鈍行
▼クレープ
学園の近くで店を出しているクレープ屋は普段から下校途中の生徒たちで賑わっている。特に高等部の生徒や運動部の生徒たちには重宝されていて、彼らは一様に傍にある公園やベンチでクレープを頬張るのが常だった。
「……チョコバナナ美味しい」
「イチゴチョコもなかなかだぞ」
高等部一年の平 滝と綾部 喜代もそれは同じで、偶々部活も委員会もなかった二人はクレープ屋の前を通りかかった際に小腹が空いていたことを理由にその恩恵に与あずかったのだった。
「そっち、ちょっと頂戴」
「それなら交換な。ほらそっちを寄越せ」
「はい」
二人は各々舌鼓を打ちながらも、隣の芝生は青いもの、相手のクレープにも興味を示す。幼馴染の二人はお互いのクレープを交換し、再び一口頬張った。先程食べていたクレープとは別の味が口の中に広がり、二人は思わず笑い合った。女の子の常は甘いものが好きなこと。この二人もご多分に漏れず、甘いものは嫌いじゃなかった。再び各々のクレープを交換して、二人は甘いものを楽しむ。普段は学内活動に追い立てられて中々のんびりできない二人にとって、この時間は至福の時だった。
――のだが。
「あ! 美味しそうなもの食べてるじゃん! 滝、一口頂戴!」
「へ? うわあ、七松先パ――って、何食べてるんですか!? ちょ、私のですよ、それ!」
偶然通りかかった小平太が滝の持っていたクレープを後ろから食んだ。突然の登場に驚いたことと、自分の食べかけを食べられたことに対する感情が赤面という形で噴出する。立ち上がって彼を怒鳴りつける滝を尻目に、喜代は折角まったりしていたのに、と闖入者を睨みつけた。
そんな喜代にも気付かぬまま、滝は目の前の男を怒鳴り続ける。それは抗議と言うよりも叱責に近く、先輩後輩どころか親子ぐらいまで立場が逆転しているのは明らかだった。
「ですから、どうして私の了承も得ぬうちからかじるんですか! 人のものを勝手に取るのは泥棒と同じですよ! 第一、人の食べかけを平気で食べる神経が信じられません!」
「でも! さっき、滝だって綾部と交換してたじゃん!」
「私と喜代は幼馴染で、姉妹みたいなものだから良いんです! 第一、それだってちゃんと私たちの間では同意を得てました! 貴方のやった行為とは全然違います!」
ぎゃんぎゃんと言葉を交わし合う二人に、放置される形となった喜代はふとその傍らに困ったように立ち尽くす男を見つけた。小平太と同じくジャージ姿のバレー部員、竹谷 八左ヱ門だ。彼女は目が合った彼を手招き、ベンチへと誘った。
「やあ、悪いな、何かうちの先輩が……」
「ああなると長いですから、お帰りになるなら今のうちですよ。と言うか、バレー部がこの時間に帰ってるなんて珍しいですね」
「いや、帰ってるわけじゃないんだ。校外マラソンから戻って来たところでさ……でも、部長が平を見つけて一目散に駆け出してねえ……。本当、犬みたいな人だよ、あの人は」
溜め息を吐いた竹谷は「どっこらしょ」と喜代の腰掛けるベンチの背もたれに寄りかかった。その場所が夕陽を遮る場所であることに気付き、喜代はなるほどと相手を見上げる。こういうところがもてるのだろう、幼馴染である久々知 兵へいが友達なだけでもやっかまれて困る、とぼやいていたことを思い出した。
「俺もそろそろ戻って、飼育小屋見に行きたいんだけどなあ……ちょっと調子の悪い子が居るんだよなあ。なあ、本当に帰っても良いと思うか?」
「んー……置いてかれたと思ったらちょっと怒るかも知れませんが、一声かけていけば大丈夫じゃないんですか? どうせ今は私の・・滝に夢中ですし」
喜代は「私の」という部分にアクセントを入れて未だ怒鳴り合い――もとい、じゃれ合っている滝と小平太を見やる。先程まではまったりと二人で楽しんでいたのに、小平太が乱入してからは一気に自分が蚊帳の外だ。思わず顔をしかめた喜代に、宥めるように竹谷の手のひらが乗った。
「悪いなあ、本当。あの人は平のことになるとどっか見境なくなるから……」
「とっくの昔に知ってます、そんなの」
もうクレープ云々ではなく別の話をしている滝と小平太を眺めながら、喜代は小さく溜め息を吐いた。――本当は、彼らがもっと早くまとまるはずだったことも知っている。けれど、自分の存在が足踏みさせたことも。喜代はそれに少しだけの申し訳なさと、大きな優越感を感じていた。
