鈍行


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▼やさしいことば (竹孫)



「さあ、ジュンコ、今日も良い天気だ。皆も散歩日和だと思わないか?」
「孫兵……例え散歩日和でも、そいつらを散歩させるのはこの俺が許さないからな」
 飼育小屋で小さく毒虫や蛇たちに語りかける孫兵の背後から、呆れたような声がかぶさる。ギョッとして振り返る孫兵の視界に、飼育小屋の入口に寄りかかるような形で佇んでいる男の姿が入ってきた。いくら上級生で気配を消していたと言えど、この至近距離に人が存在したことに気付かなかった孫兵は驚いて息を飲むと同時に悔しさを隠し切れない。――しかし、孫兵は常に直属の先輩である竹谷 八左ヱ門にはどうしても敵わないのだ。
「……どうして気配を消してたんですか?」
「最初は別に普通だったんだけどな、お前が何だか不穏な企みをしているようだったから」
「不穏な企みじゃありません。虫たちだってお散歩したいんです。それを飼い主として汲み取るのは当然でしょう?」
「屁理屈言うなよ、もう。駄目だからな、一年たちが学年全体で実習に出てるんだ。さすがに今脱走騒ぎが起きたら、俺たちだけじゃ処理できん。場合によってはここに居る生物は虫獣遁に使うもの以外処分されてしまうかもしれないぞ。ここで世話してるからお前は忘れてるかも知れないが、ここで育ててる生物の半分はお前個人のものなんだからな」
 ゆっくりと飼育小屋へ入ってきた竹谷が孫兵の額を指で弾いた。軽い衝撃とは言えども、五年生ともなれば結構な痛みを伴う。孫兵はむっと頬を膨らませながらヒリヒリと痛む額をさすり、自分の傍らにしゃがむ竹谷へと視線を向けた。
「でも、連れてきて良いって言ったのは先輩です」
「そりゃあお前の部屋にあんなにいっぱい生物が居たら、藤内が可哀想じゃないか。それに虫たちにしたって長屋よりも生物の飼育のために作られたこっちの小屋の方が過ごしやすいことは間違いないだろうしな。誰だって居心地の良い場所に居たいのは当然だろ?」
 孫兵は自分の頭を撫でながら言う男の言葉に唇を噛んだ。――この人はいつだってこうやって、虫たちと人間を同列に語る。それで居て人とも生物たちとも仲良くやっていくのだから、神様は随分とえこひいきしたものだ。人徳もあって、虫たちにも慕われて、明らかに自分が差を付けられている。この背中を追う身としては、嬉しいようで嬉しくない。
「何ふくれっ面してんだ、お前は。そんな顔したって駄目だからな。散歩は絶対に禁止」
「でも」
「でももだってもなし! 分かるだろう?」
 八左ヱ門の優しい、どこか諭すような口調の問いかけに孫兵は膨らました頬から空気を抜いた。しょんぼりと相手を見やり、何度も瞬きする。それに八左ヱ門は苦笑し、彼女の頬に手を伸ばす。一度彼女の頬を優しく撫でた大きな手は、ゆっくりと彼女の頬を引っ張った。
「虫たちを可愛がるのも良いけど、周囲の人間にもきちんと配慮すること。――藤内だって初めて会った時は虫を怖がっていただろ? あの子は幸い慣れてくれたけど、どうしても慣れられない人間というのも存在する。俺たちが人間である以上、俺たちの世界は常に人間を中心に回らざるを得ない。分かるな?」
「……はい」
「お前だって、人を襲ったという理由でこの子たちを失いたくはないだろう?」
「はい」
「だったら、分かるな?」
「……でも……お散歩したいって」
「せめて、一年たちが帰ってきてからにしなさい。第一、あれは毎回言ってるけど散歩じゃなくて脱走だ。散歩っていうのは戻ってくる見込みのあることを言うの。虫たちは一度逃げたら大抵捕まえない限り戻ってこないだろ? お前ももう三年なんだから自覚しないとな。高学年になったら今度はあいつらと下級生をお前が守らなくちゃいけないんだぞ。そのためには今からちゃんと虫たちと人間と分けて考えることを覚えないとな」
 それでも言い募る孫兵に八左ヱ門がもう一度頭を撫でながら諭す。それに唇を尖らせながらも孫兵は渋々頷くと、八左ヱ門は笑顔で彼女を抱き寄せた。
「えらいぞ、孫兵! 良い子、良い子!」
「ちょ、先輩! 僕はもう三年生なんですから、子供扱いはやめてください!」
「……大人扱いしたら逃げるくせに」
「何ですか? 言いたいことははっきりと仰ってください!」
「――何でもないよ。虫たちの世話が終わったなら、そろそろ外に行くぞ。餌を確保せにゃならん」
 腕の中で暴れる孫兵に八左ヱ門はぼそりと呟いた。至極真っ当な感覚を持つ八左ヱ門としては、十二歳に最後まで手を出すことはさすがに良心が許さない。せめてもう少し情緒的にも身体的にも育つまでは、と彼は腕の中の細い身体を後ろ髪引く思いで解放した。頭の中に思い浮かんだ口実を理由に彼女の手を引きながら立ち上がり、明るい陽の射す外へと孫兵を導く。その行為こそが子供扱いだと孫兵は内心腹を立てていたのだが、それでも自分の手を包む大きな手の温もりを手放す気にはなれず、何も言わずに紺の装束に包まれた大きな背中を追ったのだった。



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【はじめて…】――『やさしいことば』
お題提供:Smacker


鈍行*2008.08.06〜 Written by 緋緒


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