鈍行


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▼一秒でもそばにいよう (こへ滝)



 雨がしとしとと降り続いている。秋の長雨と呼ばれるそれは校庭も裏山も何もかもをしっとりと湿らせていた。普通ならばこの程度の霧雨で委員会活動が中止になることはないのだが、何せもう三日間も降り続いているのだ。例え霧雨でも地面はぐちゃぐちゃ、山もかなり緩んでいて土砂崩れの危険性がある。それゆえに学園から自主練・野外での実習・活動の禁止令が出た。それゆえに滝は今、自室で雨を眺めているわけである。
「辛気臭いねえ」
「うるさいぞ、喜八郎。お前だって大好きな穴掘りに行けなくて苛々してるくせに」
「校庭の土も緩くって掘るに掘れないんだよ」
 二人は顔を見合せ、揃って溜め息を吐いた。手持無沙汰なので滝夜叉丸は戦輪を取り出す。それをひとつひとつ丁寧に手入れしていると、とうとうこの状況に耐えられなくなったのか、喜八郎がガバリと立ち上がった。
「どうした、喜八郎?」
「久々知先輩のところに行ってくる。この湿気じゃ火薬委員は大変だろうし」
「ああ、そう言えばそうだな。タカ丸さんも行っているだろうし、手伝ってやれば喜ぶだろう。あそこは人が少ない上に、最終的に頼りになるのは二年の三郎次だけだからな」
 唐突な喜八郎の行動には慣れている。滝夜叉丸は何故か鋤を持って出て行く喜八郎を見送って、再び自分は戦輪の手入れへと戻った。自分も一緒に付き合おうとは思わない。――何故ならば、喜八郎にとって火薬委員会は安全区域だからだ。
 昔からあの美貌で随分と苦労した喜八郎であるが、最近は偶然仲良くなった火薬委員の久々知 兵助はじめとする火薬委員たちと仲が良い(もっとも、下級生たちは喜八郎を扱いかねているようだが)。同時にあそこに居ると分かっている限りは誰かしらが彼女を守ってくれると分かっているので、滝夜叉丸としても安心できる。ゆえに正直なところ、滝夜叉丸は穴掘りに行くよりも火薬委員の邪魔をしてもらっていた方が気が楽なのだ。
 そんなことをつらつらと考えていると、長屋の廊下が一気に騒がしくなる。嫌な予感と共に戦輪を机の上に置くと、ズパン! と叩き付けられるように長屋の戸が開いた。その先に居るのは体育委員長の七松 小平太だ。滝夜叉丸は退屈を紛らわすどころかとんでもない大物がやってきたことに溜め息を吐きつつ、彼を部屋に招き入れた。
「できれば声をかけてから戸を開いていただきたかったですね。着替え中だったらどうするつもりだったんですか?」
「わはは、それはそれで!」
「喜八郎も一緒に居たら?」
「部屋にはお前の気配しかなかった!」
 堂々と言い返されて滝夜叉丸は溜め息を吐いた。――そういう配慮をもっと別な方向で使ってくれたら、自分はもっと楽なのに。けれど、彼のこの性格を滝夜叉丸が許容しているのも事実で、それゆえに更にその性格が増長することになるのだが、彼女はその悪循環を断ち切る気にはならなかった。
「……それで、どうなさったんです? 六年生も実習がパアになったんですか?」
「いや、俺たちはやったよ。でも、やっぱりぬかるみがひどくてな、皆やる気なくてとっとと終わらせちゃったんだ。だから今暇でさあ」
 何という問題発言。滝夜叉丸は後輩ながら、彼の同輩たちに同情した。多分、自分の許に来る前に彼らのところを一周してきたのだろうと想像は付く。この台風に巻き込まれた彼らはさぞかし難儀したことだろう。それでも何とか彼を追いやることができたのだから、さすがは六年生と言うべきか。
「それで、どうして私のところへ? 四年生だってこの長雨では何にもすることはありませんよ」
「うん、だから昼寝しにきた」
「ひ、昼寝? って、あ、ちょっと先輩!? 何やって……」
「滝の膝は温かくて気持ち良いんだもの。さ、おやすみー」
 何て勝手な、と彼女が呟く前に小平太は目を閉じて眠ってしまった。狸寝入りなのかもしれないが、それでも寝ていることに変わりはない。人間の頭は意外に重く、長時間貸していれば足が痺れるだろう。しかし、そんなことを考えても後の祭り。滝夜叉丸は溜め息ひとつでその頭を許容することに決め、再び戦輪の手入れに戻ったのだった。



