鈍行


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▼沼底の夢 サンプル



「あれ、久々知先輩!? おかえりなさい! もうお帰りだったんですね!」
「ああ、長い間いなくて悪かったな。土井先生がいてくださるとはいえ、二人で大変だったろ?」
 学園に戻ってきた翌日、兵助は委員会のために焔硝倉を訪れていた。この一月の間、下級生二人に委員会活動を任せていたため、授業自体は休みだったが委員会には出てきたのだ。
 自分の姿を見て駆け寄ってくる下級生たちをねぎらうように、兵助はその小さな頭を撫でた。一年の二郭伊助はそれを嬉しそうに受けたが、二年の池田三郎次は恥ずかしがってか、顔を赤らめて少し離れたところに逃げてしまう。それに一抹の淋しさを感じながらも、兵助はただ笑うに留める。そんな兵助に頭を撫でられたままで、伊助が口を開いた。
「でも、二人じゃなかったんですよ! もうひとり、新しく委員会に人が入ったんです!」
「へえ? そうなのか? 珍しいな、委員会変わる奴がいるなんて」
「そうじゃないんですよ。春休み明けてすぐ斉藤タカ丸さんが四年生に編入して、それで火薬委員会に入ったんです」
 兵助は三郎次の説明に小さく息を飲んだ。けれど、すぐに自分が想像した人物の顔を打ち消す。自分の知る斉藤タカ丸という男は、忍者とは全く関わりのない人間だった。きっと同じ名前の別人なのだろう。
 第一、四年生に編入してくるということは、兵助よりひとつ年下ということだ。兵助の知る斉藤タカ丸は、確か己よりひとつ年長であった。だから、その斉藤タカ丸はどこかの忍者学校から来た同姓同名の別人であるはずだ。兵助はそんなことを思いながら、焔硝倉を開けるために伊助の頭から手を離した。
「遅れてごめんねー!」
 その耳に、聞き覚えのある声が届く。まさか、と思う兵助の視界に、ひとりの男が駆け寄ってくる姿が入りこんだ。背の高い、少し華奢な男。その男が、立ち止まる。俯きがちだった顔が上がった瞬間、兵助の呼吸が――止まった。
「……ち、よ……?」
 赤い髪と少し気の抜ける顔立ち。そのどれもが、兵助の知っているものであった。男も足を止め、兵助の顔を凝視している。有り得ない、そう思っていたのに。――どうしてこの男が、今ここにいるのだろう。
 先に動いたのは、タカ丸のほうだった。彼は土を蹴って兵助に駆け寄り、その身体に手を伸ばす。砂を踏む音で我に返った兵助は、その手から逃れるために身体を捻ってそれをかわすと、伸ばされた腕を掴んで捻り上げた。同時に頭をもう一方の手で押さえつけ、地面へと押しつける。背に膝を乗せて身体を固めたところで、兵助は下級生二人から飛びかかられた。
「せ、先輩! 怪しい人じゃありません! タカ丸さんです! この人が斉藤タカ丸さんなんです!」
「新しい火薬委員の編入生です! 落ち着いてください!」
 伊助の悲鳴じみた声と、それより幾分か冷静な三郎次の声が耳に届いた。けれど、その言葉に兵助は胸中で吐き捨てるように反論した。
(――怪しくない? どこが?)
 不審者だ、この男は。決してこの場にいるはずのない。けれど、それは喉奥に飲みこみ、兵助は男の身体を解放した。先に立ち上がり、制服についた土埃を軽く叩き落とす。地面に押さえつけられた状態で呆然としているタカ丸を慌てて起こす下級生を見下ろしながら、兵助は動揺する自分を呼吸ひとつで抑えつけた。
「……お前が、斉藤タカ丸か」
「あ、の」
「――おれは久々知兵助だ。急に飛びかかられたから、思わず反撃してしまった。悪かったな」
 兵助は平坦な口調で呟く。頭のなかでは落ち着けという言葉が溢れていた。ほとんど頭は真っ白だ。けれど、兵助が積み上げた四年間が、彼を守る。
「五年い組で、六年生が不在の火薬委員会では委員長代理も務めている。新学期すぐに長期の実習があって、学外へ出ていたせいで今まで活動には出てこられなかったが、これからは俺がこの委員会の指揮を執る。宜しく頼むぞ」
