鈍行
▼素顔をみせて (鉢雷)
(あ、不機嫌だ)
不破 雷蔵は遠くを歩いて行く同級生の姿を見て瞬時にそう思った。彼は感情を隠すのが非常に上手い。それゆえに普段通りに悪戯やおどけた振る舞いをされれば、彼の感情が波立っていることなど自分以外の誰も気付かないだろう。それは忍としては良いことだとも思うけれど、雷蔵としては人間なのだから偶には不機嫌な日があったって別に構わないと思う。それをたった十四で上手く覆い隠そうとする方がおかしいと雷蔵などは思うのだが、それを言ったら「だって俺は鉢屋 三郎だよ?」と訳の分からない理由ではぐらかされた。――何よりもその理由で半分くらい納得しかけた自分が怖い。
「雷蔵先輩、何見てるんスか?」
「ああ、きり丸君。ん、ちょっとね。――さあ、早くこの本を持って行かないとね。中在家先輩が待ってる」
雷蔵は自分を見上げる後輩ににっこりと笑いかけ、腕に抱えた本を抱え直す。人前で三郎は感情の揺らぎを絶対に見せたがらない。と言うことは今彼女が彼を問い質したところでまともな答えは得られないということだ。それならばやるべきことをやって、それからじっくり話を聞くべきである。雷蔵は珍しく迷うことなくそう決め、後輩を促しながら図書室への道のりを再び歩き始めた。
「……で、何で不機嫌だったの?」
委員会活動を終えて自室に戻った雷蔵は、開口一番にそう尋ねた。既に部屋でごろごろしていた三郎はそれに顔をしかめるものの、否定はせずに身体を起こす。後ろ手に戸を閉めて部屋の中央へと入ってくる雷蔵に対し、三郎は頬を掻きながら困った顔をする。その表情に雷蔵はサッと彼がごまかす気なのだと気付き、顔をしかめて彼を睨み付けた。
「ごまかそうとしても無駄だよ、何年の付き合いだと思ってるの? どうせお前のことだから、また変に絡まれたとか、僕たちの悪口を言われたとかそういうのなんでしょ? 意外に沸点低いんだよね、お前は」
「うるさいぞ、雷蔵。じゃあ、お前耐えられるか? 『雷蔵は顔を奪われても平気なんて図太い』とか『あいつこそ化け物なんじゃねえの?』とか言われてみろよ、腹も立つだろ!」
「えー、別に。だって、理由があってのことだもん。それに何より、そういう理由は僕たちが納得してれば良いんじゃないの。大体、僕らが同じ顔をしてて何か言われるのはもう慣れっこじゃない」
「慣れない! 俺は絶対に慣れない! 第一、雷蔵だってそんなこと言っておきながら、俺とか、ちょっと悔しいけど他に親しい人間とかが何か言われてたら怒るじゃないか。それもかなり冷たく」
その言葉に雷蔵は苦笑した。確かにその通りである。――結局お互いに似た者同士なのかもしれない。
「でも、僕はその場で発散するし。三郎みたいに平気な顔したりしないもん。三郎はええ格好しいなんだよ」
「ええ格好しいで何が悪い?」
本格的にむくれた三郎に雷蔵は苦笑する。そっぽを向いてしまう彼の頭を手を使って引き戻し、視線を合わせる。
「悪くないけど、偶には素直にならないと苦しくなっちゃうよ?」
覗き込むように雷蔵は顔を近付ける。普段は三郎の方が迫る側の癖に、こういう時は不思議と三郎は逃げたがる。それに雷蔵は内心おかしさを感じながら、三郎に笑いかけた。
「僕は素顔の三郎、好きだけどなあ」
「それは偶にはお前の変装を解けと言うことか?」
「分かってるくせに歪んだこと言うんだから。――どうせ素のままでいられるのは今のうちだけなんだから、急いで大人になる必要はないと思うよ」
三郎が敢えて歪んだ風に取る意味を雷蔵は修正し直す。彼はもう雷蔵に逆らう気力がないようで、にっこりと微笑んだ彼女から視線を逸らすこともしない。だが、ふと何かを思い付いたようで、悪戯っぽい笑みを浮かべて彼は雷蔵へと視線を向けた。今度は雷蔵が嫌な予感を感じて顔を離そうとする。しかし、そんな彼女の頭を今度は三郎が掴んで、そのまま引き寄せた。
「……子どものままじゃ俺は嫌だな。そうだろう?」
「それを今の僕に言うのかい……?」
口付けられた唇を押さえながら雷蔵は囁いた。こういう関係になって長いが、それでも恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。いつまで経っても恥じらいを失わない雷蔵を三郎は好ましく思っており、形勢逆転した彼は逆に雷蔵へと迫った。
「今は凄く素直になってるけど、俺のこと好き?」
「……言いたくない」
「おやおや、素直になりなよ雷蔵」
にじり寄ってくる三郎に雷蔵は後退りするが、壁に阻まれて後退は止まる。引きつった笑みを浮かべる彼女を余所に、三郎は逆に良い笑みを浮かべた。
「――好きだよ、雷蔵」
「……うん……僕も、好きだよ」
再び重ねられる唇を受け入れ、雷蔵は自分と同じ顔をした男の背中に腕を回した。初めは何だか不思議な感じがしたが、今では慣れたこともあって違和感はない。それに何より、三郎は雷蔵と同じ顔をしながらも確かに三郎の顔をしているのだ。他の人間にも化けることはあるが、三郎が一番三郎らしいのは彼本人の顔をしている時と雷蔵の顔をしている時である。
甘えるように自分の肩に顎を載せる三郎を抱き返しながら、雷蔵はくつりと笑った。――自分の顔なのに自分の顔じゃないというのもおかしな話だ。けれども、それが今の自然。更に強く自分を抱き締める三郎の腕を感じながら、雷蔵は彼の肩に同じく自分の頭を預けた。
▲BACK
【はじめて…】――『素顔をみせて』
鈍行*2008.08.06〜 Written by 緋緒