「……暇だ」
 戦輪の手入れも終わった滝夜叉丸は小さな声で呟いた。立ち上がれるならば他のこともできるのだが、何分小平太の頭が膝に載っている状態だ。傍に文机があるのは幸いだった、と滝夜叉丸はそこに肘をついて頭を支えた。しとしと降る雨の音が子守唄の代わりとなって、次第に滝夜叉丸を眠りの世界へと導いていく。穏やかな雰囲気にこんな時間がずっと続けば良いのに、と叶わぬ願いを抱きながら、滝夜叉丸は落ちるように眠りに就いた。
「……寝ちゃったか」
 滝夜叉丸の膝の上で眠っていた小平太がパッと目を開いて呟いた。うつらうつらしていたのだが、こういった気配には不思議と敏感なのだ。完璧に眠りの国へと旅立っている滝夜叉丸を下から見ながら、小平太は起こさないように頭を持ち上げた。
「相変わらず綺麗な寝顔だなあ」
 女子であるということを除いても美しい顔立ちをしている滝夜叉丸であるが、眠るとそれが尚更に際立つ。普段の多彩な表情が抜け落ちる分、人形染みた美しさがそこには存在した。滝夜叉丸が本来持つ硬質な美しさばかりが前面に押し出されるそれを小平太は嫌いではない。だが、それ以上に普段の生き生きとした彼女が愛しかった。
「――後、もう少しなんだよなあ」
 眠ってしまった滝夜叉丸を先程とは反対に自分の許へ引き寄せながら、小平太は口の中で呟いた。結われた黒髪はさらさらと自分の指をすり抜けて散っていく。その感触が面白くて小平太は滝夜叉丸の髪を弄びながら、彼女の頭を自分の膝に乗せた。寝息は穏やかに彼の膝頭をくすぐって、小平太は珍しくひどく穏やかな気持ちになる。普段は身体を動かしている方がずっと楽しいのに、今は眠っている彼女と一緒に静かにしていたかった。
 こうして二人で一緒に居られるのも後少し。春になれば小平太はこの学園を去らなければならない。その時に二人の関係がどう変化するのかは小平太も分からないが、少なくとも哀しい結末にだけはならないと良いと願う。特に滝夜叉丸が泣くような結果だけは避けたい。
「瀬をはやみ 岩にせかるる滝川の われても末に逢はむとぞ思う、か」
 昔聞きかじっただけの和歌がふと頭に思い浮かんだ。普段は和歌など思い出しもしない小平太なので、どうして今こんなものが頭に思い浮かんだのかは分からない。ただ、この歌と同じく自分と滝夜叉丸も今は離れてもいつかはまた一緒になりたいと思うのだ。それが若さゆえの激情からなのか、それとも天命によって定められた恋人ゆえにそう思うのかは分からない。それでも後者だと良い、と小平太は思う。指通りの良い髪にも、この美しい顔も、少し傲慢な性格でさえ愛しいと感じるのだ。自分を射抜く強い瞳が好きで、普段は性格に隠されている繊細な心配りや穏やかな表情が好きで、何よりも自分の傍らで呆れたように笑う顔が好きだった。それを守りたいと思う。
 自分よりずっと細いこの肩に小平太が知る以上に多くの重責が圧し掛かっていることも知っている。滝夜叉丸は実家の多くを語らないが、良家の子女――それも正室の長子であり、一粒種であることが、妾腹である弟との兼ね合いや彼女の与り知らぬ場所で行われる権力争いに否応なしに関わってくるのだそうな。滝夜叉丸自身が優秀であることもまたその火種のひとつなのだろう。彼女は自分がそこに生まれた以上は逃れられぬと腹を括っているようだが、たった十三の子どもが背負うにはそれは余りにも重すぎる代物だ。
 それゆえに小平太は思う。どんなに短い時間でも構わないから、今の時間が長く続けば良いと。こうして穏やかに気を張らず、静かに休む時間が彼女には余りにも少ない。そして、それを与えられる人間が自分であることを祈る。時間は止まらず流れていくがゆえに、〈今〉が大切なのだ。
「……せめて少しでも長く一緒に居たいね、滝」
「――わたくしもそう思いますよ」
 小平太はひっそりと囁いた声に返事があったことに驚かなかった。顔を少し赤らめた滝夜叉丸の髪を優しく撫で、笑う。それに少しだけ顔を上げた滝夜叉丸も同じく微笑み、二人はゆっくりと口付けを交わしたのだった。



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【はじめて…】――『一秒でもそばにいよう』
お題提供:Smacker


鈍行*2008.08.06〜 Written by 緋緒


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