鈍行


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▼夕暮れ



「お、陸上部だ」
 三郎次の声に左近はふと顔を上げた。広いグラウンドの片隅に目を向ければ、陸上部の面々がそれぞれに活動している。大会では余り成績の振るわない部活の上、主だった部員は一年生ばかり。それゆえにグラウンドの隅へと追いやられているのである。しかし、現在もグラウンドの片隅で各々の競技を練習している彼らはそんなことは関係ないと言わんばかりに楽しげな表情をしていた。
(――あ、鶴町)
 左近はその中に委員会の後輩を見つけて、足を止めた。彼女はひとりグラウンドの隅でハードルを飛び越えている。その動きは普段の鈍臭さからは全く想像もできないほどに俊敏で、左近は驚いて息を飲んだ。
 夕日に照らされたハードルをひとり飛び越え続けるその姿は少し孤独で、けれど普段は見ないほどに真剣な表情をしている。細い手足がふわりと動くたびにハードルを背後に置き去り、彼女はひとりで延々ハードルを飛び続ける。息を詰めてそれを見ていた左近は、そこで傍らの三郎次に声をかけられ、ようやく自分が足を止めていたことに気付いたほどだ。
「はっはーん、鶴町か。そういやお前、いつも鶴町の文句ばっか言ってるもんなあ」
「ば、馬鹿! 何言ってんだ、俺は驚いていたんだ! 普段は鈍臭いばっかのあいつが、あんなに俊敏な動きをしているのは見たことないんだよ! 全く……委員会でもあれくらい素早く動いてくれりゃ楽なのに……」
 三郎次にからかわれ、左近は思わず心とは裏腹の建前を吐き捨てた。同時に今が夕焼け時で良かったと心底思う。――真っ赤になった顔を夕陽の赤が隠してくれるのだから。
 更にからかおうとする三郎次から逃れるために、左近は無理やり視線を別の方向へと動かした。すると、もうひとり見慣れた人物の姿を見つける。その人影―― 同じく委員会の後輩である乱太郎は、もうひとり居る女子と延々と校庭の周りを走っていた。確か以前に長距離なのだと言っていたから、そのための練習なのだろう。左近は自分では考えられないほどのスピードで校庭周りを駆けて行く後輩を眺めて、深い溜め息を吐いた。
「……あの集中力を委員会に生かせりゃなあ……」
「お前、苦労してんのな」
「お前には分からねえよ、三郎次。だって、お前の周りに困った先輩なんて居やしねえじゃねえか。俺なんて、俺なんてなあ……! 六年の善法寺先輩はお前も知ってる通りで学園一不運じゃないかってもっぱらの噂が立つほど不運だし、一年どもはああ(・・)だ。唯一まともなのは三反田先輩だが、あの人はなあ……」
「そういや言ってたな、肝心な時にばっかり居ないって」
「そうなんだよ……! あの人さえ居れば防げたはずの二次被害、三次被害が全て俺に降りかかってくるんだぜ? それで付いたあだ名が〈巻き込まれ型不運〉だなんて、勘弁して欲しいよ」
「でも、先輩の場合はそのお人好しなところに原因があると思いますよ」
「うるせーやい! って、うわああああ!? つ、鶴町、何故ここに!?」
 左近は別の方向から聞こえてきた声に思わず怒鳴り返した後、その方向に居る少女に驚いて後退りした。それに彼女は相変わらず血色の悪い顔をにこにこさせて、持っていたハードルを指差す。
「今日はもうおしまいなんです。校庭明け渡さないといけないんで」
「いや、そうでなくてな」
「乱太郎たちももうすぐ来ると思いますよ。ほら」
「いや、だから……」
 左近は全く話を聞いてない伏子(ふしこ)にがっくりと肩を落とした。その間にもわらわらと陸上部の面々がその場に集まってくる。いつの間にかじょろじょろと陸上部員に囲まれていた左近は、どうやってここから抜け出したものかと内心必死で考える。しかし、それよりも早く夢前 三知(みち)が口を開いた。
「二年の川西先輩が居るんなら、伏子送ってってもらったら?」
「はあ!?」
「そうだね、それが良いよ!」
 素っ頓狂な声を上げる左近に構わず応じたのは、砲丸の玉を両手に抱えた福富 しんべヱだった。やっぱり話を聞かない一年に苛々とした表情を浮かべる左近に、乱太郎が声をかけた。
「先輩たちは知らないんですか? ほら、この辺りに最近不審者が出るって先生が朝の学活で言ってたんですけど」
「ああ、そう言えばそんなこと聞いたなあ。ほら、あれだろ、触らせ魔だっけ? 無理やり変なトコ触らせられた子が居るってアレじゃね?」
「そうそう、それですそれです」
 乱太郎の言葉に反応したのは三郎次だ。左近はその言葉にようやく担任の野村が言っていた話を思い出した。何でも、この近辺の小中学生を狙って、己の局部を触らせたりする変質者が出没しているらしい。思わず顔をしかめた左近に、三知が続けた。
「私たち皆なるべくひとりで帰らないようにって先生に言われてるんですけど、私と乱太郎は別方向だし、しんべヱは車通学で、きり丸は寮生だしで、伏子がひとりになっちゃうんです。もし何かあったらと思うと心配だし、先輩は男だし、伏子を送って行っても別に平気でしょう?」
 数対の瞳に見上げられて、左近は思わず怯んだ。伏子だけは三知の体育着を引っ張って、「ひとりで大丈夫だよ」と言っているが、もうすぐ日が落ちて暗くなるのだ。その中をひとり帰宅するというのは明らかに危険だろう。更に寮生である三郎次が彼を肘でつついて促し、そんな彼らに圧される形となった左近は深い溜め息を吐いた後に口を開いた。
「分かったよ、送ってけば良いんだろ? ほら、鶴町。そんならさっさと着替えて帰る支度して来い」
「で、でも……悪いですし」
「普段はこっちが驚くほど図太いくせに、こういう時ばっか遠慮すんなよな。良いよ、別に。お前確かあっちだろ? どうせ一緒の方向なんだ、ついでに送ってってやるよ」
 左近は腕組みして溜め息を吐いた。三郎次のニヤニヤ笑いが癪に障るが、不審者の話を聞いた以上、さすがに一年生女子をひとりで帰らせるようなことはできない。左近はもう一度深い溜め息を吐いて、おどおどしている伏子を追い立てた。
「ほれ、さっさと帰る支度しろ! 俺は早く帰りたいんだ。――お前らも! 集団だからって襲われないわけじゃないんだからな! とっとと帰れ、馬鹿!」
「「「「はーい!」」」」
 良い子たちの声がユニゾンで響き渡る。それを苦々しく聞きながら、左近は少しだけ心が浮き立つ自分が理解したくなくて、もう一度深い溜め息を吐いた。



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鈍行*2008.08.06〜 Written by 緋緒


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