(――今まで滝の一番は私だったんだから、それを奪っていった男は少しぐらい苦しめば良いんだ。大体、今だって許したわけじゃないんだし。泣かせたら絶対別れさせてやる)
「……そろそろ戻らないと顧問に怒られそうだし、あの人連れて帰るから。だから、そういう怖い顔はやめておけ。可愛い顔が台無しだぞ」
「貴方がおもてになる理由がよく分かりました。――けれど、あんまり八方美人過ぎると、本命から嫌われますよ」
苦々しげに二人を見つめていた自分を気遣うように掛けられた声が何故だか悔しく、喜代は厭味ったらしくそう呟いた。それに自分の頭に再び乗せられていた手のひらが動揺するように固まったのを見て、喜代はにやりと内心ほくそ笑む。――彼の言動はそつなく見えて、案外分かりやすい。特に心をかけている人間に対しては表情が違うのだ。それを人間観察が得意な喜代が見逃すはずもなく、それゆえに彼女は彼にとって一番際どいところを難なく突くことができたのだった。
「――それなら、さっさとあの人持って帰ってください。大体、飼育小屋では真子まこも待ってるんじゃないですか?」
「お前、次第に立花先輩に似てきたんじゃないか?」
「それは光栄です」
自分たち茶華道部をまとめ上げる部長の名を出されて、彼女は嫣然と微笑んだ。茶華道部は選ばれた人間しか入れない門戸の狭い部活だ。これも私立で、しかも立花がまとめ上げるからこそできる横暴だ。けれど、それを納得させる何かを彼は持ち合わせていた。代々、何となくそういう雰囲気を持つ人間がひとりか二人現れる。そうやって茶華道部は続いている。――その部長に似てきたと言われて、喜ばないはずがない。それで気を良くしたのか、喜代はふと自分が二人の間に入ることを思いついた。半分は滝を独占する小平太への嫌がらせに近い。
彼女は食べたクレープのゴミを傍らにあったゴミ箱へ放ると、後ろから未だにヒートアップしている滝へと抱き付いた。
「うわっ!? と、喜代!? あ、すまん、忘れてた……」
「そうだと思った。――先輩、竹谷先輩が困ってますよ。それに、今日は私が滝と遊ぶ約束なんです。私が先なので、貴方はまた後日にしてください。今日は駄目です」
さり気なく二人の間に身体を割り込ませ、喜代は見せつけるように滝へと抱きつく。元より滝にはスキンシップの多い喜代である、滝は全く不審を感じずに彼女の抱擁を受け止めた。それに一瞬小平太が顔を歪ませ、喜代は気付かれないようにうっすらと笑む。滝の気付かないところで二人は幾度もこうして攻防戦を繰り広げていた。
「はいはい、先輩! 俺たちも練習の途中でしょ! そろそろ帰らないと顧問にどやされますぜ。さ、帰りましょ、帰りましょう」
水面下で一触即発となった二人であるが、そこは空気を読むのが上手い竹谷が割って入る。今だに微妙な表情を浮かべている小平太を竹谷は無理やり引っ張り、彼を学園へと引いて行った。
「……クレープ、食べないの?」
「え? あ、ああ、そうなんだが……」
引きずられていく小平太を見送った喜代は、拍子抜けしたように立ち尽くしている滝へと声をかけた。それに彼女は小平太に齧られたままの状態で手に持たれているクレープを示した。握り締めていた所為か、クレープは可哀想な形にひしゃげている。中身が零れていないことが不幸中の幸いだろう。
それを見た滝はそれを口許へ持っていこうとして、少しためらった。そのためらいの理由に気付いた喜代は、微かな苛立ちと共にそのクレープへと齧り付く。それを見た滝が再び眉を吊り上らせたが、彼女は小平太とは違い飄々とした様子で口に付いたクリームとチョコを指で拭った。
「食べられたくないならとっとと食べたら? 七松先輩に取られた時間分だけ、今日は付き合ってもらうからね」
「――分かったよ、悪かった。今片付ける」
滝はその言葉に深い溜め息をひとつ吐き、喜代と同じくクレープをかじった。少しだけ赤くなった頬に喜代は少しだけ目を細めたが、結局何も言わずに彼女がせっせとクレープを食べつくしてしまうまで待つ。滝が口を拭ってから喜代を振り向いた瞬間に、彼女は再びべったりと滝の腕に己の腕を絡めた。
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鈍行*2008.08.06〜 Written by 緋緒