鈍行


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▼胡蝶 (竹孫)



「た、竹谷センパーイ! また毒蝶が……!」
「逃げたのかっ!?」
「はいー! ううう、でも、今回は僕たちに責任はありませんっ! 会計委員長と用具委員長の喧嘩でとばっちりを受けて小屋が……!」
 皆まで言うな、と竹谷 八左ヱ門は報告に来た一年と同じく半泣きの瞳で応えた。とにもかくにも、今すぐ回収に行かねばまた大騒ぎになるのは目に見えている。傍らに居た同級生に八左ヱ門は軽く挨拶すると、己を呼びに来た一年生と共に問題の飼育小屋へ駆け出した。



「あ、竹谷センパーイ! こっちですう!」
「一平! 孫次郎! どうなってる!?」
 その傍らには同じく呼び出されたのだろう、三年の伊賀崎 孫兵が既に泣きべそをかきながら毒虫たちを探している。小屋の前にはひどく決まり悪そうにしながら、破壊された部分を急いで修復している食満 留三郎の姿があった。
「竹谷か、すまん! その、つい血が上って……小屋を壊すほど大喧嘩をしていたつもりはなかったんだが……とにかく! 俺が責任を持ってこの小屋は直しておく! 今、潮江が躍起になって虫も探してるから……」
「了解しました。食満先輩は小屋の方宜しくお願いします。俺もすぐに毒蝶たちを探しに出ますから」
 そう言いながら、八左ヱ門はするりと留三郎の脇を抜けて小屋へと入る。そこには生物委員会愛用の虫取り網が常備してあるのだ。彼はその中で最も丈の長い上級生用の虫取り網を手に取ると、話を聞いて我を忘れてしまったのだろう、網を持ち出すのを忘れている孫兵の網も持ち出して再び外へと駆け出した。
「孫兵、お前の網! 一年どもも全員、網持って探しに行ってくれ! ――お前ら、逃げ出した蝶たちを全部捕まえたら、今日はご褒美に食満先輩と潮江先輩が食堂で甘いもんご馳走してくれるってよ!」
「おい、ちょ」
「「「「やったー!」」」」
 謝ってもらったと言えど、やはり本来ならば逃げ出さなかった毒蝶たちを探す羽目になった苦労は計り知れない。普段から慣れてはいるが、決して歓迎してはいない事態を引き起こした上級生に意趣返しをしつつ、八左ヱ門は網を受け取りに寄って来た孫兵の顔を袖で拭った。
「ほら、ちびどもが見てんだからいつまでも泣いてるんじゃない。蝶たちも心配だし、早く捕まえて先輩たちの奢りに(あずか)ろうぜ」
「……良いんですか、明らかに食満先輩の顔が引きつってますけど」
「虫たちはウチのだけど、今日の原因は俺たちじゃないからな。それなのに駆り出されてんだ、それくらいの報酬はあってしかるべきだろ! それに、ほら。――食満先輩はあれで一年を凄い可愛がってるし、あんなにキラキラした目で見詰められたんじゃ俺のでまかせだから甘いもんなんて奢らねえとは言えないだろ」
 そういう意味で言ったんじゃないのだが、と孫兵は思ったが、竹谷が余りにも楽しそうに一年生にお礼を言われてうろたえている留三郎を眺めているので、小さく溜め息を吐いてその言葉を飲み込んだ。それに彼女にとって重要なのは、留三郎と八左ヱ門の関係よりも逃げ出した毒虫たちの安否である。笑って己の肩を叩く八左ヱ門に促され、孫兵もまた網を片手に走り出したのであった。



