鈍行
▼計画
「あっ、ナメさんだあ!」
「あ、ちょ、喜三太!? どこ行くの……ってああ、もう! 相変わらず、ナメクジのこととなったら他に気が回らなくなるんだから……!」
同級生の山村 喜三太と買い物に来ていた皆本 金は髪を掻き上げて溜め息を吐いた。この同級生は相変わらず変わっている。と言うよりも、はっきりと変人だ。少なくとも彼女が知る限り、ナメクジを嫌がる人間は見たことがあっても、あれほどナメクジを愛している人間を見たこともなかった。彼は持っていたペットボトルを取り出して、その中に拾ったナメクジを突っ込んだ。既に何匹か捕まえられているナメクジがペットボトルの中で蠢うごめく様はグロテスクだ。金はペットボトルのラベルが付いたままで良かったと心の底から思った。
「きーさーんーたー! いい加減に行こうよ! つか、ナメクジ拾うのやめてよー! それ何匹目!? 単品では平気でも、私だってそこまで集められると気持ち悪いよー!」
うっとりと集めたナメクジたちを見詰める喜三太を、金は遠巻きに眺めながら声をかけた。正直、既に彼女は後悔している。いくら仲が良いとはいえ、彼を買い物の相手に選んだのは間違いだったかもしれない。しかし、彼女が一番親しい男子は彼であり、気兼ねなく雑用を頼めるのも彼しかいなかったのだ。
――事の起こりは数日前、部活動中に遡る。
「あっちゃあ……備品が切れてる。しまった、保健室の方は切らさないようにしてたけど、こっちはうっかりしてたなあ」
剣道部の部長である善法寺 伊緒いおが救急箱を見ながら呟いた。その声に釣られて金が救急箱の中身を見ると、雑然とした中身は確かに隙間が多い。明らかに補充していない中身に伊緒の溜め息が響いた。
「――ね、金。頼んでも大丈夫?」
そう尋ねるのは、彼女が〈不運委員会〉と名高い保健委員の中でもとりわけ不運をこうむる委員長だからだ。不思議なことに彼女が買い物に行くと、六割の確率で物品は売り切れており、九割の確率で買ったものをぶちまける。要するに、不運のためにまともに買い物もできないのだ。私物の買い物はどうするのかと以前聞いたことがあるが、その時は必ず幼馴染の食満 留とめに付き添ってもらうのだそうだ。
それを同級生の猪名寺 乱太郎からも聞いていた金は快く引き受けた。幸い、買い物リストとどこの店で買うかをきちんと教えてもらったために一年生の彼女でも買い出しには行けそうだ。ひどくすまなさそうに自分に頼む部長に、金はにっこりと首を横に振って大丈夫だと示した。――元より部員の少ない部活なのだ。お互いに助け合わなければならない。
しかしながら、買い物リストに掲載された物品はひとりで運ぶには大変な量で、それゆえに金は誰かに手伝ってもらおうと心に決めた。とはいえ、女子に重たい荷物を持ってくれとは言いがたいし、かと言っていくら仲が良くてもクラスメートの男子に部活の買い出しを手伝ってもらうのは気が引けた。そこで白羽の矢が立ったのが喜三太だ。
金と喜三太は、親の都合で遅れて一年は組に参加した転入生組だ。それゆえに入学式からずっと一緒のクラスメートたちとは、やっぱりどこか距離を置いてしまう。勿論、彼らが金を仲間外れにしたことなど一度たりともなければ、むしろずっと一緒の仲間と同じように扱ってくれる優しい友人たちだ。それでもどうしても仲間に入り切れない金は、何となく同じ立場の喜三太を構うようになっていた。――もっとも、彼はその性格から転入生だの何だのということ自体まず気にしていないのだが。
喜三太は金の頼みを二つ返事で受けてくれた。それで二人の都合が合う日曜に待ち合わせをして買い物に出かけようという話になったのだが……それが今やこの状態だ。
「……弱ったなあ」
金は小さく呟いた。まだ買い物は残っているのに、喜三太は既に別世界の住人だ。本当ならば既に買い物を終えて学校まで運んでいるはずだったのだが、喜三太があちこちでナメクジを探したり見つけたりするたびに足止めを食らうために計画は破綻しっ放しになっている。それゆえに早く買い物を済ませたい金であるのだが、当の喜三太は未だこの場から動く様子もない。金はもう一度溜め息を吐いてから、買い物リストを見下ろした。
幸い、残りの買い物は金ひとりでも運べる大きさのものばかりである。それならば荷物と一緒に喜三太をここに残し、残りは自分ひとりで行った方が早いかもしれない。それでも今の喜三太に荷物番ができるのかどうか、という疑念が彼女の頭を掠め、金は再び頭を抱えた。
「金、どうしたのお?」
「どうしたのじゃないよ、喜三太……。あのさ喜三太、私ひとりで残りの買い物行ってくるから、荷物見てもらってて良い?」
「何で?」
その応えに金はがっくりと肩を落とした。――どうしてくれよう。
「……喜三太、ナメさんに夢中だから。ナメさん探しててもいいから、荷物だけ見ててくれる? そうしたら、喜三太がナメさん探してる間に私が買い物行ってくるから」
「何で? 僕も一緒に行くよ。だって、約束したじゃない」
(その〈約束〉が既に守られてないんだけど〜!?)
金はその言葉を叫ばないように唇を引き結ぶのに苦労した。既に彼の足止めでどれだけの時間を浪費したか。しかし、折角の休日に彼を引っ張りだしたのは金であり、それを考えるととてもじゃないが怒鳴るなどできはしなかった。
「うん、でも……喜三太、ナメさん見てたいんでしょ? 元々は私の用事だし、喜三太には付き合ってもらってるだけだから……」
「はにゃ〜? でも、荷物持ちが必要なんでしょ? 僕はそのために来たんだもの。行こうよ」
差し出された手に金は思わず生唾を飲み込んだ。――心遣いはとても嬉しいのだが、その手は先程までナメクジを触っていた手だ。思わず取るのをためらう金に、喜三太は首を傾げた。そんな喜三太の様子に金は覚悟を決めて、その手を掴んだ。
少しぬるっとした感覚のその手のひらは、それでも温かい。金は嬉しいのか悲しいのかよく分からない気持ちになりながら、彼の手を引いて次の店へと再び歩き出したのだった。
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鈍行*2008.08.06〜 Written by 緋緒