鈍行
▼暗号
「三郎、アレのことなんだけど……」
「ん? ああ、アレか。アレはほら、今あっちがさ……」
「でも、そっちじゃどうにもならないでしょ? ほら、あそこがアレだから」
「いやそれがさ、何か不思議なことにあっちの方が何かそうしたいって言い出してさあ……」
隣で交わされる会話に久々知は思わず顔をしかめた。既に五年目の仲であるが、この二人の仲の良さには時折ついていけない気持ちにさせられる。何せ、会話の半分が指示詞なのだ。傍で聞いているこっちには内容が分かりゃしない。
「……お前ら、よくそれで会話できるな」
「それは俺も同感」
「ん? 何が?」
一緒に食事をしていた竹谷が久々知の言葉に深く頷いた。一年の頃から仲の良い四人は、時折こうして集まって食事をする。しかし、その時に毎度毎度感心するのが、不破 雷と鉢屋 三郎の通じ具合だった。この二人は見えない糸で思考回路が繋がっているんじゃないか、と思うほどに、この二人の会話は抽象的である。
しかし、当の本人は全く気付いていないようで、お弁当を突いていた雷の方が首を傾げた。それに久々知は溜め息を吐き、彼女へと指を突き付ける。それに目をパチクリさせる雷を余所に、久々知は鋭く切り込んだ。
「お前らの話聞いてると、半分以上こそあど言葉でできてるじゃないか」
「――兵へい、何だ、俺たちの愛に嫉妬するなよ。仕方無いだろう、俺と雷は〈つうかあ〉なんだから」
理解できない、という調子で呟く久々知に対し、横から鉢屋がしゃしゃり出る。しかし、久々知がそれに文句を言うよりも早く、雷が困った顔で頭を傾けた。
「ごめんごめん、三郎とだとこっちの方が早いからつい、ね。三郎だけなんだもん、こんなに大雑把にあれこれで通じるの。だから、兵ちゃんたちにはちゃんと話してるし。――でも、三郎と話してると時々話が別のものにすり替わるみたいで、私でも何話してるか分からなくなるんだけどね」
おっとりと雷はそう言って笑った。その返答に久々知はどう返して良いか分からずに曖昧な笑みを浮かべ、竹谷はひどく気の毒そうに鉢屋を見つめる。当の鉢屋はショックの余りに床へ突っ伏しており、彼の行動に気付いた雷自身に「どうしたの、三郎?」と問われる始末だった。
「割と暗号めいた会話だとは思ってたけど……まさか一方通行だとは」
「はっちゃん、何言ってるの? ね、三郎、そんな格好していると制服が汚れるよ? 一体急にどうしちゃったのさ」
竹谷の呟きに鉢屋が呻いた。しかし、雷は自分の言葉がどれだけ彼にダメージを与えたかも分からぬままに、傍らでぐったりとしている鉢屋へと話しかけている。それを見ていた久々知は少しだけ鉢屋を哀れに思い、深い深い溜め息を吐いた。
「……い、良いんだ、俺の雷への愛は無尽蔵だからな。例え、報われなくたって俺は平気さ、この溢れる愛さえあれば……!」
「ストーカーみたいでキモいぞ、三郎。……雷はとりあえず、あんまり三郎を苛めてやるなよ」
「? 苛めてないと思うけど……。三郎、私何かした? ごめんね、何か酷いこと言っちゃったかな?」
しかし、鉢屋はめげなかった。暑苦しい決意と共に身体を起こし、しっかりと上体を起こす。震える拳に誓う言葉を吐き出す姿はまさに不死身で、竹谷はそんな彼の姿にそっと涙を流した。けれど、そんな鉢屋に追い打ちをかけるように久々知が冷めた調子で吐き捨てる。それにグサリ、と胸を刺された鉢屋だったが、久々知の言葉にオロオロとし始めた雷の言葉ですぐさま復活した。
「いや、雷は何もしてないから安心しろ。大丈夫、雷が俺の話分かんない時は、俺がちゃんと説明すれば良いだけの話だもんな」
「? いつも三郎はそうしてくれてるじゃない。三郎は話し上手だし、私羨ましいくらいだもん」
「雷! お前って奴は何て可愛いんだ!」
「ちょ、三郎! いきなりひっつかないでよ、お弁当が落ちる!」
感極まった鉢屋が雷に抱きつき、二人の漫才が始まる。再び放置される形となった竹谷と久々知はお互いに顔を見合せ、深い深い溜め息を吐いた。
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鈍行*2008.08.06〜 Written by 緋緒