鈍行
▼ずっと笑っていて欲しい （久々綾）
「あっついねえ、本当」
「ほら斉藤、いつまでも戸を開けっ放しにしてんな、湿気が入るだろ！」
長雨の影響で火薬庫にも湿気が忍び寄る。どんなに風通しを良くしても雨が降っている以上湿気が多いのは仕方がないのだが、彼らが管理しているのは湿っては使い物にならない火薬なのだ。特に学園中の火薬を一手に引き受けている火薬委員会としては湿気・雨というものは大敵である。場合によっては火薬壷に更に湿気防止のために色々と施さないとならないため、久々知 兵助は苛々しながら頭を掻いた。
――何をしているか分かんない、そんなことで良いんかい？ なんて嘘だ。兵助は改めてそう思う。こうして地味でも何でも火薬委員会が機能しているからこそ学園の火器は使用できるのだ。この活動がなければ忍術学園などすぐに機能しなくなってしまう。――実は保健委員会と同じくらい重要な委員会なのになあ、と兵助は溜め息を吐いた。
「こんにちは」
「え、綾部？ どうしたの？」
「余りに暇なので遊びに来ました」
「……せめて〈手伝い〉に来てくれ」
兵助は火薬庫に響いた声にがっくりと返した。見れば入口から綾部 喜八郎が顔を出している。四年はどうしてこう気儘な輩が多いのだろうか、と深い溜め息を吐くと、何故か二年の池田 三郎次に慰めるように肩を叩かれた。お互いに顔を見合せ、もう一度深い溜め息を吐く。
「タカ丸さんは何をしているんですか？」
「ん、僕？ 僕はねえ、兵助君の指示に従ってるの」
「その割には遊んでますけどねえ」
固まる紫の制服に三郎次がきつい言葉を放った。それにタカ丸はへにゃりと笑い、喜八郎は肩を竦める。オロオロと三者を眺める伊助の頭を撫でながら、兵助は軽く両の手のひらを打つ。顧問が不在の今は自分がこの人数をまとめなければならない。
「ほらほら、斉藤も遊んでないで早く言われたことをやれ。三郎次は伊助と一緒にあっちを頼む。――喜八郎も折角来たんだ、手伝って行けよ」
「手伝ったら何か良いことありますか？」
「……終わったら、食堂で何かおごってやるから」
「ええ、先輩僕は！？」
「お前は火薬委員だろうが！」
兵助はふざけたことを言う喜八郎をオゴリで釣りつつ、その傍らで更にふざけたことを言うタカ丸を怒鳴り付けた。――土井先生が神経性胃炎になる気持ちがよく分かる。伊助はまだまともだが、タカ丸並の頓珍漢が十一人まとまっているのだ。兵助は火薬庫に居る時ですら腹部を手で押さえている土井に心底同情しつつも、自分は決してそうはなるまいと新たに心に誓ったのだった。
「センパイ、眉間にしわ」
「誰の所為だと……うわっ！」
振り返れば至近距離に喜八郎の顔があったため、兵助は思わず後ろに下がった。大分見慣れたとはいえ、彼女は途轍もない美貌の持ち主だ。さすがに美人が集まる作法委員のひとりだと心の隅でどうでも良いことを思う。そんなことは露知らず、喜八郎は人差し指で兵助の眉間を押した。――どうやら眉間のしわを伸ばしているらしい。
「別におごっていただかなくても良いです。お手伝いします」
「そ、そりゃ有り難いけど……」
「先輩は怒ってるより笑ってる方が良いですよ」
予想の範疇から大きくずれる喜八郎の言動に兵助は振り回されっ放しだ。普段は無機質な瞳がこういう時ばかり少し揺れるのを見て、彼は尚更にドキリとする。喜八郎は真っ赤に顔を染めた兵助をしばらく見つめた後、くるりとタカ丸の方へと振り返って「何をすれば良いのですか？」と尋ねた。どうやら彼女はタカ丸の更に手伝いをするらしい。――編入生のタカ丸と違い、喜八郎は四年間しっかり忍術学園で学んできた生徒だ。更に現作法委員長である立花 仙蔵の下で火薬の扱いもそこそこ上手い。その上に同学年には火器が大好きな田村 三木ヱ門も居るのだから、環境としては十分だ。兵助は厄介なことばかり引き起こすタカ丸を喜八郎に預けてから、未だにドキドキと音を立てている心臓を手で押さえながら作業へと戻ろうと方向転換する。
その先には四年生にたじたじになっていた兵助をじっと見詰める二人の下級生の姿。兵助は違うんだ、と言い訳したくなったが、何が違うのだと言うべきかも分からずに二人と見詰め合う。不思議そうな顔をしている伊助を三郎次が再び促し、二人はそっと火薬庫の奥へと去って行った。その際に三郎次から少々同情の籠もった視線を寄せられて、兵助は何だか泣きたくなる。
それでも喜八郎の言葉が未だ頭から離れずにいる彼は、ちらりと紫色の塊を見遣った後に「平常心、平常心」と心の中で繰り返しながら、己の仕事へと戻って行った。――終わったらここに居る全員に食堂でおやつでも食わせてやろうと思いながら。
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【はじめて…】――『ずっと笑っていて欲しい』
鈍行*2008.08.06〜 Written by 緋緒