再び滝の腰を抱える小平太の姿と、それに酷く恥ずかしそうに頬を染める滝の姿。その様子はまるで若夫婦のようで、金は何だか見てはいけないものを見た気がして顔を真っ赤に染めた。
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鈍行*2008.08.06〜 Written by 緋緒