鈍行


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▼冷蔵庫



「あ……っ! 俺のスポーツ飲料がない!」
「……それ、もしかしてこれのこと?」
 左近の悲鳴じみた声に善法寺 伊緒(いお)はゴミ箱に捨ててあるペットボトルを指差した。それは先程、無茶な活動で怪我をした下級生を連れてぞろぞろと訪れた体育委員のひとり、委員長の七松 小平太が勝手に冷蔵庫を開けた挙句飲んでいった代物だ。さすがに六年も保健委員の友人をやっていると、彼らがひっそりこっそり職権乱用で自分たちの私物を冷蔵庫で保管していることも知っている。それゆえにこのような暴虐も時折巻き起こされるわけだが――伊緒はどうしたら自分のお茶とスポーツ飲料を間違えられるのかと深い溜め息を吐いた。
「ごめん、私のお茶なら飲んで良いよって小平太に言ったんだけど……別のを飲んだみたいだね」
「うああああ……あの人なら故意にやりかねない……!」
 思わず床に崩れ落ちる左近の姿に、伊緒は何も言えずに落涙した。不運だ何だと言われているが、その不運の元凶は主に常識知らずの同輩たちにあるのではないかと思う。後輩の小さな幸せすら守れなかった自分を悔みながら、伊緒はがっくりと肩を落とした。
「まあ、ほら、あのー……ね? 私が代わりに新しいの買ってあげるから、許して?」
「いいっすよ、別に善法寺先輩の所為じゃありませんし。名前書いておかなかった自分も悪いんです。保健委員会は自分のものじゃないものに手をつける輩なんて居ないんで油断してました」
「うん、いや、うん……本当にごめん……小平太は叱っておくから」
「是非! お願いします」
 左近の哀愁漂う背中に伊緒は思わず手を差し伸べた。彼の怒りは深いようで、彼女にこそ向けないが、その瞳はギラギラしている。これは本当に小平太を怒らねばなるまい、と伊緒が決心を固めたところでガラリと保健室の扉が開いた。買い出しに行っていた下級生たちが帰って来たのだ。
「ただいま戻りましたー」
「ああ、お帰り。有り難うね、三人とも」
「あ、左近来てるじゃん。もう少し早く来てくれたら買い物付き合ってもらったのに」
「え? あ、すいません。掃除当番だったもんで」
「先輩、三反田先輩がお菓子買ってくれたんですよ! 皆で食べましょう!」
 たまたま揃っていた三年生と一年生二人をお使いに出したのだが、どうやら大した不運にも遭わず帰って来たようだ。こういう時、伊緒が行くととんでもないことになる。必ず犬か猫、場合によっては他の動物の排泄物を踏み、場合によっては側溝にはまる。更に何故か物が飛んできたり、水が降ってきたり、突風に煽られたりと碌なことがない。それゆえに伊緒はなるべく必需品を買う場合には自分で行かないようにしている。親友で幼馴染でもある留が空いている場合には彼女に行ってもらうのだが、今回は彼女もまた委員会活動中なので後輩たちにお願いしたのだ。
「ああ、良かった。ちゃんと全部揃ってるね。(かず)も乱太郎も伏子(ふしこ)も皆しっかりしてるから、私は安心だよ。私ほど不運じゃないし」
「まあ……確かに先輩ほどではないですが。それでもやっぱり不運は不運でしたよ。伏子が穴に落ちましたし」
「大丈夫なのか、鶴町?」
 数の言葉に反応したのは伊緒ではなく左近だった。それに彼女は彼自身もまだ自覚していない――もしくは、自覚するのを拒否している感情に微笑ましい気分になる。すぐに後輩に駆け寄って怪我を調べつつ、素直になれずにぶちぶちと文句を言っている左近の姿に伊緒は隣にやって来た数へと囁いた。
「ねえ、あの二人どうなると思う?」
「……少なくとも、二人が高学年になるまではどうにもならないと思いますよ。左近ももう少し素直に自分の気持ちを受け入れられないと」
「ま、そうだよねえ」
「お二人とも、何を話してらっしゃるんですか? お茶、入りましたよ」
 ぼそぼそと囁き交わす上級生二人を余所に、乱太郎は関心にも五人分のお茶と買ってもらったお茶菓子を用意していた。それに伊緒がにっこりと微笑んで彼の頭を撫でると、乱太郎は少しだけくすぐったそうな顔で笑った。
「ああ、この素直さが左近にもあれば……」
「誰が素直じゃないですって?」
「お前だよ、お前」
 伊緒の言葉を聞き咎めた左近が苛ついた調子で呟く。それに数が呆れたように返し、完璧に左近からメンテナンスを受けた伏子が左近の後に続いて近寄ってくる。清潔を第一にする保健室で飲食をするのはどうかと思うのだが、結局掃除をするのも自分たちだと彼らは開き直っていた。
「そう言えば先輩、あのジュース飲まないんですか?」
「……あれは七松先輩に飲まれたそうだ」
「ええ!? だって、あれ先輩の……」
「そうだ。だが、七松先輩には誰のものであろうと関係がなかったようだな。鶴町、お前も気を付けておけ。せめて名前を書けば、多少の牽制にはなるだろ」
 伏子は左近の言葉に元々芳しくない表情を更に曇らせる。それに左近は彼女の頭をぐしゃりと手荒く撫でて溜め息を吐いた。
「大したことじゃねえよ、別に」
「……先輩、これあげます」
「いらねえし。自分で食えよ」
「……太るから嫌です」
 伏子は左近の様子にそっと自分に振り分けられたおやつのうち、ひとつを彼に渡す。押し返そうとする左近にぷい、と可愛らしくそっぽを向く姿に伊緒は微笑ましいどころか悶絶したい気持ちになりつつ、彼女もまたお菓子のひとつを彼の方へと手渡した。
「じゃ、私もー。最近ちょっと横っ腹がやばい気がするんだよねえ」
「先輩なんて痩せてる方じゃないですか。私なんて……私なんて……! 乱太郎、これ半分あげる!」
「えええ!? だ、だって、先輩が買ったのに……!」
「良いの! その一口が豚の元!」
 別に豚じゃないのに〜、と呟く乱太郎に彼はいつかきっと女子に人気が出るだろうと伊緒はひそかに思った。同時に困った顔でお菓子を見つめている左近も。――もっとも、彼はそんな好意をほとんど求めないだろうが。
 伊緒は自分の想いとは違っていつか報われるだろう二人に少しだけの羨ましさを感じつつ、後輩たちが頑張って買ってきてくれた(主に不運的な意味で)お菓子をひとくち頬張った。



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鈍行*2008.08.06〜 Written by 緋緒


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