鈍行


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▼東風 (利こま)



「うーん、もう春だなあ」
 そんな言葉を呟きながら、忍術学園の前を掃除しているのは事務員の小松田 秀作である。せっせせっせと何故か覚束ない手付きで竹箒を操る姿は事務員と呼ぶよりも学園生徒と呼んだ方がいっそ良いかと思うほど幼く、忍犬であるヘムヘムの方が堂々としていることも度々だ。しかし、秀作はそんな周囲の思惑など露ほども気付かぬまま、忍術学園を訪れたひとりの青年に笑みを向けた。
「利吉さん! お久し振りです、本日は山田先生にご用ですかあ?」
「いや、学園長先生にちょっとね」
「あ、じゃあ入門表にサインしてください」
「はいはい、っと」
 利吉は己を見上げて先程から降り注いでいる春の日差しのような笑みを浮かべた少年――忍術学園の生徒たちより年上だと言うのに、彼は少年という言葉がよく似合った――に差し出される入門表に、手早く己の名前を書き込んだ。秀作の取る間合いには何度も苛々させられているが、さすがにこのやり取りにはもう慣れた。それは彼がそれだけこの学園に訪れていることの表れでもあり、秀作が学園へ馴染んでいるということでもある。
「お帰りの際には出門表にサインしてくださいね」
「はいはい。じゃ、失礼するよ」
「はい、ごゆっくりどうぞ〜」
 忍術学園という忍の養成機関の門番がこんなに気の抜けた人間で良いのか、と利吉は己の背中に掛かった声にかくりと肩を落としたが(何せ、入門表にサインさえしてしまえば敵味方関係なく彼は入門を許可してしまうのだ!)、それでも確かにあの気の抜けた声で呼ばわれることに安堵を感じる自分にも気付いていた。
 彼の周りは平和なのだ。彼自身がおめでたい所為か、それとも忍術学園という強固な砦に守られているからかは分からない。ただ、彼の周りはとても穏やかで、争い事など存在しない場所だった。
「――まるで春だなあ」
 自分が、そしてこの学園を巣立っていく生徒たちが足を踏み込む場所が寒さの厳しい冬だとすれば、秀作は冬が凍てつかせた大地を融かし、芽吹きを感じさせる春。その暖かさに自分がもう失くしてしまった、本当に大切なものの存在を感じたように思い、利吉は小さく溜め息を吐いた。
 己の頬を撫でるのは、もう温かい春風。今年も春が来たのだと思った時に、利吉は何故か秀作が浮かべる気の抜けた笑みを思い出した。



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【和五_雑】――『04.東風』
お題提供:Rocker NO.34


鈍行*2008.08.06〜 Written by 緋緒


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