鈍行


TOP / NOVEL / DIARY / MAIL / INDEX

▼まさか 緋緒分サンプル



「……ナナマツって、滝子にだけは態度違うよね」
「あの男も、私の格がそんじょそこらの女とは全く違うと理解しているのだろう。――もっとも、そこらの女と同じ態度なぞ取ろうものなら、迷わず一発腹にぶち込んでやるが」
 少し騒々しい店内でラーメンをすすりながら、喜八郎がぽつりと呟く。それに同じくラーメンをすすっていた滝子が、口のなかのラーメンを飲みこんでから応えた。長い黒髪は邪魔になるので後ろで結び、変装用の眼鏡は曇るので外している。喜八郎も特別変装などしていないが、騒がれることはない。時折、酔漢に綺麗な顔のカップルだな、などとからかわれる以外は、現状気をつけることは何もなかった。
「まあ、何でもあの男は昔、私がやった信乃で俳優を志した、なんてうそぶいていたくらいだからな。
 第一、あの男と私じゃ芸歴が違うわ。こっちは芸歴十数年のベテラン、あっちはたった数年のぽっと出だ。敬意を払って当然だろう」
「人気はあっちのほうが格段に上だけどね」
「うるさい」
 さりげなく嫌いなメンマを滝子の器に入れようとする喜八郎を阻止しつつ、滝子は彼をねめつけた。けれど、喜八郎はやはり涼しい顔で、素早く滝子の器にメンマを盛りつける。相変わらず好き嫌いの多い奴め、と溜息をつきながら、滝子は移されたメンマをひとつ箸で摘んだ。
 同時に、先程の自分の言葉を思い出す。――信乃、犬塚信乃。それは滝子にとって思い出深い役だ。
 その当時、滝子は女の子でありながらも、子役として男の子の役もよくこなしていた。それはただ単に可愛らしい顔をしている子どもというだけではなく、それに足る演技力があったからである。とくに滝子の子役時代の出世作となった大河ドラマで悲劇の幼帝である安徳天皇を演じて以降、滝子の許には男女問わずひっきりなしに出演依頼が舞いこむようになったのだ。
 ドラマにCM、映画とあちこちに引っ張りだことなった滝子であるが、彼女の演技力が最も評価された作品といえば、四夜連続の特別ドラマ「南総里見八犬伝」である。この作品で滝子は本来の性別である男児の子役たちを軒並み退け、女児でありながらも幼少期の犬塚信乃を演じたのだ。
「信乃の役は良かったよね。泥まみれ、傷だらけで鼻血まで出してたけど」
「そういう役だったから仕方ないだろう。……あのまま仕事が続けられていたら、今ごろ私だって……」
 思わず小さな溜息をついて、滝子はぼやいた。
 信乃役以降一躍人気となった滝子ではあったが、その当時は小学生。学生の本分は学業である、という事務所の意向から、学業に支障の出る長期の撮影が必要な仕事は全て断られ、滝子は行きたくもない小学校や中学校に嫌々通う羽目になったのだ。
「仕方がないじゃない、社長が学校行けって言ったんだから」
「私は別に学校なんてそんなに行く必要なかったんだ。授業なんて受けなくても勉強にはついていけたんだから」
「その割には高校と大学には行ったよね」
「……親に通えと泣きつかれては仕方がないだろう。まあ、そのころにはもう特別なレッスンが必要なわけではなかったから、通う余裕もあったしな」
「仕事来なくて暇だったの間違いでしょ」
「お前だって同じだろ」
「僕はモデルの仕事あったもん。もっとも、滝子と違って映像の仕事じゃないから、そう長く拘束されるわけじゃないけどね。だから社長も僕の仕事はそんなに制限しなかったし」
 滝子の視線に飄々とした表情で喜八郎は応える。その態度からはいやに余裕が見え隠れし、滝子は思わず空いている手で喜八郎の頬をつねった。
「いたっ! ちょっと、暴力反対」
「うるさい! 相変わらず減らず口ばっかりだな、お前は! たまには私の美しさを称えてみろ!」
 悔し紛れに喜八郎の頬を伸ばしてから、滝子はその手を離す。お互いにギリギリと睨み合い、額をぶつける。けれど、それはいつの間にかにらめっこのような状態になり、二人は結局どちらともなく噴き出してその場は収まった。
「――ねえ、滝子」
「何だ?」
「ナナマツには気をつけたほうがいいよ」
 唐突な喜八郎の呟きに滝子は目を瞬かせる。視線をそちらに向ければ、いつもの無表情が少し硬い。その顔を覗きこめば、喜八郎は少し不安げな表情で滝子の頬に触れた。
「あの人は、こわい」
「……どういうことだ?」
「さっき、あの人ずっと滝子のこと見てた。滝子、あの人は駄目だよ」
「何の話だ、喜八郎。お前、まさか私があの男に粉をかけられて、そのままなびくような女だとでも思っているのか?
 ――馬鹿にするなよ」
 滝子は喜八郎の言葉に声を低くした。鋭く彼を射抜いたその眼光は、まるで野生の獣のようだ。それに喜八郎が言葉を切ると、滝子は小さく鼻を鳴らした。
「馬鹿馬鹿しい。あの男に割く時間があるなら、今以上に良い演技ができるようにレッスンする」
「……そうだね」
はっきりとそう言いきる滝子に、しかし喜八郎はどことなく歯切れの悪い返事をする。普段は焦点が合ってないとすら思われる瞳が、今は不安げに揺れていた。それに滝子は少し乱暴に彼の頭を撫で、安心させるように笑う。
 彼女にとって、その懸念は杞憂でしかない。ゆえに大して真剣に取り合うこともなく、自分の次の仕事について考えはじめた。けれど、喜八郎はそれに全く安堵できない。胸に迫る不安を吐き出すように、彼は目の前の少女に気づかれぬよう小さな溜息をついた。



▲BACK


鈍行*2008.08.06〜 Written by 緋緒


PC用眼鏡【管理人も使ってますがマジで疲れません】 解約手数料0円【あしたでんき】 Yahoo 楽天 NTT-X Store

無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 ふるさと納税 海外旅行保険が無料! 海外ホテル