「くくち、へいすけ……?」
「――そうだ」
 信じられない、という調子で呟かれた言葉に兵助は低く応えた。そう、自分は久々知兵助だ。だから、この男は知らない。――知っているはずがないのだ。
「どうやら、俺はお前の知り合いによく似ているらしいな。だが、残念だが人違いだ。……それで、仕事に入りたいんだが、大丈夫か?」
 兵助の言葉に下級生二人が緊張を解いた。――つまり、兵助の口から出ている言葉におかしなところはないということだろう。上滑りする思考のなかで、兵助は空々しく聞こえる自分の言葉に安堵する。この四年で嘘をつくのがうまくなった。頭が真っ白な状態でも嘘がつける自分に内心苦笑し、そんな自分に気づいたことで少しずつ冷静さが戻ってくる。さらに小さく息をつくことで、兵助は何とか動揺から抜け出した。
「え、でも、」
「タカ丸さん、誰と久々知先輩を間違えてるんですか?」
「だって、ちよ」
「ちよ? それって女の人ですか? それなら間違いなく別人ですよ。だって、久々知先輩は男なんですから」
 未だ兵助から視線を外すことのできないタカ丸が、信じられないというように呟いた。けれど、そこに伊助と三郎次が代わる代わる問いかけ、彼の言葉を否定する。そして、その言葉は兵助にも深く響いた。
(――そう、俺は〈千代〉じゃない)
 その言葉で兵助は自分を完全に立てなおし、頭を掻いて困っている振りをする。まだ自分のことを凝視している男に溜息をひとつ。
「斉藤、とりあえず立て。いつまでもそこでへたり込むな、みっともない。それから、話はあとだ。とりあえず、委員会の仕事を先にする。伊助、三郎次、どっちか悪いが斉藤を見てやってくれ。その状態じゃ、ちょっとまともに仕事ができるとは思えないから」
「わ、分かりました! じゃあ、ぼくがタカ丸さんと一緒に仕事します!」
「すまんな。じゃあ、三郎次はいつもどおりで頼む」
「あ、はい!」
 兵助は焔硝倉の鍵を開け、その扉を開け放つ。ただでさえ時間のかかる仕事なのだ。しかも、焔硝倉のなかは火気厳禁のために明かりがとれず、日があるうちしか仕事ができない。そう考えれば、大分昼が延びてきたとはいえ、これ以上作業時間を遅らせるのは宜しくないだろう。
 兵助の後ろではまだタカ丸がへたり込んでいたが、伊助が横からひっきりなしに声をかけたことである程度は冷静さを取り戻したのだろう。彼はのろのろと立ち上がると、伊助に手を引かれるがままに焔硝倉のほうへと歩き出した。
「あの、久々知先輩……その、本当に心当たりはないんですか?」
「……うーん……ない、と思うけど」
 焔硝倉での作業中に小声で尋ねてきた三郎次に、兵助は考えこむ振りをした。敢えて断言をしないことで、あとでいくらでも言い訳ができるようにしておく。小狡い真似ばかり得意になった自分に呆れもするが、使えるものは何でも使うのが忍者であるのだから仕方がない。
「……大丈夫ですかねえ」
「さあ……」
 棚越しにタカ丸を見やれば、彼は明らかに肩を落とした様子で、伊助にせっつかれながら作業をしている。情けない、とさえいえるその姿に複雑な溜息をつくと、兵助はとにかく今目の前にある仕事へと意識を向けた。
(今は余計なことを考えるべきではない)
 思考を巡らせれば巡らせるほど、ぼろが出る可能性は高くなる。ゆえに今は全てを思考の外に出し、委員長代理として責務を果たすべきだと判断した。兵助は慣れた調子で火薬壺を数えると、火薬の出納帳と数を突き合わせる作業に没頭する。三郎次や伊助たちからの報告も同じように確認したあと、兵助は活動の終了を告げた。



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鈍行*2008.08.06〜 Written by 緋緒


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