鈍行


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▼やさしい闇 サンプル



やさしい闇

「――先輩は、報われないねえ」
 久々知兵子は哀れみの視線とともに分かったような口を利く、目の前の後輩を睨みつける。けれど、彼が呟くその意味が分からないほど兵子は鈍感ではなく、また冷静でもなかった。普段から見つめられると威圧感があると言われる目を細め、ちゃらちゃらと赤い髪をした男を爪先から眺め上げる。
 学校指定の制服を着ているくせに、その格好は随分と奇抜だ。要所要所の指定は守っているくせに、腰からはじゃらじゃらと鎖が下がっている。前を開けた学ランからは派手なパーカーが覗いており、いかにも今時の若人だ。――もっとも、兵子のほうが年下ではあるのだが。
 目の前で薄ら笑いを浮かべている男に、兵子は溜息をつく。斉藤タカ丸――自分の所属する放送委員会の後輩で、美容師になるため専門学校に行ったらしいが、なぜかそのあと高校に入った変わり者だ。しかも、なぜか勉強では落ち零れている。専門学校で一回やったのではないのか、と毎度頼られる兵子などは思うのだが、本人は忘れちゃうんだよ、と至って平然と言ってのけ、兵子を思いきり呆れさせた。
 その、斉藤タカ丸が知ったような口を利く。それに兵子は幾分か臍を曲げ、ついでに口も曲げてタカ丸を睥睨した。



おぼれる熱

「うっ、あ……ふっ」
 薄暗い部屋にベッドの軋む音が響く。それを耳にしながら、兵子は己の身体へ走る快楽に目を閉じた。堪えようとしても喉からは声が零れる。それを留めようと手の甲を口に当てれば、男の手がそれを優しく剥がした。
「だーめ、せっかくなんだから聞かせてよ」
「は、あ……わ、たしの声なんて、聞いたって、仕方ないだろ……それに、耳元で騒がれたら、うるさいだろうが」
 己に覆いかぶさる男に、兵子は喘ぎながら反論する。それに男――斉藤タカ丸は苦笑して、その頬に口づけを落とした。
「うるさくないよ。だからほら、ね?」
「ことわ――んっ!」
 切り捨てようとした声は、タカ丸の動きによって途切れる。奥深くを抉られた快楽に兵子が喉を詰まらせると、タカ丸がひどく軽薄に笑った。
「ここ、好きだよね。ここに当てるといっつも何にもできなくなっちゃうもん」
「う、るさ」
 い、と続けることはできなかった。今度はタカ丸に言葉を紡ごうとした舌自体を絡め取られたからだ。わざと音を立てて兵子の唇を吸うタカ丸に、兵子は小さく眉をしかめた。しかし、それすらも次第に酔わされ、溶かされていく。いつの間にか自ら舌を差し出した兵子に、タカ丸は低く笑った。



たゆたう夢

 兵子がタカ丸の許を訪れなくなって既に数週間近く過ぎていた。それをタカ丸が何か言うことはない。むしろ、まるでそんな関係すらなかったかのような、昔のような少し距離を取った態度で接してくれる。それが兵子にはありがたく、少しだけ淋しかった。
(――淋しい?)
 我儘だ、と思う。けれど、それは仕方がないことだ。今までタカ丸に依存しきっていた状態だったのだから、そこから抜け出すにはどうしたって苦痛が伴う。けれど、それを選んだのは自分自身。居心地の良いあの温もりは兵子にとって救いだったけれど、あのまま縋りつづければ己が駄目になることは分かっていた。だからこそ、兵子はあの手を自分から振り払ったのだ。
「先輩、何考えてるの? 難しい顔しちゃって」
「……今度の予算会議について、ちょっと」
「あ……いえ、その節は大変ご迷惑を……」
 後ろから抱き込まれて一瞬動揺した兵子だったが、それを飲み込んで小さく返す。既に下級生を帰してしまったため、放送室にはタカ丸と兵子の二人しかいない。二人きりという状況は今までだってあったし、こうして身体に触れられることも昔からだ。けれど、不意を突かれたせいか、いつもより動揺している己に内心歯噛みしながら、兵子はその腕を引きはがした。



つないだ糸 (書き下ろし)

(――このひとは何でもできるくせに、きっと、とても不器用なのだろう)
 そんな考えが、ふとタカ丸の頭をよぎった。
 理性が強すぎて感情を表に出すことが難しくて、泣くことも怒ることも自分に許せない。そうやって己を雁字搦めにして、もがきつづけている。それはタカ丸にとってひどく滑稽であり、そして尊くも思えた。
 それは、自分にはない感情。彼が決して持ち得ぬもの。「やせ我慢」とすら言えるそれを、それでも兵子は後生大事に守っている。――それにしか、縋ることができないかのように。だからだろうか、タカ丸は前を行く背中に声をかけていた。
「ねえ、先輩。おれなら全部忘れさせてあげる」
 その言葉に初めて兵子は足を止めた。振り返る。タカ丸のほうへ向けられた視線は、今まで見たどれよりも鋭かった。
「――結構だ」
 はっきりと目を見て告げられた言葉は、拒絶。そのときに初めて、タカ丸は彼女へ強い関心を寄せている自分に気づく。すぐに踵を返して歩きはじめた兵子の背を見送りつつ、タカ丸は己の心に湧きあがってくる奇妙な感情にゆっくりと口の端を持ち上げたのだった。



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鈍行*2008.08.06〜 Written by 緋緒


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