鈍行
▼ソーダ水
「へえ。じゃあ、いろいろバージョンがあるんだねえ」
保健室でたむろしていた善法寺 伊緒は手にした缶ジュースのソーダを飲みながら、下級生から聞いた歌に面白そうな声を上げた。ソーダから遊び歌を思い出して、下級生たちと話をしていたのだ。
「私たちのところは『ソーダ村の村長さんがソーダ飲んで死んだそうだ 葬式饅頭でっかいそうだ!』だもんな」
それに同じく傍らで椅子に座る食満 留とめは自分たちが知っている歌を口ずさむ。保健委員ではない彼女が保健室に居るのは、彼女が保健委員長である伊緒の幼馴染であるからに他ならない。
対する下級生たちは、上級生の歌を聞いて一様に顔を見合わせた。乱太郎はその歌自体を知らなかったらしく、面白そうな顔で周囲を見回している。先程別バージョンを歌った川西 左近は困ったように別の人間へ視線を向けた。
「え、私? ええーと、私の知ってるのはねえ……『ソーダ村の村長さんがソーダ飲んで死んだそーだ 葬式饅頭うまかったそうだ そうだそうだまったくそうだ』だったかな。結構違うね」
左近と視線が合った三反田 数かずは昔歌っていた遊び歌を口ずさむ。それもやはり二人が歌った歌とは歌詞や節回しが微妙に違っていて、保健室は「ほー」という声で満たされる。最後のひとりである鶴町 伏子ふしこは皆の視線を受け、おどおどと口を開く。
「私、うろ覚えなんですけど……」
「ああ、全然構わないよ。途中までで良いから歌ってごらん」
「そうそう、地域差が面白いってだけの話だしね」
申し訳なさそうに告げる伏子に、留がからからと笑って促す。更に伊緒も同じく優しく笑って、下級生を促した。それに伏子は頷き、すう、と息を吸うと可愛らしい声で歌いだした。
「私が知ってるのは『ソーダ村の村長さんがソーダ飲んで死んだそうだ それは皆うっそーだって……』っていうのなんですけど。確かこの後にも何か続いた気がするんですが、もう忘れてしまって」
「おお、新展開。嘘か!」
「だねえ。ね、こういうのって何か身振りとかあった? 私たちはあったんだけど」
伊緒はにこにこと下級生たちに問いかける。それに下級生たちが各々首を横に振ると、伊緒は留と顔を見合わせた。
「あれ? じゃあ、これは私たちだけなのかな?」
「と言うか、あの踊りはどっから出てきたものなんだ? 私は伊緒に教わったんだけど」
「先輩、踊りって何なんですか?」
ぼそぼそと話し合う上級生二人に乱太郎の無邪気な問いが響く。それに顔を見合わせた二人は、突如立ち上がって並んだ。彼女たちの意図を察した数と左近が周囲のものを遠くに離す。十分なスペースができたところで、彼女たちは歌いながら踊りだした。
『ソーダ村の村長さんがソーダ飲んで死んだそうだ 葬式饅頭でっかいそーだ!』
彼女たちの動きが余りにも揃っていることに下級生は驚き、圧倒される。しかも、踊りきった二人は少しばかり自慢げだ。正直なところ、十八にもなろうという女性二人が踊り狂うには余りにもそぐわぬ踊りである。それは闖入者も同じ思いを抱いたようで、保健室のドアを開けた姿勢で彼は固まっていた。
「……何やってんだ、お前ら……」
「うおっ、文次郎!?」
「文次じゃん、どうしたの?」
生徒会副会長である潮江 文次郎の登場に留は思わず顔を赤くする。しかし、伊緒の方は全く平気の平左で彼へと話しかけた。ちょっと落ち込んでいる留に三反田が慰めの言葉をかけている。
「あ、ああ、今期の会計予算についてのプリントを配り歩いてるんだ。委員会と部活にそれぞれな」
「ああ、あれね。はいはい、有り難う。留さん、美化の分もらっとこうか?」
「……頼むー」
予期せぬ相手に踊りを見られたことから立ち直れない留はひらひらと手を振って伊緒に答えた。それに潮江は呆れたような視線を彼女に向け、手を出す伊緒に美化委員会用のプリントも手渡す。
「おい、空手部の方はいつも通り俺がやっとくからな」
「あー……頼んだ。有り難うな」
「お前も人前で踊ったんなら、伊緒みたく堂々としておけよ。情けない。落ち込むなら最初から踊るな」
「お前さえ来なきゃ落ち込まなかったさ! ああ、富松じゃなくて良かった……あれに見られてたら真面目に泣いたわ」
「……格好つけめ」
「うるさい。とっとと行けよ、まだあるんだろ?」
「言われなくても行くわ、馬鹿者が。頼んだぞ、伊緒」
「了解」
保健室の端と入口で交わされる剣呑な会話に他の下級生は気圧されるが、慣れている伊緒は平気な顔で去っていく潮江に手を振った。保健室のドアをもう一度きっちり閉めると、彼女は少しだけ唇を尖らせて呟く。
「この場合、文次に『えっちー!』って言っておけば良かったかな?」
「それ、潮江先輩が怒り狂うと思いますよ……」
委員長に冷静な突っ込みを入れる左近に、彼女は溜め息を吐いた。ようやく浮上してきたらしい留へプリントを手渡し、その顔を覗き込む。
「踊るの、嫌だった?」
「そうじゃないけどな……ああ、でも、文次郎で良かったのかも知れない。仙蔵か小平太だったらと思うとぞっとするよ。明日には全校に広まるだろうからな」
「ああ……七松先輩なら乱入して来そうですもんね」
伏子が小さく呟く。その言葉に留と伊緒は思わず顔を見合せて、その胸を撫で下ろした。――もしそうなった場合の甚大な被害を考えて。
▲BACK
鈍行*2008.08.06〜 Written by 緋緒