鈍行
▼覚悟
「え? 来学期も体育委員だろ?」
「…………いえ、その」
「やだやだやだやだ、滝が居なきゃ詰まんない! 始まらない! 駄目、絶対体育委員ー!」
一学期も終わる頃にようやく体育委員の範疇から大きくはみ出た活動に終止符が打てると思っていた平 滝は、二級上の七松 小平太にさも当たり前のように次期も体育委員であるかの如く告げられ、思わず言葉を濁した。――生来からの負けん気の強さもあるのだろう、身体が慣れてしまえば活動も平気なように思える。けれど、自身の美しさを誇る彼女にとって、泥まみれ汗まみれになる体育委員会は正直なところ所属しがたい。それゆえに彼女は来学期からは別の委員会もしくは係に所属しようと考えていたのだ。
が、しかし。今目の前に居る十五歳が駄々を捏ねている。普段から子どもっぽさの抜けない男であるが、今の彼はまさに〈子ども〉だった。――十五歳にもなって、十三歳に向って駄々を捏ねないで欲しい。それが滝の偽らざる本音だ。
「先輩、別に私が居なくても平気に決まってるじゃないですか。去年だって一昨年だって私は居なかったんですから」
「去年と一昨年はもう過ぎちゃったからどうでも良いの! 今は滝が居てこその体育委員会なのに、何で辞めちゃうの!? 大体、体育委員ってクラスで一番足の速い子――ってか、運動神経の良い子がなるもんでしょ! 滝のクラスに滝以上に凄い子なんて居るの?」
「そりゃ勿論居ませんけど……」
「じゃあ、滝で決まりじゃん! 体育委員会の活動は厳しいんだから、運動神経鈍い子がなったら登校拒否になっちゃうよ!」
その活動内容を軽くしようだとか、改善しようという気は一切ないのですか、という言葉を滝は飲み込んだ。どうせ、「ない」と断言されるに決まっている。しかし、彼女とて体育委員に染まりたいわけではない。それに今既に慣れてきた所為か、このまま行けば本当に六年間体育委員として活動してしまいそうで恐ろしいのだ。その前に何としても辞めたい。それこそが滝の偽らざる本音だった。――のだが。
「……どうしてそんなに私を引き止めるんです? 他にも体育委員はいっぱい居るじゃありませんか」
「だって、私について来れるのって滝と先輩ぐらいしか居ないんだもの。でも、先輩はすぐ卒業しちゃうし。――滝なら、私が卒業するまで一緒じゃないか!」
「…………何たる理由」
暴君だ。まさに暴君。滝は自分の眉間に寄ったしわを自覚しつつも、それを解こうとは思わなかった。もう少し何か他に理由があっても良いのではないか、そう思った後に他の理由が見付からないことに気付く。仕方なしに溜め息を吐いて、滝は肩に掛かった髪を手で払った。
「仕方ありませんね。……来年はきっと貴方の期待に十二分に応える後輩が入学します。そうなったらお役御免で宜しいですね?」
「――それは嫌だけど、とりあえず今年中はやるってことだよな?」
「そうですね。そこまで引き留められては仕方がありません。それに……今では貴方の暴走を止められるのは私ぐらいしか居りませんからね。良い後輩が入るのを期待しましょう」
滝はせめてもの抵抗で恩着せがましく告げた。――本当は引き留めてもらえて嬉しかったなんてこと、知られたくなかったので。
今までは性格の所為か何なのか、彼女は追い払われる側だった。けれど、今自分が必要だと告げられている。その事実がじんわりと胸をじんわりと温めて、何だか痛いような苦しいような、不思議な気持ちに襲われる。それを知られたくなくて、滝は尚更偉そうに胸を張った。
しかし、そんな彼女の虚勢など一足飛びに飛び越えて、小平太は彼女の懐へと入り込む。――彼女を抱き締めるという行為によって。
「やった! 大丈夫、安心しろ! 一年居たらもう一年絶対居たくなるようにするから!」
「そんなことにはなりません! と言うか、放してください!」
