鈍行
▼記憶
「久々知先輩と雷先輩ってクラス違うのに凄く仲良しですよね。ウチの学校ってクラス違うと、後は委員会か部活が同じじゃないとあんまり仲良くしたりしないですけど、先輩たちはそれに当てはまらないし」
「何だ伊久いく、藪から棒に。……誰か仲良くしたい子でも居るのか?」
「いえ、そういうわけでもないんですけど。ただ、は組はい組の子によく絡まれるので、どうなのかなあ、と」
理科部の部室である理科室でカルメラ焼きを作っていた久々知 兵へいは、その手伝いをしながら問いかけてきた二郭 伊久に首を傾げた。戻ってきた答えはもごもごとしたものだったが、学年が一緒という以外はほとんど接点のない雷と兵の関係が気になるらしい。五年も同じ学校で顔突き合わせれば誰だって仲良くなるもんだ、と兵は思うが、どうも他組との諍いが気になるらしい伊久である。ふと彼女の幼馴染が学級委員長だったことを思い出し、庄左ヱ門が悩んでいるのかと兵は当たらずとも遠からぬ推測を立てた。出来上がったカルメラ焼きを冷ましながら、兵は昔を思い出す。
「私と雷が仲良くなった時、かあ」
その時、兵は何をしていたのだったか。よくは覚えていない。ただ、雷が初めて自分に声をかけてきた時のことだけは今でも細部までありありと思い出すことができる。――要するに、それほどまで印象的だったのだ。
「あ、あのっ、久々知さん!」
名を呼ばれて振り返れば、同じ顔をした二人の男女。入学当時から鉢屋 三郎の変装癖は有名だったため、兵がその二人をろ組の生徒だと判断するのにそう時間は要らなかった。男の制服を着ている方が鉢屋だから、目の前で顔を真っ赤にしてこちらを見ている方がオリジナルの少女であろう。その時はまだ雷の名字もうろ覚えだった兵は、足を止めて彼女を見返す。
「ほら、待ってるぞ」
「分かってる、分かってるよ……!」
真っ赤な顔で自分を見つめる少女の姿に兵は何だか変な気持ちになる。――まるで告白されるかのようだ。だが、自分は男ではない。少しでも目の見える人間なら、兵が目の前の少女と同じ制服を着ていることがすぐに分かるだろう。そんなことを思わず考え始めた兵に、彼女は勢い込んでこう告げた。
「あのっ、私ろ組の不破 雷って言います。――雷いかづちって書いて〈らい〉です。その、久々知さん、お友達になってくださいっ!」
「……は?」
今でもあの時の戸惑いは忘れられない。廊下で呼び止められて、いきなり「お友達になってください」と来たものだ。今でこそ笑い話だが、当時の兵は驚きでしばらく口が利けなかった。対する雷は雷で、言いきったことで全てのエネルギーを使ってしまったのか、真っ赤な顔で自分を見つめている。どう反応を返して良いか分からなかった兵に、黙っていた鉢屋が口を開いた。
「雷はあんたが気になって仕方がないんだ。――なあ、久々知 兵」
「フルネームで呼ばないでくれないか? 久々知で良い」
「その気持ちを雷なら分かってくれるぞ」
鉢屋のその言葉に兵は目を瞬かせた。長い睫毛がパタパタと動く。――運動も勉強も人並み以上にできる兵であったが、彼女にもコンプレックスが存在する。それはは〈名前〉。女の子に付けるのにどうしてこんなごつく、無粋な名前を選んだのか。彼女の名付け親は彼女がひとつの時に亡くなった祖父だったのだが、自分の名前を見る度に彼女は記憶のない祖父を恨んだものだ。
そこで兵は先程告げられた言葉を思い出す。「雷と書いて〈らい〉」――そこで彼女はようやく雷が自分を選んだ理由に気付いた。同時に彼女もひしっと胸の前で重ねるように持ち上げられていた手に手を重ねた。
「分かる……!」
その瞬間の雷の変化は見事だった。緊張して真っ赤に染まり上がった顔がふわりと緩み、柔らかな笑みがこぼれる。あの時の雷は可愛かったなあ、と兵は思い出し笑いをした。
「あ、先輩思い出し笑いだ。えっちー」
「何がだよ」
「何思い出してたの? 何か面白いこと?」
思わずくつりと笑った兵に後ろから年上の後輩が寄ってくる。その闖入に思わず顔をしかめた彼女であるが、相手は全く構わずに兵の傍へと腰を下ろした。
「昔、雷と仲良くなった時のことを思い出してたんだよ。あの時の雷は可愛かった……」
「あー、雷先輩。そういや、先輩仲良いよね」
「まあな。――伊久、仲良くなる時は仲良くなる。でも、本当に仲良くなりたいんだったら、自分で動いた方が良いぞ」
構ってちゃんと化した斉藤 タカ丸を軽くかわしながら、兵は傍らの後輩へと微笑みかけた。ついでに出来たてのカルメラ焼きをその口に突っ込んでやる。もごもごとカルメラ焼きをくわえながら、伊久は困ったように兵を見上げる。
「結局、どうして仲良くなったのかは教えてくれないんですね」
「――何でもすぐに分かったら面白くないだろう?」
話せば自分のコンプレックスまで露呈する羽目になるので、兵はこっそりと論点をすり替えた。それに伊久は納得はしないまでも渋々引き下がり、カルメラ焼きをかじる。どうやら他の手段を考えているらしく、その様子に兵はこっそり笑みを零した。
「先輩、俺にも教えてくれないの?」
「何でお前に教えなきゃならないんだよ」
兵は懐いてくるタカ丸を呆れた目で見つめながら、もうひとつカルメラ焼きを作るべく動き出した。――伊久以上にこの男には言いたくない。これでも威厳のある先輩として通っているのだ。そんな自分が名前ひとつにコンプレックスを持っているだなんて知られたくなかった。思わずしかめっ面をした兵をどう思ったのか、タカ丸は「分かった、もう聞きません」としょんぼり肩を落としてしまった。それに兵は少し大人げなかったかな、と(もっとも、彼の方が年上なのだから大人げないもくそもないのだが)考え、自分が今作っているカルメラ焼きは彼に与えようと心に決めた。
▲BACK
鈍行*2008.08.06〜 Written by 緋緒