鈍行
▼化粧
目の前で顔を変えていく少年の手元を見ながら、不破 雷は溜め息を吐いた。本当に見事に化けていく。さくさくと自分の顔へと作り変えられていく鉢屋 三郎の顔を見ながら、雷は小さく首を傾げた。
「最近の技術は凄いねえ。触ってもあんまり崩れないみたいだし」
「まあね。さて、完成」
ものの数十秒で三郎は慣れた顔へと変貌を遂げた。男の彼が女である雷の顔をしていれば違和感を感じるはずなのだが、不思議とそういったものはない。周囲は同じ顔が二つあることに驚くようだが、雷は逆に鏡でしか見えない自分の顔であるがゆえに彼が自分の顔を使っていても余り嫌悪感はなかった。――もっとも、その下にある顔を知っている以上、彼がどうして自分の顔を使うのかは未だに理解できないのだが。
「使うにしたって私じゃなくて、兵へいちゃんとかはっちゃんなら美形なのにねえ」
「何で。雷だって可愛いじゃないか。第一、ハチの顔したって面白くもなんともない。どうせなら伝子さんだろ」
「……それで生活し出したら、さすがに友達やめるかもしれない」
伝子さんとは、一年は組担任の山田 伝蔵のもうひとつの姿である。但し、その女装は本人の自信とは反比例して恐ろしいもので生徒たちは皆彼の女装に関しては裸足で逃げ出す勢いなのだ。隠すことなく顔をひきつらせた雷に、三郎が笑う。その笑みは彼女が浮かべるものとはまるで違って、雷は自分の顔をしている時には彼が「鉢屋 三郎」なのだなあ、と改めて思った。
「――三郎は、いつか本当の顔で生活をする気なの?」
「さあ、進路にもよると思うけど。とりあえず、生活に支障が出るなら素顔はさらせないし」
「ま、そうだよねえ。何せ、そっくりだもんね」
鉢屋 三郎の素顔は彼の母親にそっくりだ。――それゆえに目立つ。何せ、彼の母親は日本どころか世界を股に掛ける大女優なのだから。
それゆえに三郎はいつの間にか自分の顔を隠すことを覚えた。初めは面や帽子で。その後は化粧や特殊メイクなどで。彼自身もまた「蛙の子は蛙」というように、その世界にいつ飛び込んでもトップクラスまで食い込んでいけるだけの実力を持っている。しかし、三郎自身にその気はないようで、常に雷の顔を借りて世を忍び、気ままな生活を謳歌しているのだ。
「でも、この前はテレビ出てたよね? CM見てびっくりしちゃった。後ろ姿だったけどさ、三郎なんだもん」
「あー……やっぱり分かったか。だから嫌だったんだよなあ、もう! 忘れ物を届けに行ったらさ、人が足りないってんで無理やりね。あれでもゴネにゴネて背中だけにしてもらったんだぜ? 全く、俺はあっちに興味なんてほとんどないのにさ」
「それは知ってる」
雷はぶちぶちと愚痴を零す三郎に笑いかけた。本来ならば、大女優の息子であることを鼻にかけても良いはずだ。けれど、彼は逆にその立場を災難だと言い切ってしまうのだ。勿論、家族が嫌いなわけではない。だが、彼は自由であることを望んだ。
「三郎も大変だあ」
「そうなのよ。ねえ雷さん、慰めて」
「仕方ないなあ。よしよし、可哀想な三郎。学校に居る時は平和で良かったね」
「……お前ら、何やってんだ?」
ふざけて机に突っ伏す三郎の頭を雷が撫でていると、鞄を取りに戻った竹谷 八左ヱ門が顔をひきつらせた。ジャージ姿であるのを見る限り、どうやらバレー部の練習に参加していたらしい。最初から鞄を活動場所に持っていけば二度手間にならずに済むのに、と雷が思っていると、三郎がまるで代弁するように同じことを彼に告げた。
「今日は先に飼育小屋に顔出そうと思ってたんだよ。けど、行く前に七松先輩に捕まってさ。咄嗟に傍に居た三年の浦風に伝言を頼んどいたんだけど……真子まこ、怒ってるかなあ」
「あー……竹谷先輩、最低です! 生き物を大切にしない人なんて大っ嫌い!」
突然聞こえた真子の声に雷も驚いた。声の方を振り向けば、いつの間に顔を作ったのか、真子に顔を作り替えた三郎がわざわざウィッグまでつけて彼女の真似をしていた。特徴をよく掴んだその演技は見事で、制服が男ものであることと、今までそこに居たのが三郎であることを知らなければ騙されたことだろう。
しかし、竹谷はさすがに顔をしかめただけで動揺することはなく、彼の頭を力いっぱい叩く。「いでっ」と地声で呻く三郎を余所に、竹谷はプリプリと三郎の頭からウィッグをむしり取った。
「全く……やめろよ、悪趣味だな。第一、真子はもっと可愛い! 修行が足りない、出直せ!」
「わお、愛は盲目ってか? 大抵の人間ならこの程度で十分騙されてくれるさ」
「身体つきがでかすぎる。声が可愛くない。後仕草がわざとらしすぎる。お前が完璧にできるのは所詮、いつもストーカーしてる雷くらいなんだよ。この変質者め」
「ひでえこと言うなあ、こんなに愛してるのに。……な、ハチ」
今度は竹谷本人に顔を作り替えて、三郎は彼にしなだれかかる。三郎は明らかに面白がっており、雷は気持ち悪がって三郎を引き剥がしている竹谷を少しだけ哀れな気持ちで見つめた。
「――三郎、もうやめてやりなよ。はっちゃんが可哀想だ。はっちゃんも、鞄取りに来たってことは部活、小休止なんでしょ? 早く飼育小屋行かなくて良いの? それこそ、真子ちゃんが待ってるんじゃない?」
「そうだった! 俺は三郎何かにかかずらってる暇はねえんだよ、馬鹿! 雷、有り難うな!」
まとわりつく三郎を振り払い、竹谷は風を巻き起こして走り去っていく。「廊下は走るなー」とやる気のない声で注意する三郎も何のその、その勢いはまさに猪のようだ。それこそ愛のなせる技だと、雷は自分の傍に戻って来た三郎に笑いかけた。
「……真子ちゃん、怒ってないと良いけどね」
「怒ってはないだろう、拗ねてはいるかもしれないけど。何と言っても、あそこは〈夫婦〉だから」
「有名だもんね、生物夫婦って。その分真子ちゃんはやっかまれることも多いけど、あんまり気にしてない風で良かったし。やっぱり、友達がしっかり居ると違うよね」
「俺たちだってそうだろ? 兵だって雷だって色々やられたけど、結局今もハチの友達やってるし、やっぱり最終的には天秤掛けてどっち取るかでしょ。――ま、雷に関しては俺が絶対守るけどね」
「あはは、私だけじゃなくて兵ちゃんだって守るくせに。三郎は天邪鬼だからなあ」
「雷にはこんなに素直じゃないか」
「はてさて。……じゃ、私たちもそろそろ帰ろうか。三郎も顔戻したら? その顔で居ると七松先輩に連れてかれるよ」
「それもそうだな。では、ちょっと失礼」
再び三郎の手が軽やかに動き、彼の顔を変えていく。再び見慣れた顔に戻った三郎に、雷はにっこりと微笑んだ。
「何でだろうね、見慣れたせいかな。自分の顔だってのに、その顔しているのが一番落ち着くよ」
「奇遇だな、俺もだよ」
二人はにっこりと笑い合って、帰るために立ち上がった。
▲BACK
鈍行*2008.08.06〜 Written by 緋緒