鈍行
▼伝えたかったこと (留伊)
「……わあ」
善法寺 伊作は保健室の惨状を見て小さく声を上げた。慣れてはいても哀しいものだ。特に下級生がその惨状に茫然自失の状態で、明らかに魂が抜け出ている状態であるならば、尚更。
「大丈夫、数馬? ほら、左近も落ち着いて。乱太郎と伏木蔵は平気?」
「い、伊作せんぱあい……!」
「ごめんなさい、僕が伏木蔵を巻き込んで転んじゃって……」
「僕は二人を咄嗟に捕まえようとしたんですけど、一緒になって転んじゃって」
「そのまま包帯を直していた僕に突っ込んで、見事に三人で薬棚に当たっちゃって……」
「――それでこの惨状ってわけだね? 分かった。それよりも皆怪我はない? どこかぶつけたりとかしていないかな?」
『それは大丈夫です』
下級生たちが揃って答えたので伊作はホッと胸を撫で下ろした。不運委員会などという有り難くない別名まで付いているこの保健委員会であるが、それゆえに怪我などの災難も多い。それでなくとも忍術学園は他の教育機関と違って保健室の回転率が異常なまでに高いため、これ以上怪我人が増えるのは好ましいことではなかった。
「なら、片付けをしようか。大丈夫、五人も居るのだもの、すぐに終わるよ」
『はい!』
伊作は元気いっぱいな返事を聞いてにっこり笑った。何かとトラブルに巻き込まれることが多い保健委員会だが、所属している委員たちは皆良い子ばかりだ。これで後は不運さえ引いてくれれば最高なんだけれどなあ、と思いながら、伊作は一生懸命働く下級生たちを眺めてにっこりと微笑んだ。
「――っていうことがあってね、やっぱり下級生は可愛いなあって」
「出たよ、伊作の下級生びいき」
「留さんだって似たようなもんでしょ。特に用具の子にはべた甘じゃない」
「あいつらはいつも一生懸命やってるからな。作兵衛だって平太だって喜三太だってしんべヱだって。それが可愛くないわけあるか」
「それなら僕も一緒だよ。もう皆素直で可愛くって! こういう時、やっぱりあっちに移動しなくて良かったなあ、って思うもん」
自室に戻った伊作は同室の食満 留三郎に笑顔で事の顛末を語り尽す。その不運ゆえに背負い込まなくて良い厄介事を数々背負い込む羽目になる割に伊作は委員会の面子が大好きだ。それは留三郎も一緒で、結局お互いに後輩びいきであるのだという結論に落ち着く。鼻歌を歌いながら救急箱の整備を行う伊作に、留三郎は小さく囁いた。
「――本当にこれで良かったのか?」
「うん。僕には留さんも居るしさ、もうこの歳になると色々慣れるしね。それにほら、僕が居ないと皆困るでしょ? 先生が居ない時に難しい手当てができなくて」
「まあ……そりゃ確かに困るけどさ。だからと言ってお前が犠牲になることなかったんじゃねえの?」
「留さんもくどいなあ。それに、僕は別に犠牲になったつもりはないよ」
伊作は先程転んだ時にぐちゃぐちゃになった救急箱の中身を出しながら言った。解けて絡んだ包帯の端を見つけて、そこから再び巻き直す。既に何度も繰り返された行為は手元を見ることなく正確に行われる。それに留三郎は何度見ても感心しつつ、溜め息を吐いた。
「今更環境が変わるのも、という気持ちもあったし、それに何より四年、〈忍たま〉として君たちと一緒にやってきたんだもの。離れるのは淋しいじゃない? ――だって皆、僕がどんなにドジやっても絶対に置いて行かないでくれたし。そういう仲間たちと、自分の不便を天秤にかけて、僕は仲間を取っただけだよ」
「……いさ、お前ってやっぱりお人好し」
「それなら留さんだって同じでしょ。僕のこと見捨てたって、弄んだって良かったんだ。それが律儀に僕の秘密を守って、何かあったら助けてくれて、ごまかすだけじゃなくて偶には共犯になってくれたりして。……これでも感謝してるんだよ? 感謝の念が伝わる前に不運でごたごたしちゃうけど」
伊作の柔らかい笑みに留三郎が頬を染めた。――照れている、と伊作は珍しく思う。そんな彼が愛しくてならない。
「本当だよ、留さん」
「……お前は偶に厄介だよ、本当に」
「そう?」
「そうだ。――ほれ、厄介事のお出ましだ」
留三郎は小さく呟いた後、長屋の廊下から聞こえる足音に気付いて伊作へと振った。いくつかの軽い足音に伊作は下級生だと見当を付け、ちょうど巻き終わった包帯を救急箱に入れてから立ち上がった。戸を開けて彼らに声をかける。
「どうしたの、君たち?」
「あっ! 善法寺先輩! 大変なんですうー!」
「生物委員会の毒虫たちが大脱走して、被害者多数で……!」
「一年の生物委員は早々に毒虫にやられて、今は残った竹谷先輩と伊賀崎先輩が捕獲に向かってるようなんですが焼け石に水で」
「保健委員の乱太郎や伏木蔵、三反田 数馬先輩や川西 左近先輩が今対応に追われてて、でも埒が明かないから先輩を呼んで来て欲しいって言われて、僕たちが来たんですう!」
一年は組のしんべヱ、喜三太がおろおろとしながら口々に話す。普段はのんびりしている彼らが焦るなんてことは余程のことなのだろう。
「ありゃりゃ。……留さん、ちょっと良いかい?」
「分かってるよ。――ほらほら、しんべヱ、喜三太、落ち着け。今は竹谷と伊賀崎だけが出てるんだな? じゃ、他の用具委員を呼んで来な。俺たちも虫たちの捕獲に手を貸すぞ。虫に刺されないようにしっかり装備はしろよ」
『食満先輩!』
伊作は深い溜め息を吐くと、後ろで寛いでいる留三郎へと声をかけた。彼も慣れたもので、ゆっくりと立ち上がると後輩たちに指示を飛ばす。一年生二人はそれに何度も頷くと、ころころと転がるように走って行った。それを見送った伊作と留三郎はお互いに顔を見合せて、肩を竦める。
「本当に慌ただしいったらないね」
「仕方がないな。――俺も行く。多分、もっと被害は拡大するから保健室は頼むぞ」
「了解。もし暇そうにしてる落ち着いた子が居たら保健室へ、そうじゃない子は虫取りに参戦してもらって」
「俺が言っても聞くかね?」
「いざとなったら僕の名前を出して良いよ。――これでも皆さんのお世話をして六年目ですからね。この学園で僕の治療を受けなかった人はいないよ!」
「さっすが保健室の主、ってか。ほんじゃ、後でな」
「了解」
伊作はそのまま保健室へと駆け出す。確実に二回はこけるなと留三郎は彼女の背中を見送った後、伊作の出した救急箱の中身を手慣れた様子でしまい直すと自室の戸を閉めた。大きく伸びをした後に彼も己の仕事をするべく駆け出す。――お互いに信頼しているからこそ、背中を向けても大丈夫なのだ。二人はお互いに一度も振り返らずに自分のなすべきことをするために目的地へと急いだ。
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【はじめて…】――『素顔をみせて』
鈍行*2008.08.06〜 Written by 緋緒