鈍行


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▼「行列ができるお豆腐屋さん」参加ペーパー



 その店はひどく薄暗かった。
 タカ丸はその暗さに若干目を細めたものの、それに怯むこともなく店内に足を踏み入れる。そうして数歩進めば、店の奥で俯いて帳簿をつけている男の頭が見えた。――美しい黒髪に包まれたそれは、柔らかいまろみを帯びている。そして、触れたそれが実際に柔らかいのだと知っているタカ丸は、ゆるゆると口の端を持ち上げた。
「久しぶりだね、兵助くん」
「……いらっしゃい」
 静謐な空気を押しのけるように声をかけたタカ丸に、男――久々知兵助はちらりと顔を上げ、静かに口を開いた。しかし、その言葉はタカ丸に応えるものではなく、ただ形式的に客を迎えるためのものだ。それにタカ丸が顔をしかめると、兵助は小さく溜息をついた。
「ひどいなあ、久しぶりに会ったのに。……まさか、兵助くんがこんなところにいるとは思わなかったから」
「そうか」
 言葉を重ねようとするタカ丸に対し、兵助の応えは淡々としている。言葉を惜しむかのようなそれは、かつての彼にはなかった態度だ。それにタカ丸は若干目を眇めると、小さく息を吸い込んで言葉を続けた。
「今は何をしているの?」
「見てのとおりだ」
「……小間物屋さん、かな」
「そう見えるなら、そうなんだろうな」
 対する兵助の返答はやはり素っ気ない。まるで会話を打ち切りたいような態度に、タカ丸はもう一度、今度は露骨に溜息をついた。
「久しぶりに会った恋人に対して、あんまりにも冷たすぎるんじゃないの?」
「……そもそも、恋仲になった記憶がないが」
 タカ丸の問いに、兵助は初めてその声に感情の色をのせた。但し、それは不快感と呆れの二種類であったが。しかし、その反応ですら喜ばしいとばかりにタカ丸は笑みを浮かべる。
「ひどいなあ」
 表情と紡ぐ言葉に関連性はない。それに気付いた兵助はさらに表情へ不審を露わにし、眉をひそめてタカ丸を見やった。それにタカ丸はさらに笑みを深め、兵助へと歩み寄る。
「――あんなに愛し合ったのに」
 長い指で兵助の(おとがい)を持ち上げる。けれど、兵助はそれに反応することもなく、ただ少し目を眇めた。
「あなたの妄想のなかで、だろう」
 兵助は微塵も動揺しない。タカ丸もまた同じく。二人ともその状態から動かず、ただ視線をひたと合わせる。睨み合いに近いそれを先に崩したのは、タカ丸だった。
「相変わらず、なんだね」
「――あなたのそれが何を指すかは知らないが」
 そこで兵助は言葉を切る。けれど、そこで兵助は初めて自分から言葉を紡いだ。
「私は自分が変化しているとは思っていない」
 己から視線を外し、目を伏せる兵助にタカ丸は溜息をつく。視線の先にある白皙の青年には、長い睫毛が影となって頬に落ちていた。その様子も、昔と変わらないままだ。
「……今日はお暇するね。しばらくはここにいるの?」
「さあ」
「教えてくれてもいいじゃない」
「売れなきゃ場所を変えるだけだからな」
 兵助のその言葉にタカ丸は小さく「そう」と呟いた。もう一度触れようと伸ばした手は、けれど宙で動きを止め、結局兵助に触れることはないままタカ丸の許へ戻っていく。そんなタカ丸を兵助は見ることもない。視線はもう合わない。それにタカ丸は何度目かも分からなくなった溜息をつき、兵助の傍から一歩退いた。
「――じゃあ、またね」
 兵助は応えない。タカ丸はそれにただやるせない笑みを浮かべたあと、再び明るい陽の差す店の外へと出て行った。それを俯いたまま見送った兵助は、彼が出て行って充分に店から離れたことを確信した瞬間に深い息を吐いた。
「……俺もあなたも、いつまでも同じようにはしていられないだろう」
 兵助は小さく呟くと、タカ丸が来てから中断していた帳簿付けを再開した。その筆の動きは淀みない。書き終えたそれを一枚破り取ると、兵助は丁寧に小さく折り畳んだ。さらに傍に並べてあった木像を手に取ると、その首を捻って外す。首より下にぽっかりと開いた穴へその紙片を落とすと、兵助は再び木像に首を填めて並べた。
 あとは待つだけだ。――その木像を買いに来る、いつ訪れるかも、顔さえも知らない彼の同僚を。



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鈍行*2008.08.06〜 Written by 緋緒


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