鈍行


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▼澪標 (鬼カメ)



「――船が」
 カメ子は港へ入る船のうち、見覚えのある船を見つけて思わず駆け出した。彼の船は彼女の兄がかつて忍の学校へ通っていた頃、懇意にしていた海賊の船である。――兵庫水軍、その名を今の瀬戸内で知らぬ者はいない。彼女もまた兄のおまけとして、また福富屋という商家のひとりとして随分と良くしてもらった。
 忙しなく荷降ろしをしている人々をすり抜け、カメ子は足音軽くその船へと近付いていく。次第に笑みが零れるのを抑えられぬまま、カメ子はようやく錨を降ろし、寄港している船へと駆け寄った。
「みなさま!」
「ああ、カメ子さん! お久し振りですね、また一段とお綺麗になられたようで」
「ま、義丸さまは相変わらずお上手ですこと」
 ほほ、とカメ子は口元を押さえて笑った。昔――まだ己が幼子の頃から、この男は全く変わらない。己を常に一人前の女性として扱い、ひどく丁寧に接してくれる。一時期は何だか恥ずかしくも思ったりしたものだが、今ではこれが彼の性格なのだと流すことも覚えた。兵庫水軍の男たちは男所帯の割にこうして女慣れをしているのが不思議なところだ。潮風が己の頬を撫でるのを感じながら、カメ子は他の船と同じく忙しなく荷の積み下ろしをする男たちを眺めた。
 昔はちょっとだけ声を掛けたりもしたものだが、今は己も幼子ではない。自分の行動がいかに相手を困らせるかも分かっているので、事務的なことを二、三尋ねた後にはただ遠巻きに眺めるにとどめた。本当は駆け寄ったりもするべきではなかったのだが、さすがにそこまで己を抑制できず、カメ子は自分もまだまだ子どもだと溜め息を吐く。――だから今でも、彼女は彼らの間で〈小さなお嬢様〉なのだ。
「鬼蜘蛛丸の兄ィは? せっかくカメ子さんがいらっしゃってるのに」
「あっちで作業中です、呼んできますか?」
 しかし、そんなカメ子をどう思ったのか、義丸が妙な気を利かせて他の人間に声を掛ける。更に声を掛けられた舳丸も走って作業中の鬼蜘蛛丸を呼びに行こうとしたので、カメ子は慌てて彼ら二人を止めた。
「そんな、お仕事中に悪いですから……! むしろ、わたくしの方こそ気が利かなくて申し訳ございません。もう子どもではないのに、みなさまにお会いできると思ったら嬉しくてついこちらまで来てしまいました。お仕事のお邪魔になりますし、もうこれでお暇いたしますわ。――兵庫第三協栄丸さまや他のみなさまにどうぞ宜しくお伝えください」
 カメ子は作業の手を止めてこちらを眺めている海賊たちに慌てて頭を垂れた。いつの間にか腰まで伸びた髪が揺れて落ちる。彼らと初めて会った時は切り下げだった己を思えば、髪が伸びただけ年月が経っているのだ。そして、それは否応なしに己と彼らの立場の違いを教えていた。
 止めようとする義丸より早く、カメ子はくるりと踵を返した。――元より、福富屋の跡取り娘とも称される己がこの場に現れる方が間違っているのだ。そう己に言い聞かせて、彼女は足早に港を過ぎる。長く伸びた髪は、己をひどく不自由にさせた気がした。
(昔は早く髪が伸びて大人になれれば良いのに、と思っていたのに、勝手なこと)
 そうすればきっと彼の方と隣り合ってもおかしくないだろうと思ったのはとうに昔のこと。けれど、今は子どものままの方がずっと自由に彼ら――彼の人物の傍に居られた、と思って溜め息を吐いた。
 彼女ももう十五、本来ならば遊んでいる年頃ではない。現在も父親の許へは引きも切らずに縁談が舞い込んでいると言う。自分に甘い父であるし、兄のこともあって並大抵な男では父の眼鏡に適うことはないが、それでも自分はいずれ福富屋を継ぐ身である。自分の迂闊な行動が福富屋にまで累を及ぼすことを思えば、カメ子はいつまでも子どもではいられなかった。
「――もう、逢いたいと思うことも止めなければ」
 何度も決意しようと思ってしかねたことを、カメ子は口に出して呟く。そうすれば自分がせめて決心がつくのではないかと思ったのだ。けれど、何度追い出そうと胸に戻ってきてしまうこの想いは、今もカメ子の胸を締め付けた。どうしても諦めきれない想いが溢れ、涙に変わる。泣いてはいけない、と思いながらも、カメ子は頬に一筋の涙が零れるのを抑えきれなかった。
「カメ子さん! 何故泣いているのですか!? 誰かに何か言われたのですか!? ――それなら、私が……!」
 いけない、と思って袖で涙を拭っている時、聞こえたのはずっと待ち望んでいた声。しかし、その様子は普段彼女に接するその人物には似合わぬほど剣呑で、カメ子は驚いて目を瞬かせた。その拍子に更に涙が一筋頬に流れる。それを見た男――鬼蜘蛛丸は激昂するように表情を厳しくした。
「あ、いいえ、あの鬼蜘蛛丸様……! 違うんです、その……目にゴミが入って。痛くて涙が……お恥ずかしいですわ。ごめんなさいませ、心配をおかけいたしました。――わたくしは大丈夫ですから」
 何故ここに鬼蜘蛛丸が居て、何故こんなに怒っているのか、という疑問が浮かぶが、それ以上に話ができたことに喜びを隠せなくなる。思わず紅潮した頬を隠すように袖で顔を隠しながら、カメ子は慌てて言い添えた。
「そう、ですか……いえ、それでもこんな所におひとりでいらしてはいけませんよ。貴女はもう年頃のお嬢さんなんですし、港は荒くれが多い。何かあっては困りますから」
「――ええ、そうですね。有難うございます、鬼蜘蛛丸さま」
 カメ子は鬼蜘蛛丸の言葉に喜ぶべきか、悲しむべきかと表情を取りかねた。ただ、彼が心配しないように口元に笑みを浮かべる。その表情に鬼蜘蛛丸は一瞬何かを言いかけたが、けれど何も言わずにただカメ子に手を伸ばし――彼女に触れる前にその手を下ろした。
「……福富屋さんまでお送りします」
「いえ、結構ですわ。もう近いですし、わたくしひとりでも大丈夫です」
「そういうわけにもいきません。先程も申し上げましたが、港には荒くれが多い。何かあってからでは遅いのですから」
「――すみません、お気遣いさせてしまって。では、申し訳ありませんがお願いしても宜しいですか?」
「ええ、喜んで」
 鬼蜘蛛丸の申し出にカメ子は迷惑になるから、と断ろうとしたが、彼がいつになく強い言葉で押してきたので受け入れる。同時に、彼女はそのことを内心喜んでいる自分に嫌悪を感じて気付かれぬように小さく溜め息を吐く。――どんな状況であれ、想い人と共にいられるのは嬉しい。が、それが相手の負担であることが何よりも悲しかった。
 カメ子は己の物思いに手いっぱいで、後ろを振り返ることはない。故に、彼女は気付かなかった。
 人ごみに紛れてしまいそうな小さな身体を、何度も傷だらけの武骨な手で支えようとして手を伸ばし、その度に触れる前に手を下ろしてしまう鬼蜘蛛丸が居たことを。



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【和五_雑】――『02.澪標』
お題提供:Rocker NO.34


鈍行*2008.08.06〜 Written by 緋緒


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