鈍行
▼はじまり
「学園の部活動や何かが分かるまでは理科部にいなさい。それで自分の好きな部活が見つかれば辞めるなり、兼部するなりすれば良いから。
――ああ、気にするな。本当はいけないことなんだがな、ウチは名前だけの幽霊部員が山ほど居てな。『部活の墓場』だとか『帰宅部の隠れ蓑』とか、散々言われているよ」
自分を連れてとある教室へと進む土井の背中を追いながら、タカ丸は周囲をきょろきょろと見回した。普段使う授業棟とは別の建物である部活棟はまだ編入したばかりの自分にとっては物珍しいばかりである。時折置いて行かれそうになりながらも、タカ丸は初めて入った部活棟を興味深げに眺め回した。
既にあちこちで部活が始まっているようで、ここそこから楽しげな声が漏れてくる。自分も早く仲間に入れたら良い、と思いながら、タカ丸は土井が入った部活棟の三階奥にある一際大きい角部屋へと足を踏み入れた。
「久々知」
「土井先生」
中に居たのは長い黒髪をポニーテールにしている女の子。歳は十五六といったところで、高等部の制服をきちんと着ている姿は優等生、と言わざるを得ない。パッと見た感じでは地味な女の子なのだが、よくよく見てみると睫毛が長くて美人だ。くくち、と呼びかけられた少女は、くるりと振り返って自分を真っ直ぐに見据えた。長い前髪が長い睫毛や綺麗な瞳を隠してしまっている。勿体ないな、とタカ丸はこっそり思った。
「彼が斉藤 タカ丸君だ。高等部一年は組の編入生。いつもの通りに宜しく頼むよ」
「はい。――斉藤君? 私が理科部部長代理の久々知です。宜しく」
部長代理? とタカ丸が首を傾げると傍らに立っていた土井が苦笑しながら付け加える。
「さっきも言ったろう? ウチは幽霊部員が多いって。一応、六年のひとりが形だけは部長なんだ。でも、実際に活動しているのは久々知で、部長会議に出席してるのも久々知。名目上は副部長だけど、実質的な部長でもある。勉強でも何でも、何か分からないことがあったら久々知に聞くと良い。久々知は学年主席だし、文武両道の才女だからな。じゃ、頼むぞ、久々知。私は職員会議なんだ」
「ああ、はい。どうも」
土井は言うだけ言って、さっさとこの場を後にする。タカ丸はどうして良いか分からずに、去っていく土井の背中と目の前で自分を見上げる久々知の顔を見比べた。そのタカ丸の仕草に久々知が小さく溜め息を吐き、傍らの机に座っている小さな二人を示す。
「ウチの幽霊じゃない部員の二郭 伊久と、池田 三郎次だ。大体がこのメンバーで、後四年がひとり。ああ、斉藤君も四年だったな。田村 三木ヱ門って知ってるか? あれもたまに来るよ」
机に座っていた少女と少年は続けてタカ丸に頭を下げる。彼はそれににこりと微笑み返してから、もう一度久々知へ視線を投げた。彼女はそれに考えるような仕草をし、しばらく悩んだ後に顔を上げる。
「伊久、砂糖と重曹まだ残ってたな?」
「はい、大丈夫です」
「三郎次、バーナーと小鍋用意しろ」
「はい!」
唐突に後輩二人に指示を飛ばした久々知に、タカ丸は目を白黒させる。それに彼女はタカ丸を見遣ってふっと笑い、片手を上げて彼に告げた。
「理科部へようこそ、斉藤 タカ丸君」
「カルメラ焼きで歓迎しまーす!」
「伊久、砂糖終わったら布巾用意してくれ。こっちは任せろ」
更に後輩二人の声が重なり、タカ丸はようやく彼女たちが昔理科の実験で作ったカルメラ焼きを作ってくれようとしているのだと思い至る。理科部という名称に相応しい歓迎方法と、彼女たちの心遣いにタカ丸は嬉しくなって笑みを弾けさせた。
「有り難う、皆!」
「ま、しばらくの付き合いかもしれないが、楽しんで行ってくれ」
タカ丸の傍らをすり抜けて後輩の手伝いに向かう久々知が笑う。先程とは違うその声の思わぬ柔らかさにタカ丸は何だかドキリと心臓が音を立てるのを感じた。
――何はともあれ、はじまりはここから。
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鈍行*2008.08.06〜 Written by 緋緒