「――終わったあ……」
「おー、よく頑張ったな、お前ら! 偉いぞ! あ、食満先輩、潮江先輩、約束通りこいつらに甘いもんご馳走してやってくださいね」
 何とか虫たちを全て戻し終わったのは、もう夕日が山の端に掛かる頃。ほぼ半日使っての大捜索に生物委員たちはぐったりと地面に崩れ落ちた。その中で既に慣れている八左ヱ門は崩れ落ちた一年生たちの頭をそれぞれ撫で、慣れない虫の捕獲に加わって同じくぐったりしている文次郎と留三郎に声を掛けた。「約束通り」という言葉に文次郎は「そんな約束してねえ!」と思わず叫び返しそうになったが、留三郎がその前に肩を叩いて止めたことと、目の前で笑っている竹谷の笑顔に気圧されてその言葉を喉の奥に押し込めた。
「俺は別に良いですから、安心してください。孫兵、お前も一緒にご馳走になってくれば?」
「私も別に結構です。一年生たちだけ連れて行ってください」
 孫兵は先程の取り乱しようは何だったのか、と言わんばかりに落ち着いた様子で虫たちを確かめている。竹谷の声でなければ反応もしなかっただろう。彼女の意識は全て虫たちに向けられていて、竹谷はそれに一度だけ肩を竦めた後、団子になって転がっている一年生たちをそれぞれ立たせて笑った。
「ほんじゃ、井戸に行って泥落としてきな! それが終わったら、食満先輩と潮江先輩に食堂へ連れてってもらえ! 良かったな、お前ら!」
『はい!』
 一年生たちは声を揃えて八左ヱ門の言葉に頷き、楽しげに留三郎の両脇に寄り添った。生物委員会は小屋の修理などで用具委員会と連携を取ることが多いため、皆用具委員会の留三郎には懐いているのだ。それは留三郎もまんざらでもないらしく、じょろじょろと一年生たちを連れて歩きだした。その後ろを仕方ない、と言わんばかりに大きな溜め息を吐きつつ、文次郎が追う。その際にちらりと八左ヱ門を見たが、睨み付けなかったのはさすがに今回の脱走劇の原因として罪悪感があったからであろう、と彼は思った。
「――孫兵は良かったのか?」
「別に、特別甘いものが欲しい年頃でもありませんし。それにこの子たちの様子をきちんと見ておかないと」
「さすがに生物委員の鑑だな」
 よしよし、と慣れたように頭を撫でる八左ヱ門に、孫兵は指に蝶を止まらせていることもあって、その手を払うわけにもいかずに顔を赤くして俯く。もっとも、両手が空いていても彼の手を払うことなどできないのだが。
 ――孫兵は人に触れられるのは余り好きではない。これまで彼女は伊賀崎の姫としてごく限られた人間としか関わりを持つことはなかった。それは忍術学園に入っても変わらず、今でも孫兵の交友関係は狭いままである。それに特に親しい友人たちは自分が触れられるのを厭っているということを知っているため、肉体的な接触は避けてくれるのだ。しかし、その中で唯一の例外がこの竹谷 八左ヱ門という男だった。
 出会いは最悪で、だが己の秘密を知り、守ってくれる唯一の存在。孫兵の困った性癖もからりと笑い飛ばし、孫兵を弟のように――そして、時には妹のように――接してくれる明るい先輩が、この八左ヱ門なのである。
「ただ、この子たちが心配なだけです」
「分かってるよ。ほら、俺も手伝うから。――で、終わったら俺らも食堂に茶でも飲みに行こうぜ。あ、でももう晩飯の時間かな。今日は孫兵にも散々苦労掛けたし、奢ってやるよ」
 ……だから、どうしてこの人は。
 孫兵は何でもかんでも背負って行ってしまう八左ヱ門に小さく溜め息を吐いた。
 いつもいつもこうだ。今回だって彼には何の非もないのに(そして、生物委員会に関する大抵の騒動がそうである)、彼は一年や孫兵を労っては何かしらのご褒美をくれる。ある種の甘やかしに孫兵は溜め息を吐きつつ、孫兵はまだ頭の上に載っている手に軽く頭を押し付けた。
「先輩、偶には僕のことも頼ってくださいね」
「ん? 何だ、いつも頼ってるじゃん。――本当だぞ? 虫の世話する時も、虫が逃げた時も、いつも孫兵が居なきゃ始まらないからな。本当に頼りにしてますよ、孫兵さん」
 せめて何か報いたくて思わず口を突いた言葉に、けれど八左ヱ門はやはり孫兵を甘やかすばかり。己の頭をまたわしわしと撫でる手の温かさに孫兵は明らかに心を許している己を自覚して、どうしようもない自分にこっそりと溜め息を吐いた。――そんな孫兵の素直でない様子を八左ヱ門が可愛らしいと感じていることを、彼女は知らない。



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【和五_雑】――『05.胡蝶』
お題提供:Rocker NO.34


鈍行*2008.08.06〜 Written by 緋緒


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