鈍行
▼照れ隠し
忍ヶ丘学園の保健委員と言えば、通称「不運委員」と呼ばれるほどに不運な生徒が集まることで有名である。大なり小なり不運という生徒が集まる保健室では、常にトラブルが絶えない。その代表格と呼ばれるのが高等部三年――六年生の善法寺 伊緒だ。道を歩けば動物の糞を踏み、学校に着けば宿題を忘れたことに気付き、教室に入る前に三度は人にぶつかるか転ぶかをし、更に隣に居る食満 留とめにまで被害を及ぼす。入学当時から不運であることで有名な彼女は、保健委員に入って更に周囲を巻き添えにして更に不運になったともっぱらの噂だ。
そんな噂が立つほどだから、当然他の保健委員たちも運が悪い。三年生の三反田 数かずは友人以外の人間によく存在を忘れられ(更に時折友人ですら彼女のことを忘れると言うのだからひどいものだ)、二年の川西 左近は本人によるトラブルは少ないものの、周囲から被る不運が凄まじい。新入生である鶴町 伏子ふしこは本人の性格もあるのか、肝が太い所為で変な人間に絡まれることが多く、同学年の猪名寺 乱太郎に至っては一年にして既に「善法寺 伊緒の再来」とまで言われる不運小僧として名を馳せている。 ――とにかく、不運に関しては恐ろしいほどに大小取り混ぜてある委員会なのだ。
しかし、普段の委員会と言えば穏やかなもので、保健室にやってきた患者を養護教諭である新野 洋一と一緒に手当てをしたり、保健室の整理をしたりするだけだ。ただ、その穏やかな活動をとんでもない不運の渦に巻き込むのが「保健委員会」なのである。
「――危ない!」
伏子は自分が転んだ先にあったワゴンにぶつかって、思わず目を閉じた。ワゴンの上にはピンセットや脱脂綿などの応急手当のための備品が載っている。ワゴンさえ当たらなければ大した被害はないだろうが、頭から被るのは痛そうだ。そんなことを冷静に考えている間に、伏子の身体が後ろに強く引かれた。驚く暇もなく自分の身体が後ろの人物に抱き寄せられ、その腕の中へと隠される。その人物を確認するより早く、伏子の耳にワゴンが倒れる耳をつんざくような音が響いた。
「大丈夫!?」
「俺は大丈夫です。――おい、怪我は?」
「あ、いえ、私も別に……」
音を聞き付けて飛んできた善法寺に問われて、左近は首を振る。その後すぐに伏子に向かって同じように問いかけ、彼女が同じく首を振ると左近はただ頷いて彼女を放し、床へと屈んだ。倒れたワゴンに載せてあった備品を拾うためだ。伏子も慌てて手伝おうと同じく屈んだが、それは左近に押し留められた。
「――でも」
「良いから。お前に手出しされると被害が広がる。……というわけで、先輩も結構ですから。乱太郎が来てもこっちに来るなと言っておいてください」
「ひとりで大丈夫かい?」
「自分ひとりの方が多分スムーズに終わりますから。ほら、鶴町もあっち行ってろ。暇なら善法寺先輩の手伝いでもしとけ」
「は、はい……。あの、助けてもらって有り難うございました」
自分たちをすげなく追い払う左近に伏子はそっと頭を下げた。それに彼は振り返らなかったが、けれど小さな声で呟く。
「怪我、なくて良かったな」
「え?」
「――お蔭でこれ以上余計な備品を使わずに済む」
続けられた言葉は傍から聞けば酷いものだったが、伏子は彼の性格を知っているのでにっこりと微笑んで「はい」と返事をした。それに彼はもう何も言わなかったが、短い髪から覗く首筋や耳がうっすら赤く染まっている。彼としては突っかかってきてもらいたかったところを、伏子が彼の真意を汲み取って返事をしてしまった所為だろう。相変わらず随分と照れ屋な先輩だ、と思いながら、伏子は言われた通りに委員長である伊緒の許へと移動した。
二人の会話を聞いていた伊緒もにっこりと笑い、二人で黙々と床に散らばった備品を片付ける左近の影を眺める。基本的に二年生は一年に意地悪を言ったりしてあんまり一年生と仲が良くないのだが、決して優しくないわけじゃない。それを知っているからこそ、伏子たち一年生も何だかんだ言って二年生に懐いているのだ。
特に左近は普段から意地悪なことばかり言っているが、その半分が素直に自分が思っていることを表現できないがためのぶっきらぼうさで、伏子は左近のそんな不器用さが実は嫌いではなかった。
「――もう少し素直になれれば良いんだけどねえ」
「ねえ」
「……誰のこと言ってるんですか、先輩!」
「うわわ、地獄耳! 左近、可愛くなーい」
「可愛いと思っていただかなくて結構!」
自分がまさに思っていたことを伊緒が呟いたので、伏子はにっこりとそれに同意した。しかし、狭い保健室のこと、当然傍で片付けている左近にもその声は聞こえるわけで、少し離れた場所からすぐさまに左近の不機嫌な声が彼女たちへと向けられる。それに伊緒がからかうように彼に声をかけると、左近は苛々とした様子で彼女に噛み付いた。そんな二人のやり取りが面白くて、伏子は笑う。
――いつも優しい先輩に、ちょっと意地悪だけど照れ屋な先輩。更に今は居ないけれども、足が速くて優しい同級生。伏子は例え不運といわれようとも、この委員会のメンバーが大好きだと改めて思った。
▲BACK
鈍行*2008.08.06〜 Written by 緋緒