「大丈夫、大丈夫! 俺は有言実行の男だ!」
それは大丈夫じゃない、と滝は言いたかった。しかし、力いっぱい抱き締められているために上手く身動きが取れない。知ってはいても、しっかりと付いている筋肉や胸板を直に感じては動揺するというものだ。相手に他意がないからこそ自分の動揺が恥ずかしくて、滝は必死で彼の懐から出ようともがいた。けれど、自分を包む腕は決して緩むことなく、むしろ自分の腰を掴んで――地面から浮かせた。
「ひっ!?」
「絶対に体育委員だからなー!」
滝を抱えてぐるぐる振り回す小平太に、彼女は思わずしがみついて衝撃を堪えた。一年生とはいえそこそこ成長が始まった滝である。その彼女をいとも簡単に抱き上げる小平太の筋力に驚くと共に、まるで幼い子どもを相手にするかのような小平太に滝は唇を噛み締めた。
「大丈夫、滝は体育委員向きだ!」
「何ですか、それ! それよりも下ろしてください!」
「やだ! 折角だからこのまま裏々山までランニングしよう! 滝の重さならちょうど良い重しだ!」
「何という失礼なことを! 下ろしてくださいってば! 危ないでしょう!」
「大丈夫大丈夫、危なくない危なくない! しっかり抱っこしてるから!」
「そういう意味じゃありません! とっとと下ろしなさい!」
「いやだー!」
そう言いながら、小平太は走り出した。当然、揺れる形になった滝は彼の頭にしがみついて衝撃を堪える。自分を抱いているにも関わらず風を切って行く小平太に、滝は脅威すら感じた。――この後、彼女は偶然この図を目撃した生徒会副会長潮江 文次郎と保健委員の善法寺 伊緒の二人が小平太を実力行使で止めるまで引き回される羽目となる。
「……ふうん、災難だったね」
「ああ。……全くもう、あの人はどうしていつもあんなに無茶苦茶なんだ!」
「――でも、滝ちょっと嬉しそう」
「は?」
ようやく解放された滝は自分を待っていた綾部 喜代きよと合流して、ぶつぶつと愚痴を漏らした。緊張していた所為か、身体中が凝っている。肩を回して凝りを解しつつ、滝は静かに呟く喜代を睨み付ける。――その瞳は馬鹿を言うなと物語っていた。
「自分だって本当は分かってるくせに。……別に良いんじゃない? どうせ体育委員なんて滝ぐらいしかできないんだし」
「私が学年で一番運動神経が良いのはよく分かっているが、それでも私はいつも泥だらけ汗まみれを望むような馬鹿じゃないぞ」
「でも、滝はもう半分くらい覚悟決めてるじゃない? 私には分かるもの。――引き留めてもらえて良かったね。嬉しいことじゃない」
「…………だから、お前は嫌なんだ。そうやって知れっとした顔で、私の一番弱いところを引き出してくる。
第一、お前だって似たようなものだろう。立花先輩に引きずり込まれた生徒会、それなりに楽しくやってるみたいじゃないか。――例え、行く回数が明らかに少なくても。この前も三木ヱ門が何故か私のところへ怒鳴り込んで来たぞ。活動するならちゃんとやれよ」
「私はそういう約束で入ってるから良いの。先輩も良いって仰ってるもん」
つん、と澄ました顔で告げる喜代に滝は溜め息を吐いた。――普段は犬猿の仲である三木ヱ門に同情を禁じ得ない。それでも、喜代もまた生徒会にひとつの居場所を見出していることを滝は知っていたので、それ以上は何も言わずに留めておいた。素直じゃないのはお互い様、というところである。
二人は静かに寄り添って、今まで二人きりだった世界が次第に開かれていくことを知る。それを不快に思う気持ちと喜ぶ気持ちがない交せになるのを感じながら、それでもまだ穏やかな閉じた世界を恋うて二人は静かに手を繋いだ。
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鈍行*2008.08.06〜 Written by